西郷どん 第17回 「西郷入水」 感想



第17回 「西郷入水」

◎かんそう

○西郷×月照

西郷どん月照サマ、BL要素なかったじゃんね?それとも俺が鈍感なだけで繊細な腐女子諸兄はBLと受けとれたのか?

(´A`)<もっとこう、「月夜の船上、ウホウホ言いながらケモノのように豪快な立ちバックを決める西郷×月照!激しく揺れる船!ほとばしる男汁!!」的な?ノリを予想してたのに。(まあそんなもん見たくないけど)


○仲間のために死ぬ人生

西郷どん切腹しなきゃいけないなんておかしい、皆でお役人に抗議しよう!」みたいな展開がありましたが。

この時代はそんなことしたら切腹、みたいなイメージあるんだけど実際はどうなんだろう?少なくともその後の公務員としての昇進の可能性はなくなるんじゃない?

で、だ。

(´A`)<キミならどうする?自分に両親・妻・子がいるとして。自分が死刑になってでも、ダメもとで友達の死刑を撤回するように抗議することができる?

死刑じゃないにしても、一生昇進できなくなって、家族も子供も役人に目をつけられ、イビられる人生を、友達のために受け入れることができる?

キミにはそれほどの価値のある友達、いる?逆にキミのためにそうしてくれる友達、いる?

(´A`)<俺は惚れた女のためなら死ねる。子供はいないからワカラン。それ以外の人のためには死ねない、当然俺のために友達に死んでもらいたいとも思わない。

(´A`)<でも俺は独り身だから、親が死んだ後なら、親友のためなら死ねるかな


○↑の話つながりで・・・

今から32年前。「ビートたけしフライデー襲撃事件」というのがありまして。

{概要}:北野たけしが「オレ達ひょうきん族」という番組で超売れっこになって多くの看板番組を持ってから6年くらいのとき//フライデーの記者がたけしと不倫していた21歳の女性に突撃取材して//そのときの雑な取材で女性がケガをした//これを知ったたけしがキレて弟子を連れてフライデー本社に乗り込んで暴力を振るって警察沙汰//懲役6か月、執行猶予2年の判決をうけた//というものなのですが。


(´A`)<師匠であるたけしが、たけし自身の不倫が原因のくせに「これからフライデーに行って暴れるからおまえらも来い」と命令

(´A`)<今でこそたけしは超大物だが、1987年当時のたけしはブームに乗って6年、今後どうなるかはまったくわからない中堅芸人(今のお笑いでいうとオリエンタルラジオくらいのレベル?)

(´A`)<たけしに着いていったら犯罪者になり仕事もクビになってTV業界から干されるかもしれない


(´A`)<キミが”当時のたけし”の弟子なら、前科者になるのを覚悟でたけしに着いていける?自分の夢は「たけしの子分になること」ではなく、「お笑い芸人になること」なのに、たけしの不倫が原因の騒動で将来を棒にふるリスクをおってまでたけしに着いていく?


(´A`)<俺は無理。



○史実・西郷入水、でも・それ事実?

前述の俺の個人的な人生観(自分の惚れた女のため以外で自分の人生を棒に振る気はない)のせいもあって、西郷さんの入水自殺は、なんか嘘っぽく感じてる。


(´A`)<実際は西郷は月照を処刑したけど、後で印象操作のために美談に改ざんしたんじゃないの、みたいな。

(´A`)<同じ幕末、高杉晋作伊藤博文がイギリスの公使館を放火した「英国公使館焼き討ち事件」は、明治時代になってから、「実はあれ、俺達がやったんだよね」という、「証言だけの武勇伝が根拠」で、客観的証拠はなにもない、薩摩や土佐に比べて武勇伝の少ない長州の英傑たちが、誰がやったかワカラン事件を自分達がやったことにした捏造改変」みたいなことを本で読んだことがあるんだけど。今回の入水事件もそれと同じ感じがするんだよなあ。



◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは・・

(`・ω・´)月照サマを「命に代えても」お守りする(しかも西郷一家で)・という宣言でしたもす!


◎おまけパート


○即宗院(そくしゅういん)
//東福寺にある//薩摩藩菩提寺のひとつ//西郷と月照が幕政改革の密謀をめぐらしその境内の奥にあった庵「採薪亭」で密かにあっていたという//

---鹿児島県.いちき串木野市---

○市来湊(いちきみなと)
//幕府から追われる身となった月照は西郷を頼り薩摩に逃れた//名を偽り密かに市来湊(いちきみなと)にたどりついた//しかし西郷の努力もむなしく、幕府を敵に回すことを恐れた薩摩藩月照に死刑を命じた//

---鹿児島県.鹿児島市---

月照上人遺跡之碑
//勤皇の僧・月照はその思いを辞世の句にしたため西郷とともに冬の海に身を投じた//月照が入水したとき身につけていたとされる
衣が残されている(月照上人白衣帷子/清水寺.蔵/月照の従者が持ち帰ったもの)//

○行きたいレベル・D

今までの紀行で一番どうでもいい場所かも。


◎覚へ書き---1858年・主人公30歳---

○歴史パート:

1858.島津茂久薩摩藩12代目当主に就任(ただし幼いこともあって実権はまるでなかった)

1858.12.20.西郷と月照、入水自殺。月照は死亡、西郷は救助され存命

○ドラマパート:
//西郷・月照らが鹿児島に到着(追っ手から逃げるシーンのみで、関所でハラハラ・みたいなシーンはナシよ)//鹿児島県のトップ(→島津斉彬)が死んで12代目トップには11代目トップの弟の息子が就任(→島津茂久)。しかしそれは形式的なもので、実際は10代目トップ・島津斉興が返り咲き実権を握ることになった(これにより鹿児島県の政治方針は左から右に舵を変更)//{東京・中央政府}新たに将軍となった徳川家茂に疎まれる篤姫(※篤姫は天照院と改名)、後家になった篤姫は鹿児島県に帰郷するのが無難なところをあえて東京に留まり政治に関与していく決意をする(篤姫への批判をかぶる形で篤姫の側近が自らの意思で東京を去る)//鹿児島県に月照の保護を申し出ようとするも鹿児島県のトップが代わり政治の方針が転換(左から右になった)、月照は保護どころか死刑、さらに西郷にも死刑が言い渡される//刑を甘受する西郷。しかし大久保はなんとかしようと奔走。「→島津久光(11代目トップの弟)に嘆願するも怒鳴られ蹴られ2度と顔を見せるなと叱責される→10代目トップに嘆願、西郷を処刑したら反発する役人が多々いる、西郷に月照を殺させることで決着にしてはどうか→」10代目トップがこれを認可、大久保は西郷に経緯を話し「月照を殺してほしい」と依頼。西郷はこれを受諾//西郷、月照と共に入水自殺(西郷は大久保を安心させるために嘘をついた)//大久保、(西郷は月照を殺せない、共に死ぬつもりだ)と気づき慌てて家を飛び出す//


○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)
×島津茂久(1840-1897)//大名・華族//鹿児島県
鹿児島県の11代目トップの弟・島津久光の子//18歳・鹿児島県トップが急死したため後継、12代目鹿児島県トップとなる(しかし実質的な政治運営は祖父→父→部下がおこなっていた)●←イマココ//27歳・大政奉還・王政復古//28歳・鳥羽伏見の戦いで勝利(鳥羽伏見の戦い→○新政府軍”薩摩・長州・土佐”vs旧幕府軍江戸幕府会津・桑名”●in1868.京都府)//31歳・廃藩置県、公爵という身分を与えられ東京で暮らす//33歳・西南戦争にはほぼ関わらず(西南戦争→○明治政府vs旧薩摩藩士族●in1877.熊本・大分・宮崎・鹿児島県))//58歳・死去

×哲丸(島津斉彬の子//幼くして夭折)
鹿児島県の11代目トップの子//詳細不詳


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