西郷どん 第10回 「篤姫はどこへ」 感想



第10回 「篤姫はどこへ」

◎かんそう

○同じ価値観を持つ仲間
たとえば音楽とか。自分が好きなジャンルはあまり人気がない。ある日飲み会でそのジャンルが好きだという人と出逢った。あーだこーだ話してすごい盛り上がった。

みたいな?あるじゃん?

幕末の偉人たちってそれのイメージ。坂本龍馬とか、ずっと先を見越してる人どうしが出会い、理想の未来をあーだこーだ語り合う。(こいつは俺と同じ感性を持っている、こいつは他のダメ藩士とは違う、俺達マブダチ語り合うのはミライ!)みたいな?

今回登場した福井藩の橋本どんはきっと今回、西郷とそんな熱いトークができると期待してたんじゃないかな。


(´A`)<ざーんねん、ただのイモでした☆

(´A`)<史実ではけっこうツルんでるみたいなんで今後の西郷の成長待ち・といったところか

(´A`)<イモは寝かせて熟成させると美味しくなるっていうしネ☆


○廃人同様
13代将軍・徳川家定公。このころには廃人同様だったらしいんだけど。廃人っていうより脳に障害があったのかな?時代的に近親婚多かったみたいだしその因果かも?ともあれ今回のパニック症?みたいなのはギリギリの描写だった?「大河ドラマ篤姫」ではどういう扱われ方してたんだろ?今現在障害で苦しんでる人達への配慮もあるし演出するのにデリケートな部分だね・・


○今週の「命かけもす」宣言

(`・ω・´)<今週の西郷どんは「篤姫を守るために命をかける」と宣言してもすました


◎おまけパート

---東京都.品川区---
かつてこの一帯に広がった品川浦には江戸有数の港があり、海産物を将軍家に献上していた(→●品川浦)

海岸線近くを通る//江戸からはじまる最初の宿場として栄えた「品川宿」がお置かれていた場所//

品川宿本陣跡
「東都江戸の喉口」と評された//参勤交代など多くの人が行きかい、その賑わいは度々浮世絵の題材とされた//遊興の場としても名高い//数多くの志士たちが集まっていた相模屋をはじめ、多くの旅籠が軒を連ねていた//利用する客の中には近くに藩邸があった薩摩藩士が多くいたといわれている//

○しながわ宿場まつり
毎年9月に催される//人々を魅了した品川宿面影を今に伝えている//

○行きたいレベル・D
遺構がまるでない。東京行くなら他のとこに行く。


◎覚へ書き---1854年、主人公26歳---

○歴史パート:
とくになし

○ドラマパート:
//西郷、君主・島津斉彬の命令で一橋慶喜と再び接触//一橋慶喜から伝言をことづかる(→時期将軍になる気はない・とのこと)//宿場で女中が倒れその介抱を通じて福井藩の医師・橋本左内なる人物と出会う//篤姫、田舎からの手紙を読む(→鹿児島の実父が死去・とのこと)→無断外出、行方不明に。急ぎ連れ戻すよう君主・島津斉彬に命じられた西郷、篤姫を発見。事情を聞き、慰め、共に泣き、帰路につく//篤姫徳川家定との結婚が言い渡される→篤姫の花嫁修業開始。同時に西郷は篤姫の警護を命じられる//西郷のもとに福井藩橋本左内が尋ねくる→「宿場で西郷をみかけ、島津斉彬の側近と見抜いた、自分は福井藩藩主からの手紙を持ってきた、内密に島津斉彬に渡して欲しい」とのこと//実際のところ側近になりたてでなにも 知らない西郷。そうとは知らず西郷(と視聴者)に機密を話す橋本左内{→島津斉彬は今の血縁による国家経営ではなく全国の有力者が国政に参与できる仕組みを作ろうとしている「→衆議一致」、そのために現将軍に自分の娘(篤姫)を嫁にだし徳川と縁者になること・次期将軍として一橋慶喜をかつぎ上げることを企んでいる}とのこと。//「次の将軍を一橋慶喜にしようとしている=篤姫が現将軍と結婚して子供を産んでもその子は将軍になれない」。この話が本当なのか島津斉彬にたずねる西郷。//島津斉彬の答え「→篤姫は不幸になる」に愕然とする西郷//つづく


◎おべんきょう

瀉血(しゃけつ):劇中で福井藩士・橋本某が行った医療行為(→体調が優れず倒れた女中さんの皮膚を浅く切ってわざと出血させるとアラ不思議・女中さんの容態が安定した)
//人体の血液を外部に排出させることで症状の改善を求める治療法の一つ//現代では実は医学的根拠は無かったとされる//中世から18世紀末頃にかけて、欧米で瀉血は一般的な治療法だった//ヨーロッパやアメリカで、多くの医者が患者のどんな症状を見てもしばしば「瀉血が効く」としてそれを実行した//初期のアメリカでも「熱が出れば瀉血」「下痢をしても瀉血」「せきが出ても瀉血」といった調子で、毎日のように、患者宅から患者宅へと一日に何軒も駆け回って、患者の血を抜くことを繰り返していた//だそうで


○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×虎寿丸(とらじゅまる):島津斉彬の子
//夭折なので詳細は割愛

×幾島(いくしま・1808-1870):第13将軍の妻(篤姫)の侍女長:近衛邸(京都)・江戸城(東京)
薩摩藩の結構な重役・朝倉某の娘//17歳・薩摩藩の姫が京都の公家に嫁ぐのに付き従って京都入り//42歳・仕えていた姫が死去。出家//48歳・鹿児島県の大名・島津斉彬の養女(→篤姫)が徳川将軍に嫁ぐことが決まりその付き人に{←イマココ●}//徳川の妻の付き人として徳川の城で暮らし(→大奥)、徳川の内部情報をスパイし鹿児島県の大名・島津斉彬に流し続ける//56歳・体調を崩す。しばらくして大奥を引退//60歳・戊辰戦争。大奥に戻り篤姫の使者として薩摩藩との交渉、徳川家の断絶回、江戸無血開城に尽力(1868.戊辰戦争)//63歳・死去(1870.明治3年)

×橋本左内(はしもとさない・1834-1859):福井藩藩医松平春嶽家臣):左内町(福井県
福井藩藩医・橋本某の子//15歳・大阪でオランダ医学を学んだのち、他の藩の藩士と交流。やがて福井藩藩主・松平春嶽に側近として登用される//20歳・君主・松平春嶽の側近として将軍の後継者に一橋慶喜を擁立する運動を展開する(←イマココ●)が、他の人物を擁立した勢力に敗北//25歳・将軍の後継者争いに介入した罪で斬首刑(ようは他の人物を擁立した勢力に報復された)(1859.安政の大獄)//
思想:幕藩体制は維持した上で西欧の先進技術を導入

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