西郷どん 第9回 「江戸のヒー様」 感想



第9回 「江戸のヒー様」

◎かんそう

○はじめてのお使い
大好きな上司におつかいを頼まれた。(くれぐれも失礼のないようにと念を押された)
しかし、おつかい先で相手が上司の手紙を破り捨てた。
だから頭にきて相手に喰ってかかった。

(´A`)<これってかっこいい行為なんだろうか?

たまたま相手が親切に意図を説明してくれたからよかったけど、もし相手が「ムム、無礼者!」とか言ってキレてたら切腹もんじゃんね?もしそうなってたら、斉彬公は西郷の味方してくれた?はじめてのお使いで「使えない奴」と判断されてたら、切腹とかになってたら、30両つくってくれた家族に顔向けできないじゃんね。

結果オーライだったしドラマの演出だしアレなんだけど、もしオレが西郷だったら、一旦もどって斉彬公の指示を仰ぐかなあ。現実ならそれがベストだと思う。けど、ドラマだったら逆に「それでおめおめ帰ってきたのか!おまえは子供の使いか、このやっせんぼ!」とか言われるの、かな?かな?

(´A`)<はじめてのお使いだったから勝手がわからず暴走した・っていう演出じゃなく、まっすぐで融通のきかないキャラだから暴走したっていう演出なんだよね?

(´A`)<だとしたら今後もこのパターン(西郷キレる→なぜか上手くいき西郷の株も爆上げ)が繰り返されるのか?

(´A`)<でも、そおいうのも嫌いじゃなくってよ。ようはサジ加減よね。

(´A`)<そもそもその性格のせいでこれから波乱万丈の人生をおくることになるんだし、むしろこの演出のほうが実像に近かったりするのかな・なんて思ったら楽しいカモ。



○いきすぎた侠気は狂気で凶器
「上司の屈辱は自分の屈辱だ、上司の悪口は許さん!」これはわかる。でも、「自分の辱は上司の辱だ!自分を辱めるのは許さん!」
っていうのは違うんじゃないかな。「自分がこんなに想っている殿は、同じように自分を想っているに違いない」っていうのはあまりに主観的で自己中すぎるんじゃない?


(´A`)<軽くヒクわ。西郷が斉彬サマを想う気持ちは妄執の域に達してるっていう演出?

(´A`)<そういえばBL要素入れるって言ってたしな。

(´A`)<あるいは「親は自分を守ってくれるに決まってる・だからムチャやっても許してくれる」ってどこかで計算してヤンチャしてる子供や、「ジャニーズの××クンがずっと私を見てた」みたいにしか考えることのできなくなってしまったアイドルの追っかけ末期状態とかね。

(´A`)<スナフキンが言ってたよ。「誰かを過剰に崇拝すると、自分の自由を失うよ」 ってね。

(´A`)<や、でも、西郷どんは「それでいい・自由なんかいらない」って思ってるか。あるいは「自分の自由より、みんなを、この国を自由にしたい!」って思ってるのカナ。


○今週の「命かけもす」宣言

(`・ω・´)<今週の西郷どんは「お殿様のお宅の庭掃除に命をかける」と宣言してもすでした!


○その他小並感

江戸編突入で音楽もリニューアル?江戸っぽく垢抜けた感じに?俺的にはアリ。時代劇っぽくはないけど。(但し紀行の新BGMはイマイチ。もっとスキャットを小さくしてほしい)

女優陣が俺様好み。ふきちゃん、玉ちゃん、(+前回で退場の須賀ちゃん)。あと、もうひとりの女中さんも「美人女優さんの引き立て役・馬鹿丸出し」っていう役どころをしっかり演じてた。東京での社交・情報収集の舞台で働く女として今後も出番たくさんあるとイイネ☆


(´A`)<ただ、篤姫はイマイチ。普通に現代の服装だと美人さんなんだが・・


斉彬公のおつきの小柄な家臣・山田どの、いい味でてる。あの喋り方はワザと(キャラづけ)なのか、ただの棒読みなのか判断がつかないが、いい感じで場の空気を抜いてくれる。


◎おまけパート

---東京都.千代田区---

○旧江戸城.桜田巽櫓(たつみやぐら)・本丸跡・二の丸庭園
かつての政治の中心地//今は皇居がある//日本最大の敷地面積を誇る城で、その雄大な佇まいは徳川家の権威を象徴している//城の周りには多くの藩邸が建てられ現在もその面影が地名に残されている

○紀尾井坂
幕府の要である「紀伊徳川家」「尾張徳川家」「井伊家」の屋敷が接していたことから「紀尾井坂」とよばれた//

○近江彦根藩井伊家屋敷跡
//井伊家は彦根藩35万石を治め、代々幕府の要職を修めた名家//時の藩主・井伊直弼は幕府を牽引した//

---東京都.港区---

○芝薩摩藩屋敷跡
2万2千坪の広大な屋敷があった//江戸における薩摩藩の活動拠点//島津斉彬もこの地で生まれた//江戸城の南に位置する//

○行きたいレベル・B
興味はあるんだけど、東京行くなら歴史スポットより買い物かな。仕事で使う道具の専門店とかを優先する。


◎覚へ書き---1854年、主人公26歳---

○歴史パート:
1854.日米和親条約
//日本・アメリカ間に結ばれた条約。日本開国の第一歩となる//下田・函館の2港をひらく//下田に領事館をおく//漂流民の保護//物資の補給//など12条からなる//

○ドラマパート:
//薩摩藩士御一行、東京の薩摩藩宿舎に到着。(薩摩藩士は東京での素行が悪く評判が悪かったので薩摩藩庁は規律を厳しくしていた)//西郷、すでに東京入りしていた幼なじみ「大山某・有村某」と再会//薩摩藩主・島津斉彬が幕府重臣・阿部某から日米和親条約締結のなりゆきを説明される//阿部某:「幕府はアメリカに開国を要求された、前水戸藩主・徳川斉昭がこれを断固拒否と主張→彦根藩主・井伊直弼は拒否して戦争になっても負けるんだから開国すべきと主張→しかしトップの将軍・徳川が決断を下さず→結局日本は開国受け入れを決定」//島津斉彬:「勝てないから開国っていう形はよろしくない、将軍も幕臣も適材とはいえない。人材を換えて国政改革しないと日本はアメリカの植民地にされる」と危惧、薩摩藩の発言権を強めるため篤姫の政略結婚計画の段取りを急ぎ進める//西郷、旧友たちと行った歓楽街でかつて身売りから守っ てやれなかった百姓の娘と出会う。(→第2回・百姓の娘・ふき)//西郷、ふきの紹介で「ヒー様」なる人物と出合う//上京したものの、とくになにするでもない毎日に鬱々としていた西郷に上司から声がかかる→西郷、藩主・島津斉彬邸の掃除係に//鹿児島に残され鬱々とした日々をすごす大久保利通//西郷、島津斉彬に自分の手足となって働くよう言いつけられ島津斉彬の短刀を頂戴する(死をとして機密を守れ・という暗喩)//西郷、島津斉彬の勅命で水戸藩茨城県)藩主・徳川斉昭に手紙を届ける//徳川斉昭島津斉彬の手紙を破り捨てる→西郷これに激昂、説明を要求//徳川斉昭、「手紙にはヤバイことが書いてあった→それを保管し誰かに見せることもできるのにそうはせず破った自分は島津斉彬に賛同した、 というメッセージだ」ということ、さらに「井伊直弼を疎んじている自分に目をつけ味方にとりこもうとした西郷の上司・島津斉彬切れ者ぶり」を説明。恐縮する西郷。そこにひー様が現れる//ひー様は徳川斉昭の子・一橋慶喜だった。(一橋慶喜、西郷に気づき慌ててその場を退席)//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×徳川家定(1824-1858):第13第将軍:江戸城(東京都)
//第12代将軍・徳川家慶の子。父・家慶は14男13女を儲けたが、成人まで生き残ったのは家定だけ。家定も幼少の頃から病弱で、人前に出ることを極端に嫌った//29歳・父・家慶が病死、第13代将軍となるも体調は悪化の一途、廃人同様だったとも。このため幕政は老中・阿部政弘が主導→阿部が病死→老中・堀田正睦が主導//30歳・日米和親条約(1854.)←イマココ●//33歳・病状の悪化に伴い後継争いが激化//35歳・死去//
※病弱で内向的、愚君の中の愚君とも
脳性麻痺だったとも(脳性麻痺の典型的な症状と言われる、「言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らすという行動」を取ったという記録がある)

徳川斉昭(1800-1860):大名(常睦水戸藩藩主):常睦国.常磐神社(茨城県
茨城県の大名・水戸某の三男//16歳・父が死去、兄が家督を継ぐ//29歳・兄が病死、家督を継ぐ//32歳・皇族と結婚//44歳・健全で先進的な政策を進めるも中央に目をつけられ隠居・謹慎させられる//49歳・政治への関与を許される//53歳・ペリー来航、開国に反対//59歳・政権争いで井伊直弼に敗れ政権から排除される(1859.安政の大獄)//60歳・死去
※女好き
※気性が激しい
※礼儀作法に厳しい性格であるため、寝相矯正のため幼い息子(徳川慶喜)が寝る際、枕の両脇に剃刀を立てて寝かせた
※金には清廉で文武両道・政治手腕抜群、カリスマもあった

井伊直弼(1815-1860):大名(彦根藩藩主):近江国.彦根城滋賀県)・江戸城(東京都)
滋賀県の大名・井伊某の14男//兄が多く母の身分が低かったため養子の行き先もなく世捨て人のように暮らす(不自由なく勉学に励み聡明さをみにつける)//35歳・藩主である兄が死去、家督を継ぐ。藩政改革に取り組み名君とよばれる//37歳・結婚//38歳・アメリカが開国を要求、井伊直弼は開国を主張(1853.ペリー来航)//39歳・日米和親条約締結(1854.)←イマココ●//日米和親条約締結に不満をもち反発した勢力の粛清を開始(安政の大獄.1859)//44歳・粛清に怨みをもった武士に襲撃、暗殺される(桜田門外の変in1860.東京)//
※学問・武術・茶・能楽など多方面に才能があったらしい。

徳川慶喜(=一橋慶喜・1837-1913):第15代将軍:東京-静岡-京都-東京-静岡-東京(※幕末で激動の人生だったからメジャーなゆかりの地がわからん。隠居後の邸宅ばっか。いつかこの人が主役の大河やったらそのとき勉強する。あるいは今作で少しわかるかも)
//茨城の大名・徳川某の7男//10歳・超名家・一橋を相続する//16歳・将軍が死去、跡継ぎ候補に担ぎあげられるも他候補に敗れる//22歳・政権争いで敵対勢力に目をつけられ隠居・謹慎処分をうける(1859.安政の大獄)//23歳・敵対勢力のトップが暗殺され謹慎が解除される(桜田門外の変1860)//25歳・次期将軍のポジションとなり政治改革をはじめる(文久の改革.1862)//29歳・将軍・徳川某が死去、第15代将軍となる//30歳・政権を天皇に返す(大政奉還.1867)//31歳・「徳川を戦争で破り追い落とす」という形にしたい薩摩藩と戦争になる→形勢不利とみるや兵には死ぬまで戦えと命令し自分の側近だけ連れて東京に逃げる(鳥羽・伏見の戦い.1868)→東京に徳川討伐の兵が迫ると恭順の意 を示し隠居、謹慎し今後の国政を敵対勢力に一任。これにより徳川家による政権は幕を閉じた。以降静岡県で優雅に遊んで暮らす(政治に興味を持たず不遇な部下たちにも関心をもたず)//60歳・東京に引っ越す//65歳・議員になる//73歳・隠居、優雅に遊んで暮らす//76歳・死去



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