西郷どん 第39回 「父、西郷隆盛」 感想


第39回 「父、西郷隆盛

◎かんそう

○幕末モノドラマの鬼門・”維新以降”
幕末モノにはいい印象がない。”八重の桜”は明治維新からつまらなくなった。”花燃ゆ”はもともとつまらなかったのが明治維新以降はさらにつまらなくなった。で、今作。

(´A`)<今回からついに維新以降ですが・・


(´A`)<今回を見たぶんには良さげ。ドラマが戦争で終わるから・あるいは男が主人公なのがよかったのかも。(別に女性軽視とかじゃなく、女性が主人公の話だとどうしても”おしつけがましくわざとらしい過剰な心のふれあい”・”わざとらしい思いやり”・”わざとらしい愛”・みたいなのがテーマになってゲンナリする演出が臭ってくるから。その臭いが好きなひともいるだろうけど俺はニガテです・ってだけ)


○その他小並感

・小①:重厚でいい話だった。(但し菊次郎くんの「父上・母上」宣言には失笑。構成に無理矢理感を感じた。そこ以外はよかった)俺はドラマパートは嫌いなんだけど今回はなんか気合入ってた。最終章だから役者さんもチカラ入ってた?

・小②:主題歌の映像もリニューアル。西郷と大久保がすれ違うシーンがかっこいい!(お互い違う方向に進む、決して振り返らない・とかベタだが熱い!)

・小③:西郷さんの妻・糸どんが奄美大島へ行ったのは史実?なわきゃねえよな。
(´A`)<けんさくしたけどわかんなかったじぇ


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ


◎おまけパート
---東京都.千代田区---
大名の藩邸が24あったため「大名小路」とよばれた//奉行所評定所もあった//明治維新が成り、空き家となった大名屋敷は明治政府高官たちの屋敷や政務を行う場所となった
--新宿区--
○玄国寺(旧岩倉具視邸)
岩倉具視の屋敷と伝わる建物の一部が移築され残されている//和と洋が混在した珍しい建物//
--港区--
○旧新橋停車場跡
東京都港区東新橋にある駅舎跡//1872.(明治5)日本初の鉄道が開通した当時の新橋停車場を復元したもの
○鉄道創設起点0哩(マイル)標識
JR新橋駅の南東,旧国鉄の汐留貨物駅跡にある//1870(明治3)年3月25日,新橋~横浜間の鉄道建設の第一杭が打たれたところで,鉄道創設起点として,1878.(明治11)にこの標識が建てられた//開業当時のレールやプラットホームの一部が残されている//

○行きたいレベル・D
びっくりするほどどうでもいい


◎覚へ書き---1869年・主人公41歳---

○歴史パート:
版籍奉還(はんせきほうかん)
当時各地にそれぞれいた土地の支配者を政府がまとめて管理するために行った政治改革//全国の藩(お殿様)が所有している版(←土地のこと)と籍(←人のこと)を朝廷に返還させた政策。これにより版と籍の所有権は名義上法的に朝廷のものになったが実質管理はそのままその土地のお殿様に委託・やらせたので実際はあまり変わらないような状態だった//次に政府は「朝廷のもの」となった「人民」を各地から集め軍隊を作る//それから2年後、土地管理の委託をお殿様から打ち切り、違う人(政府の人間)にさせる(→廃藩置県in1871)、その時この版籍奉還という政策をしておいたために土地も人も法的に朝廷・政府のモノとなっていて、さらにお殿様の部下だった各地の侍は軍人としてすでに政府の配下になっていたのでお殿様たちは従うしかなかった//

(*^ω^*)語呂合わせ・「版籍奉還
-1869・「人は向く土地も戸籍も天皇に(ヒトハムク)・1869-

○ドラマパート:
//プロローグ・1904(明治37)・西郷の離島の妻の子・西郷菊次郎(→庶子・本妻の子ではない子のこと)が京都市長として市役所に入る。部下にせがまれ父・西郷を回想する菊次郎//
//本編・1869(明治2)西郷は政界から引退し鹿児島県で暮らしていた(鹿児島県の役所でも働いていないっぽい)//西郷の正妻と使用人・熊吉が奄美大島に行き西郷菊次郎を引き取る//鹿児島県に来た菊次郎、父、西郷と再会、西郷家での暮らしが始まるも「愛人の子」ということで遠慮気味・言葉少な//鹿児島県トップの島津久光が西郷を召喚し愚痴と嫌味(地方自治体の現状の説明セリフ→県の土地所有権と政治運営権の多くを天皇に返上、権力の多くを失ってしまったというもの→藩籍奉還)//明治新政府明治維新の論功行賞や今後の政治運営の方針などで内輪もめが続く//中央政府の強引な行政・改革に地方各地で不満が噴出//鹿児島県の侍が中央政府を弾劾、抗議のため割腹自殺。この事件が多くの人の知るところとなり政府への不満は一層強まる//中央に対する反感を抑えるために「戊辰戦争の英雄・西郷隆盛」を入閣させようという話になり西郷の弟が説得のため鹿児島県へ//説得された西郷、政界復帰を決断。しかし妻が東京行きに難色。(→愛人の子が来たばかりでまだ家に馴染んでいない。もう少し待ってほしい)//西郷の東京行きに妻が反対しているのを知った西郷の庶子、西郷に東京へ行ってほしい、国民のために働いてほしいと訴える(このとき初めて西郷夫妻を父上・母上・と呼ぶ)//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×西郷菊次郎:(1861-1928):政治家・外交官:鹿児島・京都・奄美大島
明治維新の立役者・西郷隆盛と現地妻の子(庶子・長男)として奄美大島で産まれる。当時西郷は中央政界ではそこそこ・鹿児島県内ではかなりの立場だったが政治情勢が逆風で政治犯とされ、追っ手から逃れ島暮らしをしていた)//1歳・父・西郷隆盛が本州にもどる//9歳・本州の西郷隆盛の家にひきとられる←■■イマココ・39回■■//12歳・アメリカに留学(1872なので1871.の岩倉使節団とは別口っぽい.)、2年半後帰国//17歳・鹿児島県で父・西郷隆盛を旗頭とした反政府クーデターが勃発、反政府兵として日本政府と戦う→足に銃弾を受け右脚切断、政府軍に投降(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元武士●in1877.鹿児島県)//23歳・外務省勤務//34歳・日清戦争で日本領土となった台湾に勤務(4年半)//43歳・台湾から帰国後、京都市長に(6年半)←■■出だしはココ・39回■■、足の後遺症余病で京都市長を辞職、鹿児島に帰郷//67歳・心臓麻痺で死去

×内貴甚三(ないきじんざぶろう1848-1926.):西郷菊次郎の前の京都市長
京都の呉服問屋に産まれる//40歳・民選京都市長に//56歳・京都市長辞職.←■■イマココ・39回■■、.衆議院議員に出馬、当選。のちに京都財界の大物となる//

×川村鉚次郎(かわむらりゅじろう****-****):公務員:
京都や台湾のインフラ整備に貢献した人?っぽ
詳細不詳wiki未記載//****.東京帝大法学部卒業し官僚となる//****.台湾勤務//1905.京都勤務//らしい

×清(=清子):西郷隆盛の弟・西郷従道の妻:鹿児島→東京
詳細不詳wiki未記載//鹿児島県の武士・得能某の長女//西郷隆盛の弟・従道と結婚、6人の子を産む//
西郷隆盛の親友・大久保利通に非常にひきたてられた。大久保利通暗殺について「大久保さんのご親切を思い出すと、いつも涙の種となる」と語っている//だそうで

×三条実美(1837-1891.)公家・政治家:三条邸跡・梨木神社(京都府
京都の公家・三条某の三男//21歳・徳川政府打倒・外国排斥(尊王攘夷)運動に傾倒、思想を同じくする山口県と組んで政治活動を行う//23歳・思想の違う団体の起こしたクーデターに破れ山口県に敗走(8月18日の政変○鹿児島・福島県vs山口県●in1863.京都府)//29歳・政敵だった鹿児島県と山口県が同盟(→薩長同盟1866)//31歳・山口県・鹿児島県などが政府・徳川幕府を打倒。政界復帰を果たす(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)//1869.32歳・←■■イマココ■■//36歳・政府内の派閥・政策争いの板ばさみで体調を崩し倒れる(→明治6年政変1873)//52歳・政治のゴタゴタ・天皇のマヌケ采配で2ヶ月だけ総理大臣を他の職務と兼任//55歳・インフルエンザで死亡

×江藤新平(1834-1874):武士-政治家:佐賀県
//佐賀県の下級藩士、江藤某の長男//19歳・神奈川県にペリーが来航in1853//20歳・(日米和親条約1854)//22歳・開国の必要性を説いた意見書を執筆、のちに政府に重用される//23歳・結婚//28歳・脱藩し捕まる、本来なら死刑のところ、その才覚が佐賀県の目にとまり無期謹慎で済む//33歳・謹慎解除//34歳・佐賀県からの公務員として明治新政府に参加(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)。文部大輔、左院副議長、創設された司法省の司法卿として、学制、四民平等、警察制度、司法制度の整備など、近代民主主義国家の確立に尽力//1869.←■■イマココ■■//39歳・政府内闘争に破れ政府を離脱(→明治6年政変1873)//40歳・帰郷した佐賀県で対政府の叛乱、江藤はそのリーダーにかつぎあげられる(佐賀の乱○明治政府vs佐賀県の元・武士●in1874.佐賀県)。政府の鎮圧軍に敗北、一方的な裁判で死刑宣告、斬首、首は公衆にさらされた

(´A`)<さらされた首の写真が残っていて、普通にネットでみれる。ブルブル


大隈重信(1838-1922):武士-政治家:早稲田大学(東京都)
佐賀県の上級武士・大隈某の長男//23歳・オランダの学問を学び講師に//30歳・明治新政府に参閣し活躍(明治維新in1868.)//1869.31歳←■■イマココ■■//35歳・西郷隆盛らが主張した韓国との関係改善法案に反対(→明治6年政変1873)//39歳・鹿児島県が叛乱を起こす。政府は軍を送り迎撃、その支出費用の調達とその後の財政運営に携わった(西南戦争in1877)// 43歳・政府内抗争に敗れ政府から離脱(明治十四年の政変in1881)//政党をたちあげ現政府に注文//50歳・参閣、外務大臣となる//51歳・自身を標的とされた爆弾テロにあい右脚を失い政府から離脱(大隈重信遭難事件in1889)//58歳・再び政界入り//60歳・内閣総理大臣となるも4ヶ月で辞任//69歳・政界を引退し文化活動に尽力//75歳・再び政界に復活((´A`)・・いいかげんどうでもいい、とっとと死ね)、76歳で再び内閣総理大臣に//76歳・第一次世界大戦in1814.//78歳・失策などにより内閣総辞職、政界から完全に引退//85歳・病死(っていうか85なら老衰でいいじゃんね)

(´A`)<西郷隆盛とは仲が悪かったらしい。福澤諭吉とは仲がよかったらしい


×別府晋介(1847-1877):武士・軍人:鹿児島県
//詳細不詳・鹿児島県の別府某の子//21歳・鹿児島県らが主導した新政府軍に従軍し活躍(戊辰戦争明治新政府vs徳川旧政府残党●in1868.鹿児島県)//24歳・中央政府軍のエラい役職につく//25歳・戦争に備えて変装し2ヶ月韓国を偵察、「簡単に倒せる」との所見を政府に報告//26歳・政府内抗争で敗れ失脚した西郷隆盛が鹿児島県に帰郷するとすぐにあとを追い鹿児島へ(明治6年政変in1873)//27歳・西郷隆盛プロデュースの鹿児島私立学校創設に尽力//31歳・西郷隆盛を旗頭に鹿児島県が起こしたクーデターに従軍(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元武士●in1877.鹿児島県)、戦争最終局面で西郷が負傷、切腹を決断すると、晋介は駕籠から下り、「御免なったもんし(お許しください)」と叫び、西郷を介錯。その後弾雨の中で自決

(´A`)<最終回で西郷隆盛の首を斬る人。役者さん的には見せ場のはっきりしたオイシイ役なのにジャニーズとかのイケメン大根タレントじゃないのが意外。


×横山安武(よこやまやすたけ1843-1870):武士・学者:鹿児島県福昌寺跡(墓がある)
鹿児島県の武士・森某の四男//13歳・.思想学者の養子となりその跡を継ぐ//25歳・王政復古、戊辰戦争、江戸無血開城明治維新(in1868.)//26歳・鹿児島県外で見聞を広め最終的に東京へ//27歳・明治新政府の腐敗・悪政を批判して東京の三重県出張所の裏門で割腹自殺■■イマココ■■その死は世間で話題となった//
※「西郷隆盛が政界に復帰するみたいで安心した」的なことがかかれている遺書からは彼の西郷に対する信頼が読み取れる

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