おんな城主 直虎 第42回 「長篠に立てる柵」 感想



第42回 「長篠に立てる柵」

◎かんそう

○直政えらい!
留守番を言いつけられてもいじけたりはせず、「留守番王に俺はなる!」とか、嫌な仕事押し付けられても「やりとげてみせる!」とか。カンドーですな。

「おまえは立派に留守番していた」とか、「はわわ、押し付けられた仕事を見事にこなしよったあ!」とか、{{誰かがわかってくれる・いつかむくわれるときがくる}}って本気で思ってる、きれいな心(ときれいなおケツ)の持ち主なんだね。(15歳だし。)

でも現実はだれも見てくれないしむくわれもしない。そんな世の中でも前向きにいきていくなら「誰もわかってくれなくても・一生むくわれなくても・やるし、やりとげる」じゃないといけないんだろう。

(´A`)<どのみちやらない俺には関係ないがな

○家臣二人に手柄があってよかった
今回の合戦シーン思ってたより凝ってた。「おんな城主 直虎」のなかの合戦シーンでは一番チカラはいってたんじゃない?たまたま今、再放送の「風林火山」みてるせいで、どうしても比べちゃうけど、「おんな城主 直虎」の中ではよかったと思う。毎回とはいわないが過去回でも要所ではこれくらいやるべきだったと思う。(もちろんそれでも不十分なのだが。ようはそれほど毎回ホームドラマばっかりで退屈だゾ・ってこと。)ちなみにこの戦い、織田がほとんど仕切ったっていうのは史実らしい。ドラマで織田の態度に憤慨していた徳川家臣・大久保某っていう武将は史実では今回の戦いで(も)大活躍、織田信長徳川家康双方から大いに褒められたらしい

○謎の鷹匠・ノブ
謎の鷹匠・ノブ改め、本多正信。「自分はあんたが真面目に働いているのをみてる。」「自分の立場が低いならそれを武器にすればいい」とか、熱いね。同じファンタジー智将キャラでも井伊家臣C・方久よりよっぽどいいわ。ヘンな演出してないぶん。(カーン・とかくだらない・マジやめてほしい)

○俺は
「誰かがきっとみてる」みたいな言葉、信じてない。実証済みなので。(誰かが見ててくれたことがない。)だから「誰かが****」みたいな言葉、大嫌い。だけど、「おとぎ話の主人公がそういう言葉を言われ、”偶然にも”実際に偉い人が努力する姿を見てて、最終的に努力がむくわれ幸せになる・みたいな話」は嫌いじゃない。(もっとも大河ドラマだからオチまでみるけど普通にそんなドラマやってたら途中でみるのヤメるけどな)

○そのほか小並感
織田信長の役者さん、毛がはえてるとめちゃイケメン!やっぱり毛って大事なんだね。(つまり俺が不細工に見えるのは顔や性格が悪いのではなくハゲのせい。間違いない)

・今回の和尚様、いつになくワルだったよね?(酒飲んで直虎に嫌味言ったり「男は戦争にいくもんだ」みたいなことを言ったり。)坊主とはいえ男、男だったら井伊家再興は悲願・ってことか?そして今後はこのキャラ路線でいくのか?


◎おまけパート
---愛知県.新城市(しんしろし)---
○設楽原決戦場(したらがはらけっせんじょう)

長篠の戦いの決戦地//織田・徳川の連合軍と武田軍、合わせておよそ5万の兵士が、この地で激戦を繰り広げた//織田・徳川軍は、陣営の間を流れる連吾川沿いに土塁や空堀、そして、柵を幾重にも築き、武田軍を迎え撃った//対する武田勝頼は、決戦の前日、敵の戦線を一望できる才ノ神に本陣を移した(●→武田勝頼才ノ神本陣地碑)//1575.5.21.武田の先鋭部隊、赤備えの山県昌景隊が先陣を切る//しかし、家康も恐れた武田の猛者は、奮戦むなしく果てた(●→山県三郎兵衛昌景勝之碑)//武田家を支えてきた多くの重臣と数千の兵士たちが、この地で討ち死にした(●→信玄塚{大塚})//設楽原での大敗により、武田家は斜陽の道をたどり始めた//だそうで


○行きたいレベル・C
長篠の戦いは超メジャーだけど遺構はほとんどなさそうなのでここに行く時間あるなら他のとこに行くかな。ここから長篠城もそんなに遠くないみたいだけどこちらもやはり遺構が地味みたいだし愛知なら他にみるとこたくさんあるしね


◎覚へ書き

○歴史パート:
長篠の戦い(○織田信長徳川家康vs武田勝頼●in1575.愛知県)
//武田信玄の後継となった武田勝頼が信玄の意思を継ぎ再び三河へ侵攻、長篠城を包囲//包囲された長篠城を救援すべく織田・徳川連合軍が出陣//武田と織田・徳川連合が激突//織田・徳川連合の大勝//

※逸話その①//城に立てこもってた徳川軍が疲弊、徳川本軍に応援を求めるため鳥居強右衛門という男が城を密かに脱出→65km離れた本軍に合流、本軍から3万8千の軍が応援に向かう状況だったことを確認し城にもどる→城の手前で敵(武田軍)に捕まる→敵に「応援はこない、降伏しましょう」と徳川軍に叫べば命を助ける、と取引、はりつけにし、叫ばせる→しかし鳥居強右衛門は「応援がくる、数万だ!もちこたえよ!!」と叫ぶ→武田兵、鳥居強右衛門を殺すも城にいた徳川兵は奮い立ち援軍の到着を待つ→援軍到着、徳川圧勝→鳥居強右衛門は後世まで名を残しその子孫は徳川絡みの名家に厚遇で迎え入れられた

※逸話その②//この戦いで鉄砲が非常に有効に活用された(いわゆる3段構えのバーンバーンってやつ。ただ、俺がガキの頃は定説だったが研究が進んだ現在ではまゆつばだったのではっていうほうが大勢みたい)

○ドラマパート:
//直政は合戦にいけなかった。しかしめげることなく仕事に励む。下駄箱を作り直し、押し付けられた武具の修繕もこなす//長篠の戦場・「徳川の援護」という名目で来た織田軍が徳川そっちのけで進行を全部しきる。その完璧な布陣で武田軍に圧勝するも徳川家臣に不満の声//戦場で不足した木材を調達した井伊の元家臣AとB、織田信長じきじきに褒められ褒美に茶碗をもらう(その茶碗を井伊領主・近藤どのが井伊の寺に寄進)//直政、武具を一生懸命手入れした手柄を他の小姓に横取りされおおいに憤慨//徳川家康が凱旋、その夜に直政を寝室に呼び出す。直政、戸惑うも掘られる覚悟を決める。しかし徳川家康は掘り目的ではなく、武具の整備、下駄箱の製作をしたのは直政と気づきほめるために呼び出しただけだった(ただしそのあとどうなったのかはフワッとした感じ)//直虎、戦死者の供養のため戦場へ行きビブラート経読//井伊谷に地すべりの予兆(「龍宮小僧が姿をみられないようそっと啓示」というファンタジー演出)//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×大久保忠世(おおくぼただよ・1532-1594):武将(徳川家康):遠江国.二俣城城主(静岡県)、信濃国.小諸城(長野県)、相模国.小田原城城主(神奈川県)
徳川家家臣・大久保某の長男////32歳・三河一向一揆に参陣、武功をあげる(○徳川家康vs一向宗●in1563愛知県)//42歳・三方ケ原の戦い。負け戦だったが味方の士気を保つ目的で敗戦直後に武田軍を奇襲、武田信玄に一目おかれる。※高確率で作り話の可能性(○武田vs徳川●in1572.静岡県)//44歳・長篠の戦い織田信長に賞賛される活躍をし、徳川家康からも褒美をもらう(○織田信長徳川家康vs武田勝頼●in1575.愛知県)←いまここ//42歳・二俣城城主(静岡県)となる//51歳・本能寺の変(○明智光秀vs織田信長●in1582.京都府)、織田信長の死後、領地の所有権があいまいになった長野県・小諸城に派遣される(信州惣奉行という役職)//54歳・第一次上田合戦、我が長野が誇る武将・真田昌幸に敗れる(○真田昌幸vs徳川家康配下・●in1585.長野県)//59歳・北条氏が滅亡後の神奈川県・小田原城城主となる//63歳・死去
逸話//戦争で崖に落とされるも、這い上がってそこにいた3人の敵兵を斬り捨てた(バケモノかっ!)//有事に備え月に7日断食、それを死ぬまで慣行(杞憂かっ!)本多正信の帰参に協力//若き井伊直政に戦場で心構えをとく//など

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