西郷どん 第41回 「新しき国へ」 感想


第41回 「新しき国へ」

◎かんそう

○めちゃよかった

島津久光公との会話。島津久光の「これがおまえのつくりたかった国なのか?」との問いに、

(「道半ばでございもす、しかし必ず」とかいうんだろう、領地も権利も取り上げた島津久光をこれ以上刺激しないようなことを西郷は言うんだろう。)と思ったら、

西郷どんは「理想とかけ離れてる、ぜんぜん上手くいかない」と、正直に言ってしまいました。

そしてそれを聞いた島津久光公が「こんやっせんぼ!」とか言うの。


(´A`)<すげえよかった。

(´A`)<あの「やっせんぼ!」というせりふは役者さんのアドリブなんだって。イカす!

(´A`)<でもこの後の戦争で島津久光は西郷を見捨てるんだよね?そのへんどう演出するんだろ。


○イケボの無駄遣い

汚職で吊るされた山県有朋卿。どっかで見たギョロ目だと思ったら、真田丸直江兼続役の、イケメンボイスで有名な役者さんじゃん!


(´A`)<ウケ狙いで、あえて今回はセリフなしにしたとみた。

(´A`)<イケボは今後西南戦争での出演時までおあずけか。


○非国民

天皇が来るってんで、鹿児島の人は皆喜んでたけど。俺は別に右でも左でもないんだけど、「天皇が来る」って、そんなに嬉しいことか?努力して200メートルを世界一早く走った記録を持ってる人とか、相撲で優勝した人とかならわかるけど、「生まれたときから偉いっていうふうに設定されてるだけのただの人」でしょ?現代でも、なんか旗振って見物してる人が多いみたいだけど・・・

(´A`)<意味がワカラナイ。でも俺が少数派なんだよね。

(´A`)<でも理解できんものは理解できん。「天は人の上にどうのこうの」っていうじゃん。


○「託す」ということについて

俺は小さな店の責任者で、休みは週イチ、店が休みの日だけなんだけど。もし今、「休みを週2にしてやる」と言われても、嬉しくない。自分がいない日に店でトラブルとかあったら面倒だし、営業日に休んでも店が気になって逆にストレスになる。

(´A`)<何が言いたいかっていうと、一日店をパートさんに任せることもできない俺からすると、「できたばかりの政府を」「国を」「一年も空ける」なんて、とてもできない。よっぽど国が安定してる状態とか、頼れる部下がいるとか(まあこれは西郷さんがいるからカモだけど)、逐一ラインで連絡がくるとかならアレだけど。

(´A`)<岩倉さんたちはそのへんはどう考えていたんでしょうねえ・・

○派閥争い

明治新政府の派閥問題だけど。欧米使節団に、あえて敵対する派閥から1人だけ抜擢する、とかすればいいのに。そうすればそいつは派閥から嫌われて自分らのほうにとりこめるし敵対勢力の分断になるのに。

(´A`)<まあドラマでそういうシーンがなかっただけで、実際はそういうこともやってたとは思うが


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは・・・

(´・ω・`)<ナシよ

○その他小並感

(´A`)<ナシよ


◎おまけパート

---神奈川県.横浜市---
横浜は小さな漁村だったが開港により大きく様変わり、幕末から明治にかけ外国との交易場として発展した

○吉田橋関門跡
外国人居留地への関門跡//明治に入ると関門は廃止され多くの人々が自由に往来するようになった

○神奈川台場跡
横浜港の開港に併せて作られた//勝海舟が設計した//時代とともに祝砲や礼砲を撃つだけの施設となった(岩倉使節団が出航した際も祝砲が撃たれたと記録に残る)//今は埋立地となっている(今も台座の石垣部分が見れる)

○行きたいレベル・D
あまりにも華がない。ネタ切れ?(´A`)<横浜市から「なんでもいいから横浜市も紀行で特集しろ!」みたいな圧力があったとか?


◎覚へ書き---1871年・主人公43歳---

○歴史パート:

◎欧米使節団(=岩倉視察団・1871-1873)
//目的①:条約を結んでいる各国を訪問し親睦を深める//目的②:当時結ばれていた条約は不平等だったのでその改正を打診//目的③:西洋文明の調査//総勢107人//12カ国(アメリカ・ヨーロッパ諸国など)//1年9ヶ月間(予定を大幅に上回る)//予算100億円(今の価値で)(予定を大幅に上回る)//

×山城屋事件(in1872)
政府軍の偉い人(山縣有朋)が同郷の友達に国の金(とてつもない大金)を勝手に貸したうえに見返りも受け取っていた事件
//金は投機に使われたが逆に損失//金を借りた人の名が「山城屋和助」。山城屋は証拠を燃やして自殺//金を貸した人の名は「山縣有朋」。山縣は職を辞任(のちに復活)//借りた本人が自殺・証拠が燃やされたために真相究明ができなかった//



○ドラマパート:
//各県の実質トップの権力を取り上げる政策・「廃藩置県」が正式に決定。土地の権利も県民・兵隊の徴収権もすでに奪われ抗議もできず、花火を打ち上げ憂さを晴らすくらいしかできない鹿児島県の実質トップ・島津久光//明治政府首脳らが欧米に使節団を送ることになり、それの人員選定。(視察団の重要性を疑問視する西郷・視察団の人選に不満をもつ選定もれした政府幹部グループ)//西郷、国をひとつにまとめるために、「天皇の日本各地視察旅行」を提案//西郷が息子(庶子・菊次郎)に海外留学の勧め。悩む息子・菊次郎//日本各地で明治政府への不満。鹿児島県でも不満が高まり、鹿児島県実質トップ・島津久光はこれに乗じ中央に意見(→国ではなく自分が鹿児島県の行政を担うべきだ)//西郷の提案で天皇のとりまきの制度改革(天皇そのもののありかたをフワフワした存在から近代的な君主に変え、天皇のとりまき組織”→公家”を政治から遠のける)//欧米使節団出発。(●→欧米使節団in1871-1873)西郷は首脳陣不在の明治政府をあずかることに→首脳陣の留守中に政府内の敵対勢力の攻勢を危惧する岩倉たちが西郷に「おまえは何も決めるな、我々が帰国するまでなにもかも今のまま、現状維持を心がけろ」。と命令//日本各地で現政府に不満をもつ民衆が暴動。//首脳陣が海外にでかけた機会に政府の主導権を握ろうとする首脳陣と敵対している勢力//首脳陣側の政府幹部の贈賄が敵対勢力によって発覚。不本意ながら人事を変更する西郷(●→山城屋事件in1872.東京明治政府)//西郷、天皇とともに九州各地を視察、鹿児島県に入る//島津久光、鹿児島いりした西郷とサシで話す「これがおまえのつくりたかった国なのか?」→「ぜんぜん違う、自分が情けない」と答える西郷に→「情けないこというな!きばれ!」西郷にカツを入れる島津久光//西郷の庶子・菊次郎、留学を決意//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

 =大山格之助(→第4回 「新しき藩主」)

×江藤新平(1834-1874):武士-政治家:佐賀県
//佐賀県の下級藩士、江藤某の長男//19歳・神奈川県にペリーが来航in1853//20歳・(日米和親条約1854)//22歳・開国の必要性を説いた意見書を執筆、のちに政府に重用される//23歳・結婚//28歳・脱藩し捕まる、本来なら死刑のところ、その才覚が佐賀県の目にとまり無期謹慎で済む//33歳・謹慎解除//34歳・佐賀県からの公務員として明治新政府に参加(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)。//37歳・政府のトップがヨーロッパ諸国に外遊。(欧米使節団in1871-1873)←■■イマココ■■。トップ達が留守となった政府で学制、四民平等、警察制度、司法制度などを整備//39歳・政府内闘争に破れ政府を離脱(→明治6年政変1873)//40歳・帰郷した佐賀県で対政府の叛乱、江藤はそのリーダーにかつぎあげられる(佐賀の乱○明治政府vs佐賀県の元・武士●in1874.佐賀県)。政府の鎮圧軍に敗北、一方的な裁判で死刑宣告、斬首、首は公衆にさらされた

(´A`)<さらされた首の写真が残っていて、普通にネットでみれる。ブルブル


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