西郷どん 第36回 「慶喜の首」 感想


第36回 「慶喜の首」

◎かんそう

○招くほうも行くほうも・・・狂っとる!

篤姫さまにあってほしい」。かつての上役、幾島とともに向かった先は、なんと江戸城っ!!


(´A`)<いくらなんでもそれはないだろ!

(´A`)<江戸城って西郷の敵の本拠・総攻撃の目標地点デショ?明治政府は江戸を軍隊で囲み、江戸幕府江戸城内で武装籠城、まさに今両軍は臨戦状態なんデショ!?そこに行っちゃう!?

(´A`)<ガンダムで例えるなら、ソロモン侵攻作戦数日前にレビル将軍がゼナ様(ドズル閣下の嫁)の招待でソロモンに行くようなもんでしょ?将軍が?総攻撃数日前に?敵の拠点に入って行く?いやいや、それはいくらなんでもメチャクチャでしょ!


(´A`)<百歩譲って密会するにしても、江戸城はないデショ・・・

(´A`)<視聴者、完全にナメられてんな・・



○ブラック西郷

徳川慶喜、ヌッ殺す!」と息巻く闇墜ち西郷さん。でも「徳川慶喜は殺されない」っていう史実は変えないだろうし、江戸城も攻撃回避でFAだから、どこかでダークサイドから抜け出すイベントがおこるはず。「なにかの出来事で」「誰かによって」憎しみから解放された西郷どん、「おいはなにをしちょったがじゃ!憎しみに支配されあやうくフォースの暗黒面に堕ちるとこじゃった!」と言うと予想。


(´A`)<「タイミング」→江戸城解放の前、これは確定。

(´A`)<「誰によって」→最近弟くんが妙に出番が多いので弟くんがキーマンになると予想。あとは篤姫サマ、あるいは戦火で傷ついた民衆をみて自らの過ちに気づく・とか?

(´A`)<うーん・・ベタすぎるかナ?



○山岡鉄山

役者さん、濃いなあ。イケメンっていうのとはちょっと違う、昭和ハンサムっていうの?ちょっとググってみたら、元水泳選手(オリンピックに出たこともある)で今は役者っていう経歴の人(真田丸にも順レギュラー的な役で出てた)だそうで。


(´A`)<五輪出場経験有りの身体能力保持者でハンサムな芸能人とか、どんだけチート・・・・



◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ


○その他小並感

・小1:およしさんが徳川慶喜破局。あの女優さん顔が好みなので今後もたまに出演してほしい。薩摩出身で西郷と顔見知り、さらにドラマオリジナルキャラみたいだから脚本家からすれば使い勝手はいいはず。

・小2:今回の勝海舟はいつもより元気があってよかった。だんだん役に馴染んできたか?(でもまだ暗いです、もっと元気をだしましょう)


◎おまけパート

○城南宮
1868.鳥羽伏見の戦い当時、薩摩藩が陣を構えた//参道に4門の大砲を置き徳川方を待ち構えたという//薩摩藩の放った大砲を合図に戦争が始まった(ドラマでは逆・徳川が先制攻撃という表現になっている)//
//当時の激戦の跡が残されている→本堂を貫く砲弾の跡が今も残る→当時の住職が後世に伝えようとそのままの状態で残した//

相国寺塔頭 養源院
//当時、薩摩藩野戦病院となった//ここでウィリアム・ウィリスが西洋医療を施し、それが日本西洋医学普及の一助となった

○行きたいレベル・C
京都だからなあ。他にいきたいところがありすぎて・・・


◎覚へ書き---1868年・主人公40歳---

○歴史パート:

鳥羽・伏見の戦い(○明治新政府vs江戸政府(徳川幕府)●in1868.1.27.京都)
戊辰戦争の初戦となった戦い
・・・背景:(//反・政府勢力が「政府には政治を任せられないから戦争で政府をぶっ潰す!!」→徳川政府「じゃあ政権運営は辞退します、天皇に返上します・と宣言(天皇は無能、政治運営能力なしで政権を返上されると困って再び徳川を頼ってくるとわかっていた)→大政奉還.1867→徳川の思ったとおりの無能天皇、「ボク政治運営できまてん。徳川に委任ちゅる」→徳川(したり。)→反政府「天皇が徳川に政治運営を委任した、これじゃあ文句を言えないでも政府を倒したい、どうしよう」)・・・
からの、
//反政府勢力筆頭の鹿児島県がチンピラを使って東京の街や政権側の人間、施設を襲撃させる(→政府を挑発)//この挑発にのった政府の人間が鹿児島県の東京出張所を襲撃、放火する//鹿児島県、「政府は鹿児島県の建物を焼いた、これを宣戦布告とみなす」→鳥羽伏見の戦い開戦//鹿児島県が他の反政府勢力の県と連合して軍を派遣、政府軍を圧倒。さらに連合軍は「錦の御旗(=天皇がバックについてる・だから自分達が正しいというアピール)」を掲げ政府軍を威嚇。これで政府軍は意気消沈し敗走し大阪城に集結。//大阪城の政府軍、気をとりなおして反政府勢力への戦闘に備える→しかし総大将の徳川慶喜が兵を置き去りにして東京に逃亡//総大将が逃亡したことにより政府軍は継戦意欲を失い、大坂を放棄して各自江戸や自領等へ帰還//反政府勢力が空になった大坂城を接収し京坂一帯は反政府勢力の支配下となる//天皇が「徳川慶喜及び現政府(徳川幕府)は国の敵だ」と認定。反政府勢力が新しい日本政府として承認される(諸藩有志連合は明治新政府となり、徳川幕府は旧政府となる)


○ドラマパート:
//江戸政府(徳川幕府)が大阪から京都に進軍。迎え撃つ新政府軍との間で開戦(●鳥羽伏見の戦い)//江戸政府
有利→新政府軍、「錦の御旗」を掲げ江戸政府を威嚇(「錦の御旗」=「自軍が天皇側であり正義の官軍だ」・というあかし、(という言い伝えはあるが正式な根拠はない・という、菊の印を付けたただの赤い旗))→しかしその旗を見た江戸政府軍は「自分たちが賊軍になる」という状況を嫌い退陣→攻勢に転じる明治新政府軍//西郷の弟が戦傷、これを見舞わず慶喜討伐に没頭する西郷(西郷は戦の鬼になってしまったのか?)//大阪城徳川慶喜、兵を置き去りにし秘密裏に東京へ逃走//逃げ帰った徳川慶喜を叱責する勝海舟//「西郷に謝ればいい」という側室・ふき(第2回に初登場・その後一時失脚した徳川慶喜に従事し側室になった女性キャラ)に徳川慶喜激怒、ふきを追放する//西郷の弟、イギリス人医師の手当てで一命を取り留める。その医師の手配をしたのは西郷だった(西郷は優しい心を失っていなかった、戦の鬼と化したわけではなかった)//徳川慶喜征伐のため東京に向かう西郷。一命を取り留めた西郷の弟も西郷について東京へ//明治新政府幹部の一部が「そろそろ徳川慶喜を許してやろう」という空気になるも、西郷これを一喝、「徳川慶喜は信用できない、討伐は勅命だ」//徳川慶喜、自ら謹慎の身となる→勝海舟、「徹底抗戦+フランスの手を借りれば勝てます」(と釜をかける?)→徳川慶喜「それはできない、日本のためにはならない」→(徳川慶喜はビビッて逃げ回っているのではない、日本のことを考えての行動だ」)と理解した勝海舟、和平交渉の方針をかため、側近の山本鉄太郎を使者として西郷のもとへ送る//西郷、この和平交渉の提案を拒否→山本鉄太郎、「腹を斬るから提案を受け入れてくれ」と腹斬りにかかる→西郷、山本鉄太郎の男義に免じて?交渉のための面談を受諾//篤姫の部下だった女・イクシマが西郷を訪ねくる「→篤姫にあってほしい」//西郷、江戸城入り。篤姫と12年ぶりの再会//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

△山岡鉄太郎(=山岡鉄舟・やまおか てっしゅう.1836-1888):政治家・思想家:
旗本・小野某の4男//幼少の頃から武術や書を学びそれぞれの道で非凡な才能をみせる//19歳・槍の師範・山岡某の養子となる//21歳・浪士組(徳川を警護するための組織)を結成。しかし、実は浪士組の結成目的が反政府的(徳川を廃し天皇を掲げる的な)ものだったため山岡は拘束、謹慎となる「(山岡の本心
尊王か否かはわからん・しらべてない・興味わいたら調べる/32歳・東京に進軍してきた明治新政府軍に対し、江戸旧政府の使者として和平交渉の締結に尽力●←イマココ(1868.江戸無血開城)。同1868の明治維新後は静岡・茨城・佐賀の役人を歴任//36歳・天皇絡の侍従となる//49歳・剣術の流派を開く//53歳・胃癌で死去。
※写真で見るぶんにイケメン。さらに熱いエピソードも多数。

×ウィリアム・ウィリス(1837-1894):医者・外交官:東京・鹿児島・タイ
北アイルランドで生まれ、スコットランドの大学で医学を学ぶ//25歳・イギリスの外交官・医官として来日。イギリス人が日本人に斬り殺される事件で治療・検死を行う(第二次東禅寺事件ln1862.東京都・生麦事件in1862.神奈川県)//26歳・鹿児島県とイギリスが戦争、イギリス人負傷者の治療に当たる//(→薩英戦争△鹿児島県vsイギリス△in1863鹿児島県)//30歳・上司とともに15代将軍・徳川慶喜に謁見、富士山にも登頂//31歳・日本と外国との銃撃事件(神戸事件.○vs岡山県●in1868.兵庫県)や、日本の内戦(鳥羽伏見の戦い明治新政府vs江戸旧政府●in1868.京都府)による負傷者を治療、優れた西洋医学の知識を広め名声を博した←イマココ●)。続く内戦でも従軍し敵味方隔てず治療にあたる(○明治新政府vs江戸旧政府●in1868.関東・甲信越・北陸)//31歳・明治天皇に拝謁、感謝状をおくられる。東京医学校兼大病院(東京大学医学部前身)の創始者となる //33歳・鹿児島医学校兼病院(鹿児島大学医学部前身)の創始者となった。///34歳・鹿児島県の女性と結婚(2年後に息子が誕生)//40歳・鹿児島県でクーデターが起こり帰国(○明治政府vs鹿児島の左翼●in1877.鹿児島県)//48歳・公務としてタイで医療に従事、タイの近代医学・医療の基礎を築き、発展に貢献//55歳・病気のため帰国//56歳・死去
※「それはエゴデショ?」みたいな、”仁義や友情からくる贔屓”ではなく、自分の損得に関係ない、”道徳に基づいた博愛”で多くの人を”医療・医学の技術と精神”で救ってきた人・らしい。ここまで博愛だとむしろ俺みたいな小物は(本当かよ?)みたいに思ってしまう、そんくらい偉大な逸話がある(しかもひとつやふたつじゃない、沢山!)、グレートなお医者様。

×林玖十郎(はやしくじゅうろう=林通顕(はやしみちあき・1837-1896):藩の重臣→国の役人:愛媛県・北海道
wikiの解説が7行しかない(ほぼ無名?)
愛媛県の大名の小姓→側近となる//幕末・愛媛県の京都出張所に勤務、左翼と連携//31歳・江戸旧政府殲滅のための軍の上役になる←イマココ●(王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)戊辰戦争//33歳・北海道の開拓に携わる//59歳・死去

×有栖川宮織仁親王(ありすのかわたるひとしんのう・1835-1895):皇族・政治家・軍人:福岡県
皇族、有栖川宮某の子//29歳・幕末、外国との国交を拒絶する山口県と連携しクーデターを画策するも失敗、政府から糾弾され謹慎となる(禁門の変.jn1864.京都)//32歳・謹慎を解かれる。この年明治新政府が樹立、有栖川宮織仁親王は最高職の総裁とされる。同年、戊辰戦争。自ら志願し新政府軍の総督となる//36歳~福岡県知事や国会議員を歴任//42歳・クーデターを起こした鹿児島県の討伐を指揮し勝利(→西南戦争in1877.鹿児島県)//47歳・天皇の名代としてロシア・アメリカ・ヨーロッパ諸国を歴訪//59歳・中国との間で勃発した戦争を幹部として指揮するため広島県に(日清戦争○日本vs中国●in1894.中国)。しかしそこで腸チフスを発症、悪化し61歳で死去
wikiによると、戊辰戦争のとき有栖川宮織仁親は早い時期から江戸無血開城の方法を探ってたらしいけど?でも一般的には「みんなが反対する江戸無血開城を西郷が英断でおしきった」、みたいな扱いじゃん。なんで?


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