風林火山 第39回 「川中島!龍虎激突」 感想


第39回 「川中島!龍虎激突」 

◎かんそう

パワハラ武将諸角どの
「ここで討ち死にするモロ!皆の者、覚悟を決めるだモロ!」と部下に強制するおじいちゃん武将・諸角某。
「撤退せよ」という主君・武田信玄の命令に独断でそむいたうえに部下にまで死ねと強要(しかも現場の状況でとかじゃなくて感情で)


(´A`)<部下はたまりませんわ


○これがわしの成敗じゃ
しかし勘助の策で敵が撤退、諸角某は死ぬこと叶わず帰還、武田信玄にお咎めを受けます
武田信玄いわく、「生きろ」とのこと。

(´A`)<ベタだけど泣いた。やっぱこういう場面はヘンな色気だすよりベタなほうがいい。しょっちゅうだとシラケるけど。

ただ・・・そのあとの諸角どののリアクションの真意がいまいちわからん。
諸角どの、「また不覚をとってしまいましたモロ・・・」的なことを言ってたけど、あれは武田信玄の言いたかったことが伝わって、「みんなの気持ちも知らず足を引っ張ってしまった、不覚だった」っていうことなの?それとも武田信玄の言葉は届いてなくて、「不覚にもまた自分だけ生きながらえてしまった、不覚だ」って嘆いたの?

(´A`)<わからん。あそこで信繁公がほほえんでたなら「ふっ、まったく世話の焼ける・・」みたいなことだろうから前者ってわかるんだけどそういう演出もなかったし・・


○あとはなんといっても
馬場どの。自分で諸角どのを追い詰めておいて、「冗談だったのに」じゃないでしょ?実際諸角どのにつっかかってたシーン、戯言ってカンジじゃなかったし。
馬場どの、顔はけっこう好きなんだけど性格すきになれないわ。勘助が安否不明だったときも「切り捨てればいい」みたいな態度だったし、ヤナ感じ。

○大将のこころへ
想像を超える上杉軍の強さに動揺する幹部をしりめに「はっはっは。敵もなかなかやりおるのう。さて勘助、どうするかのう?」と余裕の武田信玄
みんなが(ヤバイ・・)って感じてる空気のなかで大将があんなふうに笑ってくれればすっごい安心感でるよね。で、「どうする?」ってふられた勘助も(ワシ、頼られてるムフフ)みたいになるだろうし、すごいいい演出だった。
なんかのドラマでお殿様が「大将の一番の役目はやせ我慢じゃ。大将はいついかなるときも落ち着いていなければならん」みたいなことを言ってたのを思い出した。


◎おまけパート
---長野県.長野市---
武田信玄上杉謙信が5回に渡って交戦した「川中島地区」がある
善光寺本堂
//国宝//川中島の北にある//およそ1400年の歴史をほこり年間600万人の観光客が訪れる//ともに信仰心の厚かった武田信玄上杉謙信はこの寺の支配権を巡って激しく争った//本尊の阿弥陀如来は戦いのさなか武田信玄によって山梨県にもちだされたのち信長ー家康-秀吉の手に渡りおおよそ40年ぶりに善光寺に還った{●前立本尊一光三尊阿弥陀如来({本尊は秘仏})}//大勧進善光寺境内にある事務をつかさどる寺)//寺には武田信玄上杉謙信の位牌が並んで納められている{●武田信玄位牌・●上杉謙信位牌}//だそうで

○行きたいレベル・D
興味はないんだけど近所なのでさんざん行った(由来や背景にも興味なし。っていうか宗教嫌い、坊主大嫌い)。だから誰かを案内するとかじゃないかぎりは行かない


◎覚へ書き

○歴史パート:
1553.第一次川中島の戦い(△上杉謙信vs武田信玄in1553.長野県)
//上杉謙信をバックにつけた北信濃国人衆が武田信玄と戦った(上杉謙信武田信玄でのはじめて公式戦)//武田信玄に領土を奪われた長野県の武将が新潟県上杉謙信を頼る//上杉謙信、長野県に出陣//武田側の城を次々と落とし進軍する上杉謙信//武田信玄、上杉軍の退路を断つ攻撃をしかける//上杉謙信、退路を断たれる前に一旦撤退//上杉謙信、決戦のため武田信玄本人がいる塩田城にむかう//武田信玄、決戦を避ける//上杉謙信、一定の戦果を挙げた判断、新潟県にもどる

上杉謙信→{武田信玄に侵略された長野県の武将の領地は奪い返せなかったものの、さらに勢いにのらせることを防いだ・(やばい、武田につこう)っていう長野県の中小豪族武将たちを思いとどまらせることができた=長野県の治安維持は新潟県の治安維持に直結するので}=一定の戦果を得た
武田信玄→{上杉謙信の妨害で長野県全部はてにいれられなかったが、散々抵抗してきた長野県の大名・村上某に勝利、領土も強奪}=一定の戦果を得た


○ドラマパート:
//長野県の大部分を掌握した武田信玄、残る長野県北部にせまる//武田の侵攻を止めたい上杉謙信新潟県の本拠から出陣//勘助の作戦:「敵の目的は武田信玄の首。だから武田信玄は味方に囲まれた地で待ち構える。敵が自陣深く攻め入ったとこれでフクロ叩きにする」//上杉謙信、武田の策を回避しつつ武田信玄をおびき出すために、武田信玄の陣がある場所には行かず長野県における武田の拠点の城の方角へ進みだす作戦を敢行//上杉のとったルートは武田軍により非常に固く守られていたが上杉軍はこれを次々撃破//裏をかかれた勘助、対応策をとる→「ここで武田信玄が出陣したら敵の思う壺、ここは支城を捨て兵を長野県の拠点の城に集中させよう、そうすれば敵はルート を変えてこち らにくるかこれ以上の深追いはせず撤退するかだろう」//勘助の読みどうり、上杉謙信は撤退しようとする。しかし武田重臣・諸角某が武田信玄の命令を無視、支城で上杉と交戦の構えをとり、それを知った上杉軍も撤退を撤回、進軍にかじとり/すぐさま応援にとびだす武田信玄の弟・信繁(武将・諸角某は武田信繁のもりやく・親も同然なので)「拠点に集結するためにあえて開城するのと落城させられてから拠点にあつまるのとでは配下の武将がもつ印象が変わる」、このままではヤバイ・そこで勘助ひらめく「今すぐ敵の背後に兵を送ろう→その兵と武田側の城に挟まれれば敵は撤退するだろう」//勘助の策があたり敵は退却//武将・諸角某、武田信玄に釈明「自分は引退すべきだが子が戦死してズルズルここま できた、だがもう歳で役にたてない、 だから今回死を持って味方の士気をあげたかった(←前回、武将・馬場某に「調略慣れした腑抜けの筆頭」といわれたのが発端)」//武田信玄「キミは自分が役に立たないっていうけど・・キミが城にとどまったと聞いて、おだやかな弟・信繁が狼狽し、武将・馬場某はいつでも救援に行けるよう馬の上で一晩スタンバってたって知ってた?さらにそのおかげで勘助が策をおもいついて結果こちらが勝ったんだよ?それが生き恥っていうならこれからもワシのために生き恥かいてくれよ、な。」みたいな感じで温情裁定//撤退中の上杉軍、急反転、再び武田信玄居留地に向かう//「そろそろ自分が顔ださないと士気にかかわる」とのことで武田信玄がこれを迎え撃つ準備//両軍・河を挟んで睨みあい//しかし交戦するこ となく上 杉軍は新潟県へひきあげる(上杉謙信曰く「今回は武田信玄に別れの挨拶にきただけだ、満足した、帰る」とのこと)//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×香坂宗重(****-1561):武将(武田信玄):信濃国.牧城城主(長野県)
1556.武田信玄配下としての記録が残っている//****.娘が武田家重臣・春日某と結婚//1560.武田信玄に所領を与えられたときの記録が残っている//1561.5.裏切りの嫌疑により誅された


○ことば
上杉謙信のことば
運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり
何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし
死なんと戦えば生き
生きんと戦えば必ず死するものなり
運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり
武士なれば、わが進むべき道はこれほかなしと
自らに運を定めるべし

//運は天が決めること、自分ではどうすることもできない//でも、鎧を胸に着るように自分の身を守ることは、自身の能力や心や日々の準備でできる//手柄は運ではなく自力で勝ち取ることができる//勝負は運任せにせず、常に敵を自分の手の上で転がすように戦え//死ぬ気で戦えば生き残り、生にすがれば死ぬものだ//運が一定の周期で巡って来るだけだと思うのは間違いだ//武士なら自分の進むべき道は自分で考えて、自分の責任で行動するべきである//
※ほかにもいろんな解釈のしかたがあるんだそうで

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