風林火山 第49回 「死闘川中島」 感想


第49回 「死闘川中島」 

◎かんそう

○戦場に咲いた大根

川中島の戦いが開戦。決死を悟り、部下に形見を託す武田信玄の弟・信繁公。
形見を受け取るは信繁公の部下・春日源之丞。演ずるは小林太樹っていう人、らしいのですが。この小林さんが・・・



(´A`)<ものすごい大根。

(´A`)<ものすごい破壊力のある大根。

(´A`)<戦場の緊迫感・決死の悲壮感が台無し。

(´A`)<なんで物語の集大成のクライマックスであんな大根使ったかな・・

(´A`)<なんかの罰ゲームでディレクターとか本職じゃない人が出演した?あるいは縁故・バーター枠?

(´A`)<アイドルよりヒドイ演技。

(´A`)<あまりにヒドイ演技のせいでその後の「信繁公討ち死に」という悲しい展開が心に入ってこなかった



○気をとりなおして・・

信繁公の守役・諸角どの。信繁公が討ち死にするのを見て「お供つかまつります!」と自ら槍の海にとびこんでいく姿。泣けた。前述の大根事件さえなければもっともっと感動できたのに・・

(´A`)<オレの人生でいるだろうか。その「死」を見て、「俺も行くぜ!おまえ1人では逝かせん!」って言えるほど、「自分の人生の全て」と思える人。

(´A`)<・・・

(´A`)<・・・

(´A`)<いねーな。



○その他小並感

地元の老婆・おふく。怪しい。わざわざテロップで「おふく」なんて名前が出るってことは・・やっぱり只者じゃないかも。


◎おまけパート

---長野県.長野市---

○八幡原史跡公園
川中島の戦い最大の激戦地だった場所//八幡原の戦いでは武田家の多くの重臣が命をおとした//今は公園になっている//{●武田信玄上杉謙信・一騎討ちの像}・{●甲越直戦地之碑(こうえつじきせんちのひ)}がある//

○典厩寺(てんきゅうじ)
//武田信玄の弟・信繁の菩提寺{●武田信繁の墓}//生涯、兄に忠節を尽くした信繁の死を信玄は深く悲しんだという//武田家を二代に渡って支えた忠臣・諸角虎定も川中島の戦いで命を落とした。81歳だったという。{●伝.諸角虎定の墓}

閻魔大王像(江戸後期)
//天厩寺境内にある//戦死者を弔うために後世の人達によってつくられた//

○行きたいレベル・S
家から歩いて10分o(`ω´)o 公園なので歴史関係なくちょくちょく深夜に徘徊するよ!


◎覚へ書き---1561年、主人公68か61歳---(出生が1493か1500らしいので)

○歴史パート:
○第4次川中島の戦い(○か△武田信玄vs上杉謙信●か△in1561.長野県)
//前回からのつづき//武田家武将・山本勘助馬場信房は、「兵を二手に分け、別働隊に山に停泊している上杉軍を攻撃させる→上杉軍が勝っても負けても山を下る→これを平野部に布陣した本隊が待ち伏せし、別働隊と挟撃して殲滅する作戦・「啄木鳥戦法」」を献策//1561.10月27日.深夜、武田家武将・高坂昌信馬場信房らが別働隊1万2千を率い上杉軍のいる山に向う//武田信玄率いる本隊8000は平地に布陣//しかし上杉謙信が武田軍の動きを察知(→武田の城からの炊煙がいつになく多くなったので)//上杉謙信は一切の物音を立てることを禁じて、夜陰に乗じて密かに山を下り、川を渡り、武田信玄が本陣を構える平地に対抗して布陣(→この、上杉軍が川を渡る描写は「鞭声粛々 夜河を渡 る(べんせいしゅくしゅく、よるかわをわたる)*漢詩・”川中島”の一節by頼山陽」として有名)、同時に武田軍の別働隊が山から降りてくるのに備えるため千の兵を配置//1561.10.28.朝8:00頃・川中島を包む深い霧が晴れた時、いるはずのない上杉軍が眼前に布陣しているのを見て、信玄率いる武田軍本隊は愕然とする//上杉軍が、車懸り(→波状攻撃)で武田軍に襲いかかる//武田軍は完全に裏をかかれた形になり、鶴翼の陣(鶴が翼を広げたように部隊を配置し、敵全体を包み込む陣形)を敷いて応戦したものの、信玄の弟の武田信繁山本勘助・諸角虎定・初鹿野忠次らが討死するなど、劣勢であったと言われる(ドラマでは勘助はまだ生きてる)//今回はここまで

武田信繁・討ち死に(1561.9.10・享年37)
//第四次川中島の戦いで戦死//武田信玄は戦死した信繁の遺体を抱くと号泣したと伝えられ、上杉謙信らからもその死は惜しまれたという//かつての宿敵である村上義清(武田から長野県の領地を奪われ上杉謙信のもとに逃げた武将)の手によって討ち取られたという逸話あり//死の直前に討死を覚悟し部下に形見を託したという逸話あり


諸角虎定(=室住虎光)・討ち死に(1561.9.10.)
//第四次川中島の戦いで戦死//一時上杉方に首を取られるが、のちに味方が取り戻したという//ドラマでは武田信繁の守役だったけど史実ではないっぽい?wikiには信繁の守役っていう件はなかったけど・・


○ドラマパート:
//1561.9.9日勘助、挟み撃ち作戦を提案(山に宿営する上杉軍を1万2千の兵で強襲→下山してくるのをあらかじめ8千の兵で待ち構え殲滅)//前回、勘助に戦場に霧がでる情報を売った老婆が上杉にも同じ情報を売る(※単に気象情報を売っただけで勘助・武田のことは聞かれても話してない)。霧がでれば霧に乗じ武田が動く。(霧がでるという情報・武田の城から時はずれの炊事の煙がでたことで上杉軍は武田の攻撃を確信)上杉も霧に乗じ下山、武田の裏をかく。//1561.9.10.am1:00.武田軍作戦開始。しかしam3:00頃、武田軍の裏をかいて上杉軍が陣を引き払ったことに武田軍は気づいていない。//別働隊によって追い落とされてくる上杉軍を迎え撃つ段取りで霧に紛れ平地に陣取っ ていた武田本陣。しかし霧が晴れると眼前に上杉軍が臨戦態勢で陣取っていた(am6:00頃)//上杉軍の総攻撃開始。山に向かった別働隊に状況を伝えるのを兼ねて鉄砲を放つ武田軍。この頃、
山頂の別働隊も上杉軍の下山に気づき急ぎ武田本軍のもとへ//予想外の上杉軍の攻撃に圧される武田軍。しかし上杉軍も山頂の武田軍が合流するまでに決着をつけなくてはならず余裕はない//am8:00.武田信玄の弟が自らの意思で自分の首を囮に上杉軍の注意を引きその間に武田軍の態勢を整えるよううながす//武田信玄の弟・討ち死に。武田信玄の弟の専属付き人だった重臣・諸角どのも共に討ち死に//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×春日源之丞(かすが げんのじょう、生没年不詳):武田氏家臣(武田信玄):ゆかりの地・?
詳細不詳//1561.第4次川中島の戦い武田信玄の弟・信繁に従い参戦→味方の不利を悟った武田信繁が討死を覚悟する→源之丞を呼んで、兄・武田信玄から賜った衣と自身の髻を預け武田信繁の嫡子に渡すよう命令→源之丞はこれを辞退しようとしたが、その覚悟を知って撤退した・という



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