西郷どん 第14回 「慶喜の本気」 感想


第14回 「慶喜の本気」

◎かんそう

○夢オチ
慶喜公暗殺のシーン、不思議な感じだった。「誰もいない遊郭(遊女すらいない遊郭で独り寝する徳川慶喜公とか(笑))、そこに何故かタイミングよく現れる西郷どんと橋本どん(お前ら仮面ライダーかっ!そして西郷どん、門限はどうした。今は福井藩邸に住んでるって設定?)、さらに慶喜公が街に逃げるも街にも人っ子一人いない」。完全に夢オチかと思った。が・・

(´A`)<夢オチじゃなかった!

(´A`)<ここの流れ、かなり違和感があった。けど展開そのものはよかった。殺しちゃったその刺客の家族のことをおもんばかる西郷どんとか、ナケル。



○あきらめが悪い女

「次の将軍は慶喜公にしてほしい」と進言する篤姫に対して将軍・徳川家定は「いやじゃ」とだけ言ってその場から立ち去る。
すると篤姫が「おまちください!慶喜公はうんたらかんたら・・・」と言って食い下がり、結局おねだりを大成功に終わらせるのですが。

(´A`)<オレなら無理。「いやじゃ!」とか言われた時点で(この馬鹿に何か言っても無駄、怒らせるだけだ。日を改めて違う角度から攻めるか・・)とか考えると思う。

(´A`)<だけど篤姫は食い下がってしっかりおねだり成功させた。俺は諦め・他人を見切るのが早い・早すぎる(しかも自分が傷つきたくないから)と再認識してちょっと反省。

(´A`)<まあドラマパートだけど


◎今週の「命かけもす」宣言

(`・ω・´)<今週の「命かけもす」は福井藩藩士・橋本佐内どの。西郷どん曰く「命がけで徳川慶喜の伝記を作成した」そうです。

(*^ω^*)<書類を慶喜公に破られて橋本どんが複製を取り出すとこも面白かったお


○その他小並感
篤姫の姑の人、泉ピン子さんなんだね。大山のぶ代さんかと思ってた。泉ピン子さんってCM以外ではじめて見たけど、なんか棒読みじゃない?でも超有名な女優さんなんだよね?ワカラン・・


◎おまけパート

徳川御三家水戸藩ゆかりの地

日本最大規模を誇る藩校//9代藩主・徳川斉昭により開校{○徳川斉昭公像}//藩士の子弟たちは15歳になると入学が許され武芸や先進的な学問をここで学んだ//{○至善堂→徳川慶喜が学んでいたとされる部屋?}徳川斉昭の七男として生まれた徳川慶喜は幼少期からここで英才教育をうけた//兄弟の中でも活発で利発だった徳川慶喜は頭角を現しやがて将軍候補として期待される{○徳川斉昭徳川慶喜公像}//12代将軍・徳川家慶の後押しにより一橋家(東京の江戸城内に屋敷があるたいそうな家柄)の養子となる{○徳川慶喜一橋徳川家を相続させる旨を伝える文書}//だそうで

---東京都.千代田区---

○一ツ橋
一橋家の名前の由来となったこの場所には江戸城内であったことを偲ばせる石垣が今も残っている//だそうで
※ちょっと調べてみたら、一ツ橋という地名が先で「一橋家」という一族の苗字はその地にちなんで後から付けられたものらしい。(一橋家が住んでたからその地名になったのかと思ってた)一ツ橋という地名もあるし一ツ橋という橋もあるらしい

○行きたいレベル・B
水戸藩校・弘道館には興味ないけど茨城県そのものにはいつか必ず行く!


◎覚へ書き---1857.1828年、主人公 歳---

○歴史パート:
1857.10.21.アメリカ総領事・タウンゼント・ハリスが13代将軍・徳川家定に謁見、親書を読み上げる

○ドラマパート:
//※前回、「大久保どんと熊本県に向かう西郷どん」で終わったんだけど今回は熊本県でどうのこうのという具体的な描写ナシ。で、「熊本での充実した日々を過ごし、大久保は鹿児島へ、西郷は東京へ向かうのだった」、的な出だし//1857.1021.アメリカ総領事のハリスが将軍・徳川家定に謁見、日米通商条約の締結を要求、徳川家定アメリカの要求を呑む。(ただし徳川家定世襲で将軍になっただけの無能なトップだったので実際に決めたのは政府の官僚)アメリカの要求を拒めなかった中央政府茨城県のトップ(右翼)が激怒。オロオロするばかりの政府の重役、有力者たちは静観を決め込むも茨城県トップの不遜な態度には嫌悪、そこに島根県トップ(左翼)が茨城県トップを貶める悪い噂を流布する工作(次期政権トップ擁立で島根県トップと茨城県トップは対立していた・西郷の鹿児島県は右翼なので茨城県トップの悪口がでまわっている今の状況は不利 )//徳川家定と心を通じてるっぽい篤姫//東京に到着した西郷、鹿児島県トップの命令で福井県トップ・松平某(右翼)の下で、「次期政権のトップが”徳川慶喜”となるよう」政治工作をはじめる(福井県トップの側近・橋本どのと行動をともにすることに)//ミッション1:徳川慶喜の評価を上げるため、自伝的な書類を作成、配布//ミッション2:そもそも肝心の徳川慶喜が乗り気じゃないので説得する//鹿児島県トップ・島津斉彬中央政府に意見書を提出「次の将軍は徳川慶喜にすべき」。これを支持する派閥(右翼・一橋派)と否定する派閥(左翼・南紀派)がもめる。政府に対して発言力の強い大奥でもこの鹿児島から届いた意見書の件がとりあげられるが政局・左右どうのより大奥の存続、保身的な意味合いで意見書の内容が拒絶される。これにより鹿児島県人(右翼)として大奥に入った篤姫の立場は微妙なものになる//西郷、島根県トップに呼びつけられ島根県の属する派閥(左翼、反・徳川慶喜)のためにスパイ活動しろと強要(鹿児島の家族に危害を加えることも匂わせる)も、西郷これをはねのける//篤姫の説得工作で今の将軍・徳川家定が「次期将軍を徳川慶喜にする」と宣言。しかし徳川慶喜本人が乗り気でないため西郷らが必死に説得、しかし徳川慶喜はかたくなに拒否//徳川慶喜が飲み屋で襲撃される→西郷が徳川慶喜を守るため刺客を殺害。徳川慶喜らは淡々と死体の処理をするが人を殺してしまい大いに動転した西郷はその勢いで徳川慶喜に説教、「刺客は命をかけた、帰りを待つ家族もいただろう、あなたも命をかけてほしい、あなたには家族の命ではなく国の命がかかっているのだから」・的な//将軍となる覚悟ができた徳川慶喜、刺客を放った島根県トップのもとに行き「自分が将軍になる」と宣言//つづく

◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×堀田正睦(ほった まさよし・1810-1864):大名(千葉県界隈のお殿様)・老中首座:下総(おもに千葉県・隣県一部含む)
//千葉県界隈のお殿様・堀田某の次男。(生まれは東京)//1歳・父が死去。家督を継いだ兄(12歳)の養子となる//14歳・兄(義父)が死去、家督を継ぎ千葉県界隈の大名に//19歳・徳川中央政府の役職に就任、順当に昇格//33歳・政治の兼ね合いで現政権を見限り辞職、自治区(千葉県)の発展に傾注//45歳・徳川政府の実質トップのポストに就任(堀田は開国に賛成派)//48歳・東京を留守中に人事をいじられ敵対派閥が主導権を握る安政の大獄・in1858)。結果、政界追放となり政治生命を絶たれる//55歳・謹慎処分のまま死去


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