西郷どん 第24回 「地の果てにて」 感想


第24回 「地の果てにて」

◎かんそう

徳川慶喜公、相変わらずの高慢チキ

「東京生まれ大名育ち、偉そうな奴だいたい友達」という兄・島津斉彬と比べられ、徳川慶喜にディスられる島津斉彬の弟・島津久光

生まれも育ちも環境も、ぜんぶ自分の意思では決められないのに「おまえは田舎モノで兄のマネゴトに必死だwww」と言われるのは辛かろう。

(´A`)<役者さんの好みや自分の環境もあって島津久光公は他人の気がしない。

(´A`)<久光公、ソレガシは公の味方です。日の本は公のお力なくしてはたちいかない、これは歴史的事実です、公は徳川慶喜などと比べるまでもなく偉人なのです、ガンガレ、超ガンガレ!


○「信じたい自分」と「信じたくない自分」

紀行(つまり伝承・史実)のことだけど・・・

「罪人として徳之島に来た西郷。だが、西郷は誰とも親しく接し、その人柄は今も語りつがれている」って言ってたケドさ?

西郷が徳之島に滞在したのはニヶ月半。

(´A`)<150年前に2ヶ月半だけいた人が「人柄がいい」とか言って語り継がれるって、どうよ?

(´A`)<なんか西郷が日本史上トップクラスの有名人になったから後付けで語り継いでるだけじゃないの?って思う。

(´A`)<「名もなきすっごいいい人がいました。その人のことが今も語りつがれています」なんて伝承あんま聞かないのに、偉人のそういう話はあふれかえってる。

(´A`)<「偉人っていうのは神なんだから2ヵ月半、いい人でいたら150年後まで語られて当然だ」と思う自分と

(´A`)<「結局”偉人が地元に来た”っていう意味不明の自慢がしたくて後から伝承を創った、西郷がこのまま罪人として死んでたら伝承なんて生まれなかった」と思う自分がいます・・・


(´A`)<どう思う?


○罪人先輩

川口雪篷(かわぐちせっぽう)。ドラマと違い通説では初見から西郷と意気投合、毎日のように通って時世を論じ学問を語り、書や詩作を教えるようになったという。そんな川口某のあまりのご執心ぶりに、西郷お付きの役人が「迷惑ならそう言いますよ?」と言ったところ、西郷は「いや。川口どんは語るに足るお人じゃ。こんままでよか」と答えたと伝えられているんだとか。

(´A`)<(こいつは他の奴とは違う。こいつともっと話がしたい。こいつに自分をわかってほしい)こういう人と出会えることって、あるよね。

(´A`)<その関係が続くか続かないか、それが自分の器のせいか相手の器のせいかはまた別のお話だがな

(´A`)<ちなみにこの罪人先輩、マジかっけえ人生を貫く、豪放磊落を地でいってる逸話多数。

(´A`)<シビれるわぁ、憧れるわぁ・・・


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´A`)<ナシよ



○その他小並感

罪人先輩、罪人なのにどこで酒買ってくるんだ?

西郷を慕うお役人さんの役者さん、子犬みたいなカワイイ瞳してるな。有名な役者さんなのか?


◎おまけパート

---鹿児島県天城町(徳之島)--

鹿児島から南へおよそ500キロに位置//薩摩藩流刑地のひとつ//当時200人ほどの罪人が暮らしていた//1862.島津久光の逆鱗に触れた西郷は島流しの処分を受けここに送還された//西郷はここで自給自足の生活をしながら島民と交流を深めた(→○西郷南州翁たっきょ居跡)//西郷はここで奄美大島から来た愛加那(現地妻)と子供たちと再会することができたが、のちに沖永良部島への送還が言い渡される//島に滞在したニヶ月半、誰とも親しく接した西郷の人柄は今も語りつがれている

○湾仁屋湊(わにゃみなと)
//西郷が降りた港(だからなんだっていう・・・)

○力石(ちからいし)
西郷は村の青年たちとの力試しでこの石を頭の上まで持ち上げ島民を驚かせたという

○奥山家(西郷腰かけ松)
西郷が逗留していた家//庭先に西郷が腰掛けたという松がある

○行きたいレベル・C
史跡ってほどのもはないし興味ないけど、それヌキに何泊かしてのんびりできたら素敵だな・と思う(まあそれならこの島じゃなくてもいいのだが)


◎覚へ書き---1862年6月・主人公34歳---

○歴史パート:
//3.11.将軍・徳川家茂が皇族・和宮と結婚//5.21.寺田屋事件//7.2.西郷、徳之島に送還される。奇しくも奄美大島で西郷の愛人が次女を出産、のちに西郷の徳之島入りを知り自身らも徳之島入りし家族の対面を果たす//7.下旬、西郷が罪人となったことで西郷家は謹慎、家財没収など最悪な環境に//閏8.西郷、沖永良部島に送還//9.14.生麦事件//10.西郷を慕う地元の役人が西郷のために自費で環境のいい牢を建てる//アメリカでは南北戦争真っ最中(1861-1865)

○ドラマパート:
//西郷、徳之島(鹿児島県から南におよそ500キロにある離島)に送還され自給自足の生活を強いられるも西郷の妻が徳之島に来て穏やかな日々をおくる//鹿児島県トップが軍事力を背景に日本のトップに圧力をかけ、1858.に失脚させられた徳川慶喜松平春獄復権させることに成功。しかし徳川慶喜が鹿児島県トップを小馬鹿にし、「西郷とじゃないと話さない」と言い放つ。このせいで鹿児島県トップが西郷を逆恨み、西郷への罰はさらに重い「沖永良部島への送還+牢獄入り」となる//西郷を慕う徳之島の役人が西郷の世話をやく//西郷のもとに仲間から手紙「大久保利通が人間的に変わってしまった、信用できない」//それでも大久保を信用する西郷に、同じく流罪で島暮らしをしている川口某という男が言う「おまえは見捨てられた、ここで死ぬように仕組まれた」//それでも大久保を信じる西郷、自分を慕う役人の差し入れには手をつけず、本来の獄中食(塩をヒエ)のみで大久保からの吉報を待ち続ける//衰弱し意識を失った西郷を、西郷を慕う役人が看病のため牢から出す//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×土持政照(つちもちまさてる.1834-1902):鹿児島(沖永良部島):役人(警察官の巡査に相当):wikiには未記載
西郷に行政の教えを受け、沖永良部島の発展に尽力した//現時点で28歳//父親が薩摩藩士、仕事で沖永良部島に来て現地妻との間にできた子//鹿児島にひきとられるも本妻に男子ができて沖永良部島に戻される(ヒドイ・・・)//1862.送還されてきた西郷の監視の任務につく。過酷な西郷の扱いをみかね、西郷のために自費で牢を建て西郷を厚遇。感謝した西郷は義兄弟の契りを結んだ//69歳・死去

×川口雪篷(かわぐちせっぽう.1819-1890):書家:鹿児島県
現時点で43歳//薩摩藩藩士・川口某の4男として鹿児島県種子島で生まれる//父親が罪を犯し連帯責任で流罪沖永良部島へ(諸説あり)//1862.同じく沖永良部島に送還された西郷と知り合い意気投合、「先に赦免されたほうが後にもどるほうの面倒をみる」と約束。//1864.西郷が赦免され鹿児島にもどる。雪篷も1865頃に赦免、鹿児島にもどり親戚の家を転々としたのち、西郷家に住み込む。国事に奔走し男手が足りない西郷家をおおいに支える//1889.逆賊扱いだった西郷が赦免されその名誉が回復されたのを見届けるように翌年に73歳で病没