真田丸 第42回 「味方」 感想


第42回 「味方」 

かんそう

物語の最後に主人公が「いろいろ揉めたけど、見方によっては皆に士気があるってことだから大丈夫」みたいなことを言ってたけど、タイトルの「味方」っていうのとひっかけた?

○泣いていいのか笑っていいのか

部下を斬り捨てようとした兄幸が刀を落としてしまう。「あ、ありがとうごぜえます」「い、いや違う、これは」「ささ、行くぞ」という今回のコント的な見逃しオチ。兄幸は本当にこんなんばっかだな。兄幸氏の息子二人のことを軽く調べてみたら、兄幸氏はこの息子たちにも苦労させられたみたいで・・・なんか同情(´・ω・`)

○こいつ好き

長宗我部盛親公。史実では関ヶ原後の浪人生活で丸くなるまでは傲慢な大男だったとされているんだけど、ドラマでは顔は怖いが気のいい小心者っていう設定。このタイプのギャップって好き。再起のために命乞いした、という逸話もドラマでは単に死にたくなかった、ってことになるのかな?あるいはこの戦争で価値観変わるとか?あと、役者さんの顔が肖像画と似てて笑ったww

○顔芸
役者さんなら当然なのかもしれないが、表情で状況を表現するシーンが多くて(この脚本家の特徴?)、表情から空気が伝わってきて、すげえなあ、と思いましたまる(小並感)
あるていど歳の役者さんならまあ、しかりなんだろうけど、若い役者さんの演じた「困り果てる秀頼公の顔芸」、若い女の子が演じる「状況に不本意千姫」、それを察する主人公の目線。仕事と言われればそれまでだけど、上手だな、と。


あらすじ

歴史パート:1614.攻め入る徳川軍「大阪冬の陣」への備え

ドラマパート:大阪いりしたもののあまりウェルカムな感じじゃない豊臣家臣たち/{信濃真田}兄幸に代わり息子二人が出立/主人公の前妻の娘が、叔父のために仮の婚儀/主人公の下で戦おうとする自分の部下(主人公の前妻の兄)を成敗しようとする兄幸。部下を圧倒するも体調がすぐれず部下を見逃す形になる/豊臣軍、総大将を主人公にするしないでもめる→主人公の提案で、軍勢を5つに分け5人の大将がそれをまとめる・総大将は豊臣秀頼様にする・、ということでおちつく/まとまりのない豊臣の兵を見た主人公、「皆に勝つ気持ちがあるからこうなる・勝とうとしてるからこうなる」と分析、勝算ありと笑む。

つづく


おべんきょう

長宗我部盛親(1575-1615):大名・武将:土佐国・岡豊城(高知県
 土佐国主(高知)、長宗我部元親の四男として生まれる/13歳・嫡男の戦死により後継に/16歳・父とともに小田原・北条攻め/18-23歳・朝鮮出兵に参戦/25歳・父親死去、家督を継ぐ/26歳・関ヶ原では意に反して西軍につき敗戦、領地を没収され浪人となる/40歳・大阪の陣、豊臣方に←イマココ/41歳・敗戦、逃亡するも捕縛、斬首刑
 この後、この人の一族はしいたげられ続けて、その屈辱が幕末の土佐藩の攘夷の原動力になったんだよね。なんか、歴史って感じ。

千姫(1597-)豊臣秀頼正室本多忠刻正室大阪城→姫路城→江戸城(大阪・兵庫・東京)
 2代将軍・徳川秀忠(このときはまだ将軍ではないが)の長女として生まれる/7歳・豊臣秀頼と結婚/19歳・大阪の陣で徳川軍に保護され、徳川家康豊臣秀頼淀殿の助命を請うもかなわず/20歳・再婚(本多忠勝の孫と)、姫路へ/30歳・夫が死去、江戸に戻り出家、70歳で死去
 後世では「秀頼公を裏切ったメスブタ」的な汚名を着せられた時期もあったらしいが・・
 豊臣秀頼の助命を嘆願するもかなわず・秀頼の側室の娘を助け生きながらえさせる・再婚先で不幸頻発、豊臣秀頼の呪いだと言われ再婚相手も死に出家・出家先で不幸な女性を助けたり災害のあった場所に大金を寄付した・など、なんかいい人っぽい。
 この人主演でNHK朝ドラができてしまうくらい濃い人生やで(でも大河は厳しいかなやで。)

塙団右衛門(ばんだんえもん・1567?-1615):武将・加藤嘉明小早川秀秋松平忠吉福島正則→仏門入り→大野主馬(豊臣秀頼
 出生不詳/1592.朝鮮出兵の際に背中に大きな旗を背負って活躍、名をあげる(これが後世で大いにウケる)/1600・関ヶ原(東軍)・合戦で加藤某の指示にしたがわなかったことを咎められるも、おまえみたいな小者に従ってられるか的な張り紙を残し出走/小早川某に召抱えられるも小早川死去/松平某に召抱えられるも松平死去/福島某に召抱えられるも最初に揉めた加藤某の妨害で罷免/仏門に入る/1614・大阪冬の陣で恩賞の大きい豊臣につく/大阪の陣で夜襲、自分の名前を書いた札をばら撒き自分アピール(これが後世で大いにウケる)/大阪夏の陣で武将に格上げされるも武功をはやり討ち死に
 自己顕示欲の塊?友達に絶対なりたくないタイプだな。カブキモノ?

織田有楽斎さい(1547-1622)大名・茶人:尾張国大野城、大草城(愛知県)
織田信長の弟(13歳下・11番目の弟)として生まれ、26歳で信長の息子の配下となる/36歳・本能寺の変から脱出。信長と信長の息子は自害したため信長の次男の配下に/44歳・主人の織田信長次男が失脚/54歳・関ヶ原・東軍につき勝利、領地を得る/その後大阪城入りし豊臣秀頼の補佐をする(有楽斎は淀殿の叔父)←イマココ/68歳・大阪冬の陣の後大阪を脱出(徳川と内通していたらしい・戦争は避けるべき、との上訴を豊臣がきかなかったからもう出て行く、ということらしい)、京都で茶人として生活/75歳・死没
 有楽町の「有楽」はこの人から来たらしい・病弱を理由に戦争にはあまり参加しなかったらしい・織田長男が自害するとき、嘘をついて逃げ出したらしい・利休の弟子で有名な茶人らしい・徳川のために豊臣のスパイをしていたらしい
 役者さん、肖像画と似てて笑ったその2

○大野主馬(おおのしゅめ・1570?-1615?):武将・豊臣家臣・(大阪)
 淀殿の世話係長の息子として生まれる豊臣秀吉・秀頼に仕える/大阪の陣では徳川との徹底抗戦を主張、みずから軍勢を率いるも連戦連敗、秀頼の子供を連れ脱出を試みるも捕縛される/その後自害した、逃げ延びた、など諸説あるそうな
 役者さん?格闘技で有名な人だよね?最近みかけるなあ。プロレス?の高田なんとかさんもNHK一時期たくさんでてたし、需要あるんだなあ。




おまけコーナー

長久保宿本陣跡(長野県)
 宿場町にある、大名が宿泊した場所。真田幸村の長女の嫁ぎ先。

○西蓮寺
 主人公の長女の墓があるお寺

行きたいレベルB・宿場町ってけっこう好き。機会があれば行ってみたい。そんなに遠くないし。でも他に現存してる建築物がたくさんあって、宿場町のていをなしていることが条件。ないならいかない。



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