西郷どん 第23回 「寺田屋騒動」 感想


第23回 「寺田屋騒動」

◎かんそう

放任主義と管理主義

自分の指示どうりに動かない西郷にブチ切れる久光公に部下が言う。「西郷は定規みたいなもんです、定規はただの棒ですが、使い方しだいでいかようにもなる。使いこなせるかどうかであなたの器がわかります」。


(´A`)<言いたいことはわかるよ?でも、「あなたしだいです」っていうのは違うと思う。だってそれじゃあ上司だけが一方的に考え方・接し方・使い方を西郷に合わせてやらなきゃいけないだけで、西郷はそのまま全く変わらないってことじゃん。

(´A`)<上司だけの問題なのか?西郷は自分をかえりみず、「悪いのは上司だ、俺をつかいこなせない器の小さなダメな奴だ」っていうのちょっと違うのでは?

(´A`)<まあ自分が人を使う立場だからそう思っただけだけど。



血しぶき凄かったね!NHKだし大河だし、もうちょっと大人しい感じの演出を想像してたからビックリ!


○そもそも「音」として嫌い。

なんか今回のドラマ、お腹がグルグル鳴るシーンが多いけど、今回はとくにひどかった。なんなのあれ?監督の趣味?
演出としてもくどいし笑えなかった。あと、大久保利通が短刀を抜くシーンの音がズレててシラけた。静かなシーンなんだからそんくらいちゃんとできんのか?音響のスタッフはアホなのか?


○「天が自分を必要としているなら死ぬことはない」

ドラマ内での西郷さんのセリフですが。こういう生死観っていいね。他人に自分の生死を決められたらハラたつけど、「天がそう決めたんだから」って思えば、仮に死ぬことになっても諦めがつく。


(´A`)<坂本龍馬の漫画でも似たようなセリフあって同じように感じた



◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´A`)<島津久光でした

(´A`)<「天皇に直接依頼された京都の左派粛清にまい進するため」命をかけるとのこと。


○その他小並感

・お虎さんが西郷を追いかけてくるシーン、もうちょっと描写入ると思ったらあっさりしてた。(追いかけてきて金を要求した・とかいうエピソードがあったような・・・?)

寺田屋事件の「おいごとさせ」のシーン、もうちょっと感動的に演出するかと思ったら思いのほかドタバタした感じだった。(味方をかばってとか、そんな演出があると想像してた)


◎おまけパート

//京都の南の玄関口//各藩の屋敷や船宿が軒を連ねていた

薩摩藩の定宿(じょうやど)//1862.5.21.この宿屋でテロの計画をたてていた薩摩藩左派藩士とそれを察知し阻止しようとした薩摩藩右派藩士が同郷同士で殺しあった(→●寺田屋事件)//

○大黒寺
薩摩藩にゆかりのある寺//犠牲になった9人が葬られた(伏見寺田屋殉難九烈士之墓)//当初は粗末な墓だったが後に西郷が私財を投じ墓石を立て墓碑銘を書いたと伝わっている

○行きたいレベル・A

そんなに興味ないけど京都だし寺田屋だし機会があれば行こっかな・みたいな認識


◎覚へ書き---1862年.・主人公34歳---

○歴史パート:1862(文久2年)
//3.11.将軍・徳川家茂が皇族・和宮と結婚//●5.21.寺田屋事件//7.2.西郷、徳之島に送還される//閏8.西郷、沖永良部島に送還//9.14.生麦事件//アメリカでは南北戦争真っ最中(1861-1865)

※鹿児島県トップが鹿児島県の部下に命令し鹿児島県の過激派を粛清させた事件。
坂本龍馬が暗殺されたのも寺田屋事件なのでまぎらわしい。(場所は同じ寺田屋、時代は4年後の1866.)
(´A`)<事件名くらい変えろ、幕末の偉い人よ!
概要//鹿児島県トップが軍隊を伴い京都に入る。これを「政府(幕府)を倒すため」と期待した過激派//しかし鹿児島県トップは政府は倒さず、政府と各県の代表、天皇が一体となる行政を目指していることを知った過激派が、要人を暗殺することで「鹿児島県は政府の敵→政府が鹿児島県をつぶしにかかる→政府を倒さないと鹿児島県がつぶされる」方向にもっていこうと画策//この計画を知った鹿児島県トップは思いとどまるよう数回に渡り人を変え説得するもことごとく失敗、いよいよ決行間近と知り、「思いとどまらなければ粛清」と最期通告//「仲間どうしで殺し合いたくない」説得するもお互い譲らず刃傷沙汰に発展、仲間同士の凄惨な殺し合いがはじまる//多数の死者・負傷者がでたところで右派が刀を捨て説得「これ以上仲間同士の殺し合いは不毛、とにかくトップにあって話をきいてくれ」これにより殺し合いは収束//右派:鹿児島県トップの遣い1死亡1重傷4軽症/左派:6死亡2重傷(のちに切腹)21帰国謹慎1逃亡1帰国に従わず切腹(結果9死亡)/このテロに加わった他の県の武士も多くが鹿児島県によって殺された//これにより天皇に信頼されるようになった鹿児島県トップは行政に対する発言力が増した

○ドラマパート:

//鹿児島の武士が集団でテロを計画、西郷が水面下でそれを阻止。しかし鹿児島県のトップは西郷が許可なく行動したことに激怒し西郷に死刑を宣告//「刑が執行される前に一緒に死のう」という大久保利通に西郷が言う「死刑だというならうけいれる。でもまず鹿児島県トップに話を聞いてもらう。天が自分を必要としているならトップは死刑にはしない」//鹿児島の役人が到着するまでの時間、童心にもどりウナギ捕りをする西郷と幼なじみたち//西郷、連行される//連行された先で西郷は鹿児島県トップに事情を話すも受け入れられず//そこに鹿児島の役人・小松建帯刀や大久保利通らが「鹿児島県トップの兄は西郷を使いこなした、弟のあなたなら同じように西郷を使える」と言い含め死刑は回避、結局西郷は流罪となる//京都:天皇が鹿児島県トップに直接命令「京都の左派を一掃せよ」//京都:天皇から直接仕事をもらったことに感激した鹿児島県トップ、左派に苛烈な粛清をはじめる//京都:粛清に反発した鹿児島県の左派がテロの実行を画策。左派を率先して粛清中の鹿児島県の人間がテロなど起こしたら一大事ということで直ちに鹿児島県左派のもとに行き危険な行為をやめるよう説得する鹿児島県右派//しかし説得は失敗、鹿児島県民どうし(・西郷の幼なじみどうし)が殺しあう大惨事に(●→寺田屋事件)//鹿児島県:謹慎中の西郷、手紙で寺田屋事件の顛末を知り号泣//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

久坂玄瑞(くさかげんずい1840-1864):長州藩士:山口県
萩藩の医者の3男//15歳までに家族が次々と死去、天涯孤独となり家督を継ぐ//18歳・吉田松陰の門下生となる。同年、吉田松陰の妹と結婚、のちに東京、京都に遊学//1862.英国公使館焼き討ちを実行//1863.外国艦船砲撃を実行//1863.八月十八日の政変、長州勢が朝廷より一掃された後も、しばらくの間京都詰の政務座役として在京し、長州藩失地回復を図った//1864.池田屋事件の報が国許に伝わると藩内で京都進発の論議が沸騰。来島又兵衛真木和泉らが諸隊を率いて東上。真木和泉らと共に堺町御門で戦ったが(禁門の変または蛤御門の変)負傷して、同じ松下村塾塾生である寺島忠三郎と共に鷹司邸内で自刃。享年25。

×吉村虎太郎(よしむらとらたろう・1837-1863):土佐藩士(のちに脱藩):高知
庄屋の子//父の跡を継いで庄屋に///文久1 (1861) 年武市瑞山の勤王党に加盟//翌年脱藩し国事に奔走//寺田屋事件で捕われて送還//同3年京都で討幕攘夷の挙兵をしたが,鷲家口 (わしかぐち) の戦いに敗れて自刃。(→大和五条の変)享年26

×小河一敏(おごうかずとし1813-1886):岡藩藩士・境県知事宮内省御用掛・豊後岡:大分県
今回(1862.)で49歳//岡藩藩士の子//藩の方針が左右に分裂、対立し左派のリーダーとなり倒幕を画策するも1862.の寺田屋事件で計画は頓挫(●←イマココ)、幽閉される//赦免されるも中央政府に忖度した藩主により再び幽閉される//55歳・中央では新政府が樹立。幽閉から解放され新政府の役人として出仕(1868.王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新)//57歳・独断で公費をつかい免官(堤防修復のためだった)//のちも宮内関係のご立派なお役職とかを歴任//73歳・死去