「西郷どん」 最終回 「敬天愛人」 感想


最終回 「敬天愛人

◎かんそう

○一年間、おやっとさあでした!

「古い侍の社会」を終わらせ新しい社会を作るため奔走した西郷。しかし気づけば西郷自身が「古い侍の社会」の象徴になっていた。そして西郷抹消の総攻撃に乗り出す新しい社会・・・


(´A`)<なんとも皮肉なお話じゃあないか。


(´A`)<西郷はけっこう早い段階でこの状態に気づいてたんだろうなあ。「自分は取り残された古い社会の人たちのイケニエとなり死ぬ運命で、それは自分が戦争で殺した古い社会の人たちへの償いでもある」なんて?


「西郷にだけは生き残ってほしい」という兵たちに

「いや、ここは死なせてくれ。俺が死なないとこの国から戦争がなくならない、俺がいると侍たちに悪い意味で希望が残り「新しい生き方を模索しよう」という気持ちが芽生えない。それだとまた戦争が起こる」


(´A`)<このへんのやりとりで俺はやっとその状況・西郷の深謀遠慮に気づいた。侍たちもほとんどがそのときにやっと気づいたんじゃないかなあ。「結局西郷が死ぬことになったのは自分たちのせいなんだ」ってね。

(´A`)<薩摩武士たちがイキッて「もう戦うしかなか!」とか「やってやりましょう西郷さん!」とか言うたびに西郷さんだけはなんか悲しそうに笑ってたもんね・・

(´A`)<でも自分(侍の身分)のことしか考えてない奴は最期まで「自分は西郷のために戦ってる」とか勘違いしたまま死んでそう。

(´A`)<ひょっとしたら、そんな古い考え方の侍を生かしておくとまた戦争になるから、西郷は今回の戦争でそいつらも道連れに一緒に死ぬために同行を許可したのかな、なんて?


○ご演説のお時間

「西郷、死す」の報告を受け動揺する大久保利通。大久保は動揺したまま「博覧会主催者のごあいさつ」を来賓たちの前ではじめる。上手く言葉がでない。声がうわずる。眼が泳ぎ、頬がひきつる。


(´A`)<これドラマでしょ?あれお芝居・演技なんでしょ?すごいな!大久保役の人はすごい役者さんだわ。


○死に場所

372人が5万の軍に包囲された。軍の総攻撃は翌日。死亡確定、明日までの命。

その状況で「鹿児島県民の自分が桜島をみながら死ねるとは、まさに本懐」と笑ってみせる薩摩武士たち。

そのシーンに感動とか、そういうのはとくになかった(とばっちりで担ぎだされ結局死ぬハメになった西郷さんが気の毒で、ヤケッパチで死ぬ武士たちに同情するところまで感情移入できない)。


(´A`)<けど、「自分の死に場所」っていうのは考えさせられた。

(´A`)<俺は自分の死に場所決めてあるが、冬は寒くてヤダなあ。



西郷隆盛、死す

天を見上げ、「もう、ここらでよか・・・」呟き、静かに目を閉じる。という演出でしたが。


(´A`)<イマイチ。一年毎回観てきた総決算的な意味でも最後はしっかり感動させられて終わりたかったのに、残念。

(´A`)<ここはきっちり「もはやここまで→正座→合掌→ごめんやったもんせ→斬首」っていう流れをやってほしかった。

(´A`)<「戦場の混沌と騒乱の中、静寂な心で迎える最期」そんな様式美が見たかったのに。

(´A`)<今回に限ったことじゃあないけど、史実の割合を減らさないでほしい。



○そのほか小並感

小①:チラッと勝海舟・チラっと一橋慶喜・チラっと島津久光がでてくるんだけど。あそこは篤姫も出したほうが視聴者ウケしたんじゃない?なんで出さなかったんだろ。ギャラかスケジュールの都合?

(´A`)<まあ俺は篤姫も女優さんも興味ないからどうでもいいんだけど。


◎今週の「命かけもす」宣言

最後の命かけもすは

(´;ω;`)<言葉ではなく、西郷自身の生き様でした。

(´;ω;`)<文字どうり、命を賭しました!

(´・ω・`)<新しい政府、家族との暮らしに対応できてたのに周囲に担ぎだされ戦った西郷とは違い、自分たちの階級・特権・待遇が不満で戦って死んだ薩摩武士たちはどっちかっていうと「自分のために戦ってただけ」って印象なので、それに対して「命かけてました」っていわれてもウーン微妙。


---覚えておきたい使える言い回し---

決戦前夜、アコーディオンで悲しげなメロディを奏で戦士たちのテンションを爆下げする西郷軍の村田某。

西郷はそんな村田某に「おいおい空気読めよ!おまえ選曲のチョイスなんか違くね?マジへこむんだけど?」などとは言わず、

「いい音色だねえ。実にいい!じゃ、次は賑やかな曲、頼める?」と言う。

これって日常生活でも使える言い回しだよね。

(´A`)<ちなみに俺なら小声で「村田村田、もっと楽しい曲にしてくれよ!そんなんじゃみんなテンション下がって明日は決戦どころじゃなくなっちゃうからサ!」とか小声で言っちゃうと思う。


◎おまけパート

---鹿児島県.鹿児島市---

西郷隆盛洞窟
//1877(明治10).9.24、政府軍の総攻撃が行われた//西郷はこの洞窟から村田新八らとともに進撃、敵陣に向かう道中銃弾を受けたのち、波乱の人生に自ら幕を下ろした
西郷隆盛終焉の地
//西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介介錯によって最後を遂げたと言われている
西郷隆盛を祭る神社//西郷隆盛の偉徳を敬崇してその墓に参る者が年々増加したことから1880(明治13)、南洲墓地の隣に参拝所が設けられる→1922.(大正11)「南洲神社」として無格社に認定された//1945.(昭和20)戦災で焼失//1950(昭和25)再建//1978(昭和53)墓地の隣に西郷南洲顕彰館神社が建設された
(´A`)<めっちゃ歴史の浅い神社。西郷を祭ってるわけだからアタリマエなのだが・・・
○南洲墓地
1879(明治12)、鹿児島市内5か所に仮埋葬してあった西郷隆盛らの遺体が有志によってそ現在地にまとめて改葬される//その後、九州各地に散在していた西郷軍の遺骨も集められた//○西郷隆盛の墓○村田新八の墓・○桐野利明秋の墓など、西南戦争を戦った計2023名が葬られる「南洲墓地」となった//南洲神社に隣接(正確には墓地のほうが先、地神社が後でできた)//

---東京都.千代田区---
○清水谷(しみずだに)
西郷の死から8ヶ月後、大久保利通がここで襲撃され命を落とした

------港区---
大久保の亡骸は産まれ故郷の鹿児島ではなく都内の青山霊園に埋葬された//大久保と共に亡くなった従者・中村太郎と馬の墓もある
永田熊吉の墓
//西郷家に仕えた使用人・熊吉の墓//大久保と同じく青山霊園にある//

-----目黒区---
西郷従道邸跡(菅刈公園)
//一帯は従道が兄・隆盛を迎えるために用意したもので、「西郷山」とよばれた/西郷隆盛の死後、西郷の弟・従道に仕えた熊吉が庭の整備をした//

○行きたいレベル・済(←鹿児島のみ・東京は行きたいレベルD)
昔、バイクで鹿児島に行ったときに観てきたo(`ω´)o 西郷隆盛にまるで興味なかったんだけど他に観たい場所もなくて西郷ゆかりの地を巡ったんだけど、今となってはいろいろ観てきて良かったと思ってる。(´A`)<もうニ度と行けないだろうからな。


◎覚へ書き---1877年・主人公49歳---

○歴史パート:

内国勧業博覧会(●in1877.東京都)
大久保利通の提案で開催//殖産興業推進に必要な欧米からの新技術と日本の在来技術の出会いの場として、見世物ではなく産業奨励会としての面を強調した//しかし、多くの人々にとって博覧会とは何か理解されていなかったため、出品物の収集は各府県の出品取扱人による勧誘が行われた//鉱業及び冶金術、製造物、美術、機械、農業、園芸の6つに分類され、素材・製法・品質・調整・効用・価値・価格などの基準で審査が行われた。優秀作には賞牌や褒状が授与され、いわば物品調査と産業奨励が同時に行われた//上野公園に設けられた約10万平方メートルの会場には、美術本館、農業館、機械館、園芸館、動物館が建てられ、大時計・約10メートルのアメリカ式の地下水汲み上げ用風車・数千個の提灯などの演出がされた//入場者数は西南戦争コレラの流行もあって大久保の予想を下回り、財政的には不成功と大久保は語った//しかし、勧業政策のとして内国博は有用であり、以後の博覧会の原型となった//だそうで

西郷隆盛、戦死・西南戦争終結(●in1877.9.24.鹿児島県)
熊本県で政府軍に迎撃され連戦連敗の西郷軍が解散。西郷、最後まで共に行動したいという372人とともに鹿児島にもどる//西郷軍372人を政府軍約5万が包囲//西郷軍の幹部が西郷に秘密で政府軍に西郷の助命を嘆願するも不発(ドラマの大久保からの電報は創作っぽ)//政府軍の総攻撃開始→西郷に銃弾が当たり起き上がれなくなる→「もうここでいい」覚悟を決めた西郷、自らを部下に介錯させ死亡//(享年51・満49歳)

大久保利通が暗殺される(●紀尾井坂の変、または紀尾井坂事件、大久保利通暗殺事件in1878.5.14.東京都)
//明治政府行政の不徳、西南戦争など国内で戦争をおこした責任、武士の待遇が悪くなったこと・などに不満を持つ6人の元・武士が大久保利通暗殺を計画//馬車で移動中の大久保を襲撃、16箇所をメッタ刺し斬り殺害(肉が飛び散り、裂けた頭蓋骨からピクピク動く脳が見えるほどだった)享年49・満47歳//6人は大久保殺害後出頭したのち斬首刑//近代日本としては初めての国葬級の葬儀が大久保のためにおこなわれた(しかし大久保は故郷・鹿児島県では「西郷を見捨てた男」として大いに嫌われていたため墓は東京に建てられた)//この事件を契機に政府高官には護衛がつくようになった

○ドラマパート:
//西郷軍、宮崎県から鹿児島県に敗走。山林を徒歩で450キロを14日かけて移動、すでに鹿児島で待ち構えていた政府軍と交戦するも政府軍の圧倒的な戦力の前に撤退、山中に遁走//鹿児島の戦争を尻目に博覧会の主催に没頭する大久保利通(●内国勧業博覧会in1877.東京都)//西郷の弟、従道は政府軍人という立場上、西郷を救うことも戦争を止めることもできず苦しむ//政府軍は西郷軍を完全包囲したものの、西郷への敬意・恩義から総攻撃をためらう//東京の大久保利通から政府軍に指示「降伏すれば西郷の命を助けてやれ」→この知らせを聞いた西郷軍、西郷に降伏を勧告→西郷、これを固辞「兵と一緒に死ぬ。それは国のためでもある。自分が生きていたらまた侍は自分のもとに集まり戦争をはじめる。それじゃあダメなんだ、自分が死ぬことで自分に頼らない新しい生き方を侍達にはみつけてほしい」//1877.9.24.政府軍が総攻撃を開始。徹底抗戦する西郷軍//1人、また1人死んでいく西郷兵。ついには西郷も銃弾に倒れる(●西郷隆盛、戦死・西南戦争終結in1877.9.24.鹿児島県)//戦争が終結、西郷の死を嘆き絶叫する大久保利通//西郷の死を惜しむ一橋慶喜勝海舟//庶民の間に「西郷は星になった、拝むとご利益がある」という風説がでまわる//西郷の妻が西郷から託された言葉を一家に伝える「「「逆賊一家」の汚名を浴びても決して卑屈にならず、「おかしいことはおかしい」と言える人間になってほしい」」//●1878.5.14.大久保利通が暗殺される//おちまい


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

(´A`)<なしよ



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