西郷どん 第42回 「両雄激突」 感想


第42回 「両雄激突」

◎かんそう

○闇堕ち

遂にきたか、って感じですな。大久保どんの闇堕ちは今までも何回かあったけど、今回ばかりはもう決定的でしょう。最終回近いからね。

でもドラマだから「最終盤だし、もはやここまで」ってわかるけど、実際は自分の運命がどうなるのか、いつ死ぬのかなんてわからないから、西郷隆盛は(いつもの喧嘩だ、時間がたてばわかりあえる)なんて思ってたかもなあ。(´A`)<しみじみ



「農業が進んでいる国は強い。みんながおなかいっぱいな国は強い」


(´A`)<俺もそう思うしそうあってほしいと思う。でも、実際はどうなんだろう。

(´A`)<今の日本は農業、進んでる?農家は裕福?

(´A`)<現代の日本は経済の環境が歪んでる気がする。もちろん現代は国内ではなく世界経済を環境させなければならないからしかたないのではあろうが、それでも自分の国は第一次産業の強い国であってほしい。

(´A`)<戦争や災害があったとき、精密機械なんかより食べ物が必要だ、みたいなオレは考え方。

(´A`)<アレだな、「有事は農業、平時はIT」っていうのが俺の理想なのかな。

(´A`)<うーんやっぱ農業がいいや。これは産まれ持った好みの問題なのかも。


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´A`)<ナシよ


○その他小並感

・小①:板垣退助の役者さん大根だわ。棒読みがひどい。あれは役者さんじゃなくてお笑い芸人かなんかか?


◎おまけパート

---東京都.中央区---
西郷隆盛屋敷跡
西郷は当時、払い下げられた大名屋敷で生活していた。しかし、広い屋敷をもてあまし敷地内の長屋で生活したという//その長屋の近くに当時としては珍しい果物専門店があり、西郷は自ら足を運び好物のスイカを注文したと伝えられている//だそうで

--目黒区--
駒場野公園
将軍家の狩猟場だった場所//江戸名勝図会にも描かれ多くの野鳥やウサギが生息していた//当時体調を崩していた西郷は静養のためこの地をたびたび訪れ時にはウサギ狩りをしたという//だそうで

○行きたいレベル・D
(´A`)<びっくりするほどどうでもよかった


◎覚へ書き---1873年・主人公45歳---

○歴史パート:
//征韓論(せいかんろん)
1866頃にはあった、「韓国の支配権は日本にある」というような考え方を根底にした政策
//当時鎖国状態だった朝鮮(韓国)を開国させようという、開国させるにあたって2つのやりかたで意見→「話して開国」・→「力づくで開国」。しかし、「今の日本には力づくで物事を進める金がない」・「話しても聞き入れられず戦争になれば金がない」、ということで日本の政界の有力者達の猛反対をくらい没になる

○ドラマパート:
//政府がたちあげた海外留学への参加を決心した西郷の庶子・菊次郎、上京し渡航準備ののち出航//大久保ら欧米使節団、外交が不調で外遊期間延長(→不平等条約の是正ならず)//西郷、大久保ら政府要人不在の政府改革に着手。「それは渡航中の政府要人たちとの盟約(勝手に政府をいじるな・というもの)を破ることになるのでは」と不安を感じる西郷の弟//山口県派閥の政府要人・井上馨の不正が発覚(銅山を接収し利権を得ていた)→西郷、井上を降格させる→井上の降格は政府の権力派閥の構図的によろしくないことになるも西郷は「国のためになることをすべき」という考えで派閥を超えて政府を運営(但し外遊中の政府要人からみると西郷の行動は身勝手ととれる)//要人不在の政府、徴兵令・地租改正・学校教育制度・鉄道開業・製糸場開業・太陽暦採用・裁判所設置などの改革を行う//皇居(旧江戸城)が火事で消失(●1873.5.5)//西郷、過労で倒れるも留守政府の要人たちはよく働く/大久保利通が帰国。成果のない帰国につらくあたる留守政府要人たち//外国の脅威をまのあたりにしてきた大久保は早急に強い国を作るために強引に政権運営を進めようとする(自分の派閥以外の失脚を提案)→西郷と衝突、ケンカわかれに//朝鮮が新しくなった日本政府に不満、衝突の危機→「戦争やむなし」の声を西郷が制し「交渉・説得」の役をかってでる→天皇の許可まち//西郷、大久保との関係改善をこころみるも大久保これを拒否//使節団の要人たちが外交成果をあげられないまま帰国、この失敗と留守中の不正もあわせて勢力を弱めた山口県勢が政府有力者の岩倉具視を頼り政治工作、西郷とケンカ別れした大久保利通山口県勢、岩倉具視らの側につき西郷の政策運営に反旗を翻す//つづく

◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×市来宗介(1849-1877):西郷隆盛の妹の次男:鹿児島
西郷隆盛の妹の次男//23歳・.アメリカ留学//28歳・叔父・西郷隆盛を旗頭とした反政府軍に従軍、クーデターを起こすも政府軍に捕らえられ処刑される(西南戦争○明治政府vs鹿児島県の元武士●in1877.鹿児島県)

×市来琴(1832-1913):西郷隆盛の妹:鹿児島・東京
鹿児島県の武士・西郷某の娘(西郷隆盛の妹・5歳下)//****・鹿児島県の武士・市来某に嫁ぐ//36歳・自分の息子と自分の弟が革命戦争で死去(戊辰戦争in1868.)//42歳・夫が病死//45歳・自分の息子2人と自分の兄が革命戦争で死去(西南戦争in1877)。兄が革命戦争の代表だったため一族は犯罪者というレッテルを背負うことに//57歳・一族の国家反逆の罪が赦され東京へ移住//81歳・死去

×大木喬任(おおきたかとう1832-1899):武士-政治家:
佐賀県の武士・大木某の長男//10歳・父が死去//18歳・「外国人排斥・クーデターやむなし」を唱える政治団体に参加するも実現はできず//28歳・東京へ遊学//36歳・明治新政府に参加、たいそうな役職を歴任(明治維新in1868.)//67歳・死去

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