おんな城主 直虎 第48回 「信長、浜松来たいってよ」 感想


第48回 「信長、浜松来たいってよ」

◎かんそう

○不安しかねえ!

宴会で酔っ払って「殿!織田なんてケチョンケチョンにしてやりましょーーー!」とイキる直政。
(これ、直政くん絶対やらかすヤツだよ・・あと2話なのにどうすんの?)
なんて思ってハラハラした。でもそこはまったく話に関わってこなくってズッコケた。

(´A`)<こういう演出はハラハラできていいね。なにより直政くんの演技がいい。


○言い負かせばいいってもんじゃない。
主人公が家康公とサシで話すシーン。主人公が相手(家康公)の言う言葉をさえぎり・否定し・相手の発言中に自分の言葉を重ね、まくしたて、自分の主張を展開する。

こういうやりとりが今作でたびたびあって、そのたびにウンザリさせられたけど、これって脚本家さんの理想とする「カッコイイ会話術」なのか?

俺はこれ無理。ムカつく。一方的に押し付けられてる感がハンパない。

脚本の人はこれがテンポのいい軽妙な会話だと思ってる?俺はものすごいストレスにしかならないんだけど・・・

主人公(脚本)にしてみれば「散々相手をディスって相手がキレたら持ち上げて相手が乗せられて自分の意見を聞き入れる」っていう流れは「自分って相手を導いてる・・・自分最高!」みたいな気持ちなんだろうけど・・・実際にやってみればわかるけど、この交渉術は絶対上手くいかないよ。相手だってバカじゃない。「田舎のおばさんに自分の行政を否定され、思慮を否定され。「おまえナニサマ?」キレたら今度はおばさんが自分を持ち上げてきた。そしたらおばさんの言うとおりにしたくなってきた自分」。ありえないでしょ。こんな視聴者をバカにしたやりとりってアリなのってカンジ。(もちろん俺が少数派で、多くの視聴者はこのシーンで泣いたのかもしれないが。でも、少数派でいい、そんな側に俺はなれない、俺はこんなの無理。キモイ。)

○その他小並感

今川の役者さん、まさかここまで物語りにからんでくるとは。この役者さん、名前も知らないしファンでもなんでもないけど今作の演技で好きになった。
徳川家臣・榊原某さんも良い味、いい仕事。徳川家臣はすっごい好印象。なんか井伊家に比べて団結力感じる。(田舎の大名と関東一の弓取りの差を表現するための脚本側からの演出だとしたら素晴らしい!)

○籠の中の鳥
籠の中の鳥をもてあそぶ今川公。この「籠の中の鳥」、毎回違う誰かを意味していて何らかのメッセージがあるんだろう。今回は徳川家康だね。「籠の中の鳥」。さかのぼって見返すと面白いのかも。でも、そもそもさかのぼって見返したいと思えるほど話が面白くないから見返す気持ちになれない。(直虎がからまないシーンだけでみればけっこう面白かったのにね。残念っていうのとそれって致命的だよね、っていうのがありますな。)

○今週のやってみなければわからない
徳川家康が「戦のない世界をつくる、戦ができない仕組みをつくることを考えたことはあるが、できるとおもったことはない」という発言に対して言いましたな。


◎おまけパート


富士山本宮浅間大社{●富士見石}
富士信仰の聖地。//武田氏を滅ぼした織田信長安土城へ帰る途中静岡を見て周った//静岡の領主・徳川家康は領内の道を整備し、万全な警備で信長一行を迎えた//富士山本宮浅間大社の境内に金銀をちりばめた豪華な装飾の信長のための仮の宿所を建てた//織田信長は{●富士見石}という石に腰を掛け、富士山を眺めたと伝えられている


天竜
//「あばれ天竜」と呼ばれた東海道の難所//****の織田信長の静岡観光時、徳川家はここに舟で橋を造り、信長を渡らせた//別の川では人を集め、水をせき止めた//無事、浜松へ入った信長は家康の歓迎に喜び、米八千俵あまりを贈ったという

○行きたいレベル・B
神社も川も一度は見てみたい。富士山も子供のころ見ただけなのでしっかり見てみたい、が。無理だろうな。

(´A`)<アイハブノーマネー


◎覚へ書き

○歴史パート:
1582.織田信長の静岡観光
//武田家との抗争の戦後処理の帰り、織田信長が徳川領の静岡県に立ち寄り富士山をみる

○ドラマパート:
//理不尽な扱いに耐え忍び、ついに織田信長から領地を与えられ喜ぶ徳川家一同//直政は徳川家を大きくしていつか織田を追越し逆に理不尽な思いをさせてやるとイキる//徳川家康織田信長から命令。「静岡で観光するからもてなせ」//徳川、織田をもてなすために大掛かりな道路改装や設備新築を敢行(織田信長の機嫌を損ねると大変なことになるので)//織田信長をもてなす徳川家康。そこに今川氏真がご機嫌伺いに訪れる//織田信長の機嫌を損ねることなく接待を終える//今川氏真明智光秀と密会。(今川氏真の真の目的は織田のご機嫌伺いではなくこの密会だった)。明智某「織田が徳川を招いて殺そうとしています、私はその日、織田を討ちます。もし徳川が殺されるかもときずいて京都に来ないと計画が流れます。今川様は徳川様に仔細を話し京都に行くよう説得してください、担保に子供を人質として預けます」とのこと//直虎の村に捨て子。しかしこの子供は躾作法がしっかりしていてどうやらワケアリの武家の子らしい。近辺にこの子を監視する者がいないかさぐる直虎、子供のバックにいるのが今川氏真であることをつきとめる//再び織田信長から命令「先日のもてなしの礼をするから京都にこい」。とのこと。この命令に違和感(徳川家を潰すための計略では?)を感じた徳川家康のもとに今川氏真が訪れる//直虎、今川氏真に子供の仔細の説明を要求。今川「明智が織田を討つから徳川と今川に協力しろ、と言ってきた。子供はその言葉が本当であることの証明として差し出された。今川や徳 川で預かると怪しまれるから井伊に託した」とのこと(※なんかいろいろ穴だらけですがまあとにかく)//今川某の話を聞いた直虎、徳川家康を説得。「世の中を変えるために、徳川家康がトップになるために火中の栗を拾いに京都へいってほしい」//徳川家康、罠としりつつの京都行きを決断//直政が直虎のもとに参じ依頼。「徳川のためにひと働きしてほしい」//つづく
◎おべんきょう
○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×長谷川秀一(****-1594):武将・大名(織田信長):
織田家家臣・長谷川某の子//織田信長の小姓となり奉行系の仕事を主にこなす//織田信長甲州征伐に付き従うもすでに決着していたので戦後処理の手伝い←イマココ//1582.徳川家康を大阪に案内。その最中に本能寺の変が勃発、徳川家康とともにツテを頼って伊賀越えに成功//1583.豊臣vs柴田勝家・豊臣を支持。そのせい?か近江肥田城主となる//1584.小牧・長久手の戦い・豊臣側につくも徳川の猛攻に敗れるも本軍のシンガリを勤める働き//1585.紀州征伐・武功を挙げ越前東郷15万石の領主に//1590.小田原征伐に参陣//1592.文禄の役に参加・一進一退を繰り返す中1594.病死//
織田信長の修道相手。そのせいか?跡取りがいなかったらしい。合掌。


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