西郷どん 第31回 「龍馬との約束」 感想


第31回 「龍馬との約束」

◎かんそう

○今までで一番よかった!

山口県との約束をドタキャンした西郷どん。器が大きいことで有名な「みんなの人気者・坂本龍馬」すら怒らせてしまった西郷どん。(自分は取り返しのつかない失敗をしてしまった。「山口県と友好を築く」とか言っておいて、それをぶち壊してしまった。もう、山口県は許してくれないだろう・・・)悔やんでも悔やみきれず、途方に暮れる西郷どん

(自分は信用を失った・見限られてしまった・・・)

そんな西郷どん大久保利通が言う。「それでも、はじめるんだろ?信頼を失っても、嫌われても、それでも山口県と友好を築くためにおまえは次のアクションをおこすんだろ?」


パッと出てきて「あんたに惚れた!」「あんたは最高の男だ!」と絶賛してた坂本龍馬は手のひらを返し西郷に背を向けた。でもずっと西郷と苦楽を共にしてきて、それでも西郷の「山口県親睦路線」にずっと反対していた大久保が、「どう考えてもそりゃムリだ!協力はできない!」と言いつづけていた大久保が、「おまんはそれであきらめるタマじゃなか!」と西郷のケツをけっとばす!

大久保「「天がおまえに味方しない」ってか?だったら俺がおまえに味方しちゃるワイ!!」と発破をかける!


(´A`)<こんな嬉しい言葉って、ないよね!


(´A`)<そしてラストシーン。「大久保どん・・・?」目を潤ませる西郷に、大久保が怒鳴りつける。「ちぃえすっとぅおぉおおおおーーー!!!!気合を入れんかぁ!!}



(´A`)<最高かよ!熱い!!なんて熱い絵ヅラだ!!!


(´A`)<「理想とそのための犠牲。職務と責任」「女性遍歴をいかに美化するか」「子供への愛・関係」「兄弟・姉妹・家族愛」「仲間・郷土の繋がり・義侠・博愛」。ドラマにはいくつものテーマがあるんだろうけど・・・

(´A`)<「親友・大久保と西郷の友情」。これに勝るテーマはないな!

(´A`)<お芝居的にも、大久保利通の役者さんが一番イイ!イケメンでもないし、モンチッチみたいなチビのおっさんだけど、すごくいい!アイドル・イケメン・タレントとはやはり格が違うぜ!!


◎史実・伝承あれこれ

○「西郷家の雨漏りと坂本龍馬のエピソード」
嫁さん「雨漏りみっともない、直して」→西郷「今は日本中が雨漏りしてる、みっともなくていいじゃない。」→それを聞いていた坂本が感心・みたいなエピソードがあるらしい。

(´A`)<ほかにも「フンドシエピソード」なるものもあり。興味のあるやつはググればいい


坂本龍馬の鹿児島入りエピソード
ドラマでは「坂本龍馬が”単身”で鹿児島に乗り込んだ」演出。史実だと「勝海舟が政界から失脚、門弟の坂本龍馬”ら”の今後を心配し、勝海舟薩摩藩にはたらきかけ、彼”ら”への援助を依頼。薩摩藩は彼”ら”の航海術の専門知識を重視し保護、援助をした・らしい。

○ドタキャン西郷
ドラマでは西郷が単身?山口県に向かう。(実際は鹿児島県所有の船で部下を共に向かう)・そこに大久保から「至急京都に来て欲しい」の依頼(史実でもそうらしい)。ただ、史実のほうでは、「大久保からの依頼」というのはタテマエで、本音は「そもそも西郷自身が山口県に行くことに乗り気じゃなかった」「山口県での西郷の身の保障・安全面での不安があった」「西郷の上司・島津久光山口県との講和に反対していた、もし上司・島津久光が怒って西郷をまた島流しにしたら困る)みたいな状況だったらしい。

(´A`)<でもサ、坂本龍馬山口県もあんなに怒んなくてもいいじゃんね?タテマエかも知らんが、西郷は長州征伐を阻止するため・山口県のために」、山口県に行かず京都に行ったんだから。(山口県が文句言えないように、ドタキャンの口実に長州征伐阻止をあげた可能性は非常に高いが)


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ

○その他小並感

(´・ω・`)<ナシよ


◎おまけパート

---鹿児島県.鹿児島市---

西郷南洲翁宅地跡
//現在は石碑のみ//西郷一家が1855年に、前屋敷を売却し移り住みんだ//1865.鹿児島県に来た坂本龍馬が滞在した//1869年.武家屋敷に移るまで十数年過ごした//

小松帯刀原良別邸跡
//石垣と石碑がある//現在は民家のため立入りできない//1865.と1866に坂本龍馬が鹿児島県に来たとき滞在した


○旧グラバー住宅
スコットランドの貿易商人トーマス・ブレーク・グラバーが住んでいた//日本最古の木造洋風建築(1863建築)//1961年(昭和36)主屋・附属屋が国の重要文化財に指定
 
//今でいう総合商社(「社中」とは人が集まると言う意)//鹿児島県の支援をうけ1865.に設立された軍事的政治的かつ商業的な組織//1867.土佐商会(土佐藩開成館貨殖局長崎出張所)の傘下となり名を「海援隊」と改める//1868.解散//現在は石碑・亀山社中の遺構として伝わる建物(記念館)がある//

○行きたいレベル・A

長崎は死ぬまでに最低一回は行ってみたい・・・


(´A`)<ムリかなぁ。ムリかもなぁ・・・


◎覚へ書き---1865年・主人公37歳---

○歴史パート:

(´・ω・`)<とくにナシ

○ドラマパート:
//坂本龍馬が西郷を訪問(上司の勝海舟中央政府から危険視され失職・謹慎。職場だった海軍操練所が閉所し、すでに脱藩しいく場もなく無職となっていた)//西郷、坂本龍馬を連れて鹿児島に帰郷、政治論議を交わす//中央政府山口県討伐を画策、各県に参加命令→鹿児島県トップに「反対するべき」と意見する西郷→鹿児島県トップ、すでに反対の意向だった→実は大久保利通が前もって説得していた//鹿児島県、坂本龍馬に出資(坂本がフリーで海外から銃などを買い付け、それを鹿児島県が買い取る仕組みを坂本が提案、了承される)//山口県との同盟を模索する西郷に坂本が協力を申し出//坂本、山口県桂小五郎と面会、鹿児島県との同盟を説得//大久保利通中央政府の画策・山口県討伐に賛同しないよう有力者たちに根回し//鹿児島に滞在中、実家の修繕にいそしむ西郷を見て「もう帰ってこれないのでは」と不安になる妻//坂本が山口県の説得に成功、西郷が山口県に行こうとする→大久保利通から連絡、「中央政府山口県討伐を決定してしまいそうだ、阻止するために大至急京都に来て欲しい」//京都行きを決意した西郷、親しい人物に事情を話し、代わりに山口県に行ってもらう(山口県との同盟は秘密事項なので内密に)//京都についた西郷が中央政府会議に出席。中央政府の「山口県討伐はどうするか、もう少し話し合ってから決める」という発表にひとまず安堵する西郷と大久保//徳川慶喜が西郷と大久保に警告「鹿児島県が山口県接触しようとしてることはわかっている、これ以上チョロチョロするな」→中央政府山口県討伐に賛同しないように大久保が根回しに行った有力者の中に徳川慶喜側の人間がいて情報が筒抜けだった//西郷のもとに坂本が訪問、「なんでこなかった、山口県でずっと待ってたのに」→(西郷が送った代理は山口県を警戒し行かなかった)→西郷、代理を送った旨を説明→そういう問題じゃない、西郷が来なかったのが問題だ、しがらみを抑え憎むべき鹿児島県との講和を受け入れた山口県の気持ちを西郷が軽んじた、それが問題だ、そしてもう交渉の芽は潰えた→再交渉を求める西郷を制し立ち去る坂本//山口県に行くべきだったと悔やむ西郷、「だったら行けばいい、諦めることはない」大久保が西郷に気合い//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×中川宮(=久邇宮朝彦親王・くにのみや あさひこしんのう・1824-1891):公家-皇族:???
//12歳・天皇の猶子(→ゆうし・養子みたいなもの?)となる//35歳・徳川政府が決めた政策に否定的な態度をとったために政治犯となり謹慎生活を送る(安政の大獄in1858)//徳川政府の実質的トップが殺され(桜田門外の変in1860)、その2年後に赦免、政界に復帰//39歳・中川の政敵、山口県がプロデュースした「日本から外国人を一掃するため天皇が行動しよう運動(尊王攘夷運動)」にチキった天皇を味方につけ、山口県を政治の世界から追放(八月十八日の政変○鹿児島県・福島県vs山口県●in1863.京都府)//40歳・山口県勢力に怨まれ放火されそうになるも計画が露見し放火は未然に防がれる(犯行グループの多数が殺される・池田屋事件.1864)。今度は武装した山口県が京都に進軍、政府と対立。しかし鹿児島県らがこれを撃退(→禁門の変.1864.)//「さてみんなで国を作りなおそう」という鹿児島県派と「みんな?いいや、徳川だけでやるから外野は黙ってろ」という徳川派が対立→鹿児島県が山口県と仲直りし、政局は「徳川派」と「鹿児島山口派」に→中川は徳川派につく//44歳・徳川派が鹿児島山口派に負け、徳川派だった中川は広島県に追放・謹慎となる(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)//48歳・謹慎が解かれるも政治界とは距離を置く//51歳・伊勢神宮三重県)のご立派なポストに就任//58歳・神職を育成する大学・「皇學館大学」創立//67歳・死去


中岡慎太郎(1838-1867.):武士:高知県
高知県の武士・中岡某の長男//19歳・結婚//23歳・政府転覆を訴える政治結社に入党//24歳・我が長野県の雄・佐久間象山大先生のご高説を賜るために大都会長野県に来る//24歳・高知県政治団体員として京都で左巻きの政治活動するも高知県が「政府転覆ではなく政府と共存」と方向修正。中岡はこれに納得せず高知県が再び左向きになるよう政治活動//25歳・高知県が左派思想弾圧政策を敢行、政治犯として逮捕されるのを逃れるため高知県での武士という立場を捨て左派の聖地・山口県で政治活動。同じように各県から逃れてきた左派運動家たちと行動を共にする//26歳・山口県政治勢力を得るために武装蜂起、京都で戦争を起こすクーデターに参加するも敗戦(→禁門の変.1864.)。また、山口県が外国と戦争したときも参加、こちらも敗戦(下関戦争(○米・英・仏・蘭vs山口県●in1863.1864.山口県))//28歳・クーデターの報復として政府に潰されそうになる山口県を救うために奔走、鹿児島県を味方にすることに成功(薩長同盟.in1866.)//29歳・政府と戦かうための武力集団・「陸援隊」を結成//29歳・暗殺される(犯人は今だはっきりとはわかっていない)(近江屋事件in1867.京都府