西郷どん 第4回 「新しき藩主」 感想



第4回 「新しき藩主」

◎かんそう

○小並感
徳川家老中・阿部なんとかさんの役者さんの喋り方、イマイチ。なんか軽い。(なんか威厳がない。若くして老中・優柔不断みたいな逸話や史実にちなんで敢えてやってるのかしら)

○今すぐ心に白黒つけて
島津斉興公と斉彬公が家督を巡って「ロシアンルーレット」で勝負をするんだけど。俺的にはセーフ、演出としてアリかな。前作の龍宮小僧とかいうファンタジーに比べたら全然マシ(ハラハラドキドキは全くなかったけどな。)

○相撲っていいね
流罪となる親友と別れの相撲をとる西郷パパ。おっさんが友情を確かめあうのに「相撲」っていいなって思った。空手や柔道だと勝ち負けに時間がかかるし怪我が絡むことも多いけど相撲なら空手に比べて怪我しないうちに勝負つきそう。(俺は空手やってるからどうしても空手が基準になってしまう)
あと、相撲になるまでのドラマの流れもいいしパパの役者さんもいい。(前回の借金して米をたくさん振舞って「ガハハハ」って笑うシーンとかも好き。あんなオヤジになりたい)

○復讐は超スッキリするが憎しみしか生まない
師匠である赤山某の仇を討とうとする西郷どんですが。相手はお城の中にいるわけじゃない?まず門をくぐるところからはじめるわけじゃない?「BBAをヌっ殺すからここを通せ!」って言って通してくれるわけないわけじゃなーい?

(´A`)<絶対無理ゲーじゃない!

で、あのくだり観て思った。「命は惜しくない、ダメもとで斬りにいく→ハイだめでした逆に斬られましたでも自分は泣き寝入りせずスピーディーに復讐という行動をとりました但し復讐相手にあうこともできず自分が斬られて終わりました」より、「時間はかかっても政権転覆するような工作をして根本的に相手にダメージを与える」という形での「復讐という行動」をとるほうが復讐のスケールが大きいよな。って。確か昔読んだマンガで坂本龍馬が「幕府に殺された仲間達のためにも政権交代を実現する」みたいな感じのこと言ってたのを思いだした。


(´A`)<俺なら「今カタキを討ちにいくんだ、今行動しないのは逃げだ、死んでもいい、俺には俺が今なにをしたかが重要なんだ、結果なんぞ知るかここで行かなきゃ負け犬だ!」ってなっちゃいそうだ。

(´A`)<まあ政権交代も廃藩政策も復讐のためにやったわけではないんだろうからそもそもこんなこと考えてもしょうがないんだが。

(´A`)<でも(自分なら」どうするだろう)とか考えちゃうよね。


◎おまけパート
---鹿児島県.鹿児島市---

○御殿(仙巌園
//島津家の別邸//桜島を築山に、錦江湾を池にみたてた大自然の借景//薩摩藩の迎賓館として多くの賓客が訪れた//だそうで

造士館・演武館跡
9代藩主・島津重豪(しげひで)により設立//重豪は孫、島津斉興が18のときに家督を譲ったが、藩の実権は握り続けた//重豪は藩校をつくり教育改革を進める一方海外文化に強い興味を持ち舶来品の収集などで藩の財政を悪化させた//だそうで

//10代藩主・島津斉興は、舶来品の収集などで藩の財政を悪化させた9代藩主・重豪とよく似た島津斉彬を後継者にすることをためらった//だそうで

○斉興公ヨリ久光公ヘノ密書
//島津斉興が引退直前にもう1人の息子、久光に宛てた密書//「自分と違い疑り深く小ざかしい・無用の物好き・小心者」など、斉彬に対する心情が辛らつに吐露されている//だそうで

○旧島津氏玉里邸庭園
島津斉彬が鹿児島城下の郊外に建てた別邸跡//大名庭園としての趣を今に伝えている//島津斉興は嫡男・島津斉彬家督を譲ったあともこの別邸を度々訪れ藩に影響を及ぼそうとする//だそうで

○行きたいレベル・D
庭園とか邸宅とか興味ない。(´A`)<タイクツ


◎覚へ書き---1850-1851年・主人公22-23歳---

○歴史パート:
1848-50・お由羅騒動.in鹿児島県
//鹿児島県の大名・島津斉興と斉興の嫡男・島津斉彬の確執から勃発した家督争い//

1850.赤山切腹
島津斉彬派の中心的人物であったため家督争いの煽りで粛清の対象となり切腹//西郷隆盛の父が介錯を依頼された//西郷隆盛赤山靭負の血染めの肌着を父から渡されその最期を伝え聞きいた//西郷隆盛は靭負の生き様に大きく共感したという//

1851.島津斉彬が第11代薩摩藩藩主となる
//中央政府の干渉・勧告に従う形で島津斉興が隠居、嫡男・島津斉彬家督を譲った

○ドラマパート:
//西郷の師である赤山某が鹿児島藩主島津家の派閥争いの煽りで切腹の沙汰に。西郷らはこの処罰を撤回してほしいと藩主の子・島津久光に懇願するも一蹴される//切腹が翌日となった赤山某が西郷の父に介錯を依頼//赤山某が西郷ら門弟と最後の酒を酌み交わす//前回西郷に脱藩を留められた中村某、西郷らの尽力で鹿児島で生計がたつようになる//赤山某が切腹。西郷はこれに立ち会う//大久保利通の父も島津家派閥争いの煽りで流罪に//西郷、島津斉彬に陳情の手紙を書き連ねる「鹿児島は酷いことになってる、新藩主として鹿児島にきてほしい」//時の国主・徳川家慶から鹿児島藩主・島津斉興に隠居勧告//徳川からの隠居勧告を無視しようとする島津斉興。しかし西郷からの陳情書などで奮起した斉彬が「ロシアンルーレット(笑)」で藩主の座を賭けて斉興と勝負し勝利。斉興は隠居を受諾//1851.ついに斉彬が藩主となる//新藩主・島津斉彬を大歓声で迎える西郷ら鹿児島県民//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×島津歳貞(1830-1877):武士(島津斉興-・斉彬-・忠義)-政治家:薩摩国.(鹿児島県)※赤山の弟
//鹿児島県の大名の分家の子//25歳・出自と同レベルの家格の一族の養子となり鹿児島行政の要職を務める//31歳・派閥争いの煽りをうけ罷免、左遷される。(この頃同じように政治迫害された西郷と出会う//34歳には行政運営に復帰、翌年家老に昇格。薩長同盟(1866)の提携に尽力//38歳・明治維新(1868)1870.西郷とともに鹿児島県行政トップとなる//43歳・病気を理由に中央の行政から勇退、地元鹿児島県にもどり開拓指導や鉱山開発の指導を行う//47歳・西南戦争(1877)。西郷側につくも流れ弾に当たり戦死

×大山格之助(=大山綱良1825-1877):武士(薩摩藩士)-政治家:鹿児島県
山善助某の次男として生まれる//24歳・大山四郎助某の婿養子となる//****・西郷隆盛大久保利通らを中心とした薩摩藩の派閥・「精忠組」に所蔵//32歳・薩摩藩の事実上のトップ・島津久光の上洛に随行。同年・寺田屋事件では薩摩藩上層部の遣いとして薩摩藩過激派の粛清を敢行した(1862.寺田屋事件)//43歳・戊辰戦争中央政府側の要人として戦う//48歳・明治6年の政変。西郷を支え私学校の設立を援助(→1873.明治6年政変)//47歳・西南戦争。西郷軍側につき敗戦、東京-長崎と送還され斬首刑。(1877.西南戦争
※薬丸示顕流という剣術の使い手。(カッコイイ!)奥義である小太刀を極め、飛鳥のように跳びかかって相手を打ち倒したという。(立ち合いからの一撃必殺で他流派の師範に勝利した記録がいくつかあるらしい。顕現流の基本?一撃必殺、先制必勝がウリだったっぽい?)

×大久保次右衛門(=大久保利世1794-1763):薩摩藩士:鹿児島県
鹿児島県の武士・大久保某の三男//27歳・兄が病死、兄の養子になる形で家督を継承。以降、お役人として鹿児島県を転々とする//36歳・長男・大久保利通誕生//55歳・薩摩藩主の家督継承争いの煽りで流罪、子も失職(→.お由羅騒動.1848-50in鹿児島県)//60歳・罪が許され家元に戻る//70歳・死去
大久保利通のパパってだけでとくになんにもない人。

??山田為久
ググッたけどヒットしなかった。ドラマでは島津斉彬の側近。今後なんかやらかしたらそれをワードにググってみる(かも)
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