風林火山 第38回 「村上討伐」 感想


第38回 「村上討伐」 

◎かんそう

○馬場どの
武田家重臣馬場信春公。前半は「武田軍は毎回買収ばっかり。もっと命懸けで戦うべき」とか言っててなんか不安要素っぽかったけど、いざ戦争がはじまれば敵軍の女とバッティングしても殺さず逃がし、その女にツバを吐きつけられてもキレたりしなかった。男だぜ。紳士だぜ。(まああの状況なら誰でもそうするだろうが。あの流れではせめてツバくらい吐かせてやらないと女も引っ込みつかなくてゴネるだろうしね。)

(´A`)<あるいは馬場どのにとってご婦人のツバはご褒美だったか。

でもなんか次回予告で、今回の馬場どのの武田軍に対する愚痴のせいで他の武田レギュラー重臣が死ぬっぽいシーンがあったような・・・

(´A`)<ミスリードあるいはその重臣の死で馬場どのが命の大切さを痛感するっていう構成か?


○ズバッときたな
勘助に恋心を抱く娘・みつどの。(っていうか、恋心を抱くってレベルじゃなくて普通に他人の前で本人に宣言してるが)もちろんドラマパートだしその流れはどうでもいいんだけど、いいんだけど・・・羨ましい。グイグイきてくれる女の子って、いいよね。なんか大昔、自分の若かった頃を思い出す。

(´A`)<それがしにもこんなこともあったな・ポッ。つってな。

(´A`)<でさでさ、本当にどうでもいい話なんだけど、こういうグイグイくる娘って、心変わりも早いんだよね。自分に惚れてくれて積極的にグイグイきてくれたように、また違う男に惚れたらそっちにいっちゃう。

(´A`)<モチロンみつどのは違うでゴザルなんでしょうがね。


コントラスト
上杉謙信を頼りに新潟県に落ち延びた村上義清。その村上どののために即座に兵を貸す上杉謙信
上杉憲政にはなかなか協力しないのとは対照的。史実ではこういう流れではなかったっぽいしドラマでも大義名分や地政学的なものがあったんだろうけどその他に

「家柄が悪いくせに生意気な奴がいる、一緒に倒しにいってくれ」という上杉憲政

「このままじゃあんたのとこもヤバイ・俺に兵を貸してくれ!」っていう村上義清の違いっていう演出もあるのかな?

(´A`)<村上どのの役者さん、はじめはなんかショボイと思ったけど(顔がむっちりしてて恐くないから)、いい演技してるぜウホッ


◎おまけパート

(´A`)<っていうか、今回のおまけパートは「笄の渡し」にしてほしかった!なんで?なんか大人の事情?

---山梨県.北杜市(ほくとし)---
//甲斐と信濃(山梨と長野)の境にあたる地域//長野県攻略を目論む武田信玄にとって重要な拠点だった//

○若神子城址(わかみこじょうし){●狼煙台}
武田信玄による長野県と山梨県の国境として重要視された場所にあった城は長野からくる狼煙の中継点や陣立ての場所として利用された(狼煙台が復元されている)//

○教来石(地名//北杜市.白州町.下教来石)
武田家重臣・教来石かげまさ(教来石かげまさ→(のちの馬場信春)の屋敷があった地域

○教来石民部館跡
//昭和63年の発掘調査により「武田家重臣馬場信春氏の館跡」と確定した//

○自元寺{●馬場信春の位牌・●馬場信春の墓}
//馬場信春菩提寺//教来石民部館跡の近くにある//

○行きたいレベル・B
そこまで興味ないけど比較的近いから行けそう・行けるなら行っとくべき・ってことで行きたいレベル・B。


◎覚へ書き

○歴史パート:

1552.8.武田軍・長野県の城(小岩嶽城)を攻略
//武田軍は3000人の兵で500人で守る小岩嶽城を攻撃//城主・小岩盛親は3ヶ月にわたる籠城の末自刃//(ドラマでは自刃した城主は古厩盛兼)

1552.11.27.武田信玄嫡男・武田義信静岡県の大名・今川家の娘と婚姻
夫15歳・妻不詳。のちに女子を授かる

1553.武田信玄、長野県の大名・村上義清を攻める
村上某の家臣が次々と降伏・謀反し//4.9.村上某は居城(葛尾城)を一時脱出//4.22.体勢を整え、居城の奪還に成功、武田晴信は後退、山梨県に引き上げる//7.25.武田信玄が大軍を率いてリベンジ//8月・村上某は窮地に追い詰められ新潟県上杉謙信を頼って新潟県に逃走

○ドラマパート:
1552.2.大井夫人の葬儀。領内から武将が集まった機会を生かし軍議(葬儀の直後に軍議とはいかに?そんな発言もあった)。ここで武田信玄は長野県の武将・村上某との戦いを宣言。(さらに武田家の事情で軽く不穏な空気が勃発→今後、今川家と仲の悪い北条家と提携するなら武田信玄の息子と今川家の娘が結婚するのは延ばしたほうがいいのでは・的な)。しかし「ここで武田信玄の息子と今川家の娘が結婚することで(武田のバックに今川がいるという箔がついて)戦争が有利になる」という勘助の発言で場は収束(→しかし武田信玄の息子・義信派と、勘助(←信玄の4男・勝頼派)の間には不穏な空気が残る)さらにさらに「今回もまた武力ではなくロビー活動メインで進めるのか?そんなユルイやりかたでいいのか?」という意見もでて、家臣一同ガッチリ一枚岩ってわけでもない空気感。結局武田信玄がそれらの異論をやんわり却下しすべて予定どうり進行させることに//1552.8.武田軍・長野県の城(小岩嶽城)を攻略//武田信玄の近衆だった飯富昌景と春日弾正がスピード昇進・武田家臣に加わる//1552.11.27.武田信玄嫡男・武田義信静岡県の大名・今川家の娘と婚姻//宴席を抜け出す勘助、そんな勘助に言い寄る女(←ちょっと前からでてきた武田家重臣・原某の娘・みつどの)//1553.武田信玄、長野県の大名・村上義清を討伐するため挙兵。すでに周囲は武田信玄に買収されていて村上某は抗戦できず撤退を決断、新潟県上杉謙信を頼り二手にわかれ(村上某とその妻)逃亡//武田軍、勘助の作戦であえて村上某を逃がす(村上を殺すと新潟県上杉謙信が長野県の武田軍に対して宣戦布告する口実になり全面戦争になるが、逃がせば村上某を擁立しないといけないので長野県対長野県という戦争で収まり武田に有利な展開となるため)//村上某は新潟県に逃げきるが妻は武田軍に発見され自害。(二手に別れたのが災いして安全ルートを進んだ妻のほうが武田軍に捕捉された。(お供していたサブメインキャラのヘイゾーの妻も殉死しようとするが武田家臣・馬場某に強引に制止され死ぬこともかなわず結局新潟のヘイゾーのもとへ)//上杉謙信、逃げこんできた村上某に兵を貸す。村上某、援助をもらって所領を一時奪い返すも結局武田軍に圧され再び新潟県に落ち延びる//ついに村上某に勝った武田信玄。//勘助(いよいよ新潟県の軍神・上杉謙信との戦いになるだろう)//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×定津院(じょうしんいん・****-****):禅僧:信濃国.定津院(長野県)
=舜栄
//詳細不詳//1552.長野県に侵攻した武田信玄の意を受けて、武田に抵抗していた地元の大名・村上義清への講和の使僧として義清の下へ赴いた。しかしこの講和を村上方は容れられず、武田の長野県侵攻は再開される事となった//傑物の誉れある高僧であったという。
※超チラッとでてきただけ(5秒くらい・セリフなし・5秒なかったかも)

△飯富昌景(1529-1575):武将(武田信玄-勝頼):駿河・江尻城(静岡県
山県昌景・飯富源四郎
山梨県の大名・武田家の家臣・飯富某の子として生まれ武田信玄に仕える//15歳・初陣(長野県)//24歳・侍大将に←イマココ//32歳・信玄の叔父(勝沼信友)の謀反を制する//37歳・信玄の嫡男の謀反を制す(義信事件)のちに名を山県昌景とする//40歳・駿河江尻城(静岡)城代に//44歳・信玄の上洛戦(西上作戦)に従軍//45歳・信玄死去、以後武田勝頼に仕える(関係は良好ではなかったらしい)//47歳・長篠の戦、勝頼に撤退を進言するも聞き入れられず討死
武田四天王。兄・飯富虎昌の赤い甲冑軍団・「赤備え」を引き継いだ
※武勇・政治手腕ともに優れていたが、小柄なブサメンだったらしい

春日昌信(1527-1578):武将(武田信玄-勝頼):信濃国海津城(長野県)
春日虎綱・香坂弾正・春日昌信・春日弾正
百姓の子として産まれる//15歳・父親を亡くし武田信玄に近習として仕える//25歳・侍大将←イマココ//27歳・//小諸城城代(長野県)//35歳・海津城主(長野県)-第四次川中島の戦い・戦功を挙げる(△武田信玄vs上杉謙信△in1561.長野県)//41歳・三方ヶ原の戦い/49歳・長篠の戦い・長野県で留守番、大敗して帰ってきた武田勝頼のために見栄えのいい衣服・武具を揃え着替えさせ部下への体面を保たせると同時に「今後はこうしたらいかがですか?」的な献策を提案した(長篠の戦い○織田・徳川連合vs武田勝頼●in1575.愛知県)//52歳・新潟県の大名・上杉家との同盟(甲越同盟)の交渉に携わる--52歳・死去//
武田信玄の家臣に「攻め弾正」「逃げ弾正」「槍弾正」と呼ばれる「三弾正」というのがいて、春日昌信はそのうちの「逃げ弾正」と呼ばれる。(逃げまわってる武将、という意味合いではなく、隊の引き際を見極める能力に長けていた、という意味合い)
上流階級には男色が珍しくなかったこの時代、武田信玄との肉体関係を示す手紙が今に残っているらしい。おえ。
※有名な書物・「甲陽軍鑑(←虎綱の活躍をはじめ信玄・勝頼期の事績を記した軍記本)」は、春日昌信の口述記録をもとに春日の関係者が完成させた

×嶺松院(****-1612):山梨県の大名・武田信玄の嫡男の正室甲斐国.躑躅ヶ崎館(山梨県
※ドラマでは綾姫
父は静岡県の大名・今川氏、母は山梨県の大名・武田信玄の姉//1550.「今川家-武田家」同盟の証だった母が死去//1552.「今川家-武田家」の縁戚関係を絶やさないためという政治的理由で武田家に嫁ぐ←イマココ//****.女子出産//1560.桶狭間の戦い・父親が戦死。(○織田信長vs今川義元●in1560.愛知県)やがて父親の領地を奪おうとする義父(武田信玄)とそれに反対する夫(武田義信)が衝突。夫は幽閉され、夫婦は離縁となる//1567.夫が死去、娘とともに静岡の実家に帰ったのち出家//以後詳細不詳(1568.実家の今川家の領地は武田信玄に奪われる)//1612.8.19.死去(家系図記載)


×古厩盛兼(ふるまやもりかね****-****):武将(仁科盛国-武田信玄-勝頼-小笠原貞慶):信濃国.古厩城城主(長野県)
※長野県小岩嶽城はドラマでは古厩盛兼の城だが史実では小岩盛親の城(武田軍に攻められ自害したのも史実では小岩盛親/ドラマでは古厩盛兼)。ちなみに古厩盛兼の城は古厩城
古厩城城主・古厩某の子//1552.武田信玄の侵略で支族の城(小岩嶽城)が陥落、武田方に降伏//武田氏滅亡後、復権した地元大名・小笠原某に(新潟県の大名(上杉某)と内通してるのでは?と)疑われ一族が滅ぼされる(この人がこのときまで生きてたかはしらんが)

×小岩盛親(こいわもりちか1497-1552.):武将(小笠原氏-武田信玄):信濃国.小岩嶽城城主(長野県)
※(ドラマで古厩盛兼の城とされていた)長野県小岩嶽城の史実上の城主(武田軍に攻められ自害したのも史実では小岩盛親/ドラマでは古厩盛兼)
※現時点でドラマには登場しない
長野県の国人・仁科某の子//26歳・.小岩嶽城主に任じられる//55歳・.武田信玄の侵略により支城(宿城)が陥落//56歳・500名で守る自城(小岩嶽城)に5倍の大軍で攻められ籠城の末子共々自害
※ウィキによると武田信玄が君主。でも武田信玄に城攻めされ自害。その経緯の説明ナシ。ドラマで名前でてこなかったのはこのへんの事情?

×於フ子(オフネ・****-1553):長野県の大名・村上某の側室:信濃国.葛尾城・笄の渡し石碑・姫宮の跡(長野県)
※ドラマでは玉ノ井・史実では村上国清の生母ではない・史実では側室
長野県・中野城城主・高梨某の娘//****.長野県の大名・村上義清の側室となる//1553.武田信玄の侵攻により居城(葛尾城)が落城、逃走の際、川に阻まれるも船頭に助けられ逃げ延びる(このとき礼として自らの笄(←コウガイ・装飾的な結髪用具)を渡したという「笄の渡し」という伝説が残っている//夫の戦死の報を聞いて子とともに川に身投げし死去(※夫の死去は誤報だった)//
※いろいろ諸説あり(死にかたとか伝説の真偽とか)

×村上国清(1546-****):武将(上杉謙信-景勝):越後国.(新潟県)-信濃国.海津城城主(長野県)-会津国.塩之森城城代(福島県
=山浦景国
//長野県の大名・村上某の子//8歳・国が武田信玄に侵略され父親とともに新潟県に逃走//****.新潟県の大名、上杉謙信の養女と結婚//****.当時断絶していた名家を継いで山浦国清と改名//****.客将として謙信に仕え数々の戦争に従軍//33歳・上杉謙信死去、上杉景勝に仕える//33歳・御館の乱・功績を挙げ主君から一字を賜り名を景国と改名)(御館の乱:○上杉景勝vs上杉景虎●in1578.新潟県)//37歳・海津城(長野県)城主となり父親の領地をとりもどす//45歳・豊臣小田原征伐・上杉軍の先鋒を務め活躍(豊臣北条征伐:○豊臣秀吉vs北条氏政●in1590.神奈川県)//53歳・上杉景勝福島県移封につき従い塩之森城(福島県)城代となる//以降不明(一説には上杉家の山形県移封の際に随行を拒否して出奔したとも)

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