西郷どん 第32回 「薩長同盟」 感想



第32回 「薩長同盟

◎かんそう

○面白かった

(`・ω・´)<どうまとめるのか予想がつがずハラハラしましたよ


○意地のはりあい
先に頭を下げる・さげない。子供のころはこういうことはよくあった。でも、大人になるにつれて、すごく減った。知り合いとかと意地の張り合いになったら、普通に自分が折れて頭をさげる。で、そのまま縁を切る。二度とあわない。で解決だからね。でもおっさんになって、職場で人の上のポジションになるとそうもいかない。部下の不注意で現場の作業が滞ったとき「自分が折れて頭をさげる。で、そのまま縁を切る。二度とあわない」ではなにも解決しないからね。仕事の場合はミスした奴が非をみとめ、反省してから次に向かってもらわないと。お友達ではなく、いち社会人としての責任・っていうの?


(´A`)<ところが、部下は自分のミスを認めない、頭下げない。居直り・開き直り・逆切れ。

(´A`)<こんな奴ばっかだよ、社会は。

(´A`)<別に「最近の若いモンは」とかじゃなくてね。パートのおばちゃんもそんなんばっか。

(´A`)<で、部下は結局頭さげない。こっちは無理にその問題を蒸し返してスネられてもめんどくさいから触れない。会社・仕事だから縁を切ることも距離を置くこともできない。


(´A`)<ウンザリですわ。仕事行きたくねえ。


まあそれは置いといて、薩長連合・国と国のお話だ。史実だと何日も意地の張り合いが続いて、最終的に坂本龍馬の提言で薩摩のほうが折れたようで。

(´A`)<俺が薩摩ならやっぱり俺のほうから頭さげるな。そして俺が長州ならやっぱり頭はさげない。どうせ死ぬなら頭なんか下げずに怨みながら憎みながら死ぬほうが気分いい。

(´A`)<やっぱり余裕のあるほうが下げるべきだよ。ただ、薩摩の気持ちもわかる。頭下げたって、相手の国がそこで終わりにせず自分らの立場理解せず調子コク可能性がものすごいあるからねえ。(某キムチ国家みたいにね)


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは・・・

(`・ω・´)<大久保どん!

(`・ω・´)<「命を落としてもかまわない・幕府に負けたくない・「天皇の命令に逆らう」と、日本中に布告するモン!」とのことでした


○その他小並感

・小①:なんか今作は高杉晋作でてこないっぽい?

・小②:薩摩の右派が会談に乱入!緊迫のシーンで・・・笑ってる役者さんがいた!と思ったら、たぶん素の顔。笑ってるみたいな地顔だった!(役者さんには悪いがこのシーンには起用しないほうがよかったと思う。まあ笑ったけど)

・小③:そもそも長州が薩摩を怨むに至るまでの経緯がいまいち描写不足。普通に歴史知ってる人にはいいかもだが、ドラマだけだと(ここまで薩摩は怨まれることしたっけ?)と感じてしまう。長州が薩摩を憎むに至る経緯の描写は花燃ゆのほうが断然わかりやすかった。まあ今回は薩摩主役だからっていうのはあろうが、それにしても描写不足。(逆に愛だの恋だのの創作パートを削ってほしかった)

・小④:ドラマでは、長州と坂本龍馬はそうそうにサジを投げ、西郷だけがあきらめなかった・みたいな話だったが、史実では西郷を含む薩摩は結構冷めてて(だから一回目はドタキャンした)、だけど坂本龍馬中岡慎太郎があきらめずに仲介を続け同盟の実現に尽力した・らしい


◎おまけパート
木戸孝允旧宅
//木戸孝允桂小五郎//生まれてから東京に出るまでの約20年間を過ごした//誕生の間・幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸・写真などが展示されている//国指定史跡//

○旧萩藩校 明倫館-剣槍術場 有備館
桂小五郎が通った学校//桂は吉田松陰兵学を学び才能を認められる//朝敵とされた長州藩の権威回復に尽力するなか、頭角をあらわしていった


御花畑御屋敷跡-薩長同盟所縁之地
小松帯刀の屋敷//第二次長州征伐が迫る中、坂本龍馬の手引きにより薩長同盟が締結された場所//

○行きたいレベル・B

死ぬまでに山口県にも一回は行きたい。フグ喰って酒呑んで城めぐりしたーい!藩校にはそんなに興味ない。


◎覚へ書き---1866年・主人公38歳---

○歴史パート:

○1866.薩長同盟

山口県と鹿児島県が東京中央政府に対抗するため結んだ同盟

//山口県と鹿児島県が東京主導の政治体制・東京主導の外交問題に対して「このやりかたでいいのか」意見が分かれぶつかり、殺し合いまで発展→鹿児島県が勝ち山口県は「東京が主導している日本の政治の敵」という扱いになる(山口県的からみると「鹿児島のせいで自分達は犯罪者にされた・という恨み」)→東京が「この機会に山口県を徹底的につぶして東京こそが日本の頂点ということをハッキリさせよう」と言う→「いや、別に東京は頂点じゃなくね?」と鹿児島県が言う→他の県も「山口県を潰すのに東京は指示するだけ。金だして実行するのは自分たち。めんどくさい。」みたいなスタンス→東京「東京は日本のリーダーだ!地方は命令に従ってればいい、逆らったらお前らも潰す!」という高圧的態度→(東京は自分勝手で使えない。この調子だと東京は山口県の次に自分たちをつぶしにくる)という危機感を持つ鹿児島県→そんな危機感をもった鹿児島県と、今、実際に困り果てている山口県の手を組ませて「東京が潰したくても潰せない大きな勢力」の結成を目論む人達が鹿児島県と山口県の間を取り持ち仲直りをうながす→お互い渋々OK、あとは契約するだけ→約束はしたものの契約の日に鹿児島県が急用でドタキャンしたり、どっちが先に仲直りしよっ☆て言うかで意地を張り合ったりして鹿児島県が折れて仲直りを先に言いだしたりすったもんだしたりしたものの結局同盟は成立

(`・ω・´)<語呂合わせ・「いやあ・ムリムリ(1866)薩長同盟


○ドラマパート:
//徳川慶喜が外国船団に依頼「日本の港に来て欲しい」→港に来た外国船団をみた日本国民は大パニック→天皇が動揺→徳川慶喜が動揺した天皇に「国は徳川が守る、けど山口県との戦争を許可してほしい、その許可をくれないなら国のことはあんたがやってくれ」と要求→天皇山口県との戦争を許可//山口県との戦争には断固反対の西郷と大久保、世論からのひんしゅくを覚悟で天皇の決定に反対する声明を発表「→この戦争には大儀がない。天皇の命令でも聞けない」、これをみた他の県も戦争に躊躇しだす//大久保利通が妾を娶っていた。驚く西郷(妾→京都の芸子さん)//西郷と大久保が戦争に反対という立場を公言したことに反発する鹿児島県の反山口県のグループ//前回、西郷にドタキャンくらったことでプライドを汚された山口県の高官・桂小五郎は西郷らの表明を聞いても西郷らを憎む気持ちが消えない//桂小五郎と仲直りし山口県と同盟を組みたい西郷、坂本龍馬を通じて再接触を模索//桂小五郎、鹿児島も西郷も憎いが山口県民を無駄死にさせないため西郷と会談を承諾//桂小五郎、会談で「鹿児島県は山口県のために戦え」的なことを要求。これに憤慨する鹿児島県の高官//西郷、鹿児島県の高官を説得。高官、「次の会談で山口県が先に頭を下げること」を条件に西郷の説得を受け入れる//会談が再会されるもどちらも頭を下げず気まずい空気→そこに鹿児島県の反山口県派が乱入、破談を要求→西郷、全員に喝、「これは日本のためだ」→西郷、伊藤博文から聞いた「イギリスでは鹿児島県と山口県の留学生が助け合い暮らしている」という話をひきあいにだし全員を説得→西郷、高官の制止をふりきり桂小五郎に頭を下げる//大久保利通にうながされ他の鹿児島高官も頭を下げたことで場が納まり鹿児島県と山口県の同盟が締結となる//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×ロッシュ(=レオン・ロッシュ1809-1900):フランス外交官:ゆかりの地→(´A`)<わからん
//おフランス出身//19歳・大学中退、おフランス軍のアフリカ遠征に従軍(二重スパイだったとも)→アラビア語の通訳に→おフランス外交官としてアフリカへ。現地の憲法制定の一助に//54歳・日本に転勤。当時日本は政府と反政府勢力が拮抗していたが、彼は日本語の通訳に日本政府の人間だけを使ったため情報が日本政府に都合のいいものにかたより考え方が日本政府よりの人間になる//55歳・山口県と戦争、勝利(→下関戦争○英米仏蘭vs山口県●in1864.山口県)/同年・日本政府から公共事業を委託され金になると判断、日本政府を積極的に支援(製鉄所建設・語学学校設立・国際イベント参加の推薦・金と武器の融資・日本兵練兵の協力。→「肩入れしすぎ」とおフランス本国から注文をつけられ帰国命令※(日本政府への傾注には同じく日本と関わりのあったイギリスより優位にたちたいっていうことと、単にイギリス外交官への対抗心があったとか)//57歳・反政府勢力の山口県が鹿児島県と同盟を組む●●イマ(薩長同盟1866)ココ●●//59歳・肩入れしていた日本政府が対抗勢力に敗北。「リベンジしようぜ」とケツを叩くも日本政府代表はしり込み(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)、結局日本はクーデターにより新政府誕生。→フランスから大使を罷免され帰国//おフランスに帰国、外交官引退//90歳・死去


伊藤俊輔(=伊藤博文1841-1909):農家-武士-政治家:ゆかりの地→(´A`)<わからん
//山口県の農家・林某の長男//12歳くらい・家が破産。のちに父親が伊藤某という武士の養子の養子となり自身も農家から武士となる//16歳・仕事で知り合った人の紹介で松下村塾に入塾(松下村塾→幕末の偉人を輩出した塾・1857当時塾の状況がどうだっかは知らん)//17歳・松下村塾塾長・吉田松陰の推薦で京都→長崎と出張、そこで桂小五郎(→当時山口県の武士・のちの明治政府の超有名人)の配下になる→東京に栄転。このとき中央政府がしいていた政治弾圧で師匠の吉田松陰が東京で粛清され遺骸を引き取る//(→安政の大獄.1858~吉田松陰死刑1859.)//22歳・イギリスの公営建造物に放火テロ(英国公使館焼き討ちin1863.東京都)/同年イギリス留学。外国の国力をまのあたりにし外国排斥が無謀と悟る//23歳・山口県がイギリスなどの軍艦と臨戦状態と知り急きょ帰国、戦争回避に奔走するも開戦→山口県が惨敗(→下関戦争○英米仏蘭vs山口県●in1864.山口県)→戦後処理で通訳となる/同年・山口県が「今後山口県中央政府に恭順する」という方針に反対する勢力のクーデターに参加、勝利(→功山寺挙兵○山口県左派改革派vs山口県右派保守派●in1864.山口県)//25歳・山口県と鹿児島県が同盟締結●●イマ(薩長同盟1866)ココ●●。薩長同盟前後は「目立った活躍はみられない」ってwikiには載ってた。第二次長州征伐(○山口県vs徳川政府●in1866.山口県)(27歳・戊辰戦争(○明治新政府vs徳川政府残党●in東北各県.27歳)ともに加勢できず暇をもてあましていた・だそうで//27歳・日本で起きた外交事件の事後処理に抜擢され解決に奔走、能力を認められ出世(神戸事件・堺事件in1868)。以降明治政府に入り要職を歴任//30歳・日本大使として欧米諸国を歴訪(岩倉使節団in1871.)//32歳・帰国後も政府要職を務め桂小五郎大久保利通岩倉具視など大物たちとの人間関係や派閥抗争をのりきる→桂小五郎西郷隆盛大久保利通など明治維新の中心人物が死去したことでさらに出世//44歳・初代内閣総理大臣になる//53歳・中国と戦争し勝利(日清戦争○日本vs中国●in1894.中国・韓国)//63歳・ロシアと戦争し勝利(日露戦争○日本vsロシア●in1904.中国・日本海)//64歳・韓国の実質統治権を得た日本の管理人として韓国へ//69歳・出張先の中国で韓国人に暗殺される


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