西郷どん 第12回 「運の強い姫君」 感想



第12回 「運の強い姫君」

◎かんそう

○聞きたかった言葉

「キミの結婚相手の男は病弱で子作りも不可能だ、キミは結婚しても幸せになれないだろう。そこにキミを嫁がせるのには理由がある、政治工作のためだ。実はキミには将軍をたらしこんで次の将軍を鹿児島県の推薦する人物にするように仕向けてほしいのだが。」

(´A`)<こんなことを言われても健気に「はい」と返事する篤姫でしたが・・・

心中では(結局私は道具でしかない。みんな、偉そうに国のこと民のことを考えてるって言ってるけど、私の人生のことは誰も考えていない)っていう部分はあったことでしょう。

そんなとき、たまたま地震がおこり、救助に駆けつけた西郷。
篤姫は言う。「ここから逃げたい。結婚は嫌だ、一緒に逃げてほしい」
西郷は答える「わかりました・・逃げましょう。そして・・自分が一生姫様を守ります」

(「不幸になっても仕方ない政治の道具」として自分を扱わない人間はいた。西郷は自分のために人生を棒にふる覚悟を見せてくれた)

西郷の言葉を聞いた篤姫は、自分も国のため、他人のために自身の人生を棒に振る覚悟が固まる。

(´A`)<みたいな流れ?泣いた。めっちゃよかった。

(´A`)<俺は今まで、故郷の家族のことや自分の立ち位置を考えず、感情的・短絡的な行動をする西郷に対して(政界デビューしたばかりとはいえ軽率すぎるんじゃない?)なんて思ってたけど、今回の行動には感動させられた。「あっぱれ」を贈呈させていただきたい。

(´A`)<もし「逃げたい」と言う篤姫に、「こらえてつかあさい。国のため、どげんしても姫様のお力が必要なんでごわす」とかありていな一般論・綺麗ごと言ってたら、
篤姫様は(ようは私のために人生棒にふるきはないけど、私には国のために人生棒にふれってことね。まあ他人なんてそんなもんね、自分が不幸になるわけじゃないんだもんね)
みたいになって誰も信じれなくなって自暴自棄になってたかもしれない。

(´A`)<今回の西郷の選択・西郷の言葉は一生篤姫の心の支えになると思う。たった1人でも自分の味方(「みんな友達・みんな大好き!」・的な口先だけの味方じゃなく、本当の味方ね)がいるって思えるだけで人生ぜんぜん違ってくるからね

(´A`)<(まあドラマパートではあるが)


(´A`)<キミはあるかい?相手の反応を見るために誰かに釜かけたこと

(´A`)<俺はしょっちゅうだった。

(´A`)<試したことも、試されたことも、試されたとわかったから吹っかけたことも、あった。


◎今週の「命かけもす」宣言

(`・ω・´)<仕事も故郷も捨て篤姫様と遠くに逃げる、なにがあっても篤姫を守る、と言ってはいたものの、「命をかけもす」は出ませんでした。


○その他小並感
今回の篤姫役の女優さんは花嫁修業を終えたって設定。で、本当に前回までのイモ臭さが抜けて別人のように洗練された感じになっててビックリ!なにが違うんだろう?背筋?化粧?衣装?女優さんってすごいな、と思いましたまる

劇中で桜の木ともみじが出てきてたけど、あれ本物?CGとは思えない色あいだったけど・・(´A`)<とくに桜の木


◎おまけパート

---東京都.千代田区---
//1855年安政の大地震で石垣が崩れ大名の屋敷にも甚大な被害がでた//

---東京都.文京区---
//特に被害が大きかった場所//かつて水戸藩茨城県)の屋敷があった//建物ばかりではなく、水戸学の大家・藤田東湖など貴重な人材も失われた。{●藤田東湖の記念碑}//藤田東湖は吉田松蔭や西郷隆盛など幕末の志士たちに大きな影響を与え、はじめて「尊皇攘夷」という言葉をつかった人物とされている//

○行きたいレベル・A
日本国民として死ぬまでに一度は江戸城に行かなければと思ってはいる。(その機会にパフォーマンスとして、桜田門前で倒れてみたい)


◎覚へ書き--- 1855年・主人公27歳---

○歴史パート:

×安政の大地震(あんせいのおおじしん/だいじしん・1850年代の群発地震
1850年代に日本各地で連発した大地震。特に1855年に発生した安政江戸地震を指すことが多い(→安政江戸地震

×安政江戸地震(あんせいえどじしん・1855.11.11.夜10:00頃)
・関東地方南部で発生したM7クラスの地震
・大都市江戸に甚大な被害(大名屋敷が半壊にとどまる・震度5強程~大名屋敷が全壊した記録が残っている・震度6弱以上程)
・死者は政府の公式調査で一般人4741人、倒壊家屋14346戸とされている。これに寺社領、特に被害が甚大であった武家屋敷を含めると死者は1万人くらいであろうとされる
地震直後に30余箇所から出火、朝から小雨で微風であったため大規模な延焼は起きず翌日の午前10時頃には鎮火
・田畑に小山や沼が出来、その損害は約3万石にのぼった
津波が起きたとする記録は無いが、地震動によって誘発されたと思われる川や溝の水が揺れ、はね上がる現象は生じていたと思われる
福井県大阪府で震度4から5と見られる揺れがあり、異常震域があったと考えられる
・前年にも規模の大きな地震があり、中央政府江戸幕府)は各行政局(藩)に復興資金の貸付・復旧事業を出費をしていて、さらにこの地震により旗本・御家人、被災者への支援、江戸市中の復興に多額の出費を強いられ政治的にも多難な時期(諸外国が開国を干渉)に財政悪化を深刻化させた
・死者の無料埋葬、米の配給、物価抑制のための公定上限価格の設定なども行われた

○ドラマパート:
//{鹿児島}1855.流罪の刑に服していた大久保利通の父が特赦により罪が許され帰宅//{東京}篤姫と将軍の結婚の話が政争のため進展しない。そこで侍女長が献策、大奥経由で説得工作することに//「将軍との結婚=不幸の出来レース」と聞かされた西郷は悩みながらも工作に貢献//{鹿児島県}大久保利通薩摩藩の殿様(島津斉彬)の弟(島津久光)に手紙でコンタクト。(尊敬してます・忠義を誓います・みたいな)//篤姫の侍女長が将軍の母親に謁見、篤姫の売り込みに成功//将軍の母親の働きかけで篤姫の嫁入りが決定。西郷はますます篤姫が気の毒でならない//篤姫の侍女長も篤姫の不遇を知り、(篤姫に強くなってほしい)との思いからより厳しく篤姫を鍛える//島津斉彬篤姫に事実を話す「あんたの嫁ぎ先の将軍は病弱で子作りも不可能だ、だからあんたは結婚しても不幸にしかならない、なのにあんたを嫁がせるのは政治工作のためだ、あんたには将軍をたらしこんで次の将軍は鹿児島県の決めた人物にするように仕向けてほしい」。これを聞いた篤姫は激しく動揺しながらも「国のため、殿様のため」と受諾//大地震が起こる(→安政の大地震1855.)。篤姫を救助する西郷。そこで篤姫が「このまま逃げたい。結婚は嫌だ、一緒に逃げてくれるか?」とたずねる→西郷、決心。「わかりました。逃げましょう。自分が一生姫様を守ります」→「その言葉が聞きたかった」。”自分を「政治の道具」として扱うことのない人間もいる”・”自分のために人生を棒にふる覚悟のある 人間もいる”ことが確認できた篤姫、自分も「国のため、自分の人生を棒に振る」覚悟が固まる//つづく

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◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×本寿院(ほんじゅいん.1807-1885):第13代将軍・徳川家定の生母(12代将軍・家慶の側室):東京都・江戸城大奥
//徳川将軍直属の家臣・跡部某の娘といわれる//15歳・大奥に入社//16歳・第12代将軍候補だった徳川家慶の玉の輿にのる//17歳・出産(→13代将軍・家定)//30歳・夫が12代将軍となる//46歳・夫・12代将軍の徳川家慶が死去、落飾(尼さんみたいな?)する。息子が13代将軍となる//48歳・安政の大地震←イマココ●//将軍継嗣問題では徳川家茂を推す南紀派//51歳・息子が死去。本寿院はそのまま大奥に残る//61歳・江戸城無血開城。城をでて親戚の邸宅で平穏な余生を送る//79歳・死去

×歌橋(****-****):13代将軍・徳川家定の乳母:
//生没年不詳//1853.徳川家定が将軍となり歌橋は大奥において将軍の実母・本寿院以上の権勢を握る(→それは実母・本寿院や父・徳川家慶将軍が家定の育児を全て歌橋にまかせっきりで、家定が歌橋を慕っていたからだと言われている。また家定は人前に出ることを極端に嫌う性格だったと言われ、乳母である歌橋にしか心を開かなかったという)//将軍継嗣問題では徳川家茂を推す南紀派//13代将軍・家定の没後は落飾(尼さんみたいな?)


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