風林火山 第43回 「信玄誕生」 感想


第43回 「信玄誕生」 

◎かんそう

○小並感ですが
ドラマパートがすごい面白かった。「策略で出家するわけじゃないぜ?」とか言う武田信玄の役者さんかっこいい。ブサイクなのにすんごいかっこいい。
あと、「出家したら酒はいりませんね。」って言うリツどのに「ぅん・・少しなら・・いいのだ」とか言う勘助も面白かった。こういう息抜きシーンもすごい好き。

○ぐいぐいきてほしい
そのリツどの。勘助の機転で前回養女扱いとなって一件落着かと思いきやまだ正妻の座はあきらめてないようで。こういう積極的な女の人っていいよね。
勘助の態度に可愛く噛み付いても受け入れ許してくれて、だけど別れることだけは絶対受け入れないとか。理想の嫁じゃんね。りつどのの登場初期のころ俺は勘助の貞操を応援していたけど今ではリツどのの味方です。

(´A`)<がんばれリツどの!

あと、役者さんもいい。男のキャスティングもいいけど、女のキャスティングも俺好み。監督?と趣味がにてるのカモ。

(´A`)<ただし諏訪御料人、おまえは嫌いじゃ


○まさかの再登場
寅王丸、もう2度とでてこないと思ってたら、まさかの再登板!しかも刺客?

(´A`)<めっちゃドラマっぽいけどこういう展開好き。(寅王丸の経歴を調べるのは次回のドラマのオチを観てからにしよう)


◎おまけパート

---山梨県.甲州市.塩山(えんざん)---

○放光寺{●大日如来坐像}
武田家代々が帰依した寺//武田信玄も戦勝祈願をしたといわれている//

恵林寺(えりんじ)
武田信玄菩提寺//快川紹嬉は武田信玄が師と仰いだ名僧//織田信長に焼き討ちにされた際、炎に包まれながら残したとされる「心頭を滅却すれば火も自から涼し」という言葉が有名//寺に安置されている像{→●武田不動尊像}は武田信玄が自分の「怒りの形相」を彫らせたといわれる//「領土を守り抜く」という決意の表れとも//武田信玄の死から三年後、この寺で千人以上の僧による盛大な葬儀が行われた{●武田信玄の墓}//

○行きたいレベル・B
寺には興味ないけど武田信玄の墓はいってみたい。墓なんて行ってもなんの意味もないのに、人間って不思議だね。


◎覚へ書き---1556-1559年・主人公63-66か56-59歳(出生が1493か1500らしいので)---

○歴史パート:
1557.第三次川中島の戦い(△武田信玄vs上杉謙信△in1557.長野県)
武田晴信の北信への勢力伸張に反撃すべく長尾景虎は出陣するが、晴信は決戦を避け、決着は付かなかった。上野原の戦いとも呼ばれる
//新潟県上杉謙信が雪で身動きのとれない冬の間に武田信玄が長野県北部に勢力を持つ上杉謙信側の国衆を調略//雪解けを待って上杉謙信が長野県に出兵//武田の城をいくつも落とすが武田側の抵抗、北条(神奈川県)の援軍などで一進一退//上杉謙信は武田の領地に入り込むも武田は正面衝突を避ける//結局大きな成果のないまま京都の将軍から和睦勧告が入り両軍本拠にもどる(京都の将軍は身の危険が迫っていて上杉謙信に京都にきてほしかった)//このの戦いによって武田信玄の勢力は拡大し、上杉謙信側の長野県での勢力は弱体化した//

1558.武田信玄信濃守護となる
//1557.「上杉謙信と仲直りしろ」という将軍の命令を聞き入れる条件に「長野県の正統な領有権=信濃守護職」を要求、補任される//

1559.上杉謙信が2度目の上洛
//13代将軍・足利義輝正親町天皇らに謁見//将軍から多くの特権を与えられる(上杉の7免許)//

1559武田信玄が出家
//名を「武田晴信」から「武田信玄」と改める//出家の背景には信濃をほぼ平定した時期であることや、信濃守護に補任されたことが契機であると考えられている(同年、神奈川県の北条氏が大飢饉のなか徳政を行っていることから、同じく飢饉が蔓延していた武田領国でも北条氏に近い演出を行う手段として出家が行われた可能性が考えられている。)


○ドラマパート:
//勘助の養女となったミツどの、養女としてではなく妻として勘助に接するも勘助はガードを崩さず。しかしミツどのも勘助が斡旋した婿候補を拒否//武田信玄新潟県上杉謙信との和平を無視し上杉謙信領の長野県北部に侵攻//上杉謙信が長野県に出兵、武田軍を攻めるも武田側は衝突を回避。結局上杉軍は新潟県に戻る(→第三次川中島の戦い)//武田信玄のもとに将軍・足利義輝から「上杉謙信と和睦しろ」との指示。武田信玄は「長野県の正式な領有権の認可」と引き換えにこの指示を受諾。(しかし武田信玄は和睦する気はなくむしろ「上杉謙信は自分に領有権のある長野県を侵犯する侵略者」という大儀を得るのが目的だった)//中央から関東の管理を一任されている武将・上杉某が上杉 謙信に「関東管理の地位を譲るから自分の土地を奪った神奈川県の北条家を倒してくれ」と要求。上杉謙信、まずは京都の将軍のにあって直接許可を得る、そしたら関東に出兵すると約束。(同時に関東平定のためには武田信玄だけを構ってられない、しかし自分が新潟県を空けると武田信玄がちょっかいだしてくるだろうことを警戒)//武田信玄、諏訪御料人を失った悲しみ、諏訪御料人の故郷である長野県へのこだわり、今後出家し名を「武田信玄」と改め領国の模範となることを決意したことを勘助に話す。勘助おおいに感銘、自らも出家を志願//{百姓パートのイケメン・ヘイゾーパート}「上司(→元長野県の武将・村上某)}は上杉謙信配下に納まり新潟県で生きていくつもりかもしらんが自分は嫌だ、武田信玄に復讐したい」とイキるヘイゾー。 「今、平和じゃん!上司の命令ならともかく、個人の意思で復讐の戦いのため家族を捨てるのは違うんじゃないか」と諌める妻//1559.上杉謙信が上洛//ヘイゾーが上杉謙信重臣・宇佐美どのに謁見、「軍師になりたい」と懇願。宇佐美どの、「静岡県武田信玄の親戚、かつ武田信玄に恨みをもつ男がいる(→寅王丸。武田信玄に滅ばされた武将の子ながらも武田信玄の側室・諏訪御料人の弟という政治的に腫れ物扱いの存在。※今は僧)」この男を煽って武田信玄を暗殺させてみせろ」とヘイゾーを煽る//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

森坊増隆(もりのぼう ぞうりゅう・****-****):僧:京都.聖護院
//生没年不詳//1557.第三次川中島の戦いの調停のために幕府の使者として山梨県に行く(第三次川中島の戦い武田信玄vs上杉謙信△in1557.長野県)//1567.北条・上杉・武田の和睦のために幕府の使者として神奈川県に行く//北条家(神奈川県)と交流があった//

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