西郷どん 第35回 「戦の鬼」 感想



第35回 「戦の鬼」

◎かんそう

坂本龍馬クランクアップ

半分残されたカステラの演出が印象的でした(カステラを分け合うように、世の中もお互いに分け合って生きていけるという理想を示唆・あとはカステラから島津斉彬との出会いの頃を連想させる・みたいな?)


(´A`)<でも俺は現実主義だからやっぱり西郷の気持ちのほうがしっくりくるかな。坂本龍馬の言いたいこともわかるけどあれは理想でしかないと俺は思う。

(´A`)<人気のイケメン役者さんらしいけど俺的には最期までイマイチだった。


徳川慶喜の明日はどっちだ

今作の徳川慶喜は最終的に悪役ENDなのか、実はいい・人ラオウ型ENDなのか、どっちだろう。個人的には救いようのない自己中のクズ、ヘタレっていう設定にしてほしいけど、役者さんが人気のイケメン役者みたいだし、それはないか。朝廷・公家に対しては軽んじてるけど、天皇に対してはものすごい誠実な描写があったから、すべては「彼なりに天皇のために頑張っていた」みたいなオチにもっていくのかな?で、「天皇も大事だが、民あってのものだ」みたいな感じで西郷なり側室の女の子なりに言われて目を覚ます・みたいな。

(´A`)<うーん・・・でもあれか。「国も将軍も民あってのものだ」みたいなことは言うけど、「天皇も民あってのもの」みたいな表現はしないか。みんなアホだね。「天皇は神」とか、バカみたい。親が天皇だから子も天皇とか、俺には理解できんがね。



◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<なしよ


○その他小並感

小①・このところ西郷の弟クンが妙に出番多い。今後彼を中心に物語が展開するとかなのか?



◎おまけパート
当時三箇所あった薩摩蔵屋敷のうちの一箇所//現在は石碑が残っているのみ//

大阪城公園(大手門・本丸御殿跡)
//南国に睨みをきかせる幕府の重要拠点だった//クーデターにより失墜した徳川慶喜が一時籠もり、諸外国の公使に「新政府に外交権はない、今後も外交は自分と」と主張した//1868.戊辰戦争鳥羽伏見の戦い)の混乱の中で出火、大半が消失、明治にはいってからは陸軍用地となる//1931.(昭和6年)、都市公園として開園//現在は天守閣は外観5層、内部8階建の歴史博物館になっている//公園内には13棟の重要文化財を始め、歴史を今に伝える史跡や伝承地が点在//

○行きたいレベル・C
ガキの頃に行った。中がコンクリだったりエレベーターがあったりでがっかりしたことだけ覚えている。ついでがあれば今の知識であらためてみて回るのもいいかな・とは思う。(平成9年に大改修されたらしいしね。)


◎覚へ書き---1866-1868年・主人公38-40歳---

○歴史パート:
●1866.近江屋事件(京都)
坂本龍馬中岡慎太郎が暗殺される
当時坂本龍馬江戸幕府から逃れるため近江屋(醤油屋)に身を隠し政治活動を行っていた//昼に中岡が来訪、政治論議//夜になり龍馬に来客、客を龍馬に会わせようとした部下が後ろから斬られる(1日後に死亡)//大きな物音に対し、龍馬は「ほたえな!(土佐弁で「騒ぐな」の意)」と言い、刺客に自分たちの居場所を教えてしまう//刺客が部屋に侵入、龍馬は額を斬られた(諸説あり)その後、後頭部から背中、再度額を深く斬られたところで刺客のひとりが「もうよい、もうよい」と言い、全員立ち去った//龍馬はほとんど即死//中岡は全身数十箇所を切られ気絶。(中岡は翌日2日後まで生きており、好物の焼き飯を食べられるまで回復するが出血多量で、その後吐き気をうったえ死亡。生存中に暗殺時の状況を証言)//事件当初は実行犯は見つからなかったが1870に実行犯とする男の供述が転換点になり、見廻組(徳川配下によって結成された京都の治安維持組織)が実行犯であることが有力となった//現在の歴史学上では見廻組の佐々木只三郎らを実行犯とする説が通説として扱われている//現在、「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された石碑が建っているが、其の場所は当時の近江屋建物裏手の北隣にあたる。(建立場所が隣地になったのは、1927年(昭和2年)の建立の際、土地所有者の了承が得られなかったためとされる)

(*^ω^*)<よい子は”いばるな(1867)龍馬!ヌッコロス!”と覚えよう

●王政復古の号令(1867-1868.京都)
徳川幕府による政治運営制度を廃止、それに代わり天皇を頂点とした新政府を樹立する・と宣言
//いつものように政府要人が会議→会議終了、みなさんが帰るのを見計らってあらかじめしめしあわせていた反・徳川勢力(鹿児島・高知・広島・愛知・福井)が会議場を封鎖・占拠→岩倉具視らが「王政復古」を宣言、今後の政治方針を制定→さっそく新政府が会議(●小御所会議)→しかし示し合わせていた勢力内でも「徳川家を追放したい派閥」と「追放までしなくてもいい、徳川家も一緒に政治運営させよう派閥」でもめる→鹿児島県が武力をチラつかせ「徳川追放」で最終的に意見を集約させる→強権的な鹿児島県の態度に危機感をもった他の県のトップたちが反抗、徳川も新政府会議に従おうとしない→鹿児島県、やむなく「徳川も一緒でOK」と妥協→徳川、外国の要人を集め「日本のリーダーは徳川です」と宣言、天皇に(天皇はガキなので実質政治を運営している組織=朝廷)「王政復古を取り消してください」と要求→天皇(朝廷)、「宣言は取り消さないけど政治運営は徳川でやってもらってかまわない」旨の返事をしてしまう→結局宣言した内容=(新政府が政権を担う)は(徳川が新政府の指揮をとり政権を担う)に変更される。つまり(徳川が政権を担う)という、元の状況にもどってしまった。

(*^ω^*)<よい子は”いやん!むなしい!(1867)王政復古”と覚えよう


○ドラマパート:
//徳川慶喜が政権を天皇に返上(→●大政奉還)。しかしそれは形だけのもので、(政権担当能力のない天皇は結局徳川に政治運営を委託してくるだろう)という策略だった。その策を見抜き憤慨する西郷→それにたいして坂本龍馬は「それは言いすぎだ、仮にそうだとしても戦争になるよりはいい」→西郷「それじゃあダメだ、またダラダラ行政がまかり通る、新しい世の中の仕組みを作るには断固徳川慶喜を討伐すべきだ→おたがい引くことなく決別する(これが二人の今生の別れとなる)//西郷、鹿児島県の軍隊に徳川討伐のため上京するよう根回し(天皇からの命令書を持ってくる)、鹿児島県トップをその気にさせる//坂本龍馬、暗殺される(→●近江屋事件)その死を悼む西郷//「東京で騒乱(放火など)を起こし政権を挑発しろ」と指示する西郷//西郷らの指揮のもと鹿児島県を中心とした軍隊がテロを決行、行政の中枢・象徴(御所)を制圧、現政権勢力を追放//失脚していた岩倉具視が京都・朝廷にもどる。西郷、岩倉を通じて徳川が運営する現政府から行政の権利を天皇に移すようにはたらきかけることに成功(→●王政復古)//(●今まで現政府・徳川幕府と表記していた政権はここから江戸旧政府と表記●)//新政府会合。「徳川追放・殲滅」を目指す鹿児島県、しかし他勢力は「そこまですることはない」と反発。西郷、暴力をチラつかせ有力者を脅し鹿児島県の意見を押し通す(→政界から徳川慶喜を排除することに成功)//徳川慶喜、新政府の処分をうけいれず大阪に逃亡//東京の徳川勢力が鹿児島県の挑発にのっかる(西郷の策略どうり鹿児島と徳川配下が東京で武力衝突)。徳川にたいし武力行使する大儀名文ができた鹿児島県、徳川慶喜の籠もる大阪城に軍隊を差し向ける//テロを扇動し戦争を勃発させた西郷を嘆く弟「兄は戦の鬼になってしまった」//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×西郷寅太郎(1866-1919)::役人・議員・軍人//鹿児島県
鹿児島県の重臣西郷隆盛の子//1歳・父、西郷隆盛らの政治工作で王政復古が宣言される(王政復古.in1867.京都府)←イマココ●//11歳・父がクーデターの中心人物として戦死(西南戦争:○日本政府vs鹿児島県●in1877.鹿児島県)。「クーデターを起こした犯罪者の家族」として鹿児島県で密かに暮らす//18歳・父の友人らの計らいで公務としてドイツへ留学、ドイツの陸軍学校で学んだのち帰国//26歳・陸軍少尉に//36歳・亡き父の功績で貴族(華族)になる。のちに議員や国営施設の所長を歴任//53歳・病死

wikiの解説9行。メジャーな人物にはなれなかったようで・・・(まあ色々あったであろうことは察するまでもないがね)