西郷どん 第3回 「子どもは国の宝」 感想


第3回 「子どもは国の宝」

◎かんそう

○女子高生の悲鳴かっ!

「人斬り半次郎」こと、中村半次郎(10さい)が登場。ぴゃーぴゃーと奇声をあげながら木刀を振り回してましたが。あの剣術、「薩摩示現流」っていうの?昔、鹿児島で道場見学したら本当にあんな感じでピャーピャー言ってて軽く引いたのを思い出したよ。でもハウスルール?ローカルルールっていうの?部外者から見たらヘンテコでも当事者たちには当然なことっていくらでもあるし、他の古流派なんかも意外とぴゃーぴゃー言ってたりするのかな?

(´A`)<なんて思った。


○集団心理・虚栄心

「金を借せ」上から言ってみたものの拒否られる西郷パパ。慌てた西郷がゲザって叫ぶ「デカい態度とってすんませんでした、お金借してください!」

あれはパパ、父親としてのプライドがあるだろうしああなちゃって仕方ないよね。っていうか他人に頭を下げに行くのに息子連れて行っちゃイカン。1人は心細いっていうのはワカルけれども。(そもそもあの上からの要求作戦が間違いではあるのだが)


◎おまけパート

---鹿児島県.指宿市---

○山川港
薩摩半島の南にある//鎖国中、密貿易の窓口となり薩摩藩の財政を支えた//町中では中国発祥の魔除よくみかける{→●石敢當・せっかんとう}かつてこの港が日本の南の玄関口として海外に通じていた歴史を物語っている

○揖宿神社(いぶすきじんじゃ)
1200年以上の歴史をもつ//社殿は島津斉興が建立した//指宿が薩摩藩にとって重要な存在だったことをうかがわせる//

○行きたいレベル・B
港とか神社とかゆっくり周れたら楽しいだろうなあ(´A`)<と思う


◎覚へ書き--- 1849年、主人公21歳---

○歴史パート:
お由羅騒動(1848-1851)
薩摩藩10代藩主・島津斉興正室の子(斉彬)と側室の子(久光)の跡目争い:正室の子(斉彬)が勝利・家督を継承
//正室の子(→斉彬)に藩を継いでもらいたい若手下級武士たち(現政権は倹約ばかりで生活苦のため)・中央政府(←国防のため)//側室の子(→久光)に家督を継いでもらいたい藩主(→斉興)・重臣・保守派(←正室の子は西洋かぶれで金遣いが荒いと危惧)//1848.斉彬派が、現政権の不正行為を密告することで藩主を引退させる手段を敢行するも久光派の重臣が罪をかぶり自殺したことで不正追求は頓挫、藩主の引退はないうえに密告し重臣を死においやった斉彬派をますます嫌悪//斉彬の子供が病死。斉彬派、「これは久光の母が呪いをかけたせいだ」と主張し久光派の排除を画策。双方の対立が激化//1850.久光派が「斉彬派がテロを画策」という大義名分のもと斉彬派を弾圧。死刑、 追放、謹慎などで斉彬派は壊滅状態に追い込む(この様を見た西郷隆盛・実際に処分を受けた大久保利通は現政権に強く不満を持つようになった)//鹿児島県を脱出した斉彬派の侍が福岡に逃亡、福岡藩主は斉彬の縁戚だったので斉彬を支持、事情を中央に説明し事態の解決を要請、中央は斉彬を評価していたので将軍が「斉興は引退し斉彬に家督を譲るよう」促す。1851.斉興がこれを受け入れ騒動は決着//

○ドラマパート:
西郷、東京在住の時期藩主候補、島津斉彬に何通もの意見書「鹿児島は苦しんでいるだ、早急な藩主の代替わりが不可欠だ」//貧困に窮した西郷家、100両の借金をする(実話・西郷家は明治まで返済に苦しむ)//島津斉彬、父を追い落とすために薩摩藩の不正行為を中央政府に報告//困窮のあまり夜逃げしようとした侍・中村半次郎と出会うも説得し夜逃げをとどまらせる//斉彬の幼い子が死去。斉彬の子の死去は3人目で、(これは斉彬を敵視している斉彬の義母・お由羅の呪いでは)と噂される//中央政府薩摩藩の不正追求のため薩摩藩重臣を東京に呼び出す、重臣は「薩摩藩は関係ない、自分が独断でやった」と罪の一切を抱え自殺//薩摩藩主、不正の密告と家臣の死に 激怒。斉彬を担ぐものたちを粛清(→お由羅騒動)。西郷の恩師も切腹を言いつけられる//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×阿部正広(1819-1857):備後福山藩藩主(広島県)・江戸幕府老中首座(徳川家慶-家定):備後国.福山城広島県
広島県の大名・阿部某の5男//7歳・父が死去、兄が家督を継ぐ//17歳・兄が病弱で隠居、家督を継ぐ//18歳・自分の領地に顔をだす(自分の領地に顔をだしたのはこの一回のみだそうで・実質領国経営は誰がやってたんだ?)//21歳・お奉行様に、先代将軍と大奥・僧侶たちの乱交が発覚、僧侶たちのみを断裁し現将軍に気に入られる//25歳・老中、27歳で老中首座に。幕末の海外からの干渉の対応に追われる//27歳・アメリカの艦隊が通商を要求するも拒否//--●←イマココ--//34歳・アメリカ、ロシアの艦隊が来航、通商を要求(→ペリー来航1853)。どうしたらいいか地方に相談、結論でず。しかもこれにより地方に発言力が強くなる//35歳・外国との通商を受け入れ、20 0年続いた日本の鎖国が終わる(日米和親条約)//36歳・開国に不満を持つ派閥と開国派が衝突するなか海外と対等に渡り合える強い国となるよう政治改革を進める(安政の改革)//39歳・病死

板垣与三次(豪商)
ドラマオリジナル?ググッたけどヒットなし。

中村半次郎(=桐野利秋1838-1877):武士(薩摩藩)-陸軍軍人
鹿児島県の上級武士・中村某の子//10歳頃・父親が流罪に*同年、薩摩藩家督争いによる混乱(→お由羅騒動.1848-50in鹿児島県)←イマココ●//15-24頃に下級武士と親交を結ぶように//24歳・上司に伴って上京、要人警護にあたる。諸国の有志と交流、討幕思想をもつようになると同時に西郷隆盛薩摩藩重臣から重用されるようになる//天狗党の乱・偵察に赴き党のリーダーと会談//29歳・白昼に要人暗殺(→松小三郎)、坂本龍馬が暗殺され犯人捜査に奔走//30歳・戊辰戦争他数々の戦争で活躍(→戊辰戦争1868)//33歳・陸軍少将となり各地を転々とする//35歳・中央との政策の対立で政府から離脱した西郷隆盛に倣い職を辞し鹿児島に帰る(→明治6年の政変1873)//3 7歳・鹿児島の私学校で開墾事業を担当/同年・台湾出兵(→台湾出兵1874)//39歳・西南戦争。中村は有志を主導、総司令となり中央と戦争するも戦況はふるわず//40歳・中央政府軍に追い詰められ銃弾をうけた西郷隆盛が自害。中村も額を打ち抜かれ戦死
※「人斬り半次郎」という名で有名らしい(しかしこれは後世の創作の可能性が高いらしい)



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