西郷どん 第22回 「偉大な兄、地ごろな弟」 感想



第22回 「偉大な兄、地ごろな弟」

◎かんそう

(´A`)<今回は「島津久光公の役者さんの顔芸」と、「西郷どんと有馬さあの心が通うシーン」がメチャよかった!


○ドラマとはいえ

鹿児島県の実質トップに向かって、「あなたには諸国にパイプがない、あなたは力不足だ、あなたにはお兄さんほどのセンスはない」とか言い放つ西郷。


(´A`)<言い方が悪いよね


「まずは他藩との連携を強め信頼関係を築き、連意思疎通を計るのが肝要かと存じ上げもす」
とか言えばよかったのに。


(´A`)<でも史実でも似たようなこと言ったみたいだし、「男として、人間としてたとえ切腹になってもこれだけは言っておかないと気がすまない!」って心境だったんだろうか(島津斉彬公の暗殺疑惑や月照を見捨てた件とかね)


(´A`)<ちなみにこのシーンの怒れる島津久光公の役者さんの顔芸メインの演技すっごいよかった。さすが役者さんと思った!!


○なんで大久保はダメで西郷はいいの?

鹿児島県。「俺たちはどれほどいがみあっても、思想が違っても友だ!でもおまえたちがテロをおこしたら本当に敵どうしになってしまう、頼む、考え直してくれ!」土下座し左派を説得する大久保利通
しかし左派は大久保の説得を聞き入れず京都へ。

京都府。「おまえらはテロを決行してもその後の世の中のことを考えていない、そのへんをみんなで考えよう、それまでテロはまってくれ、それすらダメだっていうなら今ここで俺を殺してみせろ」左派を説得する西郷。
左派は西郷の言葉を受け入れ活動を一時延期する。


(´A`)<なんで大久保の説得はダメで西郷の説得は受け入れられたの?


(´A`)<職場でオバチャンに聞いたら、「普段の行い、人望じゃない?」って言ってましたが。そうなの?


大久保の説得:上司の手紙を見せて説得→さらに土下座で説得
西郷の説得:じっくりはなそうともちかけ相手の計画を聞きその計画の欠点を指摘→「じゃあどうすりゃいいんだ!」→「しばらく俺に預けてくれ、それも嫌だっていうなら今ここで俺を殺せ」と説得


(´A`)<ウーン・・・別に大久保どんの説得も誠意があったし悪くなかったと思うけどなあ。


(´A`)<あと、説得に成功した後、西郷どんと有馬さあが無言で「ドン!ドン!」と、掌で胸を叩き合うシーン、めっちゃよかった。


(´A`)<有馬さあの顔が恐いから心が通じ合うと感激もひとしお。



◎今週の「命かけもす」宣言

(´A`)<今週の命かけもすは2発!

(´A`)<1・西郷どん「テロをを起こす連中は命をかけてる、だから自分も覚悟を決め命をかけて止める」っていうのと、

(´A`)<2・西郷(弟)「兄さあは命がけで生きてる!マブシい、マブシすぎもす!」でした。

◎おまけパート
鴨川の西を流れる高瀬川に接する木屋町には諸藩の志士が集結した//志士たちはこの一帯に拠点をおき密議を交わした
○錦小路薩摩藩屋敷跡
京の台所と称される錦市場の近くに薩摩藩邸があった//錦市場を南北に走る柳馬場通りに西郷も利用した薩摩藩邸の定宿・「鍵屋」があったと伝わる(柳馬場通り・薩摩藩の定宿・鍵屋付近)

○行きたいレベル・C
時代を偲びながらのんびり散歩するにはいいかも。(但し自分には金にも時間にもそんな余裕がない。ここは「僕をこんなふうにした社会に憤る」ところなのか「くだらない人生をあゆんできた結果で自業自得だ。と落ち込みあきらめる」ところなのか・・・)

◎覚へ書き---1862年、主人公34歳---

○歴史パート:

(´A`)<ナシよ

○ドラマパート:

//西郷、鹿児島に戻り鹿児島県のトップに拝謁し、「あなたは世の中が見えてない田舎モノだ」と罵り鹿児島県トップを怒らせる//そんな西郷を左派がスカウト→しかし西郷は「左派は「中央政府を倒す」といい右派は「中央政府のトップを代える」というが、どちらも今は無理だ」と言い切る//鹿児島県トップが兵隊を引きつれ京都→東京に行く(武力を誇示し中央政府の政治運営に鹿児島の要求をつけることが目的)ことに決定、その段取り・手配のために西郷を先に山口県に行かせる//左派が不法に京都に行く(大久保利通が説得するも聞き入れられず)//山口県入りした西郷、「(西郷の予想に反して)鹿児島県には味方が多い」・「西郷の弟が鹿児島県と西郷の名をバックにイキッている」という情報をゲット//さらに「鹿児島の武士が京都でテロを画策している」という情報もゲット、それを阻止するため急ぎ京都に//京都でテロを画策する鹿児島の武士と接触、思いとどまるよう説得//永らく逢っていなかった弟が左翼の思想にかぶれ、「西郷の弟」という箔でイキっていた→叱ったのちに謝る西郷「留守中苦労をかけた」→仲直り//鹿児島県トップが山口県に到着、出迎える手はずの西郷がおらず激怒→「命令違反は切腹もす!」//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×白石正一郎(1812-1880):商人(いわゆる豪商)・宮司白石正一郎旧邸宅跡(山口県
山口県の商人・白石卯兵衛の長男//49歳・西郷隆盛を通じ薩摩藩の御用達となる//尊皇攘夷思想だったことから長州藩に資金援助//坂本龍馬を庇護したことも//51歳・高杉晋作奇兵隊に援助、入隊。あまりに援助しすぎたため、自分の資金が苦しくなったという話も//明治維新後・宮司に//69歳・死去
西郷隆盛から「温和で清廉、実直な人物である」と評価され、新時代を築き上げる人材を経済面で助け上げたスポンサー的存在だった

×西郷従道(じゅうどう・つぐみち・1843-1902)//武士-軍人-政治家//鹿児島県
西郷隆盛の弟。鹿児島県の大名、島津某に仕える茶坊主になる//←イマココ・3歳・→//18歳・還俗、政治活動に没頭、京都でクーデターを目論むも捕縛、年少者のため謹慎処分(→1862.寺田屋事件)//20歳・薩英戦争で決死隊に志願(→1863.薩英戦争)//25歳・鳥羽・伏見の戦いに参戦、各地を転戦(→1868.鳥羽・伏見の戦い)//26歳・軍制視察のため渡欧//兄・西郷隆盛が政策の違いから政府から離脱(→1873.明治6年政変)するも従道は中央に留まる//35歳・西南戦争。中央で留守番(→1877.西南戦争)//43歳・天津条約締結のため中国へ(→1885.天津条約)//51歳・日清戦争(→1894-1895)//59歳・病死

×おゆう(杉浦勇):芸妓・大久保利通の妾:
wikiにのってない・大久保利通の妾・大久保との間に4人の男子をもうけるも4人ともwikiにのってない
//由緒あるご立派な茶屋の娘(大久保との家格をつりあわせるための養子縁組だったとも)//****大久保利通の妾になり4男をもうける//鳥羽・伏見の戦いで掲げられた「天皇(官軍)を象徴する旗」を製作するのに一役かったとかいう話がある(真偽不明・興味ないから調べない)//1918.死去(大久保の死の40年後)

×平野国臣(1828-1864):武士(福岡藩士):平野神社平野国臣を祀る・福岡)
//福岡藩足軽(→歩兵の一種)の子///30歳・西郷隆盛と知り合い政治活動に協力するも中央政府ににらまれ西郷らとともに西郷の故郷、鹿児島に逃げるも鹿児島県が味方してくれず西郷が自殺未遂、平野はこれを助けた後に鹿児島県を追放され一旦故郷の福岡県に帰ったあと、新たにテロを画策し各地をまわる////32歳・中央政府の事実上トップが暗殺される。これを事前に知っていて福岡県のトップに忠告していた平野は福岡県から犯罪者として追われる身になり各地を転々とする(→桜田門外の変1860)34歳・テロを画策するも失敗、投獄される(1862.寺田屋事件)//35歳・釈放された後、山口県が中心となったクーデターに参加するも失敗(1863.八月十八日の政変)さらに別口でクーデターを起こすも失敗。36歳・処刑される//

※なかなか面白い人物だったみたい。(エピソード的には「大人物」っていうより「ちょっと浮いた人」みたいな感じなものがあって面白い)

×小河一敏(おごうかずとし・1813-1886):豊後(大分県)岡藩士・堺県知事・宮内省御用掛:小河一敏屋敷(大分県
岡藩(大分県)の藩士の子//藩が左右に別れたとき、左派のリーダーとなり鹿児島県と連携しクーデターを計画するも頓挫、幽閉される(1832.寺田屋事件)//明治維新後、解放され堺県知事になるものちに免官(堤防の修築のために独断で金策を講じたというのが理由らしい)//宮内関係の仕事につく//73歳・死去