真田丸 第40回 「幸村」 感想


第40回 「幸村」 感想

○エゴイズム

「戦いに参加してくれ」という依頼を断ったものの、「話しだけでも聞いてくれ」、と言われ、すごすご使者についていく主人公。(楽しげに語らう家族を遠くから一瞥したのち・という演出つき)

ここがすべてだよね。やっぱり主人公は戦いたい(っていうか自分がどれだけ世の中に通用するのか試してみたい)という思い{認証欲求、本能}のほうが強くて、それを形だけの理性{家族と穏やかにという理由}で押さえつけようとしたがやっぱり無理だった。

この解釈でいいならすごいわかる。

「一応カタチだけ断るけど、本当はそこで相手にもう一押ししてほしい、そうすればこちらも面目がたつから折れやすい」、みたいなこと、生きてればけっこうある。もちろんそれはエゴでしかないんだけど・・

だけど仮に断って貧乏暮らしを続けても、一生(あのとき参戦していれば・・・)と悔やみながら生きることになる。

結局人生は2択。俺なら戦って死ぬほうがいいかな。(まあ俺の場合は現実逃避のための選択だが。)


○クソムカついたお綺麗ごと

ヒロイン「あなたを必要としてる人がいる」

ヒロイン「あなたの幸せなんて関係ない。大事なのは誰かがあなたをもとめていること」

これにはものすごいアタマに来た。ご立派な単語を並べ立てただけの綺麗ごとに聞こえた。(ただ、{ドラマではあるが}ヒロインは実際に菩薩のココロで人生を賭して主人公に尽くしてきたので、この綺麗事を言う資格はあるのだが・・・)

10年以上主人公のことを放置、蟄居を解いてくれなかった大阪の「職場の人」に、「我々が困ったことになったのできて下さい、アナタが必要です、あなたを求めてます」と言われたことを理由に?幼い子供・妻たち・親の代から自分につかえて助けてきてくれた年寄りや一族を犠牲にして主人公を戦わせようとするヒロイン(そんな展開に構成した脚本家)に、ものすごい嫌悪を感じた。

ここはさ、純粋に「出世したい、名をあげたい、自分の名誉を挽回して家族に楽をさせたい」にするべきだろ?

なーにが「必要としてくれる人のため」じゃ!アホか偽善脚本家め。それならてめえがボランティアでシリアに行ってみろ!できないならこんな偽善脚本書くなボケ!!
「出世したい、名をあげたい、自分の名誉を挽回して家族に楽をさせたい」が当然だし自然だろ!

しかも散々きれいごとぬかした後に、「あなたは何も残していない、だから戦え」?おかしいでしょ?

主人公は家族、一族を守ってるじゃん!

「北条がどうこう、豊臣の落書き事件がどうこう」っていうのは世間の評価でしょ?「家族・一族を守っても世間は評価しない。世間に評価されるために戦争に行け」、ってか?キチガイの発想だろそりゃ。

○「自問自答するより人に言われるほうが響く」

主人公のセリフ。とりあげるほどのことではないがこれはそのとうり。あと、シュチュエーションは違うけど、「自分だけで考えるより人に説明してみたほうが考えを整理できる」っていうのもあるよね。紙に書いてみる、とかもそうだし。


○例の鐘

片一方だけ、徳川だけが悪い、完全ないいがかりっていうわけではなく、製作側にも悪意があった、っていう内容だったけど。俺がガキの頃は「徳川に因縁つけられた豊臣カワイソス」、っていうのが通説だったけど、最近の研究では「当時の文壇の常識的に問題のあるものだった」が通説になってるらしい(ドラマにはなかったが史実ではこれを書いた高僧は徳川のもとへ行って弁明したらしい)

片桐且元大暴走

全部片桐某が悪いというドラマ仕立てでしたが。豊臣家の内部で片桐某を浮かせて豊臣を引っ掻き回す、っていうのは確か史実なんだよね?だけど大阪決戦の起点ともいえる大切なエピソードなんだから、ドラマチックな演出は控えて史実にそってほしかった。

○最後も異議アリ

「大事なことだからこそ天にまかせる」??いやいや、違うでしょ?大事なことは自分で決めなきゃ。(名前なんてどうでもいいが。)
「失敗しても成功してもそれは自分で決めたことを実行した結果」であるべきだと俺は思う。この脚本家さんの人生観なのかな?でも大成功してる人だし、こおいう生き方のほうがいいのかもしれないな。(する気ないけど)


覚へ書き

歴史パート:1614・方広寺釣鐘事件

ドラマパート:兄幸、体調に異変の兆し・の描写/前回主人公をたずねてきた者に案内され、片桐某(豊臣秀吉が健在の頃、大阪で世話になった武将)と密会。片桐某の不手際・徳川家康の老獪さ・ひっくるめた世の中の流れ・で、豊臣と徳川が全面戦争の事態になった、だから大阪に着て豊臣のために戦ってくれ・とのこと/主人公、片桐某の依頼を固辞したことをヒロインに責められ参戦するよう諭される/主人公、これまでの人生(ドラマの各シーン)を振り返り参戦を決心、「幸村」と改名

おべんきょう

文英清韓:(1568-1621):僧
 伊勢出身(三重・愛知・岐阜の一帯)、出家後、加藤清正に従事し朝鮮出兵に従軍24歳/32歳・京都東福寺長老に、のちに南禅寺長老になる/46歳・釣鐘事件←イマココ/大阪の陣では豊臣に仕えるも戦況不利で逃亡、のちに捕らえられる/蟄居ののちに許され53歳で死去

大野治長:(おおのはるなが1569-1615)武将:丹後・大野城(京都)
 大野城主の子として産まれる/母親が豊臣秀吉の側室の淀殿の乳母だったツテで豊臣秀吉に仕える/30歳・豊臣秀吉が死去したのち、豊臣秀頼に仕える/31歳・徳川家康暗殺の嫌疑をかけられ流罪/32歳・関ヶ原。東軍についたことで徳川家康に許されるも再び豊臣秀頼に仕える/46歳・釣鐘事件←イマココ/47歳・大阪夏の陣で秀頼らとともに自害
 「自分が死ぬから秀頼と淀殿は助けて欲しい」と徳川に懇願したが却下され、結局秀頼らとともに自害した忠義者らしい。
 実は豊臣秀頼大野治長淀殿がゲスいことして作った子供、という噂があったらしい。

おまけコーナー

方広寺、大仏殿跡(京都)

豊臣秀吉が建てまくった寺のひとつ、昔は大仏があったらしい。ドラマにもでてきた例の鐘は今もあるそうな。

行きたいレベルB。寺とかどうでもいいけどあの鐘だけは機会があれば見ておきたい。

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