風林火山 最終回 「決戦川中島」 感想


最終回 「決戦川中島」 



◎かんそう

○デンベーとタキチが無事でヨカッタ!

「かんすけー!かーんすけーーー!!」必死に勘助を探すデンベーとタキチ。


(´A`)<キミタチが生き残ってヨカッタ。死んだのが勘助でヨカッタ。


(´A`)<だって探さないからね。もし状況が逆だったら勘助はキミタチをさがさないからね。


(´A`)<ともあれお勤めご苦労様でした。二人とも早く帰って嫁さん可愛がってあげてくだちい


○人生観と死生観

物語の最後を、物語最初のキャラ・ミツちゃんのセリフ(「勘助は怖い人じゃない。勘助の心に咲いた花が見えるから怖くない」・みたいな)で〆るのですが


(´A`)<ミツちゃんのセリフで〆るのは情緒があってよかったけど、セリフそのものは「勘助は心が花のようだから怖くない」みたいなものではなく、「死とは」みたいな?ものが聞きたかった。

(´A`)<「勘助・・うらはもう死ぬけど怖くねえズラ・・だってどうのこうの・・・」みたいな?ミツちゃんが死んだ最初のほうの回であらかじめそういうセリフを言わしといて、最終回、物語の〆でまたそのセリフが流れ、そのセリフのおかげで勘助の人生と死が優しく昇華できて、「なるほど、そういう死生観もあるんだナ、勘助、天国にいけるといいナ」みたいに視聴者が思えるような?そんな言葉が聞きたかった。

(´A`)<いずれ来る自分の死をどう捉えるればいいのか・その一助になるような、そんな言葉を、脚本家さんの人生観・死生観を、ドラマの登場人物を通じて聞いてみたかった



○普通の人にはわかるのかもしらんが俺はアスペなのでワカラン

勘助の最期。銃撃される→たちあがる→「まだやれる」→からのぉ、「ワシのクビを討て」発言。


(´A`)<どういう心境の変化だったんだろう。

(´A`)<普通の人にはわかるのかもしらんが俺にはワカラなかった。このドラマではこういうことがけっこうあった。(正直言うとこのドラマに限ったことではないが)

(´A`)<「まだやれる」のに首を差し出したんだから達成感からではないよね?あきらめ+ヘーゾーのため?でも、勘助はそんなにヘーゾーと仲良いわけでもなかったよね?ヘーゾー倒れてもそんなに動揺してないし。ワカラン。俺みたいな空気読めない視聴者のために心の声的なセリフ挿入とか、なんらかの心理描写がほしかったなあ。



○着眼大局 着手小局

「このままでは共倒れだ!兵を引け!」敵である勘助を必死に説得する上杉軍軍師・宇佐美どの。その必死の説得を聞いてなお、「わはははhwwww」と笑う勘助。


(´A`)<まるで悪役。最高にカッコよかった!


「大局を見て民のために戦うっていう宇佐美どののほうが正しい」っていうのはもちろんわかる。けど、俺は勘助みたいな「想う人のためなら他人が死のうが世界が終わろうがかまわない」っていう生き方のほうが好き。

そもそもこのドラマでの勘助の性格って・・

○過去に囚われ生きる

○大局を見ず自分の欲求に固執する

○(それはあくまで人生の成長の過程であって最終的にはいわゆる「人格者」になる。)みたいなこともなく、最期まで利己主義のまま死ぬ。ドラマはキレイゴトなしで一人の男の人生を描いた。

(´A`)<「1人は皆のため・皆は1人のために」みたいなタワゴトはナシ。主人公のくせに俗世のエゴにひたりきってる。すっげえいいわ。好感もてる。

(´A`)<「自分らしく生き・自分らしく死ぬ」。これぞ俺の目指す人生!!

(´A`)<わはははははhwwww!!


○ヘーゾーのあれこれ

○ヘーゾーの背中

背中に矢が刺さってあんな倒れ方するか?俺なら

(´A`)<「痛っ!!」とか言っちゃいそう

○ヘーゾーのジュニア

へーぞーの息子役の子役、よかった。今だ俺の記憶に残るダメ子役・寅王丸クンはもう役者やってないみたいだが、このヘーゾージュニアは役者になったみたい。

(´A`)<だけど検索して現在の顔の画像みたら、ブサイクでちょっと吹いた(ゴメン)

○ヘーゾーの昇天

「ヘーゾーが倒れるシーンにBBAがいた=ヘイゾーに助かる可能性を残して物語は閉幕」ってことなんだね。ネットでみてやっと気づいた。

(´A`)<BBAが追い剥ぎしてるのはわかったけど暗示は気づかなかった。

(´A`)<っていうかBBA、北条の風魔だと思ってたのに違ったY

(´A`)<っていうかヘーゾー、もし新潟に帰れてもどうせまた戦場行くよ。ヘーゾーの最後のシーンは違う形のほうがよかったと思う。



○ハッとしてグッド

「もはや策は尽きた」最後はただのケンカ状態で敵陣に突撃する勘助。

(´A`)<軍師もヘッタクレもねえな。

ここで勘助は、過去に討ち死にした武将・甘利どのの言葉を思い出す。(→戦の勝ち負けとは己が誰を裏切り裏切らぬかではない、何を守り何を失うかじゃ)
第28話?で、甘利どのがこの言葉を言ったときは(へえー。ほー。)くらいにしか思わなかったけど、今回でハッとさせられた。

(´A`)<確かに策が尽き、ただの殺し合いになったら(誰を裏切ろう?誰かが裏切ったらどうしよう?)なんて言ってられないやね。もうハラを決めて自分の大切なもののために命をかけるしかないもんな。

(´A`)<あのときの甘利どのはすでにそういう境地だったんだろうナ・なんて思って。そして今、まさに勘助がその心境なんだと思ったら・・


(´A`)<涙腺崩壊でしたわ・・・


(´A`)<ただし板垣サマの回想登場シーンは全然グッとこなかった。(「月影?ナニソレ?」みたいな感じ。ネットではすごい評価いいんだけど俺は甘利どののほうがダンゼン心に来た。)



○その他小並感

目視できる位置、ちょっと走れば手が届く場所に上杉謙信がいる。でも雑兵に囲まれ、斬りつけられ、泥まみれになりなにもできない勘助・・

(´A`)<あの「手が届かない感」。すごい切なくてよかった。


本隊に合流しようとする真田幸隆をまっていたのは・・・村上義清!熱いね!

(´A`)<できればあそこにもう少し時間さいてほしかった。けどそれやるとメインの見せ場がぼやけちゃうししかたないね。


「おもどり下さい」。義信公を諌め、自らは必死の死地に赴く勘助。

(´A`)<勘助に懐疑的だったオブどのには猛省を促したい。

(´A`)<なんか終盤でさ、やたら「慈愛・慈愛」言ってて。最終回では「勘助が慈愛のなんたるかを悟り、死ぬ」と思ってたんだけどそんなシーンぜんぜんなかったよね。せいぜいこの義信公を守ったとこくらいじゃね?


宇佐美どの、有名な役者さんだしネットでも高評価だけど・・・なんか棒読みじゃね?

(´A`)<普段はあの喋りでいいけど、戦場でもあの喋り方だとシラケル。これって俺だけ?


「もう策は尽きた。自分は敵陣に突っ込む(→死ににいく)、あとは頼む。」勘助に言われ、ただうなずくだけの駒井どの。このときの表情(顔芸)、メチャよかった。この役者さんはなにかとアップが多かったけど、監督に気に入られてたのか実力があったからなのか、どっちなんだろう。

(´A`)<今この役者さんはブレークしてるから俺は客観的な目で彼を評価できない。


(´A`)<もしこの頃にこのドラマを見たら俺はこの役者さんを目に止め評価することができただろうか・・・


◎おまけパート

---武田家、その後---

川中島の戦いで勘助はその生涯を終えた{●山本勘助の墓(長野県長野市)}//結局、川中島の戦いで武田と上杉の決着はつかなかった//武田信玄は次に今川家の領地・駿河静岡県)を侵攻。武田信玄の嫡男・義信は妻が今川家出身だったためこれに反発。その義信は1565年に突如謀反の疑いをかけられ幽閉させられ、失意のうちに亡くなる(自害とも病死とも){●東光寺・武田義信の墓(山梨県甲府市)}。義信の守役・飯富某も同罪で成敗された//1570年.武田信玄正室の三条夫人も息子義信の後を追うように死去//1572.武田信玄が天下統一のため上洛(西上作戦・三方ヶ原の戦い)//しかし武田信玄は上洛途中の1573.に病死。「三年の間、我が死を伏せよ」という遺言に従い武田信玄の葬儀は三年後に行われた//1575.長篠の戦いで諏訪御料人の子・武田勝頼織田信長に大敗。この戦いで武田家は多くの家臣を失った//1578.上杉謙信が49歳で死去{●春日山城跡(新潟県上越市)}「四十九年一睡の夢.一期の栄華一杯の酒」という辞世の句を残したといわれる//織田信長に追い詰められた武田勝頼が妻子とともに自害したのは武田信玄の死からわずか9年後のことだった{●景徳院(山梨県甲州市)・武田勝頼の墓→武田終焉の地}。最期まで勝頼に従った家臣は百人にもみたなかったという//

(最終回で観光スポットが分散してるので行きたいレベルは割愛)


◎覚へ書き---1561年、主人公68か61歳---(出生が1493か1500らしいので)

○歴史パート:
○第4次川中島の戦い(○か△武田信玄vs上杉謙信●か△in1561.長野県)
前回からのつづき→//乱戦の最中、手薄となった武田軍本陣に上杉謙信が突入、武田信玄と対峙。上杉謙信は斬りかかるも武田信玄これをいなしそうこうする間に武田兵がつめより上杉謙信退却////上杉軍の居留地はすでに遺棄されていたことに気づいた武田軍の別働隊、武田本陣に急行、それを待ち構えていた上杉軍の別働隊を蹴散らし、午前10時頃には本隊と合流//武田軍の本隊は上杉軍の攻撃に押されていたが武田別働隊の到着によって上杉軍は挟撃される形となる//形勢不利となった上杉軍、兵を引き敗走//武田軍も午後4時に追撃を止めて兵を引いたことで合戦は終わった//上杉軍は長野県の上杉側の領地に配置していた兵3000と合流し、新潟県に引き上げた//

※この戦による死者は、上杉軍が3000余、武田軍が4000余と伝えられ、互いに多数の死者を出した激戦となった。
※双方が勝利を主張しており、明確な勝敗がついた合戦ではなかった。

○有名?な、武田信玄上杉謙信の一騎討ち
※この場面は、歴史小説やドラマ等にしばしば登場しているが確実な史料上からは確認されない
・武田側の軍記・『甲陽軍鑑』によると・・・
白手拭で頭を包み、上杉謙信専用の名馬「」に跨がり、名刀「」を振り上げた騎馬武者が陣自陣に座る武田信玄に対し三太刀にわたり斬りつける→武田信玄は立ち上がり軍配でこれを受ける→武田家臣・原某が槍で騎馬武者の馬を刺すと、上杉謙信はその場を立ち去った
・上杉側の史料・『北越太平記』によると・・・
武田信玄上杉謙信ともに騎馬、武田信玄は軍配でなく太刀で闘い、武田信玄が手を負傷して退いた・としている。
・他資料で「武田信玄に斬りかかったのは上杉家臣・荒井某」というものもある

川中島の戦いを描いた絵画や銅像では、上杉謙信が僧の格好で描かれているが、上杉謙信が出家して「上杉謙信」と名乗るのは9年後(1570)である。

※当時の手紙に上杉謙信みずから太刀をもって闘ったという一文が残されていることから、激戦であったことは確かとされる。

○ドラマパート:
//前回からのつづき//本陣の武田信玄のもとに次々と入る訃報。しかし武田軍の陣形が整いはじめ、別働隊が合流すれば勝てる見通しに//「ここで守りに入らず攻めも入れる」。武田信玄の采配で勘助が出陣を志願//武田軍の陣形が整ったのを見た上杉軍軍師は撤退を進言。しかし上杉謙信はこれを聞かず先陣をきって武田本陣に突入//武田本隊のもとに向かう別働隊とそれを待ち構えていた