風林火山 第47回 「決戦前夜」 感想


第47回 「決戦前夜」 

◎かんそう

○自分ならどうする?

Q:嫁の親(恩人)の仇を討ちたい。でも死ぬ確立が高い。そして敵を討てる確率は低い。で、嫁は「もう復讐はいい、危険なことはしないでほしい」と言う。

1:復讐に成功、無事帰還、幸せに暮らす(実現度0・01パー以下?※雑兵的には敵の総大将・武田信玄を目視することができただけでも奇跡だろうし)

2:復讐に成功するが死ぬ、自分的には悔いはないが家族が悲しみ不幸になると思うと慙愧の念(実現度0・01パー以下?※雑兵的には敵の総大将・武田信玄を目視することができただけでも奇跡だろうし)

3:復讐できないが死ぬこともなく帰還(実現度76パー以下)

4:復讐できない・戦死・家族も不幸エンド(実現度23パー以上)

5:復讐しない(従軍しない)から死なない・かわりに一生(あのとき従軍してれば仇を討てたカモ・・)と引きずり続ける(実現度100パー)

(参考資料:1561.第4次川中島の戦い・上杉軍1万3千、死者3千。23パーセントが死亡(ただし雑兵はさらに死亡率高いと思われ))

(´A`)<まあ徴兵だからそもそも行かないって選択はアレだが


○それはそれとして

ヘイゾーが好きになれない(役も役者もあんま好きじゃない)。ヘイゾーパートは「戦いのむなしさ」を訴えるパートなのかな?どういう結末になるんだろ。


○「過ちが人間を決めるのではなく過ちに向き合う姿勢が人間を決める」

最近ちょっと調子コキ気味だった上杉謙信公。しかしそれを指摘され、激昂することなく過ちを認め、ホコを収めました。器ですな。


(´A`)<俺はGESUなので「でも相手が美女じゃなかったらブス・即・斬だったカモ」なんて考えてしまうがね

(´A`)<あと、「夫はあんたを裏切ったんじゃない、見限っただけだ」っていう台詞がヨカッタ!


○立場ないやんね
家に招かれて、「この娘はキミにピッタリだと思うんだ。」と紹介されて。
(ようするに女紹介してくれるってこと?まあ別にいいけどなんか突拍子ないな・・)とか思ってたらその女が
「嫌!あたしはあなたがいいの!あなたといたいの!」みたいなことを言い出して。
(なーんだ。俺はダシにされただけか。)
っていう経験が俺にはあって。今回の高坂弾正を見ててそのときのことを思いだしましたな。
「ちょっとモッタイナイ気もするけど女がそいつとくっついてくれれば都合がいい。逆に女がそれを拒否して自分を選べば、困るけど優越感にひたれる」

みたいな心理だとしたら・・


(´A`)<サイテーだよね

(´A`)<まあそれはおいといてあと3話デショ?勘助は子孫いるみたいだし、りつどのご懐妊は確定として、パパは誰になるんだろ。


○デンベー
結婚オメデトウ!死亡フラグじゃなくてヨカッタな!


(´A`)<最後の試練は川中島の戦いか・・デンベー、気張れ、チェストー!



◎おまけパート
上杉謙信の軍師・宇佐美定満ゆかりの地//宇佐美定満上杉謙信から三顧の礼をもって家臣として迎えられたという
(○笹団子//地元に伝わる保存食//宇佐美定満の時代に戦場で携帯できる保存食としてつくられたといわれる)
○琵琶嶋城跡(びわじまじょうあと)
宇佐美氏の居城//宇佐美氏は代々越後守護・上杉氏(上杉謙信の”上杉”ではない)に仕えた
○鵜川神社
琵琶嶋城の代々の城主が崇敬していた神社//宇佐美定満が使用していたと伝わる太刀が残されている(→●伝・宇佐美定満奉納の太刀)

○行きたいレベル・B
車で2時間だから行けるっちゃいけるけど、なにもなさそう。新潟いくならまずは上杉謙信の居城・春日山城に行きたい


◎覚へ書き--- 1561年、主人公 か歳---(出生が1493か1500らしいので)

○歴史パート:

1561.原虎胤武田信玄重臣)が負傷(ドラマでは生死不明に)
割ケ嶽城攻略で負傷、以後は第一線を退く

1561.長野成業(上杉謙信家臣・グンマーの武将)・病死(享年71か63)
※死去する前、嫡男を枕元に呼び寄せて、「私が死んだ後、一里塚と変わらないような墓を作れ。我が法要は無用。敵の首を墓前に一つでも多く供えよ。敵に降伏してはならない。運が尽きたなら潔く討死せよ。それこそが私への孝養、これに過ぎたるものはない」と遺言したという
で、長野成業の子は1566年に武田信玄に2万の大軍で攻め込まれ、自城で業正の位牌を拝み、一族郎党と共に自害した(ドラマとは間逆?で、真田幸隆どの長野成業どのの一族郎党粛清しちゃったのね・・(甥っ子と2歳の子が逃げ延び長野どのの血は途絶えなかったらしい))

○ドラマパート:
前回上杉謙信にムチ打ちされた武将・成田某が戦線を離脱。人質として上杉謙信が軟禁していた成田某の妻はおきざられる//成田某の妻に説教する上杉謙信「成田某は勝手に戦線から離脱した無礼者だ」//成田某の妻、これに反論「その報復として自分が殺されるのはいいけど、成田某は無礼を働いたわけではない。成田某の戦線離脱はあんたは成田某をムチ打ちしたのが原因。そのムチ打ちはあんたの勘違いが原因。あんたは「成田某が馬上で自分を見下ろしたからムチ打ちした」っていうけど、「成田某は馬上で目上の人を見る特権」をお上から認められているのは関東じゃあ常識だ。そのことも知るず衆目の前でムチ打ちしたあんたのほうが礼を知らない無礼者だ、あんた自分が神の化 身だっていうけどあんたは神でも仏でもない」//これを聞いた上杉謙信、反省。成田某の妻を殺さず成田某のもとに返す//「武田信玄が上杉家の勢力圏に侵攻」との報告をうけた上杉謙信、小田原攻めを見限り本拠地(新潟県)に戻る//上杉謙信が神奈川県にいる間に上杉側の城を陥落させた武田軍だったが、その戦いで武田重臣・原某(勘助の養女・りつどののパパ)が行方不明になる(史実では死んでないがドラマではいかに!?)//百姓あがりの雑兵、デンベイが「城を落とすのに活躍した(本当は女ニンジャがデンベーに手柄を譲った)」として褒美に大金もらい女ニンジャと結婚(よかったね!)//北条家、上杉謙信を退散させた祝勝会//真田幸隆のもとに訃報(→真田幸隆の恩人でグンマーの武将・長野業政 どのが死去)すごくいい武将だったから真田幸隆が涙する(ナレーション→このとき長野どのの城(箕輪城)は上杉側に渡ったが数年後に武田軍とともに真田幸隆が陥落させた)//高坂弾正、前回の勘助との約束どおり山梨県の勘助宅を訪問//勘助、養女・りつどのを高坂弾正どのの嫁にとるよう勧める。突然の話にとまどう高坂弾正どの//養女・りつどのも養女でありながら勘助に添い遂げるつもりだったのでその旨勘助に懇願。しかしその一途な姿を見た高坂弾正どのがりつどのに心奪われ求婚(→勘助どのに万がいつのことがあったら自分の嫁にほしい)。勘助も了承、りつどのもまんざらではないカンジ//上杉謙信、関東遠征での一件で「人に高みを求めるのではなく自分のほうから人の高さに寄り添うこと」 を学びさらにカリスマが増す//上杉軍、武田軍との決戦のため川中島(長野県)へ出陣。百姓パートのイケメン・ヘイゾーも上杉軍(上杉家臣・宇佐美どのの家臣)として従軍、「必ず帰る」と妻に約束//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

上杉景勝(1555-1623):大名(上杉謙信-豊臣秀吉-秀頼-徳川家康-秀忠):越後国新潟県陸奥国福島県出羽国.米沢藩主(山形県
//越後国坂尾城(新潟県)主・長尾某の子(母は上杉謙信の姉)//6歳・上杉謙信が関東征伐から帰国←イマココ●//9歳・父が死去、上杉謙信の養子となる//11歳・初陣(上杉謙信の関東出兵1566.)。以降、上杉謙信政権の下で重要な役割を担う//25歳・御館の乱に勝利、上杉家の家督を継ぐ//26歳・織田信長の軍が新潟県に侵攻//27歳・織田軍の侵攻を止めることができず万事休す・死を覚悟(「自分は良い時代に生まれた。六十余州を相手に越後一国をもって戦いを挑んで対峙し滅亡することは死後の思い出である」という手紙がのこっている)だが、織田信長が死去したため織田軍が撤退。結果負けはしなかったが多くの領地を失う・同年、織田の支配下にあって混乱している長 野県に侵攻、同じく混乱に乗じ侵攻してきた北条と争うも土地を割譲することで和睦(天正壬午の乱)//豊臣秀吉に味方し越中を侵攻(しずがおかのたたかい1583.)//こまきながくての戦い 豊臣秀吉について敵から城を奪還1584.富山の役1585.//1586.豊臣秀吉配下となり順調に勢力を広げ越後、佐渡二国に信濃川中島四郡、出羽庄内三郡、併せて91万石余の支配領域が確定//1590.小田原征伐//1592.朝鮮出兵肥前国にいく//1593.豊臣秀吉の代理として朝鮮に行き城(倭城)を築城//1598.加増移封じ、会津藩120万石を領する//1598.豊臣秀吉死去//1600.徳川家康上杉景勝討伐に出陣→徳川家康を討伐するとして石田三成が挙兵→徳川家康石田三成と戦うために引き返す(関ヶ原の戦い)。上杉景勝は徳川方の伊達政宗と戦うも( 慶長出羽合戦)石田三成が敗れたため徳川家康に降伏、のちに米沢藩30万石に減封される//1614.大阪の陣では徳川家康につき大功をあげる(鴨野の戦い)//1623.死去
※感情を表に出すことがほとんどなかったらしい(家臣が笑顔をみたのも生涯でただ一度だったらしい)
※女嫌いで衆道狂説アリ(出典の信憑性は低いらしい)




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