西郷どん 第33回 「糸の誓い」 感想


第33回 「糸の誓い」

◎かんそう

○男の旅は1人旅・女の道は帰り道

「危険な目にあわせたくない」と、妻を置いて戦地・山口県に向かう坂本龍馬。「危険でもかまわない、死んでもいい、一緒にいたい」後を追うお龍。
龍馬の気持ちはわかるが、お龍の気持ちもわかる。

・・わかるが、男としてはやっぱり連れていけないよ。「自分の判断ミスせいで妻が死んだ」なんて、絶対そんなことあってほしくないもん。っていうか

(´A`)<お龍は結局追いついたのか?

(´A`)<史実では鹿児島を一緒に出立、お龍は長崎で留守番させたってなってるから、追いついて一緒に船に乗ったってことでFAかな。次回そのシーンあるとか?

(´A`)<っていうか中途半端な演出やめてほしいわ。ちょっと追いつくカット挿すかそもそもこんな小芝居なくすかすればいいだけのことなのに。



○ナマコは創作として、

「西郷がイギリス船に、っていうのは史実?さすがにそれはないよね?」なんて思って見てたけど、実際イギリス大使と交渉したのは西郷だったみたい。なんか「西郷は軍事・現場担当、小松帯刀が政務、大久保利通が外交・営業」みたいな感じで勝手に決め付けてた。

(´A`)<で、”薩摩・イギリス・接待・交渉”で、ちょっと調べてみた

{接待}1866年、薩摩藩は英国との親交を深めようと、公使パークス一行を迎え盛大な宴を催した//この出来事は外国新聞でも大きく取り上げられた//料理はイマイチだったが接待がとてもよかったとの手記が残っている//
{交渉}あまり良い雰囲気ではなかった(イギリスは先進国・日本は後進国。しかもその後進国の、地方自治体でしかない鹿児島県がイギリス様を接待したいと招待→イギリスが鹿児島をみ下す)//イギリス公使、あろうことかテーブルに脚を乗せて西郷と会談→西郷、静観したのちに自分もテーブルに脚を乗せる→イギリス公使、怒る「その態度は礼を失する」→西郷、「お互い様ですよね?こういうの、よくないよね、お互いに。」→イギリス公使、謝罪。対等な意見交換がはじまる

(´A`)<みたいな?(ソース怪しいんでアレだが。)

(´A`)<まあともかく。勉強になった。本当にすごい人だったんだなあ。

(´A`)<「ナマコで怒る」は脚本が盛った話としても、「日本の、接待・建前文化。と、西洋の交渉・実務文化の違い」を表現したかったのかな?とは思える構成。

(´A`)<ニホンジンは建前ばかりで本音を言わない・なんて話、聞くしね。


○腫れ物に触れる

前妻のことを話すシーンはないと思ってたけど、きっちり話しましたな。

(´A`)<なんとなく俺の中で幕末ドラマの基本は「漫画・お~い!竜馬」になってて。その漫画では英傑たちの女性問題をことごとくフワッと流して物語を進めてたから、他の漫画・ドラマもそんな感じなのかと思ったて。

(´A`)<やっぱりこういうことはフワッとさせちゃダメだよね。花燃ゆのときもきっちりそういうシーンあったし、むしろ「漫画・お~い!竜馬」みたいにウヤムヤにする脚本構成のほうが少ないのかも?


○お龍さん

個人的に好きじゃない顔と声。この不快感、どこかで・・・と思い調べてみたら、「風林火山」のサブキャラクターでした!

(´A`)<思い出すことはできたが全く嬉しくはなかった。「思い出せなくてモヤモヤ→思い出すことに成功→嫌な記憶だった→スッキリしたけど嫌な気持ち」という複雑な心境・・


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(`・ω・´)<大久保どんの妻どんでした

(`・ω・´)<「私たち女は命がけで家を守っている」とのこと


(´A`)<この女優さん好き☆顔が可愛い

(´A`)<大久保め、浮気なんぞしおってけしからん奴じゃ

(´A`)<でも大久保の愛人も美人なんだよなぁ・・・


◎おまけパート

--鹿児島県霧島市----
霧島連山の麓から湧く豊かな温泉地//京都で傷を負った坂本龍馬が西郷や小松帯刀の勧めでお龍とともに訪れ、新婚旅行の先駆けといわれるようになった//今も龍馬の足跡が多く残されている

塩浸温泉龍馬公園
坂本龍馬が新婚旅行で逗留したという温泉//龍馬がつかったと伝わる浴槽//坂本龍馬・お龍 新婚旅行湯治碑//龍馬資料館//縁結びの足湯//がある

//坂本龍馬夫妻が新婚旅行でこの地を訪れたことを記念する碑がある//奈良時代、都を追われこの周辺で過ごしたと伝えられている和気清麻呂を祭った神社//交通安全・学問・建築の神として御利益があるといわれている//近くに清麻呂が入ったといわれる温泉「和気の湯」があり、浴後、腰掛けられたという腰掛石も残っている

○犬飼滝
//「新・鹿児島百景」なるものの第一位//高さ36メートル、幅22メートル//坂本龍馬も絶賛したという//

高千穂峰 {-天の逆鉾-}
坂本夫妻が登頂した//江戸時代、女人禁制だったこの山にお龍は男装して登頂した//山頂にある{天の逆鉾(宮崎県高原町)}を引き抜いた、と龍馬は姉に宛てた手紙で語っている

高千穂峰を下山した二人が参拝//境内には二人が目にした樹齢800年とされるご神木が枝を伸ばしている//

○行きたいレベル・C

めちゃ行きたいけど金も時間もナイ。たぶん一生行けない。(´A`)しょぼい人生だ


◎覚へ書き---1866年・主人公38歳---

○歴史パート:
・第二次長州征伐(1866.山口県
まずは前置き(▲▲←この印からが第二次長州征伐)。前置き→山口県が「国のため」に「良かれと考え」中央政府の行政に干渉→中央政府はもちろん、周囲の県からも「調子コイてる」と受け止められ山口県がボコボコに(戦争)され最終的に政治の中心地、京都への出禁処分(8月18日政変in1863.京都府)→「誤解だ・理解してもらうには京都に火をつけて混乱させ天皇をさらって山口県にきてもらうしかない」と一部山口県民が京都で計画→その一部山口県民の計画が漏れ、公安とモメて殺傷沙汰,公安と山口県民双方に死者(池田屋事件in1864.京都府)→「そこまでせんでええやん」一部山口県民が逆ギレ、抗議のため軍隊を京都に送る→「山口県の兵隊が京都を攻めてきた」を大儀名文に他の県が軍隊を送り返り討ちに→山口県が負けて国家反逆罪県が確定(→禁門の変.1864.京都府)→今度は国が山口県に軍隊を送り山口県に落とし前を要求(第一次長州征伐in1864.山口県)、山口県、県の総意として謝罪と責任者の処分(死刑)と今後は徳川様に従うことを約束→しかし一部の山口県民が山口県の総意に逆らいクーデターし勝利、「山口県は徳川には従わない県」という方針にひっくり返す(→功山寺挙兵in1865.山口県)→(→▲▲ココカラ第二次長州征伐.in1866.山口県▲▲)→「山口県は懲りてない、立場をわからせてやらないといかん」という徳川中央政府が日本各県に軍隊を山口県に送るよう命令(「徳川は上から「やれ」でいいけど、やらされる俺らはぶっちゃけウザイ。金もかかるし・・」というテンションの各県)→対して必死な山口県は外国から最新の武器を仕入れ、テンション低めの中央政府軍に対抗、勝利する→中央政府軍配下各県の士気が低いのに加え中央政府のトップが病死。戦争どころじゃなくなり山口県に停戦を打診。事実上山口県の勝利で終わる→1867.山口県の国家反逆罪が解除される

・日本初の新婚旅行(1866)
/坂本龍馬とその妻・おりょうが鹿児島県を観光した
//温泉めぐり(坂本が指を大怪我していたので湯治)、登山、神社、滝などの観光名所めぐり

(´A`)<「坂本龍馬の新婚旅行が日本初」っていうのはどうも違うみたい。(鹿児島県的には坂本龍馬ってことにしといたほうが聞こえがいいし(金になる)、他の県からしても自分に利害がないかぎりは坂本龍馬が初・ってことでいいじゃん・みたいな空気なんだろうなあ、と想像

・鹿児島県がイギリス外交官を接待(1866.)
会談//「イギリスと鹿児島県は今後さらに仲良くしていく必要がある」という見解で一致//鹿児島県が「中央政府・徳川がいかに自分勝手か(鹿児島県の正当性)」を力説するもパークスは「それは日本国内の問題だ(内政不干渉)」で平行線//
接待//外国の新聞にも大きくとりあげられた//鹿児島県は地元・日本料理をメインに接待するも料理はイマイチだったらしい・接客はよかったらしい(翌年、中央政府・東京都の徳川家も大阪で同じメンツを接待。こちらはフランス人にフランス料理を作らせ接待。料理も接客も好評だったらしい)//

(´A`)<俺的には外国で日本料理食うより外国ではその土地の名物を食いたい→だから外人には日本料理を出す、けどなあ。このときはそれじゃあダメだったようだけど、実際、外人にはそいつの文化圏の料理だしたほうがいいのかなあ。


○ドラマパート:

//坂本龍馬中央政府に捕縛されそうになり西郷のいる鹿児島県庁に避難(→●寺田屋事件.1866)//西郷、帰郷に併せ坂本龍馬を鹿児島県に連れて行く//子ができず悩む西郷の妻、西郷とギクシャク//鹿児島県、フランスと近しい徳川・中央政府に対抗するためイギリスと懇親会を設定。西郷はイギリス公使接待のためのノウハウを坂本に教わる//中央政府・第二次長州征伐を決行(●第二次長州征伐.1866)//坂本龍馬・鹿児島県旅行を堪能(新婚旅行のさきがけ)したのちに長州征伐の状況を知るため山口県に向かう→(山口県は危険なので)置いていかれた坂本の妻、坂本を追いかける//鹿児島県がイギリスの接待に失敗。名誉挽回、説得のため西郷がイギリス船にのりこむ→イギリス「接待はもういい、要件を」→「中央政府は腐っている、その元凶・徳川を鹿児島県が倒す、協力してほしい」//交渉は成功、西郷帰宅。//西郷とギクシャクしていた妻、前妻の話を西郷から聞きしがらみをなくす→合体→妊娠//西郷、京都に出張//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

おりょう(=楢崎龍・ならさきりょう・1841-1906):坂本龍馬の妻:信楽寺(墓・神奈川県)
皇族付きの京都の医者・楢崎某の娘(異説アリ)//21歳・父が病死・生活は困窮、母が騙され妹二人が売りに出される→包丁を持って妹を取り返しにいくという武勇伝をつくる//23歳頃・坂本龍馬と出会い結婚、京都の旅館に就職、この頃新撰組のリーダー・近藤勇に言い寄られたり西郷隆盛の部下で有名な人斬り半次郎に性的な意味で襲われかけたりする(あくまで後年の自己申告)//25歳・1866.1.坂本龍馬が政府公安と衝突、逃走を援助(寺田屋事件in1866.京都府)→1866.3.公安を2人殺し自らも負傷した坂本龍馬が鹿児島県に雲隠れするのに同行、これが日本初の新婚旅行ともいわれる←■■イマココ■■//26歳・坂本龍馬長崎県で起業、そこで暮らす→同年、坂本龍馬が暗殺される(1867.近江屋事件)//その後は未亡人として坂本龍馬の実家高知→妹の嫁ぎ先高知→以前の勤め先の京都→坂本龍馬と懇意にしていた政界の大物がいる東京などを転々とする(性格に難があったらしい)//33歳・神奈川県で就職//34歳・行商人・西村某と再婚//42歳・小説家・坂崎某の著した坂本龍馬主人公の小説がベストセラーとなる//56歳-晩年はアル中、妹と夫がねんごろになり別居、退役軍人・工藤某に引き取られ余生を送る//65歳・死去

×板倉勝静(いたくら-かつきよ・1823-1889):岡山県大名・幕府老中:松山城岡山県
福島県のお殿様の8男//19歳・岡山県のお殿様・板倉某の婿養子に//26歳・養父の隠居に伴い岡山県のお殿様になる。行政改革に着手・有能な人材をみだし財政建て直しに成功//34歳・有能さを中央政府に評価され国政に携わる//36歳・国政の実質トップ・井伊直弼の行政に反対したためクビになる(安政の大獄in1859.)。のちにその井伊直弼が暗殺され(桜田門外の変in1860)、再び中央で政務につき(しかも老中という将軍の次に偉いポスト)国政・外交問題に尽力//43歳・徳川中央政府の「山口県と戦争する」という政策に反対するも退けられる(第二次長州征伐○山口県vs徳川中央政府●in1866.山口県)。←■■イマココ■■同年、14代将軍・徳川家茂が死去、次の将軍からも信頼され政権を牛耳る徳川家の存続に尽力(44歳・大政奉還in1867.)//45歳・徳川政府が反政府勢力と全面戦争。決戦に備え徳川将軍と大阪に入る→徳川将軍が東京に逃げるのに随行→国の方針が「徳川側の人間=国家反逆罪人」となったため、板倉は新政府により軟禁処分となる→旧政府徳川側の反抗軍によって救出され反抗軍参謀となり反抗軍拠点の東北へ→東北で敗戦、北海道へ→「新政府に恭順しないと岡山県民に危害が及ぶ」板倉が管理する地元・岡山県の部下が板倉を強引に北海道から東京へ連れ戻す(→王政復古・戊辰戦争・江戸無血開城明治維新1868.)//46歳・ほとぼりがさめるまで雲隠れしたかったが資金がなく新政府に自首謝罪・終身禁固刑となる//49歳・罪が許され罰が解かれる//53歳・徳川を神としてあがめる神社(上野東照宮in東京都)の役職につく//66歳・死去

×パークス(ハリー・パークス・1828-1885.):外交官:イギリス
イギリスの鉄工場主の長男//4歳で母が病死、5歳で父が事故死、叔父に引き取られるも9歳で叔父が死去//13歳・中国在住の姉を頼り渡航、イギリス人通訳の下で働く。(当時中国は貿易をきっかけにイギリスと戦争中だった(アヘン戦争○英vs中●in1840-1842..中国)//14歳・イギリスが中国に勝利、上司が戦後処理に携わるのに付随(南京条約in1842.中国)//16歳・イギリス大使館の通訳となる//28歳・在中イギリス大使館の役職につく-同年・中国入国管とイギリス船がトラブル、これを口実に戦争をしかけパークスも通訳として従軍→(○英・仏vs中●in1856-1860..アロー号事件)//32歳・中国軍に拉致されるも戦争はイギリスが中国に勝利//37歳・在日大使に就任(1865.)~幕末の多くの有名事件前後で情報収集のため現場におもねきイギリス大使として関わる(大政奉還戊辰戦争西南戦争ほか多数の日本の大事件・日本人による外国人襲撃事件など)また、多くの幕末の有名人(明治天皇徳川慶喜将軍・岩倉具視公卿・勝海舟西郷隆盛桂小五郎高杉晋作坂本龍馬・ほか多くのビックネーム)とも会談、意見交換する■■イマココ・38歳・1868.■■//38歳・暴漢(日本人)に襲撃されるも護衛(日本人)が一人を殺害、もう1人も捕まえて首ちょん(パークス襲撃事件in1868.京都府)//日本の政権交代戦争・戊辰戦争では「日本の問題なので外国は口をはさまないよう」他国も含め申し合わせ。勝者の明治政府がゴリ押しで敗者の旧政府首領徳川慶喜を蹂躙しようとするのに苦言を呈し穏便な政権交代に貢献したり野戦病院の開設に尽力する(戊辰戦争・江戸無血開城in1868)//55歳・中国大使に栄転//57歳・リウマチで死去

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