おんな城主 直虎 第49回 「本能寺が変」 感想


第49回 「本能寺が変」

◎かんそう

○ただただ不愉快

9年ぶりの再会にめっちゃ目を輝かせて直虎の名を呼ぶ恋人・龍雲丸。「とわ!逢いにきてくれたのか!とわ!」。それに対し開口一番、「久しいのう!今日は外国船を用意してもらいたくて来たのじゃが用意してもらえるか?」。という直虎。ドライとか無神経とかそういう次元じゃないよねこれ。なんか脳に障害のある病気なんじゃないのこの人。(なお、「平和になったら一緒に暮らそう」という約束も完全に忘れていた模様)

これ、そうとうな屈辱だよ。惚れあってるのに別れて、「家の事情がかたづいたら一緒になろう」って約束して、ずっと待ってて。9年ぶりに相手がたずねてきて、開口一番「久しぶり。外国船を用意してもらえますか?」って。(直虎が龍雲丸にたいしてこれといった熱い想いを秘めているようなことを視聴者に連想させるシーンなかった。だから俺には直虎が龍雲丸にたいして特別な想いがまったくないように見えた。でもドラマを見続けて龍雲丸の気持ちはわかるからすごいムカついた。でも会社でパートのおばちゃんにこの話をしたら「直虎は照れてただけだ」と言われて。「このBBAバカか?」と思ったが、でもBBAみたいなのが大多数で俺が少数なのかもしれないし、そういう考え方だってもちろんあるだろう。とも思った。で、)

BBAが言うように龍雲丸が(ひょっとしたら言い出せないのか?照れてるのか?)思ったのかは知らんが、自分のほうから「約束、忘れてる?」と直虎に聞いた。そしたら


「あ!・・・忘れてたぁ!」だって。「忘れたおった、すまぬ。」だってさ。



惚れあってて、でも別れることになって、「大好きだ。でも家の事情が大切なのはわかるから、おちついたら一緒になろう。」そうやって別れて。それでずっと待ってて。9年たっても約束を守ってた相手に、「あ!忘れてたぁ!」って、ナニソレ?ここ、うっかりで済む?「すまぬ」って、ナニソレ?余計ムカつくんですけど。ここ笑える?史実だっていうならいいけど作り話でしょ?こんな脚本にする必要ある?ここで脚本の訴えたかったことはなんなの?

恋人より国を思うのが悪いとは言わないけど、それでも辛いときや苦しいときは愛した人のことを思うのが人間なんじゃないの?「国のために国を守る」んじゃないよね?「愛する人のために国を守る」、「創る」んだよね?少なくとも大河のテーマってそういうもんじゃん?で、その「愛する人」と逢えたのに(9年ぶりだよ!?)「船を用意してくれ。え?一緒にくらす約束?あ、忘れておった!まことに申し訳ないのう。」って、なにそれ?

そのくせ「自分がピンチになれば龍雲丸は助けにくる」っていう計算はしてる。


クソだろ主人公。


これ、脚本は、「主人公は毎日が一生懸命で天然の憎めない女」みたいなキャラづけのつもりなの?デリカシーなさすぎでしょ。それともおかしいのは俺で、女はこんなのが普通なの?こんなウンコがお茶の間でウケて、感動を誘うキャラなの?

俺が龍雲丸なら船の手配なんて絶対しないわ。まったく最後まで嫌な気持ちにさせられるクソなドラマだったわ。こういうクソな脚本はいらないよマジで。タイトルとかもそうだけど、くだらないクソ臭いことは頑張らなくていいから歴史ドラマのほうに脳ミソ使ってくれや。変なのは本能寺じゃなくて脚本家のアタマなんじゃない?



◎おまけパート


○小川城
徳川家康らが大阪から静岡まで逃げ帰る途中に立ち寄ったとされる城//城主の多羅尾氏は警戒する家康に人質を差し出し安心させたという//後に多羅尾氏は家康に仕えた


○徳永寺
小川城の東20キロほどの伊賀市柘植地区にある寺//家康に茶を出し、もてなしたといわれる//家康が礼として「寺の周囲の田畑や山林の寄進を約束した」と寺では伝えられている

○行きたいレベル・C
寺には興味ないし城はただの空き地みたいだからアレだけど、伊賀越えっていうのはやってみたい。(これは同じような考えの人、けっこういそう)


◎覚へ書き

○歴史パート:
//織田信長死去//織田信長の嫡男・織田信忠、死去
1582.伊賀越え(大阪にいた徳川家康一行が本拠・静岡まで逃げ帰る)
//穴山信君(武田家を裏切り織田配下になった武将)・死去

○ドラマパート:
徳川家康明智光秀の「織田信長暗殺計画」に加担することを決定(加担しないと自分が織田信長に暗殺される、もともと織田信長徳川家康を暗殺しようとしているので明智光秀の作戦が失敗しても自分の立場がまずいことに変わりはない、成功すればラッキー・という状況)//作戦:「織田が徳川を京都に呼ぶ→明智の兵で徳川を暗殺」という織田の作戦を利用して、明智の兵が徳川を討たずに織田を討つ」というもの//直虎、直政の依頼で京都へ「依頼内容:暗殺が成ったあと徳川家康が速やかに静岡に帰れるよう手配してほしい」//徳川一行、織田の城(安土城)に。同じく織田に呼ばれた武将・穴山某が徳川家康の落ち着きの無い様子をいぶかしがる//直虎、京都の商人に伊賀ルート(三重県)の手配を依頼、自身は堺ルートを手配するため大阪へ//直虎、確実に静岡まで行ける外国製の船を手配するために昔の恋人・龍雲丸と交渉、船の予約に成功//織田のもとに戦場から応援の依頼。織田は明智光秀に応援に向かうよう指示。明智は現場からいなくなる。これにより計画が実行されるか怪しくなり徳川一行は今後の同行に苦慮。しかし「そもそも明智光秀の情報「織田が徳川を暗殺しようとしてる」というのは明智が織田を討つため徳川を利用しようとしてのブラフではないのか」という徳川家康の意見で一行は京都に行くことに//徳川の京都行きを危惧した直虎、移動中の徳川一行に「京都で謀反が起こった」というニセの情報を伝え引き返させようとする//さらに他からも「京都で謀反が起こった」という知らせ。謀反は本当に起こっていた//急ぎ静岡に帰ろうとする徳川一行(伊賀越え)。しかし段取りがよすぎて帯同していた武将・穴山某に怪しまれる(→徳川は「謀反を知っていた?)//しかし穴山某は徳川一行と別行動をした際に死去(落ち武者狩りにあったとも徳川家臣が暗殺したともとれる描写)//徳川一行、無事静岡に帰還。今回の混乱に便乗し勢力拡大にいそしむ//大阪に残り本能寺の変ののちの情勢を見極めるため大阪に残る直虎//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×茶屋四郎次郎(茶屋清延・1545-1596):商人(徳川家康ご用達):京都
武士を廃業して商人となった中島某の子//****.徳川家康の近衆だったという//28歳・三方ヶ原の戦い徳川家康に仕え活躍し橘(タチバナ)の家紋を賜ったとされる(三方ヶ原の戦い・○武田vs徳川●in1573.静岡県)//その他53回の合戦に参戦したという//38歳・本能寺の変・京都での混乱を大阪にいた徳川家康に即座に報告、急きょ静岡に移動することになった徳川一行(伊賀越え)を物心ともに支援。(本能寺の変明智光秀vs織田信長●in1582.京都府)←イマココ//伊賀越え時の援助の恩賞として徳川家の呉服御用を一手に引き受けるようになる//52歳・死去
※名前は襲名制で2代目3代目がいるので要注意(なにに注意するのかは知らんがまあとにかく)
※この人の跡目が徳川家康の死因とも言われる鯛の天ぷらを献上したんだとか

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