「西郷どん」 最終回 「敬天愛人」 感想


最終回 「敬天愛人

◎かんそう

○一年間、おやっとさあでした!

「古い侍の社会」を終わらせ新しい社会を作るため奔走した西郷。しかし気づけば西郷自身が「古い侍の社会」の象徴になっていた。そして西郷抹消の総攻撃に乗り出す新しい社会・・・


(´A`)<なんとも皮肉なお話じゃあないか。


(´A`)<西郷はけっこう早い段階でこの状態に気づいてたんだろうなあ。「自分は取り残された古い社会の人たちのイケニエとなり死ぬ運命で、それは自分が戦争で殺した古い社会の人たちへの償いでもある」なんて?


「西郷にだけは生き残ってほしい」という兵たちに

「いや、ここは死なせてくれ。俺が死なないとこの国から戦争がなくならない、俺がいると侍たちに悪い意味で希望が残り「新しい生き方を模索しよう」という気持ちが芽生えない。それだとまた戦争が起こる」


(´A`)<このへんのやりとりで俺はやっとその状況・西郷の深謀遠慮に気づいた。侍たちもほとんどがそのときにやっと気づいたんじゃないかなあ。「結局西郷が死ぬことになったのは自分たちのせいなんだ」ってね。

(´A`)<薩摩武士たちがイキッて「もう戦うしかなか!」とか「やってやりましょう西郷さん!」とか言うたびに西郷さんだけはなんか悲しそうに笑ってたもんね・・

(´A`)<でも自分(侍の身分)のことしか考えてない奴は最期まで「自分は西郷のために戦ってる」とか勘違いしたまま死んでそう。

(´A`)<ひょっとしたら、そんな古い考え方の侍を生かしておくとまた戦争になるから、西郷は今回の戦争でそいつらも道連れに一緒に死ぬために同行を許可したのかな、なんて?


○ご演説のお時間

「西郷、死す」の報告を受け動揺する大久保利通。大久保は動揺したまま「博覧会主催者のごあいさつ」を来賓たちの前ではじめる。上手く言葉がでない。声がうわずる。眼が泳ぎ、頬がひきつる。


(´A`)<これドラマでしょ?あれお芝居・演技なんでしょ?すごいな!大久保役の人はすごい役者さんだわ。


○死に場所

372人が5万の軍に包囲された。軍の総攻撃は翌日。死亡確定、明日までの命。

その状況で「鹿児島県民の自分が桜島をみながら死ねるとは、まさに本懐」と笑ってみせる薩摩武士たち。

そのシーンに感動とか、そういうのはとくになかった(とばっちりで担ぎだされ結局死ぬハメになった西郷さんが気の毒で、ヤケッパチで死ぬ武士たちに同情するところまで感情移入できない)。


(´A`)<けど、「自分の死に場所」っていうのは考えさせられた。

(´A`)<俺は自分の死に場所決めてあるが、冬は寒くてヤダなあ。



西郷隆盛、死す

天を見上げ、「もう、ここらでよか・・・」呟き、静かに目を閉じる。という演出でしたが。


(´A`)<イマイチ。一年毎回観てきた総決算的な意味でも最後はしっかり感動させられて終わりたかったのに、残念。

(´A`)<ここはきっちり「もはやここまで→正座→合掌→ごめんやったもんせ→斬首」っていう流れをやってほしかった。

(´A`)<「戦場の混沌と騒乱の中、静寂な心で迎える最期」そんな様式美が見たかったのに。

(´A`)<今回に限ったことじゃあないけど、史実の割合を減らさないでほしい。



○そのほか小並感

小①:チラッと勝海舟・チラっと一橋慶喜・チラっと島津久光がでてくるんだけど。あそこは篤姫も出したほうが視聴者ウケしたんじゃない?なんで出さなかったんだろ。ギャラかスケジュールの都合?

(´A`)<まあ俺は篤姫も女優さんも興味ないからどうでもいいんだけど。


◎今週の「命かけもす」宣言

最後の命かけもすは

(´;ω;`)<言葉ではなく、西郷自身の生き様でした。

(´;ω;`)<文字どうり、命を賭しました!

(´・ω・`)<新しい政府、家族との暮らしに対応できてたのに周囲に担ぎだされ戦った西郷とは違い、自分たちの階級・特権・待遇が不満で戦って死んだ薩摩武士たちはどっちかっていうと「自分のために戦ってただけ」って印象なので、それに対して「命かけてました」っていわれてもウーン微妙。


---覚えておきたい使える言い回し---

決戦前夜、アコーディオンで悲しげなメロディを奏で戦士たちのテンションを爆下げする西郷軍の村田某。

西郷はそんな村田某に「おいおい空気読めよ!おまえ選曲のチョイスなんか違くね?マジへこむんだけど?」などとは言わず、

「いい音色だねえ。実にいい!じゃ、次は賑やかな曲、頼める?」と言う。

これって日常生活でも使える言い回しだよね。

(´A`)<ちなみに俺なら小声で「村田村田、もっと楽しい曲にしてくれよ!そんなんじゃみんなテンション下がって明日は決戦どころじゃなくなっちゃうからサ!」とか小声で言っちゃうと思う。


◎おまけパート

---鹿児島県.鹿児島市---

西郷隆盛洞窟
//1877(明治10).9.24、政府軍の総攻撃が行われた//西郷はこの洞窟から村田新八らとともに進撃、敵陣に向かう道中銃弾を受けたのち、波乱の人生に自ら幕を下ろした
西郷隆盛終焉の地
//西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介介錯によって最後を遂げたと言われている
西郷隆盛を祭る神社//西郷隆盛の偉徳を敬崇してその墓に参る者が年々増加したことから1880(明治13)、南洲墓地の隣に参拝所が設けられる→1922.(大正11)「南洲神社」として無格社に認定された//1945.(昭和20)戦災で焼失//1950(昭和25)再建//1978(昭和53)墓地の隣に西郷南洲顕彰館神社が建設された
(´A`)<めっちゃ歴史の浅い神社。西郷を祭ってるわけだからアタリマエなのだが・・・
○南洲墓地
1879(明治12)、鹿児島市内5か所に仮埋葬してあった西郷隆盛らの遺体が有志によってそ現在地にまとめて改葬される//その後、九州各地に散在していた西郷軍の遺骨も集められた//○西郷隆盛の墓○村田新八の墓・○桐野利明秋の墓など、西南戦争を戦った計2023名が葬られる「南洲墓地」となった//南洲神社に隣接(正確には墓地のほうが先、地神社が後でできた)//

---東京都.千代田区---
○清水谷(しみずだに)
西郷の死から8ヶ月後、大久保利通がここで襲撃され命を落とした

------港区---
大久保の亡骸は産まれ故郷の鹿児島ではなく都内の青山霊園に埋葬された//大久保と共に亡くなった従者・中村太郎と馬の墓もある
永田熊吉の墓
//西郷家に仕えた使用人・熊吉の墓//大久保と同じく青山霊園にある//

-----目黒区---
西郷従道邸跡(菅刈公園)
//一帯は従道が兄・隆盛を迎えるために用意したもので、「西郷山」とよばれた/西郷隆盛の死後、西郷の弟・従道に仕えた熊吉が庭の整備をした//

○行きたいレベル・済(←鹿児島のみ・東京は行きたいレベルD)
昔、バイクで鹿児島に行ったときに観てきたo(`ω´)o 西郷隆盛にまるで興味なかったんだけど他に観たい場所もなくて西郷ゆかりの地を巡ったんだけど、今となってはいろいろ観てきて良かったと思ってる。(´A`)<もうニ度と行けないだろうからな。


◎覚へ書き---1877年・主人公49歳---

○歴史パート:

内国勧業博覧会(●in1877.東京都)
大久保利通の提案で開催//殖産興業推進に必要な欧米からの新技術と日本の在来技術の出会いの場として、見世物ではなく産業奨励会としての面を強調した//しかし、多くの人々にとって博覧会とは何か理解されていなかったため、出品物の収集は各府県の出品取扱人による勧誘が行われた//鉱業及び冶金術、製造物、美術、機械、農業、園芸の6つに分類され、素材・製法・品質・調整・効用・価値・価格などの基準で審査が行われた。優秀作には賞牌や褒状が授与され、いわば物品調査と産業奨励が同時に行われた//上野公園に設けられた約10万平方メートルの会場には、美術本館、農業館、機械館、園芸館、動物館が建てられ、大時計・約10メートルのアメリカ式の地下水汲み上げ用風車・数千個の提灯などの演出がされた//入場者数は西南戦争コレラの流行もあって大久保の予想を下回り、財政的には不成功と大久保は語った//しかし、勧業政策のとして内国博は有用であり、以後の博覧会の原型となった//だそうで

西郷隆盛、戦死・西南戦争終結(●in1877.9.24.鹿児島県)
熊本県で政府軍に迎撃され連戦連敗の西郷軍が解散。西郷、最後まで共に行動したいという372人とともに鹿児島にもどる//西郷軍372人を政府軍約5万が包囲//西郷軍の幹部が西郷に秘密で政府軍に西郷の助命を嘆願するも不発(ドラマの大久保からの電報は創作っぽ)//政府軍の総攻撃開始→西郷に銃弾が当たり起き上がれなくなる→「もうここでいい」覚悟を決めた西郷、自らを部下に介錯させ死亡//(享年51・満49歳)

大久保利通が暗殺される(●紀尾井坂の変、または紀尾井坂事件、大久保利通暗殺事件in1878.5.14.東京都)
//明治政府行政の不徳、西南戦争など国内で戦争をおこした責任、武士の待遇が悪くなったこと・などに不満を持つ6人の元・武士が大久保利通暗殺を計画//馬車で移動中の大久保を襲撃、16箇所をメッタ刺し斬り殺害(肉が飛び散り、裂けた頭蓋骨からピクピク動く脳が見えるほどだった)享年49・満47歳//6人は大久保殺害後出頭したのち斬首刑//近代日本としては初めての国葬級の葬儀が大久保のためにおこなわれた(しかし大久保は故郷・鹿児島県では「西郷を見捨てた男」として大いに嫌われていたため墓は東京に建てられた)//この事件を契機に政府高官には護衛がつくようになった

○ドラマパート:
//西郷軍、宮崎県から鹿児島県に敗走。山林を徒歩で450キロを14日かけて移動、すでに鹿児島で待ち構えていた政府軍と交戦するも政府軍の圧倒的な戦力の前に撤退、山中に遁走//鹿児島の戦争を尻目に博覧会の主催に没頭する大久保利通(●内国勧業博覧会in1877.東京都)//西郷の弟、従道は政府軍人という立場上、西郷を救うことも戦争を止めることもできず苦しむ//政府軍は西郷軍を完全包囲したものの、西郷への敬意・恩義から総攻撃をためらう//東京の大久保利通から政府軍に指示「降伏すれば西郷の命を助けてやれ」→この知らせを聞いた西郷軍、西郷に降伏を勧告→西郷、これを固辞「兵と一緒に死ぬ。それは国のためでもある。自分が生きていたらまた侍は自分のもとに集まり戦争をはじめる。それじゃあダメなんだ、自分が死ぬことで自分に頼らない新しい生き方を侍達にはみつけてほしい」//1877.9.24.政府軍が総攻撃を開始。徹底抗戦する西郷軍//1人、また1人死んでいく西郷兵。ついには西郷も銃弾に倒れる(●西郷隆盛、戦死・西南戦争終結in1877.9.24.鹿児島県)//戦争が終結、西郷の死を嘆き絶叫する大久保利通//西郷の死を惜しむ一橋慶喜勝海舟//庶民の間に「西郷は星になった、拝むとご利益がある」という風説がでまわる//西郷の妻が西郷から託された言葉を一家に伝える「「「逆賊一家」の汚名を浴びても決して卑屈にならず、「おかしいことはおかしい」と言える人間になってほしい」」//●1878.5.14.大久保利通が暗殺される//おちまい


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

(´A`)<なしよ



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西郷どん 第46回 「西南戦争」 感想


第46回 「西南戦争

◎かんそう

○問答無用
西郷隆盛とも大久保利通とも旧知の仲の政治家・大山某が政府に逮捕される、大久保と面会した大山某、大久保利通を問いつめる。

大山某「なんで西郷の話を聞いてやらない、なにがあった、なにを考えてる!」

(´A`)<これに「大久保利通がどう答えるのか」で今作の大久保の立ち位置(結局善人キャラなのか悪人キャラなのか)が、ワカル!

(´A`)<そう思ってみてた。(もっと言うと「ここで大久保がおためごかしを言って「大久保も辛いんだ・大久保にも事情があるんだ」みたいな善人ENDにもっていくんだろう」と思ってた)

で、その大久保。めっちゃ冷たい口調冷たい目で言い放つ。「西郷は友達だけど今はカリスマ犯罪者だ。カリスマ犯罪者が生きてるとチンピラ犯罪者が増幅する。だから殲滅する」

(´A`)<んー・・・「なんで大久保は西郷と腹を割って話さないのか・何を考えているのか」の答えになってないなあ。

そんな俺の思いを大山某が代弁。大山某「話をそらすな!俺がききたいのはなんでお前が変わってしまったのか、おまえに何があったのか・ってことだ!」

(´A`)<そうそう、そういうことですよね大山さん!

で、大久保。「西郷軍を殲滅する。そうすればもう日本に戦争は起こらないだろう。政府はそう判断した」

(´A`)<またもや答えになってない。聞きたいのはそこじゃない。聞きたいのは「なんで西郷と向き合って話さないのか、大久保が何を考えているのか、なにか事情があるのか」なんだよ!

(´A`)<そうでしょ大山さん!言ってやってください、「聞きたいのはそこじゃない!」って、もう一回言ってやってくださいよ!

しかし大山某が言ったのは「政府の決定?違うだろ、それはおまえが決めたことだろ!」という、ブレた返しだった・・・

それに大久保が答える。「俺が政府だ。」

ここで大山某が「ダメだこいつ・・・」と思ったのかしらんが、やりとりはここで終了。

結局、「西郷の目的が戦争じゃないとわかっているのに西郷と戦争する理由、西郷の話を聞いてやらない理由」は言及されませんでした。


(´A`)<うーん・・・とりあえず大久保を「実はいい人END」にしない方向なのはわかったけど、会話は消化不良でした。

(´A`)<でも前回45話で「俺が吉之助さぁと話に行く!」→「ダメだ、あなたになにかあったら国がメチャクチャになる」→大久保、あきらめる、みたいなやりとりがあったから、このときに大久保は西郷との対話をあきらめた・ってことなのかな。それだと「俺は政府だ」→「俺は政府の代表だからしかたないんだ」って解釈はできるな。

(´A`)<それでも「だからもう一切の対話をしない」っていうのはとても理解できんが。

(´A`)<まあそれはおいといて大山某の役者さんはすごくよかった。有名な役者さんなのかな?大河常連になってほしい!



島津久光は実際どうだったのか?
政府からの使者・柳原某にむかって「改心すべきは西郷ではなく政府では?」などと、ドラマでは政府に食ってかかってた島津久光公ですが。

(´A`)<史実ではどうだったのかちょっとググッてみた。

実際のところは//鹿児島県の西郷が武装蜂起・西南戦争勃発→鹿児島県の超有力者・島津久光がもしも西郷に援助・協力したらやっかいだと考えた政府が勅使・柳原某を鹿児島に派遣、上京を促す→島津久光は「自分はあくまで中立ですよ」と表明→自分の代わりに自分の子供を京都に派遣→自分は戦火を避けるため桜島に一時避難した//だそうで。

(´A`)<ドラマのやりとりは創作っぽ 。ようは「政府は嫌いだけど西郷も嫌いだった」・ってとこかな?


桂小五郎(=木戸孝允)は実際どうだったのか
政府要職にありながら志半ばで病没した桂さん。ドラマでの最期の言葉は「西郷クン、ええかげんにせえ」というものだった。とのことですが。

(´A`)<史実ではどうだったのかちょっとググッてみた。

実際のところは//新政府に否定的な鹿児島県と西郷を桂小五郎は批判していた→1877.西南戦争勃発、桂小五郎が西郷軍征討の任にあたりたいと希望(周囲に止められ断念)→政府軍が鹿児島へ、桂小五郎は京都まで行く→ かねてから重症化していた胃ガンが悪化→危篤、朦朧状態の中、大久保の手を握り締め、「西郷もいいかげんにしないか!」と、明治政府と西郷の両方を案じる言葉を発したのを最後に死去。享年45(満43歳)//だそうで

(´A`)<最期の言葉、史実でした。勉強になった。

(´A`)<マジメを地でいく男の最期の言葉がまさかのツッコミ・「いいかげんにせい!」とは。

(´A`)<実はお笑い好きだったのカナ?

(´A`)<んなわけないやろ!

(*^ω^*)<ちゃんちゃん☆


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ


---覚えておきたい使える言い回し---

中村半次郎の言葉(史実ではなくドラマの話ね)
絶望的な最終決戦を控えて、「自分も戦う、自分も西郷と一緒に戦って死ぬ!」と、いきまく若い兵隊に向かって・・・

(´A`)<俺なら「おまえらはまだ若い・命を粗末にするな」とか、超ベタな言い方になりそう。だが、中村半次郎は・・

中村「おまえらみたいな若造が俺たちと一緒に死のうなんて百年早い、足手まといじゃ!」

(´A`)<的な言いまわしをしてました。カッコE!

(´A`)<トドメに西郷が「諸君らの新しい知識を新しい日本のために使うこと。これは命令だ。」的な感じで優しく諭すという。

(´A`)<完璧な連携プレーですな

(´A`)<「ダメだダメだ、ついて来るな!」なんて怒鳴ったら逆に「いいえ!絶っ対ついていきます!!」みたいな流れになっちゃう可能性があるからこういうノリの対処にはきをつけないとね。


◎おまけパート

田原坂(たばるざか)・三の坂:○弾痕の家(復元)
//西郷軍と熊本鎮台との武力衝突によりはじまった西南戦争の最大の激戦地//一帯は西南戦争の古戦場として国の史跡に指定されている //政府熊本軍の応援にかけつける中央政府軍を西郷軍がここで迎え撃った//激戦は17日間に及んだ//一日に32万発もの銃弾が飛び交ったといわれ当時の銃弾が今も発掘されている
//

※同地に因んだ民謡
雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ 田原坂
右手(めて)に血刀左手(ゆんで)に手綱、馬上豊かな 美少年
春は桜秋ならもみじ、夢も田原の 草枕
草を褥に夢やいずこ、肥薩の天地 秋さびし

○延寿寺:○西南の役薩軍戦没者墓碑
//野戦病院のひとつ//850人余りの兵が埋葬された

---宮崎県.延岡市--
西郷隆盛宿陣跡資料館
政府軍に追い詰められた西郷はここで解散布告令をだした//

西郷菊次郎加療の地
西南戦争で負傷した西郷の庶子・菊次郎が療養した西郷軍本陣の近くにある家

○西郷軍可愛岳突囲口
敗走し鹿児島を目指した西郷が600人余りの兵を連れ踏破した山

○行きたいレベル・B
微妙。このドラマで少し興味わいたけど、熊本や宮崎まで行く機会あるなら他の場所が優先かな。

(´A`)<なんといっても熊本には行きたいレベルSSSの熊本城があるしね


◎覚へ書き---1877年・主人公49歳---

○歴史パート:
○1877.西南戦争(=西南の役)(●西南戦争○日本政府vs鹿児島県●in1877.九州各所(熊本県大分県・宮崎県・鹿児島県))
熊本県大分県・宮崎県・鹿児島県において、西郷隆盛を盟主にして起こった武力反乱。
//西郷隆盛が鹿児島で学校を開設。学校の規模が大きく本格的だったので中央政府から(国に反乱をするための組織では)と疑われる//国が鹿児島県に保管してある武器や火薬を県外に持ち出そうとし鹿児島県ともめる//国が鹿児島にスパイを送る→鹿児島にバレる→スパイに拷問し「西郷を殺すつもりだった」との言質をとる//「政府のやりかたはおかしい・これを問いただす」を大儀に挙兵、東京へ向かう//政府熊本県軍に抗戦され開戦し中央政府軍がこれに加わる//鹿児島軍劣勢。退却を繰り返し最終的に解軍。これにより鹿児島兵に降伏するものが相次ぐ//それでも残った兵や幹部1000名が鹿児島へ戻り徹底抗戦//政府軍が鹿児島軍残党を包囲、殲滅//

○1877.5.26.桂小五郎(=木戸孝允)死去
1877.西南戦争勃発。西郷軍征討の任にあたりたいと希望(周囲に止められ断念)//政府軍が鹿児島へ、桂小五郎は京都まで行く// かねてから重症化していた胃ガンが悪化//危篤、朦朧状態の中、大久保利通の手を握り締め、「西郷もいいかげんにしないか!」と明治政府と西郷の両方を案じる言葉を発したのを最後に死去//享年45(満43歳)//

○ドラマパート:
//西郷たちは元・武士(=士族)たちの窮状を政府に直訴するため軍隊を構成し鹿児島県を出発、東京に向かう//政府が天皇名義で「西郷は悪の賊軍」と認定し公表。鹿児島県の「話がしたい」という目的はあたまごなしに拒否され国の軍隊すべてが鹿児島県の敵となる//熊本城の手前で戦闘が勃発(●西南戦争(○日本政府vs鹿児島県●in1877.鹿児島県))//西郷軍劣勢、西郷の弟(四男・小兵衛)が戦死、庶子・吉次郎も片足を失う大怪我//西郷軍は進軍を断念、撤退//鹿児島県の島津久光のもとに政府からの勅使。「西郷に降伏するよううながせ」→島津久光これを拒否//桂小五郎、死去。最期の言葉は「いいかげんにしないか!」だったという//鹿児島県知事・大山綱良が「西郷の後援をした等」の罪で極刑となる//2万いた兵が3千5百まで減る→さらに撤退する西郷軍→西郷、ついに軍を解散する(解散布告令)//政府軍が西郷家を保護(を口実に連行?)しようとするも西郷の妻がこれをつっぱねる//物資補給のために鹿児島にもどった西郷軍の幹部に無理を言って西郷の妻が戦場の西郷のもとへ//西郷、妻と最後の逢瀬//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×柳原前光(やなぎはらさきみつ1850-1894):公家(大正天皇の伯父(妹が大正天皇の母))・伯爵:(ゆかりの地→??)
//公家・柳原某の子//18歳・ 東海道鎮撫副総督となり山梨県の防備を勤める。明治維新後は外務省に入省(戊辰戦争(○明治新政府vs徳川旧政府●in1868.日本各地)//21歳・中国で日清修好条規を締結する(-日本-中国-.in1871)//27歳・鹿児島県の元武士が武装決起。問題解決のため鹿児島県の有力者と会談(西南戦争○明治政府vs鹿児島県●in1877.鹿児島県)●←イマココ //その後も政界で活躍、法曹審議に従事し、多くのコムツカシイカタガキ職を歴任//44歳・死去



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西郷どん 第45回 「西郷立つ」 感想


第45回 「西郷立つ」

◎かんそう

(´A`)<今回は群集心理?人間の心理っていうの?の描写に考えさせられた

(´A`)<まああくまでドラマの話であって、史実は全然違うんだろうけど。



○ドラマ①疑心暗鬼

「東京から遠い鹿児島県で青年達を集めてなにやら物騒な訓練をしている」→「集まっている青年たちは西郷に賛同した政府に不満をもつものたちだ」→「一体なにをしているんだろう」

(´A`)<イモ掘りじゃない?

(´A`)<とは思わないよね普通。俺だって東京にいたら(おいおい鹿児島はテロでも計画してんじゃないのん?)って思っちゃうよ。

(´A`)<で、それに備えて軍備を整えればそれを察知した鹿児島県は「政府は我々を弾圧しようとしている!」ってなってお互いどんどんエスカレートしていく。いわゆる不測の事態がおきかねない状況になる

(´A`)<結局、疑う心が悲劇をうんだってことなのかな。まあ、実際政府は強引な改革で弱いものを切り捨ててる自覚があって後ろめたい・怨まれる身に覚えがありまくりだからこうなるんだろうしなにより史実では実際鹿児島県は叛乱するつもりだったんだろうけど。

(´A`)<まあともかく。

(´A`)<ここで、まずは「なにしてるの?」って聞ける関係であればよかった。西郷に手紙だすとかね。

(´A`)<でもそれで「やだなあ。教育ですよ、きょーい・く☆」って言われてもやっぱり信じれないやね。

(´A`)<そしたら「なんだ教育か、よかった。でも、東京の役人は不安がってるから東京から視察団送ってもいい?」って言えれば、それがベストかなぁ。



○ドラマ②スケープゴート(想いでは美しすぎて)
政府がきにくわない、貶めたいマスコミ→誰かをひきあいに出して政府をディスろう→西郷なんていいんじゃない?→「明治政府は無能だ、西郷先生ならああしてくれる・西郷先生ならこうしてくれる」と煽る。(もう引退した人だからなにを言っても検証不可能なのでなんでも言い放題。「さすがにそれはちょっと・・・と思っても今の政府が気に食わないから扇動にのっかるヒラ市民」)→「ヒラ市民に支持されている」と確信してさらに西郷を持ち上げ政府をおとしめるマスコミ」→それにのっかるヒラ市民っていう構図・負のスパイラルの完成

(´A`)<今も全く同じだよね。

(´A`)<西郷からすれば、「そういうのやめてくんない?俺が明治政府に怨まれるから。」って感じだろうな。

(´A`)<マスコミからすれば「自分達は怨まれず西郷に明治政府の怨みが向けられ、さらにそれを煽って安全な場所から政府をディスり炎上させる」汚いヤリクチ。


○ドラマ③恩きせがましい
廃刀令が下った、従わないと政府に目をつけられ学校の名に傷がつくぞ!」と役人に言われた薩摩武士たちが、「これに逆らったら西郷先生に傷がつく、西郷先生のためにここは我慢しよう・・・」と言ってましたが。


(´A`)<西郷先生からすれば、「俺のために我慢してる、みたいなのやめてくんない?廃刀令と俺、ぜんぜん関係なくね?」って感じじゃね?


→関係ないやつをひきあいにだして「あいつのために我慢しろ」というヤリクチ

→関係ないのに「おまえのために我慢してる」っていうヤリクチ


(´A`)<でも、こういうことってあるよね。ぶっちゃけ俺もそうやって物事を進めることあるし、それで相手を怒らせたこと、悲しませたことがあるし。


○ドラマ④スパイ大作戦
「鹿児島が叛乱を起こせば大勢が死ぬ。そして結局負けて逆賊扱いされる。そうならないように仲間を騙してスパイして西郷を暗殺するのは鹿児島のためなんだ」っていう考え方と
「西郷先生は鹿児島そのものだ・戦いはやってみなければわからない・たとえ死んでもそれで国が変わるなら本望だ・それに比べてスパイするおまえはクズだ」っていう考え方と、

(´A`)<どっちが正しいんだろうね。俺はどっちかっていうと前者だな。


○ドラマ⑤オラ東京さ行くだ
「みんなで東京へ行こう。ただし、あくまで話し合いをするためだ」という西郷ですが。

(´A`)<西郷だけでいけばいいじゃんね。

(´A`)<今までだって「大勢で行けばまとまる話もまとまらない」「こちらが誠意をもって少数で行けば相手はなにもしない」そうやってきたくせに・・・

(´A`)<「大勢で行く」ってことは「話をまとめるつもりはない」ってことになっちゃうじゃん。

(´A`)<つまりそういうことなのかな・・


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ


○その他小並感

小①:名前テロップ
私学校に入校した庄内出身の少年・伴兼之と榊原正治。この2人には名前テロップつけてほしかった。
そもそも戊辰戦争のくだりもほぼスルーだったしなあ。、ホントひでえ脚本だわ。

(´A`)<「3人の妻たちとの愛」とかどうでもいいから史実がほしかった。

(´A`)<まあ不自然に2人の名前を読みあげただけでもマシか・・

小②:西郷の娘さんの子役イイネ!
ブスだし原始人みたいな顔してるけど、それを強みにしたかのようなオドオドした演技がめちゃよかった!

(´A`)<眼がおおきい人って自分の目の動きを制御できるのかしら。

(´A`)<アイカナさんも菊次郎の子役もみんな同じ系列の顔してるよね。大陸系っていうの?



◎おまけパート

---鹿児島県.鹿児島市---
○吉野開墾社碑
廃藩置県により失業した士族(→元・武士)のため西郷隆盛が設立1875(明治8)//吉野開墾社は帰郷浪士ら150名から構成され吉野村(鹿児島県)の開墾事業が行われた //西郷自身も生徒達とともに農作業に従事した//西郷は農業を礎とした国つくりを目指したという//

庄内藩校 致道館
庄内藩戊辰戦争で最後まで官軍に抵抗し敗戦→戦後寛大な処置で済ました西郷に感謝し以後交流があった
//東北地方に現存する唯一の藩校建築物//戊辰戦争後降伏謝罪をした部屋・御居間・がある//国の史跡に指定されている//1805.年庄内藩7代目藩主・酒井某によって創設された学問所に始まる//1816.引越しを経て1873.廃校//

○松ヶ岡開墾場
//明治維新直後の廃藩置県の折、旧藩家老菅実秀が旧藩士の先行きを考え、養蚕によって日本の近代化を進め、庄内の再建を行うべく開墾を行ったもの//1871年(明治5年)に旧庄内藩士3,000人によって開墾され、明治7年には311ヘクタールに及ぶ桑園が完成//明治8~10年には大蚕室10棟が建設されその後鶴岡に製糸工場と絹織物工場が創設された//1989.国の史跡に指定//

--------.酒田市---
西郷隆盛の遺徳をたたえ昭和51年に創建された//西郷に関する遺墨、遺品、研究資料などが展示されている//

○行きたいレベル・D
山県まで行くならもっと他の場所に行くかな。

(´A`)<でも松ヶ岡開墾場はググってみたらちょっとしたアミューズメントパークみたいで面白そうだった。


◎覚へ書き---1876年・主人公47歳---

○歴史パート:
廃刀令(in1876)
1876.発布//「警察制度を導入したことで治安は守られるので刀は不必要」「明治の世の中はみんな平等が法律なのに侍だけ刃物を持ち歩くのは異常」//というもの
平等に人はなる刀と秩禄終わらせて(ヒトハナル=1876)
秩禄処分(in1876)
明治政府が歳出の3割にも及ぶ旧武士や旧公家たちの給料(=秩禄)を廃止するためにとった施策。段階的に削減、最終的に廃止としたこの一連の措置は受給側に深刻な打撃を与え,受給者たちの不満は大きく一揆西南戦争などの一因となった
平等に人はなる刀と秩禄終わらせて(ヒトハナル=1876)

神風連の乱(○日本政府vs熊本県の反政府勢力●in1876熊本県
//熊本県の元武士170人が明治政府の行政に反発して起こした叛乱//叛乱側→夜間に政府側の役人を襲撃・殺害、熊本城の一部を占拠するも翌日には政府側に粛清された//政府側60人死亡、叛乱側124人死亡・50人逮捕//これに呼応して福岡・山口でも叛乱がおきた

秋月の乱(○日本政府vs福岡県の反政府勢力●in1876.福岡県)
//熊本県で起こった叛乱に呼応して福岡県の元武士400人が起こした叛乱//決起したはいいものの合流するはずの他団体が意趣返ししたためグダグダになり粛清される//死亡・政府5人、叛乱17人・逮捕150人

萩の乱(○日本政府vs山口県の反政府勢力●in1876.山口県
//熊本県で起こった叛乱に呼応して山口県の元武士200人が起こした叛乱//熊本県で起こった叛乱を聞き有志が決起、県庁を襲うも計画がバレていて断念、天皇に直訴することにして船で移動するも悪天候で断念、本拠地に戻るも武器弾薬はすでに破棄されていたうえに待ち伏せされていて市街戦→兵を囮に幹部5人が再び直訴のため船に乗るもまた悪天候で足止め、そこを通報されお縄。(トホホ。)//政府は「弁明の機会を与える」という約束を」したが結局その機会も与えられず斬首刑(トホホホホ。)

○ドラマパート:
//1875.(明治8)私学校開設から一年、各地からは生徒志願者が殺到。西郷は平和で充実した日々を過ごす//奄美にいた西郷の庶子、菊草が鹿児島の西郷家にひきとられる//武士の特権「刀の携帯」を政府が禁止する。納得いかないも耐えて受け入れる武士たち(廃刀令in1876.3.)//政府不評・世論が西郷もちあげ政府をおとしめ政府がこれにピリピリ//政府に不満、各地で叛乱がおこるも政府に強制的に押さえつけられる→鹿児島県民は押さえつけられた武士に同情、怒りは政府に→さらに「政府が鹿児島煮スパイをおくった」という情報も→「もう我慢ならん・武力蜂起しよう」いきりたつ武士→それを諌める西郷//「鹿児島叛乱の可能性アリ」スパイからの連絡をうけ、政府は鹿児島県鎮圧の準備//政府要人の西郷の弟、兄・西郷隆盛を信用しない政府に憤る(ただし内心は大久保らも西郷を信じたいし信じている//)「反抗しないでほしい・軽率な暴力に訴えないでほしい」と上層部が願う中、何者かが「西郷をシサツしろ」という趣旨の電報がスパイに届く(誰が発信したかはドラマでは描写ナシ・史実でも未解明)→スパイは「シサツ」を「視察」ではなく「刺殺」と解釈、それとは別にも任務があったため仲間をつのろうとして尻尾をだし鹿児島県に捕まる→鹿児島県、政府の計画を知る→政府に好き煮にさせないため武器庫を襲撃。しかしそれはもう「言い訳のきかない犯罪・政府への反逆行為」。「もうあともどりができない、鹿児島は政府にほろばされるぞ」と怒る西郷→それでもひかない武士たち、「おとなしく暮らしていたの刀をとりあげられ補助を打ち切られスパイをおくられ、あまつさえ我々の代表・西郷先生の暗殺をしようとした。我々はずっと我慢してきた、多くを耐えてきた。だけど西郷先生を殺せとは、あんまりにもあんまりだ。抑制され、我慢しても奪われ、意見しても却下され蹂躙される。もう我慢の限界だ→武士たちのその姿を実際に見てきた西郷、ついに決断「わかった、武士の窮状を訴えにみんなで東京へ行こう」//西郷、鹿児島を出発。「政府の行政を正す」を大儀に一路東京へ//政府はこれを「挙兵」と解釈。直接西郷と話すことを希望する大久保だが、周囲はこれを固く制止「万が一もあったらとりかえしがつかない、あなたは国の要だ、自重してほしい」。大久保、身動きがとれない//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×菊草(=大山菊子・1862-1909.):西郷隆盛庶子:ゆかりの地?
西郷隆盛奄美大島の現地妻の子//12歳頃・奄美大島から鹿児島の西郷家にひきとられる●←イマココ//14歳・婚約//15歳・西南戦争勃発、父西郷隆盛はもとより実兄、婚約者も戦地へ→兄が負傷で投降、父・西郷が戦死し終戦、婚約者は投獄(西南戦争○日本政府vs鹿児島県の元武士●in1877.九州各県)//17歳・婚約者(30)が出所、結婚。4人の子を儲けるも夫の暴力や借金に苦労//47歳・死去

×中原尚雄(なかはらなおお・1845-1914):武士-警察-官僚:ゆかりの地??
鹿児島県の武士・中原某の長男//23歳・戊辰戦争に従軍(戊辰戦争・○明治新政府vs徳川旧政府残党●in1868.東北各県)//26歳・東京で警官となる//29歳・西郷隆盛が政界から引退したのに殉じて依願免官し台湾出兵に参加、のちに復職(明治6年の政変1873.)(台湾出兵○日本vs台湾(中国)●in1874.台湾)//32歳・警視庁の密命をうけ鹿児島入り(密命→西郷隆盛が設立した学校の偵察、学校内の離間工作)しかし学校側に捕らえられ拷問され件の内容を自白(自白は強要の可能性も)、これがもとで西南戦争が勃発(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元武士●in1877.鹿児島県)←イマココ●//西南戦争開戦直後、鹿児島に来た明治政府の使者に救出される//高知・山梨・福岡など県警部長を歴任、47歳で辞職し帰郷//70歳・死去

×伴兼之(ばんかねゆき・1858-1877)
山形県出身//10歳・山形県戊辰戦争で敗戦。しかし西郷の温情裁決で軽い処分でことなきを得たため西郷に恩義をもった(○明治新政府vs徳川旧政府残党●in1868.東北各県)//17歳・西郷隆盛を慕い西郷の設立した私学校に入学。非常に優秀で私学校では留学も決まっていたという//20歳・西南戦争勃発。西郷らに「故郷に帰るようにうながされるもこれを拒否、西郷軍に従軍(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元武士●in1877.鹿児島県)//20歳・西南戦争最大の戦い・田原坂の戦いで戦死
※伴兼之の兄が政府軍で敵味方となり、「その兄を討ち取ったのが榊原正治という話もあるため、象徴的な悲劇としてドラマなどで直接殺しあう演出が多々あるらしい

×榊原正治(さかきばらまさはる1860-1877)
山形県出身//8歳・山形県戊辰戦争で敗戦。しかし西郷の温情裁決で軽い処分でことなきを得たため西郷に恩義をもった(○明治新政府vs徳川旧政府残党●in1868.東北各県)///15歳・西郷隆盛を慕い西郷の設立した私学校に入学。非常に優秀で私学校では留学も決まっていたという//18歳・西南戦争勃発。西郷らに「故郷に帰るようにうながされるもこれを拒否、西郷軍に従軍(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元武士●in1877.鹿児島県)//西南戦争最大の激戦・田原坂の戦いで伴兼之が戦死。榊原正治は伴兼之の亡骸を守り切ったという//18歳・人吉城での戦いで重傷、のちに死亡






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西郷どん 第44回 「士族たちの動乱」 感想


第44回 「士族たちの動乱」

◎かんそう

○お偉いさんは大変
「「政争に敗れた西郷隆盛」っていうカタチでの帰郷だけど金には困ってないし世間体を気にしなければこれからは気楽な生活ができるルンルン♪」

なんて思って田舎に帰ったら、部下たちがワラワラくっついてきた。自分だけの問題じゃなくなってる。

「自分→話をし、行政にある程度納得し託し、鹿児島での生計のめどもたっていたから帰郷。

「部下→話をきかず行政に納得せず、鹿児島での生計もなにもなく、ただ帰郷。帰郷後は「西郷のために鹿児島にきた自分たちを西郷は放っておくのか!」と西郷に迫る。

「仕事をやめて鹿児島にもどった」。という顛末は同じ。だけど、過程も考え方も真逆。「だって西郷がそうしたし!」・みたいな軽率で考えナシな群れる生き物特有の責任感のなさ、ズルさ。しかもそれが600人!(もちろん西郷を慕う一心で高給や地位を蹴った人もいるであろうが。)

(´A`)<いやはやろくでもないね。

(´A`)<「不満は言うが提案も代案もない」このあつかましい有象無象の生き方は現代も同じだよね・・・モチロン(「自分の人生に直結してる、戦争になったら当然参加する!」っていうのが「当然」の当時の不平士族と今の議員・民衆は比べるべくもなかろうが)

(´A`)<「衆人のために偉人が頑張っても衆人に自覚がなければ話は前に進まない。」これは今も全くおんなじだね・・・

(´A`)<でも、それ(給与・就職先・行政に対する不満のガス抜き)をなんとかしちゃう西郷・・・すごいわ。



○悪役
薄暗い部屋、短調のBGM、下から照明、国旗をバックに低いトーンで卑劣な命令を下す大久保卿。

(´A`)<ノリノリだなwww

(´A`)<「日本国旗=国家の威光」をバックに、みたいな演出なんだろうけどまるで悪の組織やねwww

でもなんだろう。なんで大久保さんはあんなふうになっちゃったんだろう。(あんなふう→感情を抑えて本心を言わないスタイル)「西郷に裏切られた、もう誰も信用しない」とかいう出来事があったならわかるけど、そんな出来事なかったよね?前回だってなんだかんだで西郷と話をしてお互い理解した形で別れたように俺は解釈した、

少なくとも「俺はもう誰も信用しない、俺はたった今からキャラ変する!」みたいな味の別れかたじゃなかったと思ったんだけど・・ちがったのん?


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ


◎歴史迷子

○西郷の真意
ドラマでは部下が勝手についてきて困って学校設立・っていう流れだったけど実際もそうだったのかしら?実際はドラマと同じに、大久保にある程度の理解を示しての離別だったのか?それとも大久保憎しで、鹿児島を打倒大久保のための拠点として部下に結集をよびかけたのか?

(´A`)<でも部下の暴走を聞いて、「しまった!」と言った、っていう記録があるみたいだからドラマの流れが正解なのかな?

○その他小並感
小①:大久保の本妻と愛人のご対面、ギャグテイストでなごんだ。本妻は可愛いし愛人は美人だしで、つまみ食いのつもりがガッツリいっちゃった大久保卿の気持ちもわからんでもないな。全く必要ないシーンだったけど、今回は全体的に暗い回だったので脚本・監督はあえていれたんだろうなあ。


◎おまけパート

○築地反射炉
//日本で最初に鉄製大砲の鋳造に成功した反射炉反射炉→燃料の熱を壁や天井の面で反射させて炉内の温度を上げ、鉄や銅などの金属を溶かす溶解炉のこと)//佐賀藩製作・江戸時代、長崎警備を務めていた肥前佐賀藩はいち早く西洋の技術を取り入れ鉄製の大砲の製造を成功させるなど日本の近代化をリードした//跡地となる日新小学校の中には、反射炉の模型が建てられている(この反射炉の正確な位置は、長年、「日新小学校付近」といわれていただけで、正確な地点まではわかっていない)

佐賀藩主・鍋島某の別邸として1846.に造られ、「神野のお茶屋」と呼ばれていたものが1923(大正12)佐賀市に寄贈され神野公園として整備される//神野のお茶屋や隔林亭、こども遊園地などの施設がある//

佐賀七賢人・維新十傑の一人・江藤新平の遺徳を偲び神野公園につくられた銅像//江藤の命日の翌日である4月14日には、毎年子孫や関係者が集まって「江藤新平銅像まつり」が開催される//

○佐賀城跡
//佐賀市のシンボルともいえる鍋島36万石の居城の跡//現在、城跡をとりまくお濠一帯は県立佐賀城公園となっている//もともと佐賀を治めていた龍造寺氏の村中城を拡張・整備し1611に完成。平地に築かれた平城で本丸には5層の天守閣があった//たび重なる火災で焼失・再建を繰り返し、佐賀の乱(○明治政府vs佐賀県の元・武士●in1874.佐賀県)によって、一部の建物が破壊、残った建物も年を経る毎に随時解体、今では本丸の門である鯱(しゃち)の門と続櫓(つづきやぐら)と石垣を残すのみとなっている(鯱の門と続櫓は国の重要文化財に指定)その門や扉には「佐賀の乱」の弾痕が残っている

江藤新平乗船の地
1874.佐賀で反乱を起こし政府軍に敗れた江藤新平はここで船に乗り鹿児島に向かい西郷を頼った//江藤某はこの地で過ごしたことがあり地理に通じていたため乗船の地に選んだと考えられる

○本行寺
//江藤新平の墓があるお寺//龍造寺胤家(りゅうぞうじたねいえ・****-****・室町-戦国時代の武将)によって建てられた//1518建立、1610現在地に移転したと伝わる//佐賀県の治水事業に大きな功績を挙げた成富茂安(なりどみしげやす1559-1634)も葬られている//

江藤新平の墓
//佐賀県本行寺にある(最初、江藤の遺体は蓮成寺に葬られ、後に本行寺に改葬された)//「江藤の墓参りをするとあらゆる病が治る」と噂が立ち、参拝客が押し寄せたという//郷土の英雄でもあった江藤を慕う人々は多く、閉口した県は柵を設置して参拝を禁止したが、夜になるとやって来る人もいたという//

○行きたいレベル・B
本来ならAレベルだけど昔、「佐賀県にはなにもない~♪」みたいな歌が流行ってて。「佐賀県=何もない」っていうイメージが俺に植えつけられてしまいそのときから佐賀県にはあんまり行く気しない。

(´A`)<恐るべし「佐賀県:作詞・作曲/はなわ」(一聴の価値アリ!)


◎覚へ書き---1873~1874・主人公45~46歳---

○歴史パート:
×佐賀の乱(○明治政府vs佐賀県の元・武士●in1874.佐賀県
不平士族(←元・武士のこと)による初の大規模反乱であったが、電信の情報力と汽船の輸送力・速度を活用した政府の素早い対応もあり、激戦の末に鎮圧された。
//政府に不満を持つ佐賀県の元・武士で構成された2つの政治集団が、元・政府中枢にいたが政策方針の相違で政権離脱、佐賀県に帰郷していた江藤某を旗頭として武装蜂起(※江藤某は乗り気ではなかったらしい・西郷と同じノリか?)//序盤は優勢だった佐賀県勢、次第に政府に圧され半月ほどで敗走//江藤某はあ鹿児島県まで逃れ西郷隆盛に応援を請うも拒否される//高知県に行き応援を請うも失敗、高知県で逮捕、強引な裁判で死刑を宣告され、斬首、みせしめとして首をさらされた//死亡:政府209人-反乱軍173人//

×私学校(1874-1877.鹿児島県)
//1874年6月に設立された学校//軍事・漢学などを講じた//鹿児島県下に 136の分校をもった//西郷隆盛を旗頭とする政治結社的性格をもつ//鹿児島県知事もこれを支持、県内の区長・戸長・警察幹部などは私学校幹部の占めるところとなった//西南戦争では、私学校派は西郷軍の中心となり、県庁全体が西郷軍の兵站(へいたん)部と化した//

○ドラマパート:
//中央政府の職を辞した西郷、鹿児島県に帰郷し隠居生活を堪能//東京で官職についていた鹿児島出身の元・武士たちが西郷を慕って鹿児島にもどってきてしまう(●明治6年の政変in1873)//「職務放棄とはなにごとか、すぐ東京にもどれ」という西郷、「我々は西郷に政府の仕事を斡旋してもらった、その西郷を政府が裏切った、恩人を裏切った政府で働くことはできない。っていうか我々のことより西郷こそが政府に戻ってほしい//結局、元・侍の軍事従事者600人あまりが鹿児島に戻ってきてしまい鹿児島は政府に不満を持った無職の元武士がひしめく状態に//自分たちは西郷を慕って鹿児島に帰ってきたのだから西郷は我々のためになにかするべきだ(西郷、政府をなんとかしろ!手伝ってやるから我々に何か指示しろ、的な感じ)。西郷困惑//岩倉具視高知県の元・武士に襲撃される//大久保利通率いる新政府の政策への不満が日本各地でつのる//鹿児島の大久保の妻子が嫌がらせをうけ東京の大久保のもとに移る//1874.政府と仲違いした元官僚・江藤某が中心となって佐賀県で反乱が勃発→粛清される→江藤某が西郷を頼って鹿児島までくるも西郷は協力を拒否「自分は政府に弓ひくつもりはない」→結局江藤某は政府に捕まり処刑される(●佐賀の乱(○明治政府vs佐賀県の元・武士●in1874.佐賀県))//反抗した佐賀の元・武士を見せしめを兼ねて政府は処刑するも逆に元・武士達は怒り心頭、暴発寸前//元・武士達の怒りを収めるために西郷は学校を設立・元武士たちに仕事を与え自らも後進の教育に勤める(私学校設立in1874.鹿児島県)//海外留学から帰国した西郷の庶子・菊次郎も西郷のもと私学校で働くことに//西郷たち元・武士の動向を警戒・監視する大久保利通ら//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)
×篠原国幹(しのはら くにもと・1837-1877):武士-軍人:鹿児島県
鹿児島県の武士の子//25歳・鹿児島県の仲間とクーデターを計画するも鹿児島県トップにバレ失敗(寺田屋騒動in1862.京都府)//26歳・鹿児島県とイギリス艦隊との戦争に従軍(→薩英戦争△鹿児島県vsイギリス△in1863.鹿児島県)
//31歳・戊辰戦争に従軍 勇猛な活躍ぶりで世に知られる(戊辰戦争明治新政府vs徳川旧政府残党●in1868.東北各地)
//35歳・西郷隆盛らの下、明治新政府廃藩置県(1871.)の断行に貢献//36歳・政治運営方針の違いから西郷隆盛が政府職を辞任、鹿児島に帰郷すると、ともに鹿児島へ帰る。新政府や軍関係者に大きな衝撃を与えた(明治6年の政変in1873.)//37歳・西郷隆盛の私学校設立に尽力、その監督となり、青年子弟を養成●←イマココ//42歳・西郷隆盛ら鹿児島県の元・武士らが反乱、政府軍を相手に奮戦するも序盤で戦死(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元・武士●in1877.九州各地)
(´A`)<赤いマントをしてたせいでそれが目印になって狙撃されちゃったんだとか。合掌。

×辺見十郎太へんみ じゅうろうた・1849-1877):武士-軍人:鹿児島県
詳細不詳//19歳・戊辰戦争に従軍、活躍。(戊辰戦争明治新政府vs徳川旧政府残党●in1868.東北各地)後に天皇警護軍の大尉となる//24歳・皇居が火事、そのとき妓楼で遊んでいて救援に間に合わず、同僚から糾問され切腹を迫られるが西郷隆盛に助けられ以後改心//24歳・西郷隆盛が政界を離脱、鹿児島に帰郷したのに殉じて辞職、鹿児島に帰郷(明治6年の政変in1873.)//25歳・西郷設立の学校の運営に尽力●←イマココ//29歳・西南戦争で大いに活躍するも政府軍に敗れ西郷の死を見届けたのちに戦死(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元・武士●in1877.九州各地)
※気性が激しく、退却する味方は斬り殺し部下にその生き胆を食べさせ「お前らもこうなるぞ」と戒めたと言われる。


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西郷どん 第43回 「さらば東京」 感想



第43回 「さらば東京」

◎かんそう

○人生はタイミング
西郷追放のため汚い手を使った大久保→話をしようとする西郷を避ける→それでも話をしようと段取りをつけ面会、「自分の負けだ・日本は任せた」まで言い切って、立ち去ろうとする西郷→そんな西郷に目を潤ませた大久保が声をか・・・・→「ガチャ」・「へえすみません・お茶をお持ちしました。」まさかのタイミングでお茶の差し入れ。
謝る・引き止めるタイミングを完全に逸した大久保。そしてこれが二人の今生の別れとなる。

(´A`)<いやはや人生はタイミングですな。(大久保にかどうか知らんが史実では西郷は慰留されているが)

(´A`)<あと、このシーンに限ったことじゃないけど、西郷さんの役者さんの「怒鳴った後に寂しそうに笑う」、顔芸?一つの様式美っていうの?すごい好き。役者さんはこういう顔芸、演技ができる人なんだろうけど、このドラマで西郷がこういう顔をするようになったのはいつくらいからだったんだろう・・


西郷「外交は大事だ、海外の日本人が命の危機にさらされてる」
大久保「それはわかるがまず内政だ」

(´A`)<どちらのいいぶんも正しくてどちらを支持すればいいのかワカラン・・

(´A`)<なんの利益も得ない外国の人が俯瞰でみれば違う視点があるのかもな・・

(´A`)<大久保の言い分は、単に「西郷憎し」だけじゃなくて筋がとおってる。もちろん西郷が間違ってるとも言えないが西郷は基本「大丈夫、なんとかなる」みたいなでたとこ勝負なノリが強くて危機感が欠如してるのでは?っていう演出あったし・・・うーん

(´A`)<ちなwiki:
反対派・韓国と揉めればバックの中国がでてくる、そうなれば100パー負ける/もし勝ってもたいしたメリットがないから戦争に使うだけ金の無駄だ

賛成派・戦争でもなんでもいいからなんか仕事くれ、雇用創出してくれ!

(´A`)<みたいな・・・?

(´A`)<そして大久保と西郷の対立の間に立たされ倒れてしまう政治家・三条某氏ですが。

(´A`)<史実で実際倒れたらしいんだけど、まさか・・・

(´A`)<・・・毒?



○棒読みここに極まれり
「マロが太政大臣代理や」倒れた三条某氏の代理となった岩倉具視が、すでに決定した西郷の政策を無期限延期としてしまう。
怒る西郷派の閣僚。「どういうことですか!」「おかしいじゃないですか!」
そんな閣僚たちに岩倉具視が一喝、「だまらっしゃい!これがマロのやり方や!」
それでも納得いかない閣僚たち。しかし西郷が彼らを制して言う。「わかりました。」


(´A`)<なんでやねん!わかっちゃいけない・あきらめちゃいけないとこでしょここは。

(´A`)<ここで「わかった」なんて・・ここで話を収めるのは逃げだよ・・・

(´A`)<俺ならこういうときはメンドクサイからすぐ収めちゃうけどここはそんなんじゃダメでしょ。

(´A`)<きっと西郷はここで「負け」を認めちゃったのかな。この後、西郷が大久保に「負けた」と言ってたもんね。

(´A`)<それにしても岩倉具視役の人の棒読みはひどい。緊迫したシリアスなシーンが台無しだよ。


○その岩倉具視
ごくわずかの、天皇に直接報告できる立場らしいが。

(´A`)<トップである天皇が現場にいないから、ナンバー2が自分に都合のいいように修正した情報を天皇に伝えれば政策なんてなんとでもなっちゃう。

(´A`)<朝鮮を攻めた武将の評価を自分の主観で豊臣秀吉に報告した石田三成と全く同じ構図。しかも秀吉と違って天皇はなんも知らない子供だし

(´A`)<って思って調べてみたらやっぱりそういうことらしくて、「ナンバー2の報告しだいでどうにかなっちゃわない対策」がのちになされたらしい(天皇を神格化し、それによって逆に発言権を封じる・みたいな)


○信頼関係
政府とものわかれ・大久保と揉めて鹿児島に帰った西郷。「こんなカタチで西郷が鹿児島に帰ったってことは、反乱を起こすかも」と警戒する政府要人たちに、西郷とケンカした張本人の大久保が言う。

「心配御無用。あの男はそんな奴じゃない。」

ケンカしても、袂を分かっても、信じていられる。

(´A`)<自分ならケンカ別れした後でも相手を信じられるだろうか・・

(´A`)<自分にはケンカ別れしたあとも自分を信じてくれる人がいるだろうか・・

(´A`)<とかなんとか言って大久保はちゃっかり鹿児島にスパイ送ってるし40話ではあきらかに嘘として「心配御無用。」とか言ってるからアレだけどな。


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<なしよ


○その他小並感

東京を去る西郷に面会する桂小五郎。政府の今後を託され握手する二人。ストレスが友達、いつも仏頂面の桂さんが、このときはじめて笑顔を見せる。

(´A`)<いいシーンだった・・

(*^ω^*)<かつらさんが笑った!

(´A`)<オレが泣いた

(´A`)<まあでも桂さんは征韓論反対派だがな。


◎おまけパート

---鹿児島県.鹿児島市---
大久保利通生い立ちの地
明治維新の立役者の1人、大久保利通西郷隆盛と同じ町で育ち青年時代を鹿児島で過ごした//石碑があり、そこには「大久保利通君誕生之地」とあるが、大久保が誕生したのは別の場所(大久保利通生誕の地が別にある)で、大久保は幼少のころに西郷の住む町に引っ越してきた 
○座禅石
//護国神社という神社の近く・座禅石公園内//石は現在の国道3号線沿いの誓光寺の庭にあったもので、西郷、大久保をはじめ、当時の若き志士たちが誓光寺の住職であった円了無参の教えを受け、日夜座禅し、修行に励んだという。//1977鹿児島市の記念物(史跡)に指定された//
---東京都.千代田区---
三年坂・大久保利通本邸跡 付近
大久保利通が明治時代に入って居を構えた地//のちに洋館が建てられ外国人の接待の場としても利用された
-----港区--
大久保利通別邸跡
//三万坪の広大な敷地には欧米から持ち帰った果物などが植えられ殖産興業の実験の場としても使われた//休日には家族や親しい人々をこの別邸に呼び寄せ夕食を楽しんだと伝わる
大久保利通を祀る祠
//大久保利通別邸跡地に残されている祠//

○行きたいレベル・C
鹿児島行きたいけど2回行ったしもう行けそうもない。東京はもし行けても大久保利通関係の場所にはわざわざいかないかな。


◎覚へ書き---1873年・主人公45歳---

○歴史パート:
○明治6年の政変
//西郷隆盛らと大久保利通らが政策で対立(→徳川旧政府から明治新政府に変わり、西洋を手本とした国になった日本は、中国を手本にしている韓国との関係が悪化・それをどうするか)、西郷の政策が却下される//納得いかない西郷、政府職を辞して鹿児島に帰る//同じく西郷の政策に賛同していた公務員600人も官職を辞してしまう//
「・1873・一度話そう西郷どん(イチ度ハナソう西郷どん)・1873・」

○ドラマパート:
//岩倉具視が欧米使節団から帰還して初の閣議。西郷ら留守番暫定政府がすでに決定した「開国交渉のための西郷の韓国行き」に、大久保が反対(理由:ドラマでは「西郷ら暫定政府の決定事項を却下することで「留守番暫定政府は無力で決定権がない」ということをわからせるため・史実は「臨戦状態の韓国に西郷が行けば殺されてしまう、それは重大事。さらにそれが原因で戦争になっては困る、今は国がガタガタだから)みたいな意味合いも?)//西郷「大丈夫・信用してくれ」→大久保「そういうことじゃなくて韓国に時間を使うなら国内の強化をしよう、こちらを無視できなくなればむこうから挨拶にくる・っていうことだ」→西郷「韓国としっかり話をしないと現在韓国にいる日本人が危険だ」→大久保「見捨てればいい」→周囲が口を挟み、結局西郷の言い分がとおる→自分の言い分がとおらなかったことに大して憤慨する大久保。それとは別に、臨戦状態の韓国に西郷が行くことに純粋に不安を持つ弟ら//政府内の対立に右往左往する政府要人・三条某。その三条某が倒れる→穏健で西郷にも理解を示していた三条某・という後ろ盾をなくした西郷。しかも三条に「大久保は西郷の意見を潰し政府から追放するために西郷の政策に反対している」と知らされる//三条某が倒れたことで空いたポストに大久保とグルの岩倉具視がつき、天皇に大久保有利のかたよった情報をつたえ大久保が優勢に→正式に決定したはずの西郷の提案が却下される//大いに憤る西郷と反・大久保の閣僚たち。しかし西郷が「もういい。」的な感じで諦めてしまう→西郷を含む反・大久保の閣僚たちが政府から離脱(→●明治6年の政変)。これにより大久保は絶対的権力を手にする//桂小五郎(かつて西郷の尽力により窮地を救われた)も西郷とともに政府を去ろうとするが西郷これを止める//大久保の愛人のはからいで大久保と面会した西郷、「やりかたが汚い・自分を政界から追い出したいならそう言ってほしかった」→大久保「憎めばいい」→西郷「憎めるわけがない。自分の負けだ、後は託す」//西郷、鹿児島にもどる//

◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

(´・ω・`)<ナシよ



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西郷どん 第42回 「両雄激突」 感想


第42回 「両雄激突」

◎かんそう

○闇堕ち

遂にきたか、って感じですな。大久保どんの闇堕ちは今までも何回かあったけど、今回ばかりはもう決定的でしょう。最終回近いからね。

でもドラマだから「最終盤だし、もはやここまで」ってわかるけど、実際は自分の運命がどうなるのか、いつ死ぬのかなんてわからないから、西郷隆盛は(いつもの喧嘩だ、時間がたてばわかりあえる)なんて思ってたかもなあ。(´A`)<しみじみ



「農業が進んでいる国は強い。みんながおなかいっぱいな国は強い」


(´A`)<俺もそう思うしそうあってほしいと思う。でも、実際はどうなんだろう。

(´A`)<今の日本は農業、進んでる?農家は裕福?

(´A`)<現代の日本は経済の環境が歪んでる気がする。もちろん現代は国内ではなく世界経済を環境させなければならないからしかたないのではあろうが、それでも自分の国は第一次産業の強い国であってほしい。

(´A`)<戦争や災害があったとき、精密機械なんかより食べ物が必要だ、みたいなオレは考え方。

(´A`)<アレだな、「有事は農業、平時はIT」っていうのが俺の理想なのかな。

(´A`)<うーんやっぱ農業がいいや。これは産まれ持った好みの問題なのかも。


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´A`)<ナシよ


○その他小並感

・小①:板垣退助の役者さん大根だわ。棒読みがひどい。あれは役者さんじゃなくてお笑い芸人かなんかか?


◎おまけパート

---東京都.中央区---
西郷隆盛屋敷跡
西郷は当時、払い下げられた大名屋敷で生活していた。しかし、広い屋敷をもてあまし敷地内の長屋で生活したという//その長屋の近くに当時としては珍しい果物専門店があり、西郷は自ら足を運び好物のスイカを注文したと伝えられている//だそうで

--目黒区--
駒場野公園
将軍家の狩猟場だった場所//江戸名勝図会にも描かれ多くの野鳥やウサギが生息していた//当時体調を崩していた西郷は静養のためこの地をたびたび訪れ時にはウサギ狩りをしたという//だそうで

○行きたいレベル・D
(´A`)<びっくりするほどどうでもよかった


◎覚へ書き---1873年・主人公45歳---

○歴史パート:
//征韓論(せいかんろん)
1866頃にはあった、「韓国の支配権は日本にある」というような考え方を根底にした政策
//当時鎖国状態だった朝鮮(韓国)を開国させようという、開国させるにあたって2つのやりかたで意見→「話して開国」・→「力づくで開国」。しかし、「今の日本には力づくで物事を進める金がない」・「話しても聞き入れられず戦争になれば金がない」、ということで日本の政界の有力者達の猛反対をくらい没になる

○ドラマパート:
//政府がたちあげた海外留学への参加を決心した西郷の庶子・菊次郎、上京し渡航準備ののち出航//大久保ら欧米使節団、外交が不調で外遊期間延長(→不平等条約の是正ならず)//西郷、大久保ら政府要人不在の政府改革に着手。「それは渡航中の政府要人たちとの盟約(勝手に政府をいじるな・というもの)を破ることになるのでは」と不安を感じる西郷の弟//山口県派閥の政府要人・井上馨の不正が発覚(銅山を接収し利権を得ていた)→西郷、井上を降格させる→井上の降格は政府の権力派閥の構図的によろしくないことになるも西郷は「国のためになることをすべき」という考えで派閥を超えて政府を運営(但し外遊中の政府要人からみると西郷の行動は身勝手ととれる)//要人不在の政府、徴兵令・地租改正・学校教育制度・鉄道開業・製糸場開業・太陽暦採用・裁判所設置などの改革を行う//皇居(旧江戸城)が火事で消失(●1873.5.5)//西郷、過労で倒れるも留守政府の要人たちはよく働く/大久保利通が帰国。成果のない帰国につらくあたる留守政府要人たち//外国の脅威をまのあたりにしてきた大久保は早急に強い国を作るために強引に政権運営を進めようとする(自分の派閥以外の失脚を提案)→西郷と衝突、ケンカわかれに//朝鮮が新しくなった日本政府に不満、衝突の危機→「戦争やむなし」の声を西郷が制し「交渉・説得」の役をかってでる→天皇の許可まち//西郷、大久保との関係改善をこころみるも大久保これを拒否//使節団の要人たちが外交成果をあげられないまま帰国、この失敗と留守中の不正もあわせて勢力を弱めた山口県勢が政府有力者の岩倉具視を頼り政治工作、西郷とケンカ別れした大久保利通山口県勢、岩倉具視らの側につき西郷の政策運営に反旗を翻す//つづく

◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×市来宗介(1849-1877):西郷隆盛の妹の次男:鹿児島
西郷隆盛の妹の次男//23歳・.アメリカ留学//28歳・叔父・西郷隆盛を旗頭とした反政府軍に従軍、クーデターを起こすも政府軍に捕らえられ処刑される(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元武士●in1877.鹿児島県)

×市来琴(1832-1913):西郷隆盛の妹:鹿児島・東京
鹿児島県の武士・西郷某の娘(西郷隆盛の妹・5歳下)//****・鹿児島県の武士・市来某に嫁ぐ//36歳・自分の息子と自分の弟が革命戦争で死去(戊辰戦争in1868.)//42歳・夫が病死//45歳・自分の息子2人と自分の兄が革命戦争で死去(西南戦争in1877)。兄が革命戦争の代表だったため一族は犯罪者というレッテルを背負うことに//57歳・一族の国家反逆の罪が赦され東京へ移住//81歳・死去

×大木喬任(おおきたかとう1832-1899):武士-政治家:
佐賀県の武士・大木某の長男//10歳・父が死去//18歳・「外国人排斥・クーデターやむなし」を唱える政治団体に参加するも実現はできず//28歳・東京へ遊学//36歳・明治新政府に参加、たいそうな役職を歴任(明治維新in1868.)//67歳・死去

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西郷どん 第41回 「新しき国へ」 感想


第41回 「新しき国へ」

◎かんそう

○めちゃよかった

島津久光公との会話。島津久光の「これがおまえのつくりたかった国なのか?」との問いに、

(「道半ばでございもす、しかし必ず」とかいうんだろう、領地も権利も取り上げた島津久光をこれ以上刺激しないようなことを西郷は言うんだろう。)と思ったら、

西郷どんは「理想とかけ離れてる、ぜんぜん上手くいかない」と、正直に言ってしまいました。

そしてそれを聞いた島津久光公が「こんやっせんぼ!」とか言うの。


(´A`)<すげえよかった。

(´A`)<あの「やっせんぼ!」というせりふは役者さんのアドリブなんだって。イカす!

(´A`)<でもこの後の戦争で島津久光は西郷を見捨てるんだよね?そのへんどう演出するんだろ。


○イケボの無駄遣い

汚職で吊るされた山県有朋卿。どっかで見たギョロ目だと思ったら、真田丸直江兼続役の、イケメンボイスで有名な役者さんじゃん!


(´A`)<ウケ狙いで、あえて今回はセリフなしにしたとみた。

(´A`)<イケボは今後西南戦争での出演時までおあずけか。


○非国民

天皇が来るってんで、鹿児島の人は皆喜んでたけど。俺は別に右でも左でもないんだけど、「天皇が来る」って、そんなに嬉しいことか?努力して200メートルを世界一早く走った記録を持ってる人とか、相撲で優勝した人とかならわかるけど、「生まれたときから偉いっていうふうに設定されてるだけのただの人」でしょ?現代でも、なんか旗振って見物してる人が多いみたいだけど・・・

(´A`)<意味がワカラナイ。でも俺が少数派なんだよね。

(´A`)<でも理解できんものは理解できん。「天は人の上にどうのこうの」っていうじゃん。


○「託す」ということについて

俺は小さな店の責任者で、休みは週イチ、店が休みの日だけなんだけど。もし今、「休みを週2にしてやる」と言われても、嬉しくない。自分がいない日に店でトラブルとかあったら面倒だし、営業日に休んでも店が気になって逆にストレスになる。

(´A`)<何が言いたいかっていうと、一日店をパートさんに任せることもできない俺からすると、「できたばかりの政府を」「国を」「一年も空ける」なんて、とてもできない。よっぽど国が安定してる状態とか、頼れる部下がいるとか(まあこれは西郷さんがいるからカモだけど)、逐一ラインで連絡がくるとかならアレだけど。

(´A`)<岩倉さんたちはそのへんはどう考えていたんでしょうねえ・・

○派閥争い

明治新政府の派閥問題だけど。欧米使節団に、あえて敵対する派閥から1人だけ抜擢する、とかすればいいのに。そうすればそいつは派閥から嫌われて自分らのほうにとりこめるし敵対勢力の分断になるのに。

(´A`)<まあドラマでそういうシーンがなかっただけで、実際はそういうこともやってたとは思うが


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは・・・

(´・ω・`)<ナシよ

○その他小並感

(´A`)<ナシよ


◎おまけパート

---神奈川県.横浜市---
横浜は小さな漁村だったが開港により大きく様変わり、幕末から明治にかけ外国との交易場として発展した

○吉田橋関門跡
外国人居留地への関門跡//明治に入ると関門は廃止され多くの人々が自由に往来するようになった

○神奈川台場跡
横浜港の開港に併せて作られた//勝海舟が設計した//時代とともに祝砲や礼砲を撃つだけの施設となった(岩倉使節団が出航した際も祝砲が撃たれたと記録に残る)//今は埋立地となっている(今も台座の石垣部分が見れる)

○行きたいレベル・D
あまりにも華がない。ネタ切れ?(´A`)<横浜市から「なんでもいいから横浜市も紀行で特集しろ!」みたいな圧力があったとか?


◎覚へ書き---1871年・主人公43歳---

○歴史パート:

◎欧米使節団(=岩倉視察団・1871-1873)
//目的①:条約を結んでいる各国を訪問し親睦を深める//目的②:当時結ばれていた条約は不平等だったのでその改正を打診//目的③:西洋文明の調査//総勢107人//12カ国(アメリカ・ヨーロッパ諸国など)//1年9ヶ月間(予定を大幅に上回る)//予算100億円(今の価値で)(予定を大幅に上回る)//

×山城屋事件(in1872)
政府軍の偉い人(山縣有朋)が同郷の友達に国の金(とてつもない大金)を勝手に貸したうえに見返りも受け取っていた事件
//金は投機に使われたが逆に損失//金を借りた人の名が「山城屋和助」。山城屋は証拠を燃やして自殺//金を貸した人の名は「山縣有朋」。山縣は職を辞任(のちに復活)//借りた本人が自殺・証拠が燃やされたために真相究明ができなかった//



○ドラマパート:
//各県の実質トップの権力を取り上げる政策・「廃藩置県」が正式に決定。土地の権利も県民・兵隊の徴収権もすでに奪われ抗議もできず、花火を打ち上げ憂さを晴らすくらいしかできない鹿児島県の実質トップ・島津久光//明治政府首脳らが欧米に使節団を送ることになり、それの人員選定。(視察団の重要性を疑問視する西郷・視察団の人選に不満をもつ選定もれした政府幹部グループ)//西郷、国をひとつにまとめるために、「天皇の日本各地視察旅行」を提案//西郷が息子(庶子・菊次郎)に海外留学の勧め。悩む息子・菊次郎//日本各地で明治政府への不満。鹿児島県でも不満が高まり、鹿児島県実質トップ・島津久光はこれに乗じ中央に意見(→国ではなく自分が鹿児島県の行政を担うべきだ)//西郷の提案で天皇のとりまきの制度改革(天皇そのもののありかたをフワフワした存在から近代的な君主に変え、天皇のとりまき組織”→公家”を政治から遠のける)//欧米使節団出発。(●→欧米使節団in1871-1873)西郷は首脳陣不在の明治政府をあずかることに→首脳陣の留守中に政府内の敵対勢力の攻勢を危惧する岩倉たちが西郷に「おまえは何も決めるな、我々が帰国するまでなにもかも今のまま、現状維持を心がけろ」。と命令//日本各地で現政府に不満をもつ民衆が暴動。//首脳陣が海外にでかけた機会に政府の主導権を握ろうとする首脳陣と敵対している勢力//首脳陣側の政府幹部の贈賄が敵対勢力によって発覚。不本意ながら人事を変更する西郷(●→山城屋事件in1872.東京明治政府)//西郷、天皇とともに九州各地を視察、鹿児島県に入る//島津久光、鹿児島いりした西郷とサシで話す「これがおまえのつくりたかった国なのか?」→「ぜんぜん違う、自分が情けない」と答える西郷に→「情けないこというな!きばれ!」西郷にカツを入れる島津久光//西郷の庶子・菊次郎、留学を決意//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

 =大山格之助(→第4回 「新しき藩主」)

×江藤新平(1834-1874):武士-政治家:佐賀県
//佐賀県の下級藩士、江藤某の長男//19歳・神奈川県にペリーが来航in1853//20歳・(日米和親条約1854)//22歳・開国の必要性を説いた意見書を執筆、のちに政府に重用される//23歳・結婚//28歳・脱藩し捕まる、本来なら死刑のところ、その才覚が佐賀県の目にとまり無期謹慎で済む//33歳・謹慎解除//34歳・佐賀県からの公務員として明治新政府に参加(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)。//37歳・政府のトップがヨーロッパ諸国に外遊。(欧米使節団in1871-1873)←■■イマココ■■。トップ達が留守となった政府で学制、四民平等、警察制度、司法制度などを整備//39歳・政府内闘争に破れ政府を離脱(→明治6年政変1873)//40歳・帰郷した佐賀県で対政府の叛乱、江藤はそのリーダーにかつぎあげられる(佐賀の乱○明治政府vs佐賀県の元・武士●in1874.佐賀県)。政府の鎮圧軍に敗北、一方的な裁判で死刑宣告、斬首、首は公衆にさらされた

(´A`)<さらされた首の写真が残っていて、普通にネットでみれる。ブルブル


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