風林火山 第45回 「謀略!桶狭間」 感想


第45回 「謀略!桶狭間」 

◎かんそう

(´A`)<今回はあんま思うことがなかったので小並感をいくつか

今川義元どのが退場。金持ちでイケメンのイヤな奴っていう役をすごい魅力的に演じてくれた役者さん・メッチャよかったです。長丁場お疲れ様でした。

○勘助の顔芸がメチャよかった。(→寿桂尼どのに「さては勘助、義元をあおったな!?」って言われてすっとぼけたときの顔と、義信の守役・オブどのに「勘助、桶狭間の戦はおまえも噛んでたのかっ!?」って言われたときのすっとぼけ顔。)

寿桂尼どのの孤独感がすごい。今川義元の訃報が届いて、残ったのは自分と、イマイチ頼りない義元の子・氏真くん。家臣が離れていかないためにもここで弱みを見せれないってこともあって、気丈にふるまうシーンは胸が痛かった。(´A`)<おばあさんなのに・・・

織田信長がでてこないとこもよかった。話題づくりでしょうもないイケメンを起用したりしない・織田信長っていう人気キャラをあえてださないっていうのが好印象。

◎おまけパート

---愛知県.豊明市.栄町---
桶狭間古戦場伝説地{●今川義元供養塔}
桶狭間古戦場だった」といわれる場所・2ヶ所のひとつ(2ヶ所は隣接)

---愛知県.名古屋市.緑区---{●今川義元供養塔・●今川公首洗いの泉}
桶狭間古戦場公園
桶狭間古戦場だった」といわれる場所・2ヶ所のひとつ(2ヶ所は隣接)//「織田軍の兵が今川義元の首を清めた」と伝わる泉がある{→●今川公首洗いの泉}

---愛知県.豊川市.牛久保町---
//山本勘助の故郷
桶狭間の戦いから退却する今川勢が総大将・今川義元の胴体を葬ったところ・といわれている{→●今川義元墓所(胴塚)}//だそうで

○行きたいレベル・A
メジャーどころだし「いつか行けるレベル」の距離だしいつか絶対行く。(映像みるぶんにはたいしたものはなさそうだが・・)


◎覚へ書き---1559-1560年、主人公66か59歳---(出生が1493か1500らしいので)

○歴史パート:
2万5千といわれる大軍を率いて織田領・愛知県に侵攻した静岡県の大名・今川家が、織田軍の奇襲によって敗れた戦い//日本三大奇襲(日本三大夜戦)のひとつに数えられる日本の歴史的に有名な戦い(あとの二つは「川越城の戦い」と「厳島の戦い」だそうで)//今川家の実質トップだった今川義元が戦死したことで今川家はこれを機に没落、勝利した織田家は急激成長。戦国時代の重要な転機となった//別名「桶狭間村・田楽狭間の戦い//だそうで

○ドラマパート:
//前回、武田信玄を殺そうとした寅王丸は(今川家にそそのかされた可能性が高い)とにらむ武田信玄と勘助//武田信玄山梨県+長野県)は、今川家(静岡県)と上杉家(新潟県)が仲良くなり自分がハサミ討ちになる可能性を危惧//前回、武田信玄の暗殺に失敗し監禁されていた寅王丸が脱走するも捕まり殺される。(→寅王丸が今川家の差し金とバレると立場が危なくなる、親今川派の武田家臣が仕組んだ。ともとれる描写{→義信様の守役・オブどの})//京都に行ってた上杉謙信が帰郷、関東の北条家(神奈川県)との対決を宣言//1560.静岡県の今川家が愛知県の織田領に侵攻//織田信長の息のかかった僧・天澤が武田信玄に謁見。武田信玄織田信長のひととなりを天澤からう かがい知る//今川義元、どのルートで愛知県を攻めるか悩む//今川家が どのルートで進むか、織田家はどう対応するか読む勘助//勘助、知り合いの今川家臣のつてで今川義元に謁見。「織田はビビッて守りに入る」という義元に「織田は攻めてく る・織田は戦上手だ、対応しないとあんたは負けるかも、自分なら織田と対峙せず織田のいない城を攻める」と言う。これを聞いた今川義元が激怒//いよいよ出陣。順調に駒を進める今川軍。今川義元は勘助の忠告と真逆のルートを選ぶ。(しかしこれは勘助の読みどうりだった→今川義元は勘助が大嫌い、勘助の言ったことと反対のことをするだろう・的な)//勘助の読み(狙い)どうり織田の奇襲で今川義元討ち死に。悲しみの中でも「この期に隣国が宣戦布告してきても応戦できるように」と指示を出す寿桂尼(泣ける)


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×天澤(てんたく・****-****):僧:尾張国.天永寺(愛知県)
詳細不肖//****、武田信玄を訪問、武田信玄から織田信長の人となりを詳細に尋ねられている//

×岡部元信(****-1581):武将(今川義元-今川氏真-武田信玄-武田勝頼):遠江国.高天神城静岡県
静岡県の大名・今川家の重臣・岡部某の子//1548.小豆坂の戦いで活躍//1549.安祥城の戦いで活躍、鳴海城(愛知県)の
在番となる//1560.桶狭間の戦い。主君が討たれるも自城をよく守り、最終的に主君の首を返してもらうことを条件に城を放棄(織田信長は岡部の忠義に感動し今川義元の首を返したという)、さらに静岡県への帰り道でも敵の城を落とす活躍:○織田信長vs今川義元●in愛知県)-同年、今川義元の嫡男・今川氏真に仕える//1568.武田信玄に敗れ、武田信玄に仕える(1568.駿河侵攻)//1573.武田信玄死去、武田勝頼に仕える//1574.高天神城の戦いに武田勝頼が勝利、高天神城の城将となる//1575.主君・武田勝頼長篠の戦いで大敗、岡部の領地は徳川家康に攻められるも岡部は何度もこれを撃退//1580.徳川家康兵糧攻めにされ万事休す、最後は城を捨て突撃、討ち死に。齢70とも。(→第二次高天神城の戦いin1581.静岡県