おんな城主 直虎 第47回 「決戦は高天神」 感想



第47回 「決戦は高天神」

◎かんそう

○大将の胸奥は衆人の知るところにあらず
織田信長の政治はおかしい!ワシは理不尽のない世界をつくりたい!」と意気込む徳川家康。これに対して、「いやいや、おまえも相当理不尽な政治家だよ」おそらく全ての視聴者が思ったことだろう。

で。その後、「怪しい雲のたちこめる空を城の上からなんとも言えない表情で見つめる信長」のカットが入るんだけど、それをみててなんとなく思った。

信長は、(自分を理不尽と憎む奴もここまで上り詰めたら自分の気持ちがわかるだろう)(この立場になったらそうせざるをえないと理解するだろう)なんて思ってるんじゃないかな・なんてね。

(´A`)<脚本の意図はわからんがあのシーンよかった。信長の役者さん嫌いだけどカッコよかった。


○明日から使えるテクニック

「いずれ織田は足元をすくわれる」主人公が織田の運命を予言するのだが・・・なんで脚本は主人公にこんなこと言わすかな。ひくわ。「織田が謀反で討たれるっていうことを予言するキャラクター」はもうおなか一杯。今さらこんな演出使うなだよ。(あるいは主人公の出番・セリフを捻出するための茶番なのか)

で、そんな主人公の予言「織田は滅びる」を聞いた和尚様が、「あるある~超ワカル~!」とは言わず、「マジありえないんですけど~?」とも言わず、ただ、「なるほどのう。」とだけ言うんですが。この言い回し、「誰かがなにかの予想を言ってその感想を自分に振られたとき、自分は否定も肯定もせずあとで結果がでたときに恥をかかない」っていうやりくちがいかにも和尚様らしい会話テクニックだと思った。


○最後の見せ場?
主人公に「徳川は織田より弱いから強くしてやってくれ」と無茶振りされた家臣A・ユキの字くん。「俺は今まであんたに振り回されるたびに現実と折り合いをつけ、国のためだと自分に言い聞かせてここまでやってきた。なのにあんた今度はそんな無茶をいうのか?」と激昂。そしてそこから「そんなこと言われたら、そんなこと言われたら・・・やるしかないジャン」まさかの快諾。いいシーンだったわ。最後の「あんたの無茶振りに応えれることが俺にとっての男冥利ってことにしとくよ・・フッ」もよかった。


(´A`)<初登場の頃が懐かしいぜ。思えばホント、ユキの字くんは主人公の気まぐれに振り回されつづけてきたよな・・

(´A`)<役者さんブサイクだけどいい演技してました。今後イケメンのジャリタレを黙らせる活躍に期待

あと、ユキの字くんとの会話の中で主人公が「幼子が乱世の犠牲となって死んだ」的なことを言って。この幼子っていうのは「直政の身代わりとなって殺された子供」のこと?だったらあの子も少しはむくわれるかもって思った。


(´A`)<「死んだもののことを忘れない。たまにでいい、思い出すのが供養」。って言うからね。まあ、「幼子」っていうのがその子のことなのか、なにより視聴者がそこを気にとめるのかわからんが・・

○今週のやってみなければわからない

(´A`)<ひさびさに出ました。争いのない世の中なんて作れるわけがない・というユキの字@家臣Aに対して言ってましたな。

(´A`)<実はナレーターが龍宮小僧でした・っていうオチで今作は終わると今まで思ってたんだが、ひょっとしたら最終回、最後に主人公が龍雲丸と再会、その会話のなかで「やってみなければわからない」的なことを言って、テーマ曲かかって終わるとかもあるかも。



◎おまけパート


遠江静岡県)を巡り、徳川軍と武田軍による攻防がこの城で繰り広げられた//三方向を断崖絶壁に囲まれた高天神城は守りが堅く大変攻めづらい城だった//徳川軍は城をぐるりと囲うように砦(とりで)を築き、籠城する武田軍に対し徹底した兵糧攻めを行った//井伊直政はこのとき水の手を切る功績を挙げたとも伝わっている//勝頼からの援軍もなく追い詰められた武田軍は降伏を申し出るが家康はこれに応じなかった//
兵糧が尽き逃げ場を失った武田軍は討って出ることを決意、両者はついに激突(1581)//壮絶な戦いの末、死者で堀が埋まったとも伝わっている//城近くには、武田方の犠牲者を供養する塚が残されている//高天神城落城により武田軍は多くの兵を失った//この一年後、武田家は滅亡した//だそうで

○行きたいレベルA
遺構にもよるが、みれるものならみておきたい(俺はアホなのでとにかくわかりやすい遺構がみたい)


◎覚へ書き

○歴史パート:
1581.第二次高天神城の戦い(○徳川家康vs武田勝頼●in1581.静岡県
1574.当時徳川家康配下だった高天神城武田勝頼が奪う(○武田勝頼vs徳川家康●in1574.静岡県)//そののちも各地で戦争していた武田、負けが込み勢力が弱まる//1580.徳川軍が城奪回のため5000の兵で城を囲み兵糧攻め//高天神城武田勝頼に救援を依頼するも援軍は来ず(理由は諸説あり)//城の兵の大半が餓死、残った兵が討ってでるも徳川軍に返りうち//1581.城は織田配下、徳川のものとなる

1582.4.3.武田勝頼が討死※自害とも(天目山の戦い○滝川一益(織田)vs武田勝頼●in1582.山梨県

○ドラマパート:
//徳川家康織田信長の圧力に屈し嫡男・信康を自害させる→信康配下の家臣たちが徳川家を見限ろうとする→徳川家康、己の非を認めた上で家臣たちを説得、そんな家康に心うたれた家臣一同が団結(話→「自分は無力だ、だからたすけてくれ・的な」)//徳川が敵勢力・武田を攻めるために挙兵。戦場に手伝いとして参戦した伊井(現・近藤配下)の武将2人が現場で武田のスパイを発見。それが手柄となり直政が出世、直政がその家臣2人を自分の配下におきたいと直虎に交渉、直虎の説得で家臣は徳川のもとへ//武田配下の城・高天神城を攻める徳川家康、被害が最小で済むよう兵糧攻めを敢行、武田が助命を条件に降伏を申告、徳川家康はこれを受け入れるつもりだったが織田信長から「和睦は不許可、殲滅するように」と命じられやむなく交戦、武力をもって武田軍を制する//徳川家、戦勝の褒美として織田信長駿河国静岡県)を与えられる//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×穴山信君(1541-1582):武将(武田信玄-勝頼-織田信長):甲斐国.下山城(山梨県駿河国.江尻城(静岡県
武田家家臣・穴山某の嫡男//20歳・第四次川中島の戦い武田信玄が構える本陣を守る(△武田信玄vs上杉謙信△in1561.長野県)//27歳・武田信玄、上洛戦・外交などを多く担当//34歳・長篠の戦い。武田軍は大敗するも穴山某の軍は早期撤退のため被害がないとされることからこの闘いには反対だったともいわれる(長篠の戦い○織田・徳川連合vs武田勝頼●in1575.愛知県)//41歳・織田家が武田領に進攻・織田側に寝返り生き残りに成功(甲州征伐○織田信長vs武田勝頼●in1582.山梨県)/←イマココ/→のちに織田信長に挨拶に行く→ついでに大阪観光してたら京都の本能寺の変織田信長が死亡(本能寺の変明智光秀vs織田信長●in1582.京都府)、徳川家康と一緒に自国に逃げ帰る途中死亡※落ち武者狩りにあった・自害した・諸説あり。

※武田24将。裏切ったのになぜ24将入りできたのん?


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