西郷どん 第34回 「将軍慶喜」 感想

西郷どん 第34回 「将軍慶喜」 感想

第34回 「将軍慶喜
◎かんそう

○棒演技
天皇が死んだ」その知らせを受け号泣する岩倉具視ですが。
(´A`)<役者さん、ものすごい棒演技。とても泣いてるようには見えん。今時アイドルだってもっとマシな演技するんじゃない?
(´A`)<でも、でも?ひょっとしたらこれって、「岩倉具視天皇暗殺説」を暗喩したかったのかな?なんて。「岩倉具視孝明天皇を暗殺した・だから本当は嬉しいのに号泣するフリをした」っていう演出かも・なんて。どう思う?

(´A`)<あ、でもよく考えたら岩倉役の人、全部棒演技だった


○今回に限ったことじゃないが・・・

大政奉還の流れがイマイチ。徳川慶喜→「どうしよう・・・どうしよう・・・なに?大政奉還?よし・それでいこう!ああ、助かった!」みたいな?追い詰められそうになったけど逃げ切った徳川慶喜・みたいな感じがまるでなかった。
なんとなくみてると、「へ?別にそのまま徳川攻めればいいじゃん?」とか思っちゃいそう。それほど大政奉還前後の流れが軽い。

(´A`)<まあ大政奉還だけじゃなくて全話通じてそんな感じだけど。

(´A`)<でもさ、西郷と坂本のやりとり(「徳川を信用しろ。条約は締結した。」→「あいつは信用できない」→「大丈夫だって」→「徳川は口だけだ」・みたいなの)、どっかで聞いたような話だよね。


南<ヽ`д´> <北は制裁解除をのぞんでいる、制裁解除したら核を破棄するといっている

(`・ω・´) <どうせまたウソだ、北がまず約束を果たさないとまた同じことを繰り返す

南<ヽ`д´> <ダイジョウブニダよ?まずはそっちから折れることが肝心。信じることが大切ニダ。


(´A`)<みたいな。


○どっかで聞いたような話その②
幕末、最初は「開国反対!」って言ってたけど、局地的にイギリスとかと戦争になってボコボコにされて、(こりゃかなわんわ・・・)って感じで自治体のトップたちは現実がわかってきて。だけど天皇は現実なんて知らないから「開国はしない」と言い張る。そして外国と天皇の板ばさみになった徳川は天皇に言わずに開国してしまう。

そんな徳川政府をキャンキャン騒いで非難する鹿児島県「徳川政府は傲慢だ!」自分たちだって開国するしか道はないってわかってるクセに政権を奪うために足を引っ張る。


(´A`)<これってさ、今の日本で、それしか方法がなくて政府が決定した苦渋の決断を、そうとわかっている、それしか方法がないとわかっているのに「政府は傲慢だ!我々は断固反対する!」とか言って政権を奪うためにキャンキャン騒いで足をひっぱってる野党みたいだね。

(´A`)<これが政治というものなのか・・・


○その他小並感

・小①:ふきどん(徳川慶喜の側室)に、鹿児島県庁にこない?と誘う西郷。(あれ?ひょっとして親切じゃなく、人質にしよう・みたいな下心?ブラック西郷?)なんて思った
・小②:そのふきどん、実在?戦後も徳川慶喜につくす?
(´A`)<軽く調べた→お芳(およし)//徳川慶喜の妾//江戸の街火消・新門某の娘//1868.徳川慶喜とともに大阪城を脱出、東京へ// 明治維新以降に暇を与えられ、徳川慶喜とはそれっきり//だそうな。
(´A`)<つまり実在だが出身は東京・親は火消、鹿児島県とも西郷とも接点はナシ・戦後は解雇されて徳川慶喜とはそれきり・詳細不詳・ということですな
・小③:勝海舟の役者さんは嫌いじゃないけど、今回の勝海舟の役はイマイチ。やっぱり武田鉄也がベスト
・小④:島津久光の役者さんはめちゃイイ!あの役者さんの顔芸サイコー(*^ω^*)悔しがってるときの顔がとくに好き!
(´A`)<ちなみに四侯会議で本当に集合写真撮ったそうな。(現存はしていない)

◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは


(`・ω・´)公文書偽造・しかも天皇名義。「この公文書を使え・お前らがヘマをしてバレたら自分は終わりだ・西郷、命はあずけた」とのことでした

◎おまけパート
○元離宮 二条城(-本丸庭園-天守台-二の丸御殿-唐門-大広間)
//世界遺産//京都市中京区にある城郭建築//1867年.15代将軍慶喜はここで大政奉還を決議した//1601-1603年の間に,徳川家康の宿舎として造営された////将軍の宿所として3代将軍家光の代まで使用され,その後は文久3 (1863) 年に 14代将軍家茂が上洛するまで利用されず//1884年二条離宮となる//1939年京都市に下賜//元離宮二条城として史跡に指定された

○行きたいレベル・B
すでに数回行ってるのにあんまり覚えてない。
(´A`)<こんなことなら今後もどこかに行っても意味ない・どうせ忘れちゃう・なんて思ったりもする・・・


◎覚へ書き---1867年・主人公39歳---

■歴史パート:

・代14代将軍・徳川家茂が死去(1866.8.29)
//最後から二番目の徳川将軍//20歳//死因:ビタミンB1不足による脚気(当時脚気は原因も治療法も分からない病気で、手足が膨れて感覚がマヒして、立つ事が困難になり、最後は、心臓麻痺を起して死ぬという恐ろしい病気だった。※現在では、ビタミン群を処方し治療)

孝明天皇が死去(1867.1.30.)
//明治天皇の一個前の天皇//35歳//死因:天然痘(税金で至れり尽くせりの暮らししてるのに誰から染るん?やっぱ暗殺なんじゃない?なんて思ったが徳川将軍でも感染者がいるみたいなので暮らしは関係ないか・・)

大政奉還(1867.1.19)
/当時の行政の実質運営者トップ・第15代将軍徳川慶喜が名目上の政権トップ・朝廷様に政治運営の権利を返却したこと
//当時の政治は「朝廷」という団体が名目上のトップ。で、「実際の政治運営を「徳川幕府」という団体に委託」というていでまわっていた→日本各地の有志が徳川幕府の政治運営に不満をもって「ああしよう・こうしよう」と根気強く何度も話し合い働きかける→しかし「政治運営権は徳川にある、素人は口を挟むな」といっこうに受け入れない徳川幕府→「このまま徳川幕府の政治運営だと国が破綻する・ちからづくで奪い取ろう」という有志連合が武装決起・クーデター(有志は政治の運営権利が欲しい+徳川という一族を政治の世界から追放したい・ので大きくもめたほうがやりやすい)→しかし徳川幕府は「わかった・じゃあ委託されていた政治運営権を「朝廷」に返します」といって有志側の「正当な戦争の理由」をなくす→戦争する理由がなくなった有志連合(これで「名目的に政権は徳川一族の個人所有ではなくなった」が、「徳川一族を社会から抹殺する」ことができなくなった・さらに実際問題政界には徳川の派閥しかいないので政治運営はこのまま徳川がやることになってしまう(徳川が政治運営の権利を放棄しても、「だから自分たちが政治運営の権利を受け取れる」というわけではないので今までと何も変わらない。)→戦争する理由がなくなったから、戦争をおこしたら自分たちが犯罪者になってしまう有志連合、おおいに困る→徳川幕府「戦争する理由がなくなって有志連合が困ってる、奴らがグダグダになってるうちにこちらは体制を建て直そう」//みたいな。一見すると「徳川の負け宣言」だが、実際は「はいはい負けました、だから暴力はやめて話しあおうね・まあ話は聞かないけどねwww」という徳川に有利で鹿児島ら有志に不利なものだった(ドラマ的に西郷隆盛はそれで困ってしまった。そしてそれ「大政奉還」の発案をしたのが坂本龍馬

・ええじゃないか(1867.8-1867.12)
/民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で熱狂的に踊り町々を巡り歩いた騒動・大衆乱舞
//目的:定かでない(ハロウィン当日に仮装して渋谷に出かけるブタさん達に「目的はなんですか?」と聞くのと同じようなもの)だが、一般的には「行政に不満を訴える民衆運動」といわれている//反政府の政治団体が陽動・かく乱のため引き起こしたという説・民衆のストレスを発散させるために政府がしかけた・という説もある//
//地域で信仰されている社寺の札(という名の紙切れ)が(空から)降ってきた(らしい)→(本当なら)常識ではありえない奇跡→(本当なら)吉兆だ→笹竹で家を飾る、酒や肴を供えるなどして町全体で札を祀る。(名古屋の場合、降札後の祭事は7日間に及び、その間は日常生活が麻痺した。)//中部、近畿、四国、東海地方などで発生//歌詞は各地で作られ、例えば「今年は世直りええじゃないか」(淡路)、「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」(阿波)といった世直しの訴えのほか、「御かげでよいじゃないか、何んでもよいじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又はれ、よいじゃないか」(淡路)という性の解放、「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」(西宮)、「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」(備後)の政治情勢を語るもの、などがあった//

・四侯会議(1867)
/日本の有力者4人(鹿児島県・島津さん50歳、福井県・松平さん39歳、高知県・山内さん40歳、愛媛県・伊達さん49歳)と、実質政権運営側(東京都・徳川さん30歳)、政権運営の名目上の管理団体の担当者(京都府・二条さん51歳)らの会議//議題:政府の人事・政府に逆らって戦争し世の中を混乱させた山口県の扱い・一部の人間で決定・発布したにもかかわらず相手と約束までしてしまった外交政策は有効か否か
//主導権をとろうとあれこれ意見する新興勢力の鹿児島県勢にたいして現政権勢力の東京都勢がケチをつけまくって対立、空中分解→この会議で鹿児島県は「政権に意見しても東京都に排除される、もう東京勢はぶっ潰すしかない」という決断に至り戦争(戊辰戦争)にむかう

○ドラマパート:
//14代将軍・徳川家茂、死去//第二次長州征伐・徳川中央政府側からの要望で講和(実質徳川の負け)→徳川の威信失墜(●第二次長州征伐.1866)//徳川慶喜が15代将軍になる(天皇に懇願され・純粋に天皇への忠義のため・という展開の表現)//将軍となった徳川慶喜・フランスの援助で中央政府の威信建て直しを計る//天皇死去//西郷ら「新天皇はガキだからどうとでも扱える、今が唯一無二の政権交代のチャンスだ」徳川工作に乗り出す//徳川中央政府天皇の許可を得ず外交。西郷ら鹿児島県勢と岩倉具視らの左派、「徳川が天皇を軽んじた」を大義名分に反抗勢力をつのり徳川紛糾の根回し(四侯会議)→しかし根回した有力者たちが中央政府に懐柔され、逆に鹿児島県が空気読めないという空気に//さらに徳川中央政府は外国にも存在感をアピール。鹿児島県劣性に//フランス「徳川を支持・援助する、勝ったら鹿児島県をよこせ」と迫る//西郷、イギリスの外交官や同郷の女・ふきどん(徳川慶喜の側室)を通じて鹿児島県が売られるかもしれないと感じ取る。イギリスからの援助の申し出があるも西郷これをいなす(俺はドラマの表現だけではとうていわからなかったが・史実では西郷はこのときイギリスの真意を見抜き牽制したらしい)//「徳川が国の切り売りに乗り出そうとしている」という話を聞き、もう牽制や威嚇ではだめだ、実力行使しかない」と判断→それをするには天皇の許可証がほしい→岩倉具視に依頼→「西郷は威嚇で済まし殺し合いのない道を進んでくれる」と信じている部下達。しかし西郷は今回ばかりは血の海・クーデターを覚悟していた//鹿児島県のクーデターがスムーズに行くよう山口県広島県に根回しする大久保利通//正当性をかかげた、完全に徳川を包囲・武力制圧の正当性を得た・あとは実行あるのみの状態となる//しかし坂本龍馬が鹿児島県のクーデターの正当性をチャラにする妙案・大政奉還をもちだし高知県がこれを国に献策、国はこれを採用(→●大政奉還.1867.)//日本中で「ええじゃないか」という騒動が広まる(→●ええじゃないか.1867)//岩倉具視が命がけで天皇の命令書を偽造。西郷らもこれを了承//徳川慶喜・政治運営から退くと宣言(→●大政奉還.1867)//「これで世の中いいほうに向かう」と坂本→「そうはならない、結局最終的に徳川が牛じることになる・徳川はそれを見越して建前だけの撤退宣言をした・これで世の中はいいほうに向かうチャンスを失った」と西郷→坂本「そんなことはない、平和裏にいこうよ」→西郷「これじゃだめだ、徳川の策略だ、やっぱり徳川は討ち取ろう」→坂本「戦争で多くの犠牲者を出してもいいのか?」→西郷「もうそれしか方法がない」→双方折り合いがつかず並行線//つづく

◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×ロッシュ(=レオン・ロッシュ1809-1900):おフランス外交官:ゆかりの地→(´A`)<わからん
//おフランス出身//19歳・大学中退、おフランス軍のアフリカ遠征に従軍(二重スパイだったとも)→アラビア語の通訳に→おフランス外交官としてアフリカへ。現地の憲法制定の一助に//54歳・日本に転勤。当時日本は政府と反政府勢力が拮抗していたが、彼は日本語の通訳に日本政府の人間だけを使ったため情報が日本政府に都合のいいものにかたより考え方が日本政府よりの人間になる//55歳・山口県と戦争、勝利(→下関戦争○英米仏蘭vs山口県●in1864.山口県)/同年・日本政府から公共事業を委託され「これは儲かる」と判断、以後日本政府を積極的に支援(製鉄所建設・語学学校設立・国際イベント参加の推薦・金と武器の融資・日本兵練兵の協力。→「肩入れしすぎ」とおフランス本国から注文をつけられ帰国命令※(日本政府への傾注には「同じく日本と関わりのあったイギリスより優位にたちたい」っていうことと個人的にもイギリス外交官への対抗心があったとか)//59歳・肩入れしていた日本政府が対抗勢力に敗北。「リベンジしようぜ」とケツを叩くも日本政府代表はしり込み(→王政復古・戊辰戦争-・江戸無血開城明治維新1868.)、結局日本はクーデターにより新政府誕生。→おフランスから大使を罷免され帰国、外交官引退//90歳・死去

×山内容堂(1827-1872):大名:高知城高知県
高知県の10代目お殿様の子(5男)の子(お殿様の孫)//21歳・13代・14代のお殿様が相次いで急死したため15代のお殿様に→人事・行政改革で手腕を振るう・中央政府に対しても意見し存在感を示す//31歳・中央政府と政策方針で意見が対立し敗北・謹慎処分(→安政の大獄.1858)//35歳・中央政府の実質トップが暗殺されるテロ(→桜田門外の変1860)//37歳・首都で起きたテロに勢いついた高知県の左翼が高知県右派要人を暗殺するテロ//36歳・中央政府と共闘する勢力により左派テロが粛清・追放される(八月十八日の政変○鹿児島県・福島県vs山口県●in1863.京都府)。これに便乗し@山内容堂は管轄する高知県の左派を弾圧//39歳・政府寄りだった勢力が政府とものわかれ、左派と手を組むも高知県山内容堂は「右向き・政府に恭順」という立ち居地を選択(→薩長同盟1866)//40歳・左派に追い詰められ立場が危なくなった中央政府にピンチを切り抜ける奇策を提案(中央政府に恩を売るが左派からは怨まれる→大政奉還1867)以後も中央政権を追い落とそうとする左派を妨害、中央政府寄りの政治活動を行う(小御所会議in1868.京都)。最終的に左派が武力蜂起、これに協力しないよう指示するも一部の部下がこれを無視し左派に加担。結局中央政府は破れ、自分を無視し左派に味方した部下のおかげで高知県山内容堂は地位を確保(王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新in1868.)//新政府樹立後、たいそうな役職につくも「江戸時代に偉かった自分が明治では他人と平等」という扱いについていけず辞職。以後血税で贅沢三昧な暮らしを送る//46歳・脳溢血で死去

×後藤象二郎(1838-1897):武士-政治家:高知県
高知県の上級武士の嫡子//10歳・父親死去。のちの高知県実力者・吉田東洋に預けられ育ちその後ろ盾で公務員の仕事につきエリートコースに//24歳・後ろ盾の吉田某が暗殺される→職を解任される//25歳・東京で英語や航海術を学ぶ//26歳・高知県の公務員職に復帰//高知県の実質トップ・山内某に気に入られ高知県公務員要職につく//28歳・上海を視察//29歳・坂本龍馬の発案とされる大政奉還(徳川政府の延命策)を成功させ徳川政権存続に貢献(→大政奉還1867.)←■■イマココ■■。しかし結局鹿児島県や山口県が強引に徳川政府をつぶし後藤が所属する高知県は立場的に弱くなる(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城in1868)//30歳・明治新政府発足、政府要職を歴任(→明治維新1868.)//36歳・政府内党争に敗れ政府から離脱(→明治6年政変1873)、ともに政府から離脱した仲間と政党を結成し政府と対立するものちに政府と迎合、農商大臣など政府要職を歴任//59歳・病死

(´A`)<昔読んだ坂本龍馬の漫画でめちゃくちゃ悪人に描かれててその印象が強いけどwikiで略歴をみるぶんには全然いい人っぽい(坂本龍馬との面識も龍馬が長崎で商売を始めてからが初対面)。相当な有名人だと思ってたけど略歴・解説が結構短くて意外だった。

×アーネスト・サトウ(1843-1929):通訳・外交官:
イギリスの金融業者の三男//学生時代に日本関連の書籍を読み日本に興味を持つ//19歳・来日、イギリス大使館で働きながら日本語を勉強//20歳・仕事として初の翻訳/同年、鹿児島県と駐日イギリス軍艦が戦争(薩英戦争(△鹿児島県vsイギリス△in1863.鹿児島県)//21歳・山口県と駐日四カ国海軍との戦争の示談交渉の通訳(下関戦争○vs山口県●in1864.山口県)//幕末の多くの有名事件前後で情報収集のため現場におもねいたり事後処理の通訳として関わったりする(大政奉還戊辰戦争西南戦争ほか多数の日本の大事件・日本人による外国人襲撃事件など)//多くの幕末の有名人(明治天皇徳川慶喜将軍・岩倉具視公卿・勝海舟西郷隆盛桂小五郎高杉晋作坂本龍馬・ほか多くのビックネームと通訳として立ち会った←■■イマココ■■。伊藤博文などとは文通もしていた//24歳・自らも襲撃事件の被害者となるが護衛の日本人によりことなきを得る(アーネストサトウ襲撃事件in1867.静岡県)//30歳・日本人内縁妻との間に長女誕生(夭折)//37歳・長男、40歳・次男誕生//41歳・公務員としてタイで3年勤務//46歳・公務員としてウルグアイで4年勤務//50歳・公務員としてモロッコで2年勤務//52歳・公務員として再び日本で5年勤務//57歳・公務員として中国で6年勤務//63歳・イギリスに帰国し公務員勤め、のちに隠居//86歳・病没

 △毛利敬親(もうりたかちか1819-1871):大名:萩城(山口県
山口県のお殿様の長男//17歳・13代目の山口県のお殿様になる//19歳・行政改革に着手(後の評価→◎)//34歳・神奈川県に外国戦艦渡航、当時鎖国していた日本に開国を迫る。今後の方針に悩む中央政府にたいし山口県は(鎖国堅持・外国人排斥政策(→攘夷)でいくことを決定。(天皇からも内密にそうするよう言われた)→ペリー来航in1853.神奈川県)//44歳・現政府の徳川政府撲滅・山口県天皇を中心にした鎖国国家をつくろうと奔走するも対抗勢力(鹿児島県・福島県など)に追い落とされ・さらに天皇からも(やりすぎ!)といわれ嫌われ当時の日本首都・京都への立ち入りを禁止される(八月十八日の政変○鹿児島県・福島県vs山口県●in1863.京都府)//45歳・京都出禁解除のために京都で活動していた山口県の武士が京都の警察に殺される(池田屋事件.in1864京都府)→怒った山口県が軍隊を京都に送り「責任者を処分しろ・山口県の出禁を解け」と要求、「悪いのは山口県だ」とする福島県や鹿児島県と京都で戦争になり山口県が負ける(禁門の変.○鹿児島県・福島県三重県vs山口県●in1864.京都府)→外国の船が山口県を攻撃(前年に山口県から攻撃されたので謝罪と賠償を要求するも山口県がつっぱねたので)、戦争になり山口県が負ける(下関戦争○英米仏蘭vs山口県●in1864.山口県)//言う事を聞かず戦争までおこした山口県に政府が「おとしまえ」を要求し軍隊を送る。京都で負け、外国にもまけボロボロの山口県は「おとしまえ」として責任者を殺し山口県で養っていた天皇系の政治家たちの身柄を政府に引渡し政府に従うことを約束(第一次長州征伐○徳川政府vs山口県●in1864.山口県)//46歳・山口県の「徳川政府に従う」という方針に反対の派閥がクーデターに成功、山口県は一転、反政府方針に(○vs●in1865.功山寺挙兵(○山口県左翼vs山口県右翼●in1865.山口県)//48歳・反政府になった山口県に政府が戦争をしかけるも迎撃し勝利(第二次長州征伐○山口県vs徳川政府●in1866.山口県)//49歳・山口県の「政府反逆罪」が赦免される、政府に対して攻勢に出る←■■イマココ■■鹿児島県と手を組み徳川政府に戦争を仕掛け勝利(→王政復古・戊辰戦争明治維新1868.)//50歳・新しくできた政府に土地などの所有権を放棄するよう要求され率先しあけわたす//
版籍奉還in1869)//53歳・死去

(´A`)<今回のセリフは「あいわかった」。「そうせい」はでませんでした。

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