風林火山 第48回 「いざ川中島」 感想


第48回 「いざ川中島」 

◎かんそう

○勝って。勝ってタケちゃん川中島
戦地に赴く武田信玄を毎回悲しげに送り出していた三条夫人。
今回、その三条夫人に武田信玄が、「いつも不安にさせてばかりでゴメン」と謝ります。すると、「そう思うなら・・」三条夫人がきりだします。

「そう思うなら・・・」

「勝って!必ず勝って帰ってきて!」

(´A`)<なんかヤンキー漫画でこんなんあるよな。

(´A`)<番長が子分を助けにライバル校に1人で乗り込もうとする→ヒロイン(優等生・美少女)が止める→番長「ここで行かなきゃ男じゃねえ!行かせてくれ!」→ヒロイン「わかった。じゃあ一つだけ約束して?」→番長「・・・?」→ヒロイン「勝って・・絶対勝って!!」

(´A`)<みたいな。この流れって感動できる鉄板展開なの?

(´A`)<ヒロインの心理がまるでワカラン・・

(´A`)<あるいは「勝って!」と送り出す三条夫人の器と、ジメーっとした態度で送り出すヘイゾーの妻との対比?



○イケメンの前では理屈など無力

勘助の養女、りつどのがついに勘助を「パパ」と呼びました。


(´A`)<イケメンに告られジジイに見切りをつけたか・・


(´A`)<見損なったぞりつどの。りつどのには勘助とくっついて欲しかったヅラ



○タキチの孫?
「サスケ」っていう名の乳児がでてきたけどこれ、この子が将来有名な忍者になるっていうアソビ要素?今回・48回が1561年、真田幸村が1567年生まれ、大阪の陣が1614年だから・・真田幸村より6歳年上、大阪の陣で53歳ってなるとちょっとイメージとはズレるかな。(真田幸村の影武者っていうならピッタリだが)

(´A`)<って思ったら「タスケ」の聞きまつがいだった…OTL


○声がKAWAII
鬼美濃どのを助けた老婆、BBAぶってるけど声がKAWAIIよね。役者さんは若い子なのか?なんでナチュラルなBBAにせず、わざわざあんなBBAっぽくないBBAにしたんだろ。実は武田・上杉を共倒れにさせるために北条がつかわせた風魔の女忍者とかいうオチ?ファンタジーすぎるか・・


(´A`)<役者さんの正体が知りたい。でも今ググると今後のストーリー展開わかっちゃうかもだから、話が終わったらググってみよう。


◎おまけパート
---長野県.長野市---
長野県長野県の市を流れる千曲川(ちくまがわ)と犀川(さいがわ)の中洲・川中島戦国史上最大の死闘・「川中島の戦い」が繰り広げられた//およそ半月のにらみ合いののち、両軍の死闘がはじまった//

海津城(現.松代城
武田軍が拠点とした//川中島全体が見渡せる//武田信玄に命じられ山本勘助が短期間で築いたといわれる//

○妻女山(さいじょざん)
//海津城の南に位置する//第4次川中島の戦いで上杉軍が布陣した//山上からは海津城を見下ろすことができる//麓には上杉謙信が槍で突いて湧きでたと伝わる
謙信槍尻之泉(けんしんやりじりのいずみ)がある//

○行きたいレベル・A
超近所なので海津城はたまに行く。問題は妻女山。「ここが妻女山です」っていう看板の出てる場所があるんだけど、厳密には違うらしくて。(正確に上杉軍の本陣のあったとされる場所まで行こうとすると熊や鹿や猪や蜂と遭遇するかもしれない山道を歩かなくちゃいけない上に景色も全然よくないらしい)まあでも暖かくなったら時間のあるときにいってみるかな。


◎覚へ書き---1561.年、主人公68か61歳---(出生が1493か1500らしいので)

○歴史パート:
1561.第4次川中島の戦い(△か○武田信玄vs上杉謙信△か●in1561.長野県)
//1561.8.15.、上杉謙信が長野県善光寺に着陣。荷駄隊と兵5000を善光寺に残し、自らは兵13000を率いて武田の城・海津城を見下ろせる妻女山に陣取る//8.16.武田信玄上杉謙信出陣の知らせを受け甲府を進発//8.24.武田信玄、2万の兵を、すでに上杉軍と対峙している自分の城とは別の場所に布陣。上杉軍を包囲。そのまま睨み合いが続く//8.29.武田軍は戦線硬直を避けるため自分の城に入城//政虎はこの時、信玄よりも先に陣を敷き海津城を攻めることもでき、海津城を落とせば戦局は有利に進めることもできたが、攻めることはなかった。攻めなかった理由は不明だが、この海津城の存在が戦場で大きな意味を持つことになる。//更に睨み合いが続く。士気の低下を恐れた武田重臣たちが上 杉軍との決戦を主張//上杉謙信の強さを知る武田信玄はなおも慎重をきし山本勘助馬場信房に上杉軍撃滅の作戦立案を命じた//●今回はここまで

川中島の戦い戦いは全部で5回・今回の第4次の戦いは唯一大規模な戦いとなり、多くの死傷者を出した
※第4次川中島の戦いが最も有名な戦いだが確実な史料は存在しない(現在定説とされているのは軍記物がソース)

○ドラマパート:
1861.上杉謙信が出陣、長野県に向かう//上杉謙信が長野県の武田側の領地に侵攻、武田の城までくるも攻撃せずに陣を構える//勘助、「上杉謙信が城攻めせずに陣を構えたのは武田氏と決着をつけるため武田信玄が来るように仕向けているからだ、そして武田軍も上杉謙信がこれ以上勢力を増す前に倒さなければならない」と武田信玄重臣たちに説明//武田信玄、出陣を決定//勘助の養女・りつどの、武将・高坂某との結婚を承諾、勘助を「父上」と呼ぶ。娘として勘助の帰還を待つ、と。//武田軍、出陣。勘助、道中で諏訪御料人の墓へ参り「武田勝頼を連れて行く」と報告。すると諏訪御料人の霊?が現れ「なりませぬ」と言う。これを聞いた勘助、独断で武田勝頼の参陣を中止す る//武田軍、川中島に到 着//双方が「先に動いたほうが負け」と読む//膠着状態が続く。結局武田信玄は先手を打つことにする→武田家重臣・馬場某と勘助に策を立案するよう命令//前回、行方不明になり戦死したと思われていた武田家重臣・原某が生きているとわかり勘助が迎えにいき、原某の手当てをした地元の老婆から「翌朝は濃霧」という情報を得る//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

ナシ


.