西郷どん 第40回 「波乱の新政府」 感想


第40回 「波乱の新政府」

◎かんそう

○物語の趣旨とはズレますが・その①-当事者になっても「今日」より「明日」と言えるか-

「今、憎しみあって争いあって犠牲者被害者がでても100年後豊かな国になれるならそれでいい」という大久保利通


(´A`)<「さすが大久保利通、そのとうりだ!!」なんて、テレビの前なら皆言うだろうけど、実際そのせいで「自分が」被害者・犠牲者になるなら反対するだろうな。特に今の時代の人間は絶対そう。

(´A`)<なんて思いましたまる

(´A`)<それにしても大久保さんはなんであんなに焦ってるんだろ。欧米視察後ならまだしもまだ海外列強を見てきたわけでもないのに・・

○物語の趣旨とはズレますが・その②-住みたくもない豪邸に住み、したいわけじゃない贅沢をする理由-

西郷「自分を飾る必要なんてない。誠意をみせれば相手はきっとわかってくれる」

大久保「それは理想でしかない。たしかにキミはそうかもしれないが、欧米ではこちらの身なりがよくなきゃ相手は話もきいてくれない」

(´A`)<ハラたつけど大久保が正しいと俺は思う。世の中、キレイゴトじゃ進まない。・・・

(´A`)<自分が贅沢することに対して自分自身を正当化してるんじゃないの?とは思うけど・だったら自分が努力して政治家になって貧乏暮らしすればいいだけ・って話だしね・・

(´A`)<前に民主党が与党になったときに「宝くじの配分率はおかしい、公園や寄付よりくじ購入者にお金がいくように改善しなさい」って指示をだしたのよ。で、庶民はヤンヤヤンヤの大歓迎。

(´A`)<ところが・・・

(´A`)<民主党が「改善策がでるまでくじの販売中止」って指示を出したとたんに庶民が大反対。

(´A`)<「おまえたちは改善しろ、ただし我々は待たないし我慢もしない。待つくらいなら改善しなくていいからくじを売るべきだ。」っていうね。

(´A`)<で、その勢いに呑まれて「やっぱ改善しなくていいです」ってなった民主党。結局宝くじは今も民衆を養分に金を集め低い確立で一部の金を一部にめぐんでくださるっていう状況のまま。

(´A`)<「周りには質素倹約・改革・我慢を強いるが自分は例外」。

(´A`)<今も昔もどいつもこいつもクソですわ。


○緊迫した閣内会議にて

「こうするのが日本のためだ!」「それはあんたのためだろう!我々は断固反対する!」「何を言うか、キミ達こそ自分達の派閥のため我らの政策を阻んでいるのだろうが!」ヒートアップする役者さんたち。

(´A`)<そんな役者さんたち熱演の中、岩倉具視の人の演技だけがグダグダ浮いてる。

(´A`)<アレはひどい。見てる俺でさえイラっとするんだから役者さんたちはそうとう迷惑してるんじゃない?

(´A`)<「シリアスなドラマなんだから重要な役に役者じゃない人間をいれないでほしい・たとえ有名人でも著名人でも演技が素人なら起用しないでほしい」・とか役者さんたちは思わないのかなあ?


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ

○その他小並感

(´・ω・`)<ナシよ


◎おまけパート
---千葉県.船橋市---
船橋市なのに習志野という地域が3箇所ある(これらの地域はかつて『習志野原』と呼ばれた一帯の地域だったためその名残りとして現在もその名が残る)
西郷が編成した御親兵(のちの近衛兵)がたびたび演習をおこなった地//かつて大和田とよばれた広大な台地は幕府直轄の牧場がおかれた馬の産地だった//馬を逃がさないために築かれた土手が今も残されている(→○下野牧二和野馬土手)//1873.(明治6)明治天皇は、近衛兵を引き連れてこの地で薩摩・土佐・長州の旧藩士たちで編成された2800人の近衛兵が一堂に会する大規模な演習を統監。お供には天皇の信望厚い近衛都督の西郷隆盛もいた//その時に天皇が野営した場所が現在の船橋市習志野台4丁目あたりであった//この時に天皇は、この地が演習場として大変有効な土地であると判断、以後この地を『習志野之原』と命名し、陸軍の演習場として活用するよう命じた//

明治天皇船橋行在所
前述の大規模演習のおりに天皇が宿泊・休憩・食事をとった旅館業「桜屋」の山口丈吉宅跡//現在の千葉銀行船橋支店の位置で、前に石碑が建っている//

明治天皇駐ひつ之処の碑
前述の大規模演習のおりに天皇が野営した場所//石碑が建立された場所は「御幸台」と呼ばれていた//船橋市習志野台4丁目に現存していたが1994.(平成6)、現在の場所(薬円台公園内)に移設された

---千葉県.習志野市---
習志野騎兵旅団発祥の地
明治天皇は演習を行った地を「習志野ノ原」と命名し陸軍の演習場に定める//以降習志野には駐屯地や陸軍学校の施設がおかれ発展をみせていった(→○旅団司令部の門跡)//藩の垣根を越え結成された近衛兵は新時代の象徴の一つだった

○行きたいレベル・D

(´A`)<クソどうでもいい


◎覚へ書き---1871年・主人公43歳---

○歴史パート:

廃藩置県(in1871)
※独立採算の地方自治体(→藩)をなくし、あらたに政府が一元管理する「県」を創設、税金も法律も全部中央政府が一括します・という改革
//当時日本全国の税収はその土地土地の支配者が受け取っていて、明治新政府の税収は日本全国の三分の一以下だった。また、「外国の侵略に備えて軍隊を作りたいから全国から人を募集する」ということもその土地の支配者の許可がないとできなかった//国を強くする(=富国強兵)ために資金と人員が必要だった明治政府が土地の支配者の「税金を受け取る権利・人を支配する権利はすべて天皇(朝廷)のもの」とし、土地の支配者たちの権力を剥奪した//ただ、いきなりこれをやると今まで税収で左うちわだった支配者たちの反発がすさまじいのであらかじめ2年前(1869)に「天皇が土地の支配者に預けているということになっている税と人民を支配する権利は天皇に返してもらうという法令をつくるけど返してもらった権利はそのまま貸しとくから今までどうり暮らしてね・でも、人民(とくに武士)は兵隊として必要だからちょこちょこかえしてもらうよ」という御触れをだして足場を固めておいた(→in1869.版籍奉還)//

御親兵(in1871-1872.)
天皇を護衛する軍隊だが、前述の廃藩置県で各地の有力者が反発、反乱を起こしたときそれを粛清する、あるいはその存在をしらしめあらかじめ反乱を抑制させるために作られた側面も大きい。明治新政府はこの御親兵の力を背景に中央集権化政策を一気に実施しようとした
明治政府最初の直轄軍隊//厳密には明治維新当初、長州藩兵などで組織される。も、少数のうえ雑然とした性格のため解隊//1871年(明治4)あらためて組織される。同年執行された廃藩置県(1871.)とともに、名実ともに近代日本最初の国軍として機能//徴兵令(1873.)の施行とともにその役目を新軍隊に譲って本来の業務である皇居警護に専念//1872.「近衛」と改称//1891.「近衛師団」となる//1945.他組織と統合//1946.解体


○ドラマパート:
//大久保利通岩倉具視が鹿児島県入り、鹿児島県の実質支配者・島津久光に新政府参入を命じる(真意→支配者を鹿児島県から引き離すことで鹿児島県の指揮系統を弱める狙い)島津久光はこの真意を見破り辞退(仮病)//西郷、大久保らに「御親兵」の設立を提案(→大久保らから廃藩置県(当時各地の有力者が徴収していた税などの権利すべてを中央政府一極に集中させる)の計画を聞く→当然地方の有力者は反発する。反乱が起こる→圧倒的な軍を設立し、反乱できないように威嚇しよう→さらに各地から優秀な武士を招集することで各地の戦力を削げる・職を失った侍たちの就職の受け皿にもなれる・という考え)//大久保利通、元君主で鹿児島県実質支配者・島津久光と決別。(→自分は中央で国を動かす。自分は鹿児島県トップより大きな人間になった)//1871.西郷、東京入り。中央では廃藩置県の段取り(早急に・順を追って)で意見が分かれる(早急に中央へ権力を一極集中させるべき→廃藩置県して権力とカネを中央に→地方が反発するぞ→それをみこした鎮圧のための兵隊をつくる→人件費がかかるぞ→廃藩置県すれば税収でなんとでもなる→ゆっくりやって反発を緩やかにすれば兵隊もいらず金がかからないぞ→そんなペースじゃあダメなんだ・で堂々巡り//誰になんと言われても、西郷の説得すら聞き入れず早急にことを運ぼうとする大久保に西郷はとまどいながらも支える決意//政府内部は派閥の主導権争いでバラバラ。内戦が続いて貧しい暮らしを余儀なくされている国民をよそに暮らしは贅沢。これを正そうとする西郷に「そこはそれでいい」と言う大久保。「周囲の意見に耳をかさず強引に廃藩置県を断行しようとする・鹿児島県に妻子がいながら東京に妾と子供・贅沢は必要だからやっている」そんな大久保に違和感をもつ西郷、(自分は政府・大久保とやっていけるのか・・・鹿児島に帰ろうか・・・)西郷迷う//大久保、大政奉還を強行しようとする→他勢力が反抗、政府からの離脱を示唆→離脱されると政府そのものが瓦解しかねない→いつもならここで大久保を助ける西郷が姿をみせず大久保が浮いた状態に→大久保ピンチ→そこに西郷があらわれ全員を説得。廃藩置県は決行されることに(→●in1871.廃藩置県)//つづく

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×後藤象二郎(1838-1897):武士-政治家:高知県
高知県の上級武士の嫡子//10歳・父親死去。のちの高知県実力者・吉田東洋に預けられ育ちその後ろ盾で公務員の仕事につきエリートコースに//24歳・後ろ盾の吉田某が暗殺される→職を解任される//25歳・東京で英語や航海術を学ぶ//26歳・高知県の公務員職に復帰//高知県の実質トップ・山内某に気に入られ高知県公務員要職につく//28歳・上海を視察//29歳・坂本龍馬の発案とされる大政奉還(徳川政府の延命策)を成功させ徳川政権存続に貢献(→大政奉還1867.)。しかし結局鹿児島県や山口県が強引に徳川政府をつぶし後藤が所属する高知県は立場的に弱くなる(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城in1868)//30歳・明治新政府発足、政府要職を歴任(→明治維新1868.)//34歳・(→廃藩置県1871●←イマココ)//36歳・政府内党争に敗れ政府から離脱(→明治6年政変1873)、ともに政府から離脱した仲間と政党を結成し政府と対立するものちに政府と迎合、農商大臣など政府要職を歴任//59歳・病死

(´A`)<昔読んだ坂本龍馬の漫画でめちゃくちゃ悪人に描かれててその印象が強いけどwikiで略歴をみるぶんには全然いい人っぽい(坂本龍馬との面識も龍馬が長崎で商売を始めてからが初対面)。相当な有名人だと思ってたけど略歴・解説が結構短くて意外だった。


板垣退助(1837-1919):武士-政治家:

//高知県の上級武士の子//19歳・高知県の公務で東京に勤務//30歳・薩土密約(1837.)//31歳・戊辰戦争では明治新政府に従軍、祖先が地元の有力者だった山梨県を攻略、(山梨県の板垣某という武将が先祖だったので山梨県民からの支持をとりつけるため姓を「乾」から「板垣」と改姓)(戊辰戦争明治新政府vs徳川旧政府残党●in1868.日本各地)//34歳・新しく発足した政府(明治政府)の閣僚に//34歳・廃藩置県1871●←イマココ//36歳・政府内党争に敗れ政府から離脱(→明治6年政変.in1873)、ともに政府から離脱した仲間と政党を結成し政府と対立する//38歳・ふたたび政府に参閣するもまもなく辞職、「開かれた政治」をめざし政治運動//45歳・政治演説の場で襲撃される。このとき発っした「板垣死すとも自由は死せず」という言葉が有名に(岐阜事件・in1882.岐阜県)。のちも内閣に参閣したり辞職したり政党を結党したり政界で活動//63歳・政界引退//82歳・死去

(´A`)<戊辰戦争山形県が政府に反抗し負けたとき、政府側だった西郷隆盛は反抗した山形県を厳しく罰っさなかった・っていうのはしってた(ドラマでそのへんにほとんどふれてないことにイライラした)けど、同じように板垣退助戊辰戦争で政府に反抗した福島県に寛容な処置をくだしたんだとか(その後地元の人に感謝崇拝されたっていうノリも同じ)。

(´A`)<後藤象二郎もなんだけど、昔読んだ坂本龍馬の漫画で、板垣退助もめちゃくちゃ悪人に描かれてて。その印象が強いけど実際は身分制度撤廃・四民平等を願い続けたいい人っぽい。でも幼少期に刷り込まれた「板垣退助と後藤象次郎は悪人」っていうのを拭うことができないので「板垣退助」を主役で大河ドラマ作ってほしい・と思う(征韓論絡みでNHKのそっち系職員団体から忖度圧力かかるから無理かな・・・)

大隈重信(1838-1922):武士-政治家:早稲田大学(東京都)

佐賀県の上級武士・大隈某の長男//23歳・オランダの学問を学び講師に//30歳・明治新政府に参閣し活躍(明治維新in1868.)//33歳・廃藩置県1871●←イマココ/35歳・西郷隆盛らが主張した韓国との関係改善法案に反対(→明治6年政変1873)//39歳・鹿児島県が叛乱を起こす。政府は軍を送り迎撃、その支出費用の調達とその後の財政運営に携わった(西南戦争in1877)// 43歳・政府内抗争に敗れ政府から離脱(明治十四年の政変in1881)//政党をたちあげ現政府に注文//50歳・参閣、外務大臣となる//51歳・自身を標的とされた爆弾テロにあい右脚を失い政府から離脱(大隈重信遭難事件in1889)//58歳・再び政界入り//60歳・内閣総理大臣となるも4ヶ月で辞任//69歳・政界を引退し文化活動に尽力//75歳・再び政界に復活((´A`)・・いいかげんどうでもいい、とっとと死ね)、76歳で再び内閣総理大臣に//76歳・第一次世界大戦in1814.//78歳・失策などにより内閣総辞職、政界から完全に引退//85歳・病死(っていうか85なら老衰でいいじゃんね)

(´A`)<西郷隆盛とは仲が悪かったらしい。福澤諭吉とは仲がよかったらしい


×江藤新平(1834-1874):武士-政治家:佐賀県

//佐賀県の下級藩士、江藤某の長男//19歳・神奈川県にペリーが来航in1853//20歳・(日米和親条約1854)//22歳・開国の必要性を説いた意見書を執筆、のちに政府に重用される//23歳・結婚//28歳・脱藩し捕まる、本来なら死刑のところ、その才覚が佐賀県の目にとまり無期謹慎で済む//33歳・謹慎解除//34歳・佐賀県からの公務員として明治新政府に参加(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)。文部大輔、左院副議長、創設された司法省の司法卿として、学制、四民平等、警察制度、司法制度の整備など、近代民主主義国家の確立に尽力//37歳・廃藩置県(1871.)●←イマココ////39歳・政府内闘争に破れ政府を離脱(→明治6年政変1873)//40歳・帰郷した佐賀県で対政府の叛乱、江藤はそのリーダーにかつぎあげられる(佐賀の乱○明治政府vs佐賀県の元・武士●in1874.佐賀県)。政府の鎮圧軍に敗北、一方的な裁判で死刑宣告、斬首、首は公衆にさらされた

(´A`)<さらされた首の写真が残っていて、普通にネットでみれる。ブルブル


×三条実美(1837-1891.)公家・政治家:三条邸跡・梨木神社(京都府

京都の公家・三条某の三男//21歳・徳川政府打倒・外国排斥(尊王攘夷)運動に傾倒、思想を同じくする山口県と組んで政治活動を行う//23歳・思想の違う団体の起こしたクーデターに破れ山口県に敗走(8月18日の政変○鹿児島・福島県vs山口県●in1863.京都府)//29歳・政敵だった鹿児島県と山口県が同盟(→薩長同盟1866)//31歳・山口県・鹿児島県などが政府・徳川幕府を打倒。政界復帰を果たす(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)//34歳・廃藩置県(1871.)●←イマココ//36歳・政府内の派閥・政策争いの板ばさみで体調を崩し倒れる(→明治6年政変1873)//52歳・政治のゴタゴタ・天皇のマヌケ采配で2ヶ月だけ総理大臣を他の職務と兼任//55歳・インフルエンザで死亡



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西郷どん 第39回 「父、西郷隆盛」 感想


第39回 「父、西郷隆盛

◎かんそう

○幕末モノドラマの鬼門・”維新以降”
幕末モノにはいい印象がない。”八重の桜”は明治維新からつまらなくなった。”花燃ゆ”はもともとつまらなかったのが明治維新以降はさらにつまらなくなった。で、今作。

(´A`)<今回からついに維新以降ですが・・


(´A`)<今回を見たぶんには良さげ。ドラマが戦争で終わるから・あるいは男が主人公なのがよかったのかも。(別に女性軽視とかじゃなく、女性が主人公の話だとどうしても”おしつけがましくわざとらしい過剰な心のふれあい”・”わざとらしい思いやり”・”わざとらしい愛”・みたいなのがテーマになってゲンナリする演出が臭ってくるから。その臭いが好きなひともいるだろうけど俺はニガテです・ってだけ)


○その他小並感

・小①:重厚でいい話だった。(但し菊次郎くんの「父上・母上」宣言には失笑。構成に無理矢理感を感じた。そこ以外はよかった)俺はドラマパートは嫌いなんだけど今回はなんか気合入ってた。最終章だから役者さんもチカラ入ってた?

・小②:主題歌の映像もリニューアル。西郷と大久保がすれ違うシーンがかっこいい!(お互い違う方向に進む、決して振り返らない・とかベタだが熱い!)

・小③:西郷さんの妻・糸どんが奄美大島へ行ったのは史実?なわきゃねえよな。
(´A`)<けんさくしたけどわかんなかったじぇ


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ


◎おまけパート
---東京都.千代田区---
大名の藩邸が24あったため「大名小路」とよばれた//奉行所評定所もあった//明治維新が成り、空き家となった大名屋敷は明治政府高官たちの屋敷や政務を行う場所となった
--新宿区--
○玄国寺(旧岩倉具視邸)
岩倉具視の屋敷と伝わる建物の一部が移築され残されている//和と洋が混在した珍しい建物//
--港区--
○旧新橋停車場跡
東京都港区東新橋にある駅舎跡//1872.(明治5)日本初の鉄道が開通した当時の新橋停車場を復元したもの
○鉄道創設起点0哩(マイル)標識
JR新橋駅の南東,旧国鉄の汐留貨物駅跡にある//1870(明治3)年3月25日,新橋~横浜間の鉄道建設の第一杭が打たれたところで,鉄道創設起点として,1878.(明治11)にこの標識が建てられた//開業当時のレールやプラットホームの一部が残されている//

○行きたいレベル・D
びっくりするほどどうでもいい


◎覚へ書き---1869年・主人公41歳---

○歴史パート:
版籍奉還(はんせきほうかん)
当時各地にそれぞれいた土地の支配者を政府がまとめて管理するために行った政治改革//全国の藩(お殿様)が所有している版(←土地のこと)と籍(←人のこと)を朝廷に返還させた政策。これにより版と籍の所有権は名義上法的に朝廷のものになったが実質管理はそのままその土地のお殿様に委託・やらせたので実際はあまり変わらないような状態だった//次に政府は「朝廷のもの」となった「人民」を各地から集め軍隊を作る//それから2年後、土地管理の委託をお殿様から打ち切り、違う人(政府の人間)にさせる(→廃藩置県in1871)、その時この版籍奉還という政策をしておいたために土地も人も法的に朝廷・政府のモノとなっていて、さらにお殿様の部下だった各地の侍は軍人としてすでに政府の配下になっていたのでお殿様たちは従うしかなかった//

(*^ω^*)語呂合わせ・「版籍奉還
-1869・「人は向く土地も戸籍も天皇に(ヒトハムク)・1869-

○ドラマパート:
//プロローグ・1904(明治37)・西郷の離島の妻の子・西郷菊次郎(→庶子・本妻の子ではない子のこと)が京都市長として市役所に入る。部下にせがまれ父・西郷を回想する菊次郎//
//本編・1869(明治2)西郷は政界から引退し鹿児島県で暮らしていた(鹿児島県の役所でも働いていないっぽい)//西郷の正妻と使用人・熊吉が奄美大島に行き西郷菊次郎を引き取る//鹿児島県に来た菊次郎、父、西郷と再会、西郷家での暮らしが始まるも「愛人の子」ということで遠慮気味・言葉少な//鹿児島県トップの島津久光が西郷を召喚し愚痴と嫌味(地方自治体の現状の説明セリフ→県の土地所有権と政治運営権の多くを天皇に返上、権力の多くを失ってしまったというもの→藩籍奉還)//明治新政府明治維新の論功行賞や今後の政治運営の方針などで内輪もめが続く//中央政府の強引な行政・改革に地方各地で不満が噴出//鹿児島県の侍が中央政府を弾劾、抗議のため割腹自殺。この事件が多くの人の知るところとなり政府への不満は一層強まる//中央に対する反感を抑えるために「戊辰戦争の英雄・西郷隆盛」を入閣させようという話になり西郷の弟が説得のため鹿児島県へ//説得された西郷、政界復帰を決断。しかし妻が東京行きに難色。(→愛人の子が来たばかりでまだ家に馴染んでいない。もう少し待ってほしい)//西郷の東京行きに妻が反対しているのを知った西郷の庶子、西郷に東京へ行ってほしい、国民のために働いてほしいと訴える(このとき初めて西郷夫妻を父上・母上・と呼ぶ)//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×西郷菊次郎:(1861-1928):政治家・外交官:鹿児島・京都・奄美大島
明治維新の立役者・西郷隆盛と現地妻の子(庶子・長男)として奄美大島で産まれる。当時西郷は中央政界ではそこそこ・鹿児島県内ではかなりの立場だったが政治情勢が逆風で政治犯とされ、追っ手から逃れ島暮らしをしていた)//1歳・父・西郷隆盛が本州にもどる//9歳・本州の西郷隆盛の家にひきとられる←■■イマココ・39回■■//12歳・アメリカに留学(1872なので1871.の岩倉使節団とは別口っぽい.)、2年半後帰国//17歳・鹿児島県で父・西郷隆盛を旗頭とした反政府クーデターが勃発、反政府兵として日本政府と戦う→足に銃弾を受け右脚切断、政府軍に投降(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元武士●in1877.鹿児島県)//23歳・外務省勤務//34歳・日清戦争で日本領土となった台湾に勤務(4年半)//43歳・台湾から帰国後、京都市長に(6年半)←■■出だしはココ・39回■■、足の後遺症余病で京都市長を辞職、鹿児島に帰郷//67歳・心臓麻痺で死去

×内貴甚三(ないきじんざぶろう1848-1926.):西郷菊次郎の前の京都市長
京都の呉服問屋に産まれる//40歳・民選京都市長に//56歳・京都市長辞職.←■■イマココ・39回■■、.衆議院議員に出馬、当選。のちに京都財界の大物となる//

×川村鉚次郎(かわむらりゅじろう****-****):公務員:
京都や台湾のインフラ整備に貢献した人?っぽ
詳細不詳wiki未記載//****.東京帝大法学部卒業し官僚となる//****.台湾勤務//1905.京都勤務//らしい

×清(=清子):西郷隆盛の弟・西郷従道の妻:鹿児島→東京
詳細不詳wiki未記載//鹿児島県の武士・得能某の長女//西郷隆盛の弟・従道と結婚、6人の子を産む//
西郷隆盛の親友・大久保利通に非常にひきたてられた。大久保利通暗殺について「大久保さんのご親切を思い出すと、いつも涙の種となる」と語っている//だそうで

×三条実美(1837-1891.)公家・政治家:三条邸跡・梨木神社(京都府
京都の公家・三条某の三男//21歳・徳川政府打倒・外国排斥(尊王攘夷)運動に傾倒、思想を同じくする山口県と組んで政治活動を行う//23歳・思想の違う団体の起こしたクーデターに破れ山口県に敗走(8月18日の政変○鹿児島・福島県vs山口県●in1863.京都府)//29歳・政敵だった鹿児島県と山口県が同盟(→薩長同盟1866)//31歳・山口県・鹿児島県などが政府・徳川幕府を打倒。政界復帰を果たす(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)//1869.32歳・←■■イマココ■■//36歳・政府内の派閥・政策争いの板ばさみで体調を崩し倒れる(→明治6年政変1873)//52歳・政治のゴタゴタ・天皇のマヌケ采配で2ヶ月だけ総理大臣を他の職務と兼任//55歳・インフルエンザで死亡

×江藤新平(1834-1874):武士-政治家:佐賀県
//佐賀県の下級藩士、江藤某の長男//19歳・神奈川県にペリーが来航in1853//20歳・(日米和親条約1854)//22歳・開国の必要性を説いた意見書を執筆、のちに政府に重用される//23歳・結婚//28歳・脱藩し捕まる、本来なら死刑のところ、その才覚が佐賀県の目にとまり無期謹慎で済む//33歳・謹慎解除//34歳・佐賀県からの公務員として明治新政府に参加(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)。文部大輔、左院副議長、創設された司法省の司法卿として、学制、四民平等、警察制度、司法制度の整備など、近代民主主義国家の確立に尽力//1869.←■■イマココ■■//39歳・政府内闘争に破れ政府を離脱(→明治6年政変1873)//40歳・帰郷した佐賀県で対政府の叛乱、江藤はそのリーダーにかつぎあげられる(佐賀の乱○明治政府vs佐賀県の元・武士●in1874.佐賀県)。政府の鎮圧軍に敗北、一方的な裁判で死刑宣告、斬首、首は公衆にさらされた

(´A`)<さらされた首の写真が残っていて、普通にネットでみれる。ブルブル


大隈重信(1838-1922):武士-政治家:早稲田大学(東京都)
佐賀県の上級武士・大隈某の長男//23歳・オランダの学問を学び講師に//30歳・明治新政府に参閣し活躍(明治維新in1868.)//1869.31歳←■■イマココ■■//35歳・西郷隆盛らが主張した韓国との関係改善法案に反対(→明治6年政変1873)//39歳・鹿児島県が叛乱を起こす。政府は軍を送り迎撃、その支出費用の調達とその後の財政運営に携わった(西南戦争in1877)// 43歳・政府内抗争に敗れ政府から離脱(明治十四年の政変in1881)//政党をたちあげ現政府に注文//50歳・参閣、外務大臣となる//51歳・自身を標的とされた爆弾テロにあい右脚を失い政府から離脱(大隈重信遭難事件in1889)//58歳・再び政界入り//60歳・内閣総理大臣となるも4ヶ月で辞任//69歳・政界を引退し文化活動に尽力//75歳・再び政界に復活((´A`)・・いいかげんどうでもいい、とっとと死ね)、76歳で再び内閣総理大臣に//76歳・第一次世界大戦in1814.//78歳・失策などにより内閣総辞職、政界から完全に引退//85歳・病死(っていうか85なら老衰でいいじゃんね)

(´A`)<西郷隆盛とは仲が悪かったらしい。福澤諭吉とは仲がよかったらしい


×別府晋介(1847-1877):武士・軍人:鹿児島県
//詳細不詳・鹿児島県の別府某の子//21歳・鹿児島県らが主導した新政府軍に従軍し活躍(戊辰戦争明治新政府vs徳川旧政府残党●in1868.鹿児島県)//24歳・中央政府軍のエラい役職につく//25歳・戦争に備えて変装し2ヶ月韓国を偵察、「簡単に倒せる」との所見を政府に報告//26歳・政府内抗争で敗れ失脚した西郷隆盛が鹿児島県に帰郷するとすぐにあとを追い鹿児島へ(明治6年政変in1873)//27歳・西郷隆盛プロデュースの鹿児島私立学校創設に尽力//31歳・西郷隆盛を旗頭に鹿児島県が起こしたクーデターに従軍(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元武士●in1877.鹿児島県)、戦争最終局面で西郷が負傷、切腹を決断すると、晋介は駕籠から下り、「御免なったもんし(お許しください)」と叫び、西郷を介錯。その後弾雨の中で自決

(´A`)<最終回で西郷隆盛の首を斬る人。役者さん的には見せ場のはっきりしたオイシイ役なのにジャニーズとかのイケメン大根タレントじゃないのが意外。


×横山安武(よこやまやすたけ1843-1870):武士・学者:鹿児島県福昌寺跡(墓がある)
鹿児島県の武士・森某の四男//13歳・.思想学者の養子となりその跡を継ぐ//25歳・王政復古、戊辰戦争、江戸無血開城明治維新(in1868.)//26歳・鹿児島県外で見聞を広め最終的に東京へ//27歳・明治新政府の腐敗・悪政を批判して東京の三重県出張所の裏門で割腹自殺■■イマココ■■その死は世間で話題となった//
※「西郷隆盛が政界に復帰するみたいで安心した」的なことがかかれている遺書からは彼の西郷に対する信頼が読み取れる

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西郷どん 第38回 「傷だらけの維新」 感想


第38回 「傷だらけの維新」

◎かんそう

○命を燃やせ

西郷どんの弟、吉次郎どん。西郷どんが都会で著名な政治家たち相手に活躍してたときも離島で愛人とリア充してた時も彼はずっとずっと鹿児島の実家で留守番、親の介護、農作業。

そんな吉次郎どんに「なんでも願いをかなえてあげよう」という魔法使いばりのラッキーチャンス到来。

「遠慮なく言ってみ?クワが欲しいんか?鎌がほしいんか?」家族から無意識に小馬鹿にされる中で彼が望んだものは「戦争に行きたい、鹿児島の戦士として戦場で戦いたい」というものでした。

願いがかなった吉次郎どん。

ワンカットの活躍シーンもなく北国・新潟で戦死。



(´A`)<吉次郎どんの心中やいかに。


(´A`)<俺が吉次郎どんなら、自分の運命に納得して成仏できるな。


(´A`)<もし戦争に行かないで、(あのとき戦争に行っていれば俺の人生は違うものだったかも)なんて後悔しながら農作業で一生を終えるより、自分の選択した道で燃え尽きて死にたい。


(´A`)<まあ本人はそれでよくても妻は一生後悔するだろうから、独り身限定の願望ではあるが。


(´A`)<生きて帰れて、(もう戦争はこりごりだ、残りの人生農作業に捧げよう)ってなればモチロンそれが一番なんだけどな


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは吉次郎どん。

(`・ω・´)<「西洋の兵器は強力だ。一瞬で殺されるかもしれんぞ」という西郷の問いに対しての、「死の覚悟はできている」というものでした

(´;ω;`)<ホントに死んじゃったけどな



○その他小並感

・小①:しょっぱなの戦場カット超ショボイ!ひどいもんだ!予算ないのか?

・小②:戊辰戦争もう終わり!?東北行きも北海道行きもナシ?予算ないのか?

・小③:西郷エピソード省略!「東北戦争での温情戦後処理」「上野戦争で大村某と海江田某が揉めて西郷が仲介」なぜ省略?予算ないのか?


(´A`)<しょうもない愛の創作メロドラマ垂れ流すより史実として残されているエピソードや伝承のほうをドラマにしてもらえませんかね。予算ないのか?


◎おまけパート

(´A`)<バックの歌が変わりました。

(´A`)<前のよりかはマシになったがそれでも”歌”は入れないでほしい。ナレーション聞きづらいよ・・

◎おまけパート

(´A`)<バックの歌が変わりました。

(´A`)<前のよりかはマシだが”歌”は入れないでほしい。ナレーション聞きづらい・・

北越戊辰戦争の激戦地。多くの死傷者がでた
○長岡城本丸跡
//この城をめぐり攻防戦が繰り広げられた
○維新の暁鐘
//信濃川を渡り奇襲攻撃を仕掛けた新政府軍にたいし長岡藩士が打ち鳴らした警鐘//今も残っている//

○戊辰戦役記念碑
長岡城落城後、北上する新政府軍に従軍していた西郷の弟・吉次郎は川を挟み撃ち合う中、受けた銃弾の傷がもとで亡くなった

○金谷山官修墓地
官軍の戦死者たちを弔う墓地//薩摩藩の合祀(ごうし)墓には西郷吉次郎の名前がある//

○行きたいレベル・B
戊辰戦争のみならず戦国時代の遺跡としても長岡城はみておきたい。

(´A`)<近いしね、来年いこうかな。


◎覚へ書き---1868年・主人公40歳---

○歴史パート:

/戊辰戦争の局面のひとつ
//鹿児島県・山口県主導の新政府に徳川政府が敗れる→「徳川政府に味方した罰として殿様の首を差し出し謝罪したのちに新政府へ参入する」ことをよしとしない東北各県が連合を組み抵抗→新政府軍、新潟に侵攻→激戦の末、新潟県が陥落→戦線は福島県へ(→会津戦争.1868.)

東京奠都(とうきょうてんと)1868.
/明治維新のときの「江戸」が「東京」と改名、都として制定されたこと

/遷都(せんと)→都を移動すること(この場合京都は都ではなくなる)
/奠都(てんと)→都を新たにつくること
/首都が東京になったというわけではない(日本・首都でググれば東京ってでるけど厳密には違うんだって。)

(´A`)<ぶっちゃけ京都府民を刺激しないための言葉アソビだよね・・

//最初、新たな「都」は大阪が候補地だったが最終的に東京になった。「大阪」はもともと景気がよかったが、東京は徳川が政権を失い景気が悪く野放しにしとくと市民が離散し田舎になる・大阪は小さく道路が狭いが東京は道路が広く旧政府の使っていた施設も空き家になっているので引越し後に金がかからない・などの理由//京都の反発を抑えるため、まずは「江戸を西の京都様とツイになる東の京」と発表する→1868.9.3.「江戸」を「東京」に改称→元号を「明治」に改める→天皇を東京に引越しさせる→1869.政府機関を京都から東京に順次移す

(´A`)<いきなり別れ話するとキレるからだましだまし匂わせていく・っていう人間関係でままあるやり口ダネ

○ドラマパート:
//徳川残党勢力・彰義隊を半日で殲滅(●→上野戦争・○明治新政府vs徳川残党●in1868.東京都))//新政府軍の兵や資金が不足。それらを鹿児島県で手配してもらうため鹿児島へ帰郷、しばし実家へ//西郷の留守中、ずっと家を守っていた弟が「自分も戦争に行きたい」と懇願、西郷、これを許可する//弟、戦場へ//明治政府軍、新潟県の反政府勢力に苦戦。西郷、軍の司令官を命ぜられ新潟県へ//戦争には勝利したものの西郷の弟が戦死(→●北越戦争・○明治政府vs新潟●in1868.新潟県)//明治新政府天皇を京都から東京に移動させ政権運営のイニシチアブを京都から東京に移す(→●東京奠都in1868)//西郷、(維新で多くの犠牲者をだしたことに対する自分なりのけじめとして?)中央政府の職を辞して鹿児島に戻る//西郷、断髪(弟や戦死者の喪にふくするため?世俗を絶つため?でも中央政府から身をひいただけで鹿児島の公務員は辞めてないんだし出家ではないよね?※あと、実際このタイミングで断髪したのか、1871の明治政府のちょんまげ廃止令の時の断髪だったのか興味ある。めんどくさいから今日は調べないけど)//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

(´A`)<新キャラはでてこなかった



西郷どん 第37回 「江戸無血開城」 感想


第37回 「江戸無血開城

◎かんそう

○「西郷、最後の頼みじゃ」

篤姫さまが西郷に、「徳川を救ってくれ」と必死の懇願。


(´A`)<篤姫さまが救いたいのは「民」ではなく「徳川」なのね。


で、結局戦争は回避のはこびとなって言った言葉が「西郷、徳川のお家を守ってくれてありがとう」。だって。


(´A`)<篤姫さま曰く「徳川家の存続以上の望みはない」、だそうで。


(´A`)<しょせんいいとこのお姫様、そんなもんだよね・・・


(´A`)<せめてもの救いは「女(篤姫)への情」では堕ちなかった西郷が「男(勝海舟)の、民衆への情」では堕ちる・っていう展開かな。




「なぜ逃げた」という西郷の問いに、徳川慶喜が答える。「戦いが激化すればイギリスとフランスが介入してくる。そうなれば最終的に日本は侵略される。だから戦うわけにいかなかった、逃げるしかなかった」。その答えに納得する西郷ですが。


(´A`)<俺は納得できん。だったら降伏したほうが確実じゃん。

(´A`)<「戦争を激化、長期化させないために逃げた」ってことらしいけど?逃げても戦争は激化・長期化するじゃんね?部下を置き去りにした理由にもなってないし。まあ降伏しなかったのは後々に交渉、政治力で挽回するつもりでいたとか徳川の面子とかっていうのでわかるけど、部下を捨てて自分だけ逃げた理由にはなってないよね?


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´A`)<ナシよ

(´A`)<ただ、「命かけもす」とは言わなかったものの、篤姫様は死ぬつもりだと宣言しましたな。


○その他小並感

小1・南野陽子さんの演技、上手いなあ。「なにをやっても××」と揶揄されるイケメンの大根俳優は南野陽子さんの吐血を前じて飲めばいい(僭越ながら私もご相伴あずかります)

小2・江戸無血開城のとき、勝海舟が「負け確定の徳川の交渉担当なんてやりたくないのに無理やりやらされて困ってるんだ。そうだ、俺が新政府の責任者になるからあんた徳川の交渉担当やってみない?」って言って、西郷が「いや、これは参りましたな」と言った。的なやりとりのシーンをなんかの本で読んだんだけど。今回のドラマでそのシーンあるかもと期待してたんだけどなくてガッカリ。さすがに史実じゃなかったか。

小3・大久保どん、肌がずいぶん黒くない?①今後の闇堕ちフラグ?②病気フラグ?③俺の気のせい?


◎おまけパート

---東京都.墨田区---

勝海舟生誕の地
1823(文政6)年1月30日・父方の実家男谷精一郎家に勝海舟は産まれ青年期まで墨田の地で学問や剣術の修行に励んだ//男谷家の跡地は両国公園となり、その中に「勝海舟生誕の地」の碑が立っている

勝海舟は剣術の師匠・島田虎之助に勧められ、精神修行のためこの寺で禅を学んだ

---東京都.港区---

○赤坂
成人した勝海舟蘭学を学ぶため移り住んだ

勝海舟邸跡
//赤坂氷川神社の近くにある旗本屋敷跡(そのため勝海舟は「氷川翁」とも呼ばれる)//幕府の軍艦での渡航経験を経て、幕臣として活躍したころに勝海舟が暮らしていた

//開運・厄除け・良縁の鎮守神社//951創建・1730.現在の地に遷される(現在の社殿はその際に造営されたもの)//演歌歌手の氷川きよしの名はこの神社が由来(事務所が近所だった)//

○四合稲荷(しあわせいなり)
//勝海舟が晩年命名(4つの稲荷神社を合祀したことと「幸せ」という言葉をかけたもの)//氷川神社境内にある//

○行きたいレベル・D
勝海舟っていう人間は大好き。だけどゆかりの地には全く興味ないなあ。


◎覚へ書き---1868年・主人公40歳---

○歴史パート:

江戸無血開城(○鹿児島・山口などの地方連合(のちの明治新政府)vs徳川幕府(旧政府)●in1868.東京都)
明治新政府軍と旧政府(徳川宗家)との間で行われた江戸城の新政府への引渡しおよびそれに至る一連の交渉過程
//政治の実権を巡り明治新政府と旧政府が京都で戦争、明治新政府が勝利//明治新政府軍、猛烈な勢いで旧政府の本拠地・東京に進軍//旧政府が和平交渉をもちかける。新政府はイケイケ状態で交渉せずとも武力でおしきれる流れだったが軍のトップ・西郷隆盛が交渉の提案を受け入れ、武力衝突を避けるため、6つの条件を提示→旧政府、これらの条件に対して「この条件は呑むけどすぐにはできない。あの条件はやるけどそのあとこうしてほしい。その条件はがんばるけどどうなるかわからない。」みたいな、「新政府の条件を受け入れる気がない」ともとれる返事をする→それでも新政府軍の責任者・西郷隆盛は旧政府のいいぶんを呑み、新政府の幹部らを説得、和平交渉締結となる
※全面戦争が回避・旧勢力と新勢力の消耗戦がなくなり国としての損害がでず、新政府の疲弊もなかったおかげで新政府によるその後の政権移行の段取りが比較的スムーズにいったので、この出来事は非常に大きかった

彰義隊(しょうぎたい)1868結成・解散
政争に敗れ失脚した徳川慶喜の警護を目的に結成//徳川慶喜が政界を引退、茨
に転居するも彰義隊は東京に留まり徳川慶喜復権を要求する//新政府は東京の警備の仕事を与え懐柔しようとするもうまくいかず武力鎮圧に転じる//新政府の圧倒的な戦力の前に彰義隊は一日で壊滅する(上野戦争明治新政府vs彰義隊●in1868.7.4.東京都)

○ドラマパート:
//西郷、篤姫に謁見→篤姫が懇願「自分と徳川慶喜を殺していいから徳川家を存続させてほしい」→西郷これを拒否//西郷、勝海舟と面会→勝海舟「徳川は降伏する。城も武器も返上するから徳川家の処分は寛大なものにしてほしい」→渋る西郷→勝海舟「東京の民衆を戦火で苦しめないでほしい」→逡巡する西郷、勝海舟の説得を受け入れ戦争の回避を決断//西郷、徳川慶喜と面会。西郷「なんで戦かわず逃げた」→徳川慶喜「戦いが激化すればイギリスとフランスが介入してきて日本は侵略される、だから戦うわけにいかなかった、逃げるしかなかった」→西郷、徳川慶喜の行動は日本のことを考えての行動だったと納得、徳川慶喜討伐の矛を収める//西郷、徳川幕府に代わるためにたちあげた新政府幹部たちに戦争回避の旨を報告、これにより東京は戦火を免れ徳川家は断絶を回避。//徳川幕府、新政府に江戸城をあけわたす。徳川慶喜は隠居し水戸(茨城県)に転居。西郷、篤姫に再会、件の落着について和やかに会話(●→江戸無血開城)//東京の徳川残党が武装蜂起(●→彰義隊)、東北各県も新政府に反発、武装蜂起。これを鎮圧すべく新政府も開戦を決定。山口県で徳川軍を撃退した実績をもつ兵学者・大村益次郎が東京入りし陣頭指揮をとることに//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)
大村益次郎(おおむらますじろう・1824-1869):医師・西洋学者・兵学者:山口県長州藩
//山口県の村医・村田某の長男//18歳~多種の学問を各地で学ぶ//27歳・結婚//(29歳・神奈川県に黒船来航1853)、外国の知識をもっていたツテで高待遇で県の役人になり翻訳の仕事をしたり軍艦を造ったり//(30歳・日米和親条約1854)//32歳・東京で私塾を開塾。同年中央政府でも翻訳や講義の仕事を任じられる//(
36歳・桜田門外の変1860)//39歳・山口県にもどり軍事や外国への対応の仕事に就く//40歳・山口県を討伐するために中央政府が挙兵→山口県が降参、「山口県中央政府に恭順」という方針となる(第一次長州征伐・(○中央政府vs山口県●in1864.山口県)//41歳・山口県内でクーデター、「山口県中央政府に恭順しない」という方針に変更。大村はクーデター派として山口県の船を売却するため上海に渡る(隠密行動だったためほぼ記録がなく詳細不詳)、のちに山口県の軍隊の指揮整備にあたる//42歳・再び中央政府山口県討伐のため挙兵するも山口県はこれを返りうち。大村はこの戦いで兵を指揮し大いに名をあげた(第二次長州征伐・1867)//43歳・山口県と鹿児島県が同盟、中央政府を失脚させ新政府を樹立させることで一致。大村はこれらに反対したため左遷され、のちに反省の弁を残す(→薩長同盟1866・大政奉還1867.)//44歳・新政府軍の役人として上京、中央政府徳川幕府)に勝利、近代国軍の基礎づくりを開始。徳川残党の武装蜂起を短期間で鎮圧し名をあげる(→王政復古・戊辰戦争鳥羽・伏見の戦い)・江戸無血開城上野戦争明治維新1868.)←イマココ●。のちも新政府軍の指揮をとり、対立した西郷隆盛をしりめに単独で軍を指揮し政府を勝利に導いた//46歳・8人の刺客(急な改革に反発した山口県の元侍)に襲撃され重傷、2ヵ月後に死亡




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西郷どん 第36回 「慶喜の首」 感想


第36回 「慶喜の首」

◎かんそう

○招くほうも行くほうも・・・狂っとる!

篤姫さまにあってほしい」。かつての上役、幾島とともに向かった先は、なんと江戸城っ!!


(´A`)<いくらなんでもそれはないだろ!

(´A`)<江戸城って西郷の敵の本拠・総攻撃の目標地点デショ?明治政府は江戸を軍隊で囲み、江戸幕府江戸城内で武装籠城、まさに今両軍は臨戦状態なんデショ!?そこに行っちゃう!?

(´A`)<ガンダムで例えるなら、ソロモン侵攻作戦数日前にレビル将軍がゼナ様(ドズル閣下の嫁)の招待でソロモンに行くようなもんでしょ?将軍が?総攻撃数日前に?敵の拠点に入って行く?いやいや、それはいくらなんでもメチャクチャでしょ!


(´A`)<百歩譲って密会するにしても、江戸城はないデショ・・・

(´A`)<視聴者、完全にナメられてんな・・



○ブラック西郷

徳川慶喜、ヌッ殺す!」と息巻く闇墜ち西郷さん。でも「徳川慶喜は殺されない」っていう史実は変えないだろうし、江戸城も攻撃回避でFAだから、どこかでダークサイドから抜け出すイベントがおこるはず。「なにかの出来事で」「誰かによって」憎しみから解放された西郷どん、「おいはなにをしちょったがじゃ!憎しみに支配されあやうくフォースの暗黒面に堕ちるとこじゃった!」と言うと予想。


(´A`)<「タイミング」→江戸城解放の前、これは確定。

(´A`)<「誰によって」→最近弟くんが妙に出番が多いので弟くんがキーマンになると予想。あとは篤姫サマ、あるいは戦火で傷ついた民衆をみて自らの過ちに気づく・とか?

(´A`)<うーん・・ベタすぎるかナ?



○山岡鉄山

役者さん、濃いなあ。イケメンっていうのとはちょっと違う、昭和ハンサムっていうの?ちょっとググってみたら、元水泳選手(オリンピックに出たこともある)で今は役者っていう経歴の人(真田丸にも順レギュラー的な役で出てた)だそうで。


(´A`)<五輪出場経験有りの身体能力保持者でハンサムな芸能人とか、どんだけチート・・・・



◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ


○その他小並感

・小1:およしさんが徳川慶喜破局。あの女優さん顔が好みなので今後もたまに出演してほしい。薩摩出身で西郷と顔見知り、さらにドラマオリジナルキャラみたいだから脚本家からすれば使い勝手はいいはず。

・小2:今回の勝海舟はいつもより元気があってよかった。だんだん役に馴染んできたか?(でもまだ暗いです、もっと元気をだしましょう)


◎おまけパート

○城南宮
1868.鳥羽伏見の戦い当時、薩摩藩が陣を構えた//参道に4門の大砲を置き徳川方を待ち構えたという//薩摩藩の放った大砲を合図に戦争が始まった(ドラマでは逆・徳川が先制攻撃という表現になっている)//
//当時の激戦の跡が残されている→本堂を貫く砲弾の跡が今も残る→当時の住職が後世に伝えようとそのままの状態で残した//

相国寺塔頭 養源院
//当時、薩摩藩野戦病院となった//ここでウィリアム・ウィリスが西洋医療を施し、それが日本西洋医学普及の一助となった

○行きたいレベル・C
京都だからなあ。他にいきたいところがありすぎて・・・


◎覚へ書き---1868年・主人公40歳---

○歴史パート:

鳥羽・伏見の戦い(○明治新政府vs江戸政府(徳川幕府)●in1868.1.27.京都)
戊辰戦争の初戦となった戦い
・・・背景:(//反・政府勢力が「政府には政治を任せられないから戦争で政府をぶっ潰す!!」→徳川政府「じゃあ政権運営は辞退します、天皇に返上します・と宣言(天皇は無能、政治運営能力なしで政権を返上されると困って再び徳川を頼ってくるとわかっていた)→大政奉還.1867→徳川の思ったとおりの無能天皇、「ボク政治運営できまてん。徳川に委任ちゅる」→徳川(したり。)→反政府「天皇が徳川に政治運営を委任した、これじゃあ文句を言えないでも政府を倒したい、どうしよう」)・・・
からの、
//反政府勢力筆頭の鹿児島県がチンピラを使って東京の街や政権側の人間、施設を襲撃させる(→政府を挑発)//この挑発にのった政府の人間が鹿児島県の東京出張所を襲撃、放火する//鹿児島県、「政府は鹿児島県の建物を焼いた、これを宣戦布告とみなす」→鳥羽伏見の戦い開戦//鹿児島県が他の反政府勢力の県と連合して軍を派遣、政府軍を圧倒。さらに連合軍は「錦の御旗(=天皇がバックについてる・だから自分達が正しいというアピール)」を掲げ政府軍を威嚇。これで政府軍は意気消沈し敗走し大阪城に集結。//大阪城の政府軍、気をとりなおして反政府勢力への戦闘に備える→しかし総大将の徳川慶喜が兵を置き去りにして東京に逃亡//総大将が逃亡したことにより政府軍は継戦意欲を失い、大坂を放棄して各自江戸や自領等へ帰還//反政府勢力が空になった大坂城を接収し京坂一帯は反政府勢力の支配下となる//天皇が「徳川慶喜及び現政府(徳川幕府)は国の敵だ」と認定。反政府勢力が新しい日本政府として承認される(諸藩有志連合は明治新政府となり、徳川幕府は旧政府となる)


○ドラマパート:
//江戸政府(徳川幕府)が大阪から京都に進軍。迎え撃つ新政府軍との間で開戦(●鳥羽伏見の戦い)//江戸政府
有利→新政府軍、「錦の御旗」を掲げ江戸政府を威嚇(「錦の御旗」=「自軍が天皇側であり正義の官軍だ」・というあかし、(という言い伝えはあるが正式な根拠はない・という、菊の印を付けたただの赤い旗))→しかしその旗を見た江戸政府軍は「自分たちが賊軍になる」という状況を嫌い退陣→攻勢に転じる明治新政府軍//西郷の弟が戦傷、これを見舞わず慶喜討伐に没頭する西郷(西郷は戦の鬼になってしまったのか?)//大阪城徳川慶喜、兵を置き去りにし秘密裏に東京へ逃走//逃げ帰った徳川慶喜を叱責する勝海舟//「西郷に謝ればいい」という側室・ふき(第2回に初登場・その後一時失脚した徳川慶喜に従事し側室になった女性キャラ)に徳川慶喜激怒、ふきを追放する//西郷の弟、イギリス人医師の手当てで一命を取り留める。その医師の手配をしたのは西郷だった(西郷は優しい心を失っていなかった、戦の鬼と化したわけではなかった)//徳川慶喜征伐のため東京に向かう西郷。一命を取り留めた西郷の弟も西郷について東京へ//明治新政府幹部の一部が「そろそろ徳川慶喜を許してやろう」という空気になるも、西郷これを一喝、「徳川慶喜は信用できない、討伐は勅命だ」//徳川慶喜、自ら謹慎の身となる→勝海舟、「徹底抗戦+フランスの手を借りれば勝てます」(と釜をかける?)→徳川慶喜「それはできない、日本のためにはならない」→(徳川慶喜はビビッて逃げ回っているのではない、日本のことを考えての行動だ」)と理解した勝海舟、和平交渉の方針をかため、側近の山本鉄太郎を使者として西郷のもとへ送る//西郷、この和平交渉の提案を拒否→山本鉄太郎、「腹を斬るから提案を受け入れてくれ」と腹斬りにかかる→西郷、山本鉄太郎の男義に免じて?交渉のための面談を受諾//篤姫の部下だった女・イクシマが西郷を訪ねくる「→篤姫にあってほしい」//西郷、江戸城入り。篤姫と12年ぶりの再会//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

△山岡鉄太郎(=山岡鉄舟・やまおか てっしゅう.1836-1888):政治家・思想家:
旗本・小野某の4男//幼少の頃から武術や書を学びそれぞれの道で非凡な才能をみせる//19歳・槍の師範・山岡某の養子となる//21歳・浪士組(徳川を警護するための組織)を結成。しかし、実は浪士組の結成目的が反政府的(徳川を廃し天皇を掲げる的な)ものだったため山岡は拘束、謹慎となる「(山岡の本心
尊王か否かはわからん・しらべてない・興味わいたら調べる/32歳・東京に進軍してきた明治新政府軍に対し、江戸旧政府の使者として和平交渉の締結に尽力●←イマココ(1868.江戸無血開城)。同1868の明治維新後は静岡・茨城・佐賀の役人を歴任//36歳・天皇絡の侍従となる//49歳・剣術の流派を開く//53歳・胃癌で死去。
※写真で見るぶんにイケメン。さらに熱いエピソードも多数。

×ウィリアム・ウィリス(1837-1894):医者・外交官:東京・鹿児島・タイ
北アイルランドで生まれ、スコットランドの大学で医学を学ぶ//25歳・イギリスの外交官・医官として来日。イギリス人が日本人に斬り殺される事件で治療・検死を行う(第二次東禅寺事件ln1862.東京都・生麦事件in1862.神奈川県)//26歳・鹿児島県とイギリスが戦争、イギリス人負傷者の治療に当たる//(→薩英戦争△鹿児島県vsイギリス△in1863鹿児島県)//30歳・上司とともに15代将軍・徳川慶喜に謁見、富士山にも登頂//31歳・日本と外国との銃撃事件(神戸事件.○vs岡山県●in1868.兵庫県)や、日本の内戦(鳥羽伏見の戦い明治新政府vs江戸旧政府●in1868.京都府)による負傷者を治療、優れた西洋医学の知識を広め名声を博した←イマココ●)。続く内戦でも従軍し敵味方隔てず治療にあたる(○明治新政府vs江戸旧政府●in1868.関東・甲信越・北陸)//31歳・明治天皇に拝謁、感謝状をおくられる。東京医学校兼大病院(東京大学医学部前身)の創始者となる //33歳・鹿児島医学校兼病院(鹿児島大学医学部前身)の創始者となった。///34歳・鹿児島県の女性と結婚(2年後に息子が誕生)//40歳・鹿児島県でクーデターが起こり帰国(○明治政府vs鹿児島の左翼●in1877.鹿児島県)//48歳・公務としてタイで医療に従事、タイの近代医学・医療の基礎を築き、発展に貢献//55歳・病気のため帰国//56歳・死去
※「それはエゴデショ?」みたいな、”仁義や友情からくる贔屓”ではなく、自分の損得に関係ない、”道徳に基づいた博愛”で多くの人を”医療・医学の技術と精神”で救ってきた人・らしい。ここまで博愛だとむしろ俺みたいな小物は(本当かよ?)みたいに思ってしまう、そんくらい偉大な逸話がある(しかもひとつやふたつじゃない、沢山!)、グレートなお医者様。

×林玖十郎(はやしくじゅうろう=林通顕(はやしみちあき・1837-1896):藩の重臣→国の役人:愛媛県・北海道
wikiの解説が7行しかない(ほぼ無名?)
愛媛県の大名の小姓→側近となる//幕末・愛媛県の京都出張所に勤務、左翼と連携//31歳・江戸旧政府殲滅のための軍の上役になる←イマココ●(王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)戊辰戦争//33歳・北海道の開拓に携わる//59歳・死去

×有栖川宮織仁親王(ありすのかわたるひとしんのう・1835-1895):皇族・政治家・軍人:福岡県
皇族、有栖川宮某の子//29歳・幕末、外国との国交を拒絶する山口県と連携しクーデターを画策するも失敗、政府から糾弾され謹慎となる(禁門の変.jn1864.京都)//32歳・謹慎を解かれる。この年明治新政府が樹立、有栖川宮織仁親王は最高職の総裁とされる。同年、戊辰戦争。自ら志願し新政府軍の総督となる//36歳~福岡県知事や国会議員を歴任//42歳・クーデターを起こした鹿児島県の討伐を指揮し勝利(→西南戦争in1877.鹿児島県)//47歳・天皇の名代としてロシア・アメリカ・ヨーロッパ諸国を歴訪//59歳・中国との間で勃発した戦争を幹部として指揮するため広島県に(日清戦争○日本vs中国●in1894.中国)。しかしそこで腸チフスを発症、悪化し61歳で死去
wikiによると、戊辰戦争のとき有栖川宮織仁親は早い時期から江戸無血開城の方法を探ってたらしいけど?でも一般的には「みんなが反対する江戸無血開城を西郷が英断でおしきった」、みたいな扱いじゃん。なんで?


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西郷どん 第35回 「戦の鬼」 感想



第35回 「戦の鬼」

◎かんそう

坂本龍馬クランクアップ

半分残されたカステラの演出が印象的でした(カステラを分け合うように、世の中もお互いに分け合って生きていけるという理想を示唆・あとはカステラから島津斉彬との出会いの頃を連想させる・みたいな?)


(´A`)<でも俺は現実主義だからやっぱり西郷の気持ちのほうがしっくりくるかな。坂本龍馬の言いたいこともわかるけどあれは理想でしかないと俺は思う。

(´A`)<人気のイケメン役者さんらしいけど俺的には最期までイマイチだった。


徳川慶喜の明日はどっちだ

今作の徳川慶喜は最終的に悪役ENDなのか、実はいい・人ラオウ型ENDなのか、どっちだろう。個人的には救いようのない自己中のクズ、ヘタレっていう設定にしてほしいけど、役者さんが人気のイケメン役者みたいだし、それはないか。朝廷・公家に対しては軽んじてるけど、天皇に対してはものすごい誠実な描写があったから、すべては「彼なりに天皇のために頑張っていた」みたいなオチにもっていくのかな?で、「天皇も大事だが、民あってのものだ」みたいな感じで西郷なり側室の女の子なりに言われて目を覚ます・みたいな。

(´A`)<うーん・・・でもあれか。「国も将軍も民あってのものだ」みたいなことは言うけど、「天皇も民あってのもの」みたいな表現はしないか。みんなアホだね。「天皇は神」とか、バカみたい。親が天皇だから子も天皇とか、俺には理解できんがね。



◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<なしよ


○その他小並感

小①・このところ西郷の弟クンが妙に出番多い。今後彼を中心に物語が展開するとかなのか?



◎おまけパート
当時三箇所あった薩摩蔵屋敷のうちの一箇所//現在は石碑が残っているのみ//

大阪城公園(大手門・本丸御殿跡)
//南国に睨みをきかせる幕府の重要拠点だった//クーデターにより失墜した徳川慶喜が一時籠もり、諸外国の公使に「新政府に外交権はない、今後も外交は自分と」と主張した//1868.戊辰戦争鳥羽伏見の戦い)の混乱の中で出火、大半が消失、明治にはいってからは陸軍用地となる//1931.(昭和6年)、都市公園として開園//現在は天守閣は外観5層、内部8階建の歴史博物館になっている//公園内には13棟の重要文化財を始め、歴史を今に伝える史跡や伝承地が点在//

○行きたいレベル・C
ガキの頃に行った。中がコンクリだったりエレベーターがあったりでがっかりしたことだけ覚えている。ついでがあれば今の知識であらためてみて回るのもいいかな・とは思う。(平成9年に大改修されたらしいしね。)


◎覚へ書き---1866-1868年・主人公38-40歳---

○歴史パート:
●1866.近江屋事件(京都)
坂本龍馬中岡慎太郎が暗殺される
当時坂本龍馬江戸幕府から逃れるため近江屋(醤油屋)に身を隠し政治活動を行っていた//昼に中岡が来訪、政治論議//夜になり龍馬に来客、客を龍馬に会わせようとした部下が後ろから斬られる(1日後に死亡)//大きな物音に対し、龍馬は「ほたえな!(土佐弁で「騒ぐな」の意)」と言い、刺客に自分たちの居場所を教えてしまう//刺客が部屋に侵入、龍馬は額を斬られた(諸説あり)その後、後頭部から背中、再度額を深く斬られたところで刺客のひとりが「もうよい、もうよい」と言い、全員立ち去った//龍馬はほとんど即死//中岡は全身数十箇所を切られ気絶。(中岡は翌日2日後まで生きており、好物の焼き飯を食べられるまで回復するが出血多量で、その後吐き気をうったえ死亡。生存中に暗殺時の状況を証言)//事件当初は実行犯は見つからなかったが1870に実行犯とする男の供述が転換点になり、見廻組(徳川配下によって結成された京都の治安維持組織)が実行犯であることが有力となった//現在の歴史学上では見廻組の佐々木只三郎らを実行犯とする説が通説として扱われている//現在、「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された石碑が建っているが、其の場所は当時の近江屋建物裏手の北隣にあたる。(建立場所が隣地になったのは、1927年(昭和2年)の建立の際、土地所有者の了承が得られなかったためとされる)

(*^ω^*)<よい子は”いばるな(1867)龍馬!ヌッコロス!”と覚えよう

●王政復古の号令(1867-1868.京都)
徳川幕府による政治運営制度を廃止、それに代わり天皇を頂点とした新政府を樹立する・と宣言
//いつものように政府要人が会議→会議終了、みなさんが帰るのを見計らってあらかじめしめしあわせていた反・徳川勢力(鹿児島・高知・広島・愛知・福井)が会議場を封鎖・占拠→岩倉具視らが「王政復古」を宣言、今後の政治方針を制定→さっそく新政府が会議(●小御所会議)→しかし示し合わせていた勢力内でも「徳川家を追放したい派閥」と「追放までしなくてもいい、徳川家も一緒に政治運営させよう派閥」でもめる→鹿児島県が武力をチラつかせ「徳川追放」で最終的に意見を集約させる→強権的な鹿児島県の態度に危機感をもった他の県のトップたちが反抗、徳川も新政府会議に従おうとしない→鹿児島県、やむなく「徳川も一緒でOK」と妥協→徳川、外国の要人を集め「日本のリーダーは徳川です」と宣言、天皇に(天皇はガキなので実質政治を運営している組織=朝廷)「王政復古を取り消してください」と要求→天皇(朝廷)、「宣言は取り消さないけど政治運営は徳川でやってもらってかまわない」旨の返事をしてしまう→結局宣言した内容=(新政府が政権を担う)は(徳川が新政府の指揮をとり政権を担う)に変更される。つまり(徳川が政権を担う)という、元の状況にもどってしまった。

(*^ω^*)<よい子は”いやん!むなしい!(1867)王政復古”と覚えよう


○ドラマパート:
//徳川慶喜が政権を天皇に返上(→●大政奉還)。しかしそれは形だけのもので、(政権担当能力のない天皇は結局徳川に政治運営を委託してくるだろう)という策略だった。その策を見抜き憤慨する西郷→それにたいして坂本龍馬は「それは言いすぎだ、仮にそうだとしても戦争になるよりはいい」→西郷「それじゃあダメだ、またダラダラ行政がまかり通る、新しい世の中の仕組みを作るには断固徳川慶喜を討伐すべきだ→おたがい引くことなく決別する(これが二人の今生の別れとなる)//西郷、鹿児島県の軍隊に徳川討伐のため上京するよう根回し(天皇からの命令書を持ってくる)、鹿児島県トップをその気にさせる//坂本龍馬、暗殺される(→●近江屋事件)その死を悼む西郷//「東京で騒乱(放火など)を起こし政権を挑発しろ」と指示する西郷//西郷らの指揮のもと鹿児島県を中心とした軍隊がテロを決行、行政の中枢・象徴(御所)を制圧、現政権勢力を追放//失脚していた岩倉具視が京都・朝廷にもどる。西郷、岩倉を通じて徳川が運営する現政府から行政の権利を天皇に移すようにはたらきかけることに成功(→●王政復古)//(●今まで現政府・徳川幕府と表記していた政権はここから江戸旧政府と表記●)//新政府会合。「徳川追放・殲滅」を目指す鹿児島県、しかし他勢力は「そこまですることはない」と反発。西郷、暴力をチラつかせ有力者を脅し鹿児島県の意見を押し通す(→政界から徳川慶喜を排除することに成功)//徳川慶喜、新政府の処分をうけいれず大阪に逃亡//東京の徳川勢力が鹿児島県の挑発にのっかる(西郷の策略どうり鹿児島と徳川配下が東京で武力衝突)。徳川にたいし武力行使する大儀名文ができた鹿児島県、徳川慶喜の籠もる大阪城に軍隊を差し向ける//テロを扇動し戦争を勃発させた西郷を嘆く弟「兄は戦の鬼になってしまった」//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×西郷寅太郎(1866-1919)::役人・議員・軍人//鹿児島県
鹿児島県の重臣西郷隆盛の子//1歳・父、西郷隆盛らの政治工作で王政復古が宣言される(王政復古.in1867.京都府)←イマココ●//11歳・父がクーデターの中心人物として戦死(西南戦争:○日本政府vs鹿児島県●in1877.鹿児島県)。「クーデターを起こした犯罪者の家族」として鹿児島県で密かに暮らす//18歳・父の友人らの計らいで公務としてドイツへ留学、ドイツの陸軍学校で学んだのち帰国//26歳・陸軍少尉に//36歳・亡き父の功績で貴族(華族)になる。のちに議員や国営施設の所長を歴任//53歳・病死

wikiの解説9行。メジャーな人物にはなれなかったようで・・・(まあ色々あったであろうことは察するまでもないがね)



西郷どん 第34回 「将軍慶喜」 感想

西郷どん 第34回 「将軍慶喜」 感想

第34回 「将軍慶喜
◎かんそう

○棒演技
天皇が死んだ」その知らせを受け号泣する岩倉具視ですが。
(´A`)<役者さん、ものすごい棒演技。とても泣いてるようには見えん。今時アイドルだってもっとマシな演技するんじゃない?
(´A`)<でも、でも?ひょっとしたらこれって、「岩倉具視天皇暗殺説」を暗喩したかったのかな?なんて。「岩倉具視孝明天皇を暗殺した・だから本当は嬉しいのに号泣するフリをした」っていう演出かも・なんて。どう思う?

(´A`)<あ、でもよく考えたら岩倉役の人、全部棒演技だった


○今回に限ったことじゃないが・・・

大政奉還の流れがイマイチ。徳川慶喜→「どうしよう・・・どうしよう・・・なに?大政奉還?よし・それでいこう!ああ、助かった!」みたいな?追い詰められそうになったけど逃げ切った徳川慶喜・みたいな感じがまるでなかった。
なんとなくみてると、「へ?別にそのまま徳川攻めればいいじゃん?」とか思っちゃいそう。それほど大政奉還前後の流れが軽い。

(´A`)<まあ大政奉還だけじゃなくて全話通じてそんな感じだけど。

(´A`)<でもさ、西郷と坂本のやりとり(「徳川を信用しろ。条約は締結した。」→「あいつは信用できない」→「大丈夫だって」→「徳川は口だけだ」・みたいなの)、どっかで聞いたような話だよね。


南<ヽ`д´> <北は制裁解除をのぞんでいる、制裁解除したら核を破棄するといっている

(`・ω・´) <どうせまたウソだ、北がまず約束を果たさないとまた同じことを繰り返す

南<ヽ`д´> <ダイジョウブニダよ?まずはそっちから折れることが肝心。信じることが大切ニダ。


(´A`)<みたいな。


○どっかで聞いたような話その②
幕末、最初は「開国反対!」って言ってたけど、局地的にイギリスとかと戦争になってボコボコにされて、(こりゃかなわんわ・・・)って感じで自治体のトップたちは現実がわかってきて。だけど天皇は現実なんて知らないから「開国はしない」と言い張る。そして外国と天皇の板ばさみになった徳川は天皇に言わずに開国してしまう。

そんな徳川政府をキャンキャン騒いで非難する鹿児島県「徳川政府は傲慢だ!」自分たちだって開国するしか道はないってわかってるクセに政権を奪うために足を引っ張る。


(´A`)<これってさ、今の日本で、それしか方法がなくて政府が決定した苦渋の決断を、そうとわかっている、それしか方法がないとわかっているのに「政府は傲慢だ!我々は断固反対する!」とか言って政権を奪うためにキャンキャン騒いで足をひっぱってる野党みたいだね。

(´A`)<これが政治というものなのか・・・


○その他小並感

・小①:ふきどん(徳川慶喜の側室)に、鹿児島県庁にこない?と誘う西郷。(あれ?ひょっとして親切じゃなく、人質にしよう・みたいな下心?ブラック西郷?)なんて思った
・小②:そのふきどん、実在?戦後も徳川慶喜につくす?
(´A`)<軽く調べた→お芳(およし)//徳川慶喜の妾//江戸の街火消・新門某の娘//1868.徳川慶喜とともに大阪城を脱出、東京へ// 明治維新以降に暇を与えられ、徳川慶喜とはそれっきり//だそうな。
(´A`)<つまり実在だが出身は東京・親は火消、鹿児島県とも西郷とも接点はナシ・戦後は解雇されて徳川慶喜とはそれきり・詳細不詳・ということですな
・小③:勝海舟の役者さんは嫌いじゃないけど、今回の勝海舟の役はイマイチ。やっぱり武田鉄也がベスト
・小④:島津久光の役者さんはめちゃイイ!あの役者さんの顔芸サイコー(*^ω^*)悔しがってるときの顔がとくに好き!
(´A`)<ちなみに四侯会議で本当に集合写真撮ったそうな。(現存はしていない)

◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは


(`・ω・´)公文書偽造・しかも天皇名義。「この公文書を使え・お前らがヘマをしてバレたら自分は終わりだ・西郷、命はあずけた」とのことでした

◎おまけパート
○元離宮 二条城(-本丸庭園-天守台-二の丸御殿-唐門-大広間)
//世界遺産//京都市中京区にある城郭建築//1867年.15代将軍慶喜はここで大政奉還を決議した//1601-1603年の間に,徳川家康の宿舎として造営された////将軍の宿所として3代将軍家光の代まで使用され,その後は文久3 (1863) 年に 14代将軍家茂が上洛するまで利用されず//1884年二条離宮となる//1939年京都市に下賜//元離宮二条城として史跡に指定された

○行きたいレベル・B
すでに数回行ってるのにあんまり覚えてない。
(´A`)<こんなことなら今後もどこかに行っても意味ない・どうせ忘れちゃう・なんて思ったりもする・・・


◎覚へ書き---1867年・主人公39歳---

■歴史パート:

・代14代将軍・徳川家茂が死去(1866.8.29)
//最後から二番目の徳川将軍//20歳//死因:ビタミンB1不足による脚気(当時脚気は原因も治療法も分からない病気で、手足が膨れて感覚がマヒして、立つ事が困難になり、最後は、心臓麻痺を起して死ぬという恐ろしい病気だった。※現在では、ビタミン群を処方し治療)

孝明天皇が死去(1867.1.30.)
//明治天皇の一個前の天皇//35歳//死因:天然痘(税金で至れり尽くせりの暮らししてるのに誰から染るん?やっぱ暗殺なんじゃない?なんて思ったが徳川将軍でも感染者がいるみたいなので暮らしは関係ないか・・)

大政奉還(1867.1.19)
/当時の行政の実質運営者トップ・第15代将軍徳川慶喜が名目上の政権トップ・朝廷様に政治運営の権利を返却したこと
//当時の政治は「朝廷」という団体が名目上のトップ。で、「実際の政治運営を「徳川幕府」という団体に委託」というていでまわっていた→日本各地の有志が徳川幕府の政治運営に不満をもって「ああしよう・こうしよう」と根気強く何度も話し合い働きかける→しかし「政治運営権は徳川にある、素人は口を挟むな」といっこうに受け入れない徳川幕府→「このまま徳川幕府の政治運営だと国が破綻する・ちからづくで奪い取ろう」という有志連合が武装決起・クーデター(有志は政治の運営権利が欲しい+徳川という一族を政治の世界から追放したい・ので大きくもめたほうがやりやすい)→しかし徳川幕府は「わかった・じゃあ委託されていた政治運営権を「朝廷」に返します」といって有志側の「正当な戦争の理由」をなくす→戦争する理由がなくなった有志連合(これで「名目的に政権は徳川一族の個人所有ではなくなった」が、「徳川一族を社会から抹殺する」ことができなくなった・さらに実際問題政界には徳川の派閥しかいないので政治運営はこのまま徳川がやることになってしまう(徳川が政治運営の権利を放棄しても、「だから自分たちが政治運営の権利を受け取れる」というわけではないので今までと何も変わらない。)→戦争する理由がなくなったから、戦争をおこしたら自分たちが犯罪者になってしまう有志連合、おおいに困る→徳川幕府「戦争する理由がなくなって有志連合が困ってる、奴らがグダグダになってるうちにこちらは体制を建て直そう」//みたいな。一見すると「徳川の負け宣言」だが、実際は「はいはい負けました、だから暴力はやめて話しあおうね・まあ話は聞かないけどねwww」という徳川に有利で鹿児島ら有志に不利なものだった(ドラマ的に西郷隆盛はそれで困ってしまった。そしてそれ「大政奉還」の発案をしたのが坂本龍馬

・ええじゃないか(1867.8-1867.12)
/民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で熱狂的に踊り町々を巡り歩いた騒動・大衆乱舞
//目的:定かでない(ハロウィン当日に仮装して渋谷に出かけるブタさん達に「目的はなんですか?」と聞くのと同じようなもの)だが、一般的には「行政に不満を訴える民衆運動」といわれている//反政府の政治団体が陽動・かく乱のため引き起こしたという説・民衆のストレスを発散させるために政府がしかけた・という説もある//
//地域で信仰されている社寺の札(という名の紙切れ)が(空から)降ってきた(らしい)→(本当なら)常識ではありえない奇跡→(本当なら)吉兆だ→笹竹で家を飾る、酒や肴を供えるなどして町全体で札を祀る。(名古屋の場合、降札後の祭事は7日間に及び、その間は日常生活が麻痺した。)//中部、近畿、四国、東海地方などで発生//歌詞は各地で作られ、例えば「今年は世直りええじゃないか」(淡路)、「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」(阿波)といった世直しの訴えのほか、「御かげでよいじゃないか、何んでもよいじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又はれ、よいじゃないか」(淡路)という性の解放、「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」(西宮)、「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」(備後)の政治情勢を語るもの、などがあった//

・四侯会議(1867)
/日本の有力者4人(鹿児島県・島津さん50歳、福井県・松平さん39歳、高知県・山内さん40歳、愛媛県・伊達さん49歳)と、実質政権運営側(東京都・徳川さん30歳)、政権運営の名目上の管理団体の担当者(京都府・二条さん51歳)らの会議//議題:政府の人事・政府に逆らって戦争し世の中を混乱させた山口県の扱い・一部の人間で決定・発布したにもかかわらず相手と約束までしてしまった外交政策は有効か否か
//主導権をとろうとあれこれ意見する新興勢力の鹿児島県勢にたいして現政権勢力の東京都勢がケチをつけまくって対立、空中分解→この会議で鹿児島県は「政権に意見しても東京都に排除される、もう東京勢はぶっ潰すしかない」という決断に至り戦争(戊辰戦争)にむかう

○ドラマパート:
//14代将軍・徳川家茂、死去//第二次長州征伐・徳川中央政府側からの要望で講和(実質徳川の負け)→徳川の威信失墜(●第二次長州征伐.1866)//徳川慶喜が15代将軍になる(天皇に懇願され・純粋に天皇への忠義のため・という展開の表現)//将軍となった徳川慶喜・フランスの援助で中央政府の威信建て直しを計る//天皇死去//西郷ら「新天皇はガキだからどうとでも扱える、今が唯一無二の政権交代のチャンスだ」徳川工作に乗り出す//徳川中央政府天皇の許可を得ず外交。西郷ら鹿児島県勢と岩倉具視らの左派、「徳川が天皇を軽んじた」を大義名分に反抗勢力をつのり徳川紛糾の根回し(四侯会議)→しかし根回した有力者たちが中央政府に懐柔され、逆に鹿児島県が空気読めないという空気に//さらに徳川中央政府は外国にも存在感をアピール。鹿児島県劣性に//フランス「徳川を支持・援助する、勝ったら鹿児島県をよこせ」と迫る//西郷、イギリスの外交官や同郷の女・ふきどん(徳川慶喜の側室)を通じて鹿児島県が売られるかもしれないと感じ取る。イギリスからの援助の申し出があるも西郷これをいなす(俺はドラマの表現だけではとうていわからなかったが・史実では西郷はこのときイギリスの真意を見抜き牽制したらしい)//「徳川が国の切り売りに乗り出そうとしている」という話を聞き、もう牽制や威嚇ではだめだ、実力行使しかない」と判断→それをするには天皇の許可証がほしい→岩倉具視に依頼→「西郷は威嚇で済まし殺し合いのない道を進んでくれる」と信じている部下達。しかし西郷は今回ばかりは血の海・クーデターを覚悟していた//鹿児島県のクーデターがスムーズに行くよう山口県広島県に根回しする大久保利通//正当性をかかげた、完全に徳川を包囲・武力制圧の正当性を得た・あとは実行あるのみの状態となる//しかし坂本龍馬が鹿児島県のクーデターの正当性をチャラにする妙案・大政奉還をもちだし高知県がこれを国に献策、国はこれを採用(→●大政奉還.1867.)//日本中で「ええじゃないか」という騒動が広まる(→●ええじゃないか.1867)//岩倉具視が命がけで天皇の命令書を偽造。西郷らもこれを了承//徳川慶喜・政治運営から退くと宣言(→●大政奉還.1867)//「これで世の中いいほうに向かう」と坂本→「そうはならない、結局最終的に徳川が牛じることになる・徳川はそれを見越して建前だけの撤退宣言をした・これで世の中はいいほうに向かうチャンスを失った」と西郷→坂本「そんなことはない、平和裏にいこうよ」→西郷「これじゃだめだ、徳川の策略だ、やっぱり徳川は討ち取ろう」→坂本「戦争で多くの犠牲者を出してもいいのか?」→西郷「もうそれしか方法がない」→双方折り合いがつかず並行線//つづく

◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×ロッシュ(=レオン・ロッシュ1809-1900):おフランス外交官:ゆかりの地→(´A`)<わからん
//おフランス出身//19歳・大学中退、おフランス軍のアフリカ遠征に従軍(二重スパイだったとも)→アラビア語の通訳に→おフランス外交官としてアフリカへ。現地の憲法制定の一助に//54歳・日本に転勤。当時日本は政府と反政府勢力が拮抗していたが、彼は日本語の通訳に日本政府の人間だけを使ったため情報が日本政府に都合のいいものにかたより考え方が日本政府よりの人間になる//55歳・山口県と戦争、勝利(→下関戦争○英米仏蘭vs山口県●in1864.山口県)/同年・日本政府から公共事業を委託され「これは儲かる」と判断、以後日本政府を積極的に支援(製鉄所建設・語学学校設立・国際イベント参加の推薦・金と武器の融資・日本兵練兵の協力。→「肩入れしすぎ」とおフランス本国から注文をつけられ帰国命令※(日本政府への傾注には「同じく日本と関わりのあったイギリスより優位にたちたい」っていうことと個人的にもイギリス外交官への対抗心があったとか)//59歳・肩入れしていた日本政府が対抗勢力に敗北。「リベンジしようぜ」とケツを叩くも日本政府代表はしり込み(→王政復古・戊辰戦争-・江戸無血開城明治維新1868.)、結局日本はクーデターにより新政府誕生。→おフランスから大使を罷免され帰国、外交官引退//90歳・死去

×山内容堂(1827-1872):大名:高知城高知県
高知県の10代目お殿様の子(5男)の子(お殿様の孫)//21歳・13代・14代のお殿様が相次いで急死したため15代のお殿様に→人事・行政改革で手腕を振るう・中央政府に対しても意見し存在感を示す//31歳・中央政府と政策方針で意見が対立し敗北・謹慎処分(→安政の大獄.1858)//35歳・中央政府の実質トップが暗殺されるテロ(→桜田門外の変1860)//37歳・首都で起きたテロに勢いついた高知県の左翼が高知県右派要人を暗殺するテロ//36歳・中央政府と共闘する勢力により左派テロが粛清・追放される(八月十八日の政変○鹿児島県・福島県vs山口県●in1863.京都府)。これに便乗し@山内容堂は管轄する高知県の左派を弾圧//39歳・政府寄りだった勢力が政府とものわかれ、左派と手を組むも高知県山内容堂は「右向き・政府に恭順」という立ち居地を選択(→薩長同盟1866)//40歳・左派に追い詰められ立場が危なくなった中央政府にピンチを切り抜ける奇策を提案(中央政府に恩を売るが左派からは怨まれる→大政奉還1867)以後も中央政権を追い落とそうとする左派を妨害、中央政府寄りの政治活動を行う(小御所会議in1868.京都)。最終的に左派が武力蜂起、これに協力しないよう指示するも一部の部下がこれを無視し左派に加担。結局中央政府は破れ、自分を無視し左派に味方した部下のおかげで高知県山内容堂は地位を確保(王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新in1868.)//新政府樹立後、たいそうな役職につくも「江戸時代に偉かった自分が明治では他人と平等」という扱いについていけず辞職。以後血税で贅沢三昧な暮らしを送る//46歳・脳溢血で死去

×後藤象二郎(1838-1897):武士-政治家:高知県
高知県の上級武士の嫡子//10歳・父親死去。のちの高知県実力者・吉田東洋に預けられ育ちその後ろ盾で公務員の仕事につきエリートコースに//24歳・後ろ盾の吉田某が暗殺される→職を解任される//25歳・東京で英語や航海術を学ぶ//26歳・高知県の公務員職に復帰//高知県の実質トップ・山内某に気に入られ高知県公務員要職につく//28歳・上海を視察//29歳・坂本龍馬の発案とされる大政奉還(徳川政府の延命策)を成功させ徳川政権存続に貢献(→大政奉還1867.)←■■イマココ■■。しかし結局鹿児島県や山口県が強引に徳川政府をつぶし後藤が所属する高知県は立場的に弱くなる(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城in1868)//30歳・明治新政府発足、政府要職を歴任(→明治維新1868.)//36歳・政府内党争に敗れ政府から離脱(→明治6年政変1873)、ともに政府から離脱した仲間と政党を結成し政府と対立するものちに政府と迎合、農商大臣など政府要職を歴任//59歳・病死

(´A`)<昔読んだ坂本龍馬の漫画でめちゃくちゃ悪人に描かれててその印象が強いけどwikiで略歴をみるぶんには全然いい人っぽい(坂本龍馬との面識も龍馬が長崎で商売を始めてからが初対面)。相当な有名人だと思ってたけど略歴・解説が結構短くて意外だった。

×アーネスト・サトウ(1843-1929):通訳・外交官:
イギリスの金融業者の三男//学生時代に日本関連の書籍を読み日本に興味を持つ//19歳・来日、イギリス大使館で働きながら日本語を勉強//20歳・仕事として初の翻訳/同年、鹿児島県と駐日イギリス軍艦が戦争(薩英戦争(△鹿児島県vsイギリス△in1863.鹿児島県)//21歳・山口県と駐日四カ国海軍との戦争の示談交渉の通訳(下関戦争○vs山口県●in1864.山口県)//幕末の多くの有名事件前後で情報収集のため現場におもねいたり事後処理の通訳として関わったりする(大政奉還戊辰戦争西南戦争ほか多数の日本の大事件・日本人による外国人襲撃事件など)//多くの幕末の有名人(明治天皇徳川慶喜将軍・岩倉具視公卿・勝海舟西郷隆盛桂小五郎高杉晋作坂本龍馬・ほか多くのビックネームと通訳として立ち会った←■■イマココ■■。伊藤博文などとは文通もしていた//24歳・自らも襲撃事件の被害者となるが護衛の日本人によりことなきを得る(アーネストサトウ襲撃事件in1867.静岡県)//30歳・日本人内縁妻との間に長女誕生(夭折)//37歳・長男、40歳・次男誕生//41歳・公務員としてタイで3年勤務//46歳・公務員としてウルグアイで4年勤務//50歳・公務員としてモロッコで2年勤務//52歳・公務員として再び日本で5年勤務//57歳・公務員として中国で6年勤務//63歳・イギリスに帰国し公務員勤め、のちに隠居//86歳・病没

 △毛利敬親(もうりたかちか1819-1871):大名:萩城(山口県
山口県のお殿様の長男//17歳・13代目の山口県のお殿様になる//19歳・行政改革に着手(後の評価→◎)//34歳・神奈川県に外国戦艦渡航、当時鎖国していた日本に開国を迫る。今後の方針に悩む中央政府にたいし山口県は(鎖国堅持・外国人排斥政策(→攘夷)でいくことを決定。(天皇からも内密にそうするよう言われた)→ペリー来航in1853.神奈川県)//44歳・現政府の徳川政府撲滅・山口県天皇を中心にした鎖国国家をつくろうと奔走するも対抗勢力(鹿児島県・福島県など)に追い落とされ・さらに天皇からも(やりすぎ!)といわれ嫌われ当時の日本首都・京都への立ち入りを禁止される(八月十八日の政変○鹿児島県・福島県vs山口県●in1863.京都府)//45歳・京都出禁解除のために京都で活動していた山口県の武士が京都の警察に殺される(池田屋事件.in1864京都府)→怒った山口県が軍隊を京都に送り「責任者を処分しろ・山口県の出禁を解け」と要求、「悪いのは山口県だ」とする福島県や鹿児島県と京都で戦争になり山口県が負ける(禁門の変.○鹿児島県・福島県三重県vs山口県●in1864.京都府)→外国の船が山口県を攻撃(前年に山口県から攻撃されたので謝罪と賠償を要求するも山口県がつっぱねたので)、戦争になり山口県が負ける(下関戦争○英米仏蘭vs山口県●in1864.山口県)//言う事を聞かず戦争までおこした山口県に政府が「おとしまえ」を要求し軍隊を送る。京都で負け、外国にもまけボロボロの山口県は「おとしまえ」として責任者を殺し山口県で養っていた天皇系の政治家たちの身柄を政府に引渡し政府に従うことを約束(第一次長州征伐○徳川政府vs山口県●in1864.山口県)//46歳・山口県の「徳川政府に従う」という方針に反対の派閥がクーデターに成功、山口県は一転、反政府方針に(○vs●in1865.功山寺挙兵(○山口県左翼vs山口県右翼●in1865.山口県)//48歳・反政府になった山口県に政府が戦争をしかけるも迎撃し勝利(第二次長州征伐○山口県vs徳川政府●in1866.山口県)//49歳・山口県の「政府反逆罪」が赦免される、政府に対して攻勢に出る←■■イマココ■■鹿児島県と手を組み徳川政府に戦争を仕掛け勝利(→王政復古・戊辰戦争明治維新1868.)//50歳・新しくできた政府に土地などの所有権を放棄するよう要求され率先しあけわたす//
版籍奉還in1869)//53歳・死去

(´A`)<今回のセリフは「あいわかった」。「そうせい」はでませんでした。

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