風林火山 第42回 「軍師と軍神」 感想


第42回 「軍師と軍神」 

◎かんそう

○そうきたか→もったいねーズラ!

「家名を残すために結婚するかしないか」以外に「養女→婿とり」という選択肢があったとは!

(´A`)<思いつかなんだ

まあもっとも「家名を残す」ってだけならそれでもいいかもだけど「嫁をとり子をもつという幸せ・愛のある人生を享受してほしい」っていうのが武田信玄や諏訪御料人の本意だったであろうから勘助の選択はどうかと思うけど。(「自分はこの生き方で幸せだ、こうやって生き、こうやって死ぬ・それでいいんだ」っていうのが勘助の言い分・矜持っていうのも凄くわかるし「そんなこと言わずに嫁をもらえYO」っていう信玄の親心もわかるし・・難しいところだ)

○許せるファンタジー

「”偶然にも”上杉謙信山本勘助高野山で遭遇、切り結ぶ」なんて。俺的には面白かったし許せる演出だったけど人によっては「盛りすぎ」ってなっちゃったかも?でも面白かった

(´A`)<勘助が上杉謙信の役者さんの太刀筋を「せーの」、の呼吸でジャンプして避けるとこはワザとらしくて萎えたけどあとはカッコよかった!


◎おまけパート


高野山(●弘法大師坐像・●根本大塔)
弘法大師空海が開いた真言密教霊場//およそ120の寺院が点在している//武田信玄上杉謙信高野山と深いつながりがある//だそうで

○成慶院
武田家の菩提寺//武田一族が高野山に参詣する際に泊まった寺//武田信玄の死後、その供養が行われた//{●武田信玄位牌}がある//だそうで

○無光量院
上杉謙信が2度の上洛の際に訪れたといわれる寺//謙信はこの寺の住職・清胤のもとで修行し師弟の契りを結んだ//だそうで

○奥之院
およそ20万の墓が並ぶ//戦国武将の墓も多く、信玄・謙信の墓は今も大事に守られている{●上杉謙信の墓}{●武田信玄・勝頼の墓}//だそうで

○行きたいレベル・A
他人の墓参りになんの意味があるのか?そう思いつつもなんか行ってみたいと思う自分がいる。不思議だね。でも高野山って修学旅行で行ったかも?覚えてないや。つくづく無駄で無意味な学生時代を過ごしたもんだ。情けない・・



◎覚へ書き--- 1556年・主人公63か56歳---(出生が1493か1500らしいので)

○歴史パート:
1556.上杉謙信の出家騒動(上杉謙信27歳)
//家臣の内部抗争・配下の有力者の離反・武田信玄との戦いの停滞などから上杉謙信がますます信仰にのめりこむようになる//家臣団に出家の意向を伝え高野山へ向かう// 追いかけてきた家臣団が奈良県上杉謙信に追いつき思いとどまるよう懇願//上杉謙信は説得を聞き入れ新潟県にもどった//謙信の奇矯な性格をよく表している逸話とされている//家臣団が謙信に「以後は謹んで臣従し二心を抱かず」との誓紙を差し出したことで騒動は治まっていることから、人心掌握を目的とした計画的な行動だったともいわれている//家臣団のほとんどは引き続き謙信に臣従した//これを機に上杉謙信に反旗を翻して敗れ、武田信玄の許に逃れ武田家で出世した武将もいる(→大熊朝秀)


○ドラマパート:
//諏訪御料人の墓前で「勝頼様(←諏訪御料人の息子)の初陣を自分がバッチリ支える、勝頼様を立派な武者にして二人で墓前に
参る」と誓う(そのあたりで自分は死ぬだろうとも予言)//上杉謙信配下の武将たちが派閥争い、説得するもいがみあいを止めない部下に辟易した上杉謙信は俗世を捨て出家する決心をつけ高野山へむかう//勘助、諏訪御料人の死と諏訪御料人との約束(→嫁をとれ)を消化できず休暇をとり高野山へ行き神仏にすがる。「自分に関わる人はみんな不幸になる。自分はなぜ存在しているのか。こんな自分に人を慈しむなんてできるのか」//上杉謙信高野山にきていることにに気づいた勘助が様子を隠れ見ていると謙信も勘助に気づき斬りかかる。いくたびか切り結びにらみ合うっていると高野山の和尚様が現れ制止させられる。仏門に入るからには殺しあうことはできず休戦状態で 日々をす ごす//新潟県の上杉家臣が謙信を迎えにくる「どうかもどってきてほしい」。謙信、再び俗世に戻ることを決意。勘助もまた山梨県にもどる//ついに嫁を娶る覚悟ができたかに思えた勘助だったが、「嫁ではなく養女という形で山本家に女人をいれたい、やがて婿をとって山本家の家名を残したい」という方法を選択し武田信玄に懇願。武田信玄もいたしかたないとしこれを認める//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×清胤(1522-1600):僧(無量光院住職):高野山.無光量院(和歌山県

詳細不詳//若くして高野山金剛峯寺に入る//33歳前・無光量院の第3世となる//上杉謙信が崇拝していて上洛のたびに清胤のもとを訪れた//38歳・上杉謙信に招かれ新潟県を訪問、寺を寄贈される(→宝幢寺)//52歳・再び新潟県を訪問、正式に上杉謙信と師弟の契りを交え修行の導師を務め、翌年謙信にたいそうな地位を授ける//詳細不詳78歳・死去

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