風林火山 第40回 「三国同盟」 感想


第40回 「三国同盟」 

◎かんそう

○俺も俺も

雪「勘助さ、なんでも兵法で済ませれると思ってない?それって驕りだよ?今回、お得意の兵法で三国同盟を成功させて幸せかもしれないけど、「幸せと災いは表裏一体」っていうし、いつか災いがくるよ?謙虚をこころがけないといかんよ?」

勘「雪斎さんにとって幸せってなに?天下とり?」

雪「天下の安寧。」

勘「安寧のために戦争?それこそ驕りっしょ」

雪「じゃあ勘助は?」

勘「3人のためさ。(→武田信玄・勝頼・諏訪御料人)それ以外の人間は眼中ない。」

雪「その3人だけのために生きれる、尽くせるって考えも、驕りでは?」

勘「自分はどうでもいい。大事なのは3人。なら驕りじゃないだろ?」

雪「無償の慈愛ってやつね。でもおまえ、身内もいないのに本当の慈愛がわかるのか?自分を顧みないのも慈愛だけど自分をさらけだすのも慈愛でしょ?あんたは主従関係と慈愛を勘違いしてるんじゃない?」

みたいな流れ、印象的だった。


「自分にとって大切なのは武田信玄・勝頼・諏訪御料人の3人だけ。あとは大切じゃない」と言い切る勘助。俺もにたような考え方だから勘助の生き方は共感するわ。


(´A`)<もちろん道徳的・常識的・ドラマ的にこの考え方は間違っていて、「勘助の場合は」今後の出来事で考え方が変わるっていう脚本なんだろうが。(でもあと10話しかない!)


あとは自分が思ってることを言ってしまう勘助に弱さを感じた。「自分も含め、他人なんかどうでもいい」みたいなこと、思っててもわざわざ言わないほうがいいに決まってるモンね。(まあドラマだからアレだが)

雪斎どのに「勘助のその考え方は妄執だ」って言われてたけど、それもワカル。そうやって固執して狭い視野で生きてるほうが楽、っていう俺は考え方なので。


あと10話で終わるってことはひょっとしたら「川中島の戦いで兵法を用いたが失策(例のキツツキなんちゃら)」とか、「慈愛の戦士・ヘイゾー」の行動が慈愛原理主義すぎて勘助には計算できず裏をかかれる」とか、なるのかな?最後、ヘイゾーに殺されるとかならムネアツなんだがどうだろう?(でも勘助も結婚するだろうし子供もできるから「真の慈愛」のなんたるかは川中島の戦いまでには理解してるか・・・)


○三条夫人

政略結婚の駒として他所に嫁ぐ娘に言う。「つらくても帰ってくるな。耐えられなくなったら死ね。そのときは母ちゃんも死ぬ。」
泣けたわあ。娘に寄り添い、夫の立場もわかっている。まさに良妻ですな。

(´A`)<はじめは顔立ちと声から「大根のアイドルかも?」って思ったけど、すっごいいいねこの役者さん。


○その他小並感
諏訪御料人に言いづらいこと(勘助の縁談)を、相談のていで切り出す武田信玄。これは使えるテクニックだよね。仕事サボるAクンに、「相談がある、Bクンが仕事サボってて困ってる、どうしたらいいと思う?」みたいな。

長野県の武将・真田どのたちから「結婚しちゃえ」って言われて、「いや、する気ないし」って返して、「じゃあこの話はもうヤメじゃ!」って言われると・・・なんか(っく・・・もう一押ししてくれてもいいジャン・・)みたいに思わない?(´A`)<俺だけ?

婚儀の辞退を言おうとしてる勘助を「ぅう~ん?」って覗き込む武田信玄が面白かった。この役者さん、ホント好き。


◎おまけパート


○善得寺公園
三国同盟が調印された「善得寺」があったとされる場所//甲斐の武田信玄・相模の北条氏康駿河今川義元が一堂に会したと伝わっている{●三国同盟の石}
//三者を仲介した今川義元の軍師・雪斎の墓がある{雪斎の墓}


今川義元の軍師・雪斎が産まれたといわれる場所

清見
足利幕府の保護を受けて栄えた//戦災で荒れ果てた寺を雪斎が再建したと伝わる

○行きたいレベル・C
今回は雪斎ゆかりの地みたい。三国同盟の締結で3大名が会したとか眉唾らしいしそもそも寺跡しかないしでここに行くなら他に行くかな。


◎覚へ書き

○歴史パート:
1553.9.上杉謙信、上洛・大阪遊覧・高野山詣で
//後奈良天皇足利義輝(←室町幕府第13代将軍)に拝謁//後奈良天皇に拝謁した折、御剣と天盃を下賜され、敵を討伐せよとの勅命(→)を受けた//

1554.河東の一乱(1536-1545):(○今川家vs北条家●in静岡県
大名・今川家の静岡県の領地・”河東”という地区を巡る今川家と北条家の争い。
今回は第三次→(1554.○今川義元vs北条氏康●in静岡県)今川がよそへ出兵してるすきをついて北条が侵攻するも撃退される※第三次はガセの記録(軍記物)の可能性あり

1554.甲相駿三国同盟(1554) 山梨県静岡県・神奈川県の大名間で結ばれた不可侵条約。
甲斐の武田(山梨)は越後の上杉謙信(新潟)との戦いに専念し、長野県を制圧したのち新潟県を手にいれるため
相模の今川(静岡)は尾張岐阜県)の織田信長を下したのち、京都に行き天下をとるために
駿府の北条(神奈川)は関東平定を磐石のものにする過程を今川・武田・上杉などに邪魔されないため
各々の思惑が一致し同盟が成立。しかし6年後に今川が織田に破れ、14年後に武田が今川の領地を攻め、北条が今川につき武田と対立したことで同盟は崩壊

○ドラマパート:
//上杉謙信との合戦を終え諏訪御料人のもとに立ち寄る武田信玄、「勘助に嫁をとらせたいと考えている」と諏訪御料人に話す(相談のていで報告・納得させるやりかた)//勘助が家にもどると、りつどのが待っていて猛アピール。(嫁候補として武田信玄に推されたのは「りつどの」だった)//上杉謙信が京都に。この隙に長野県の要所を調略、今川家と北条家を和睦させ武田家と三国の軍事同盟を締結し来るべき上杉謙信との戦いに備えようと計画//上杉謙信、京都で天皇から新潟県の所有権と山梨県の武田、神奈川県の北条家を倒す正当性(悪いのは武田と北条という大義名分)を認められる//勘助の三国同盟の青写真→「織田との戦いに手一杯の今川を北条が襲う、困った今川の ために武田が一肌脱いで北条との和睦をお膳立て」。勘助の思惑どうり今川家軍師・雪斎が動き武田・今川・北条の三国による同盟が成立//三国同盟の条件である人質という側面をもった結婚のため武田信玄の娘が神奈川県の北条家へ。泣いて見送る三条夫人、その姿に真の慈愛を見た勘助、(自分は相手に自分のすべてを晒すようなことはできない)//長野県の諏訪御料人が吐血、倒れる//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×後奈良天皇(ごならてんのう1497-1557)//天皇(105代目)//京都
後柏原天皇の子//29歳・父が死去し跡を継いだものの金がなく即位式ができず//38歳・大名から寄付をつのり即位式を行う//56歳・上杉謙信に謁見←イマココ//60歳・死去
※いい人だったらしい(→金で官位を与えることを嫌悪//世の中に病気が流行したとき写経・自分の力不足と大病の収束を仏様に真摯に祈願//勉強家で書物も多く残す)
(´A`)<めっちゃいい人?オナラ天皇?なんて思ったりしてスイマセン・・・

×広橋兼秀(1506-1567)//公家//
ググッたらなんか官位ばっかりでよくワカンナイ。とりあえず詳細はメモしない。公家とか天皇って興味ないし(´A`)<てかキライ。(人の上下に人はいない主義)。ちな今回で48歳頃

今川氏真(うじざね・1538-1615):武将・大名:駿河駿府城(静岡)
//今川義元の嫡男として生まれる/21歳前後で形だけ家督を継ぐ/23歳・実質のトップだった父・義元が討死、名実ともに今川家当主となる/のちに家臣が次々と離反、勢力が衰えていく/32歳・武田信玄徳川家康に攻められ北条氏康のもとに逃げる(←妻の実家)/34歳・北条氏康が死去、徳川家康のもとで暮らす(家康のもとで従軍もしている)/その後京都、江戸などで暮らし78歳で死去
和歌・蹴鞠・剣術にひいでていた・らしいが・・本当に剣術ひいでてたんか?没落したとはいえ名家の人間だから周りが遠慮しておだててただけじゃないのん?

※氏真どの、今作も定番のおバカ設定なんだけど役者さんがバカっぽくないイケメン、さらにいかにもバカっていうより地味にバカってカンジでなんかリアルかも。

×梅(黄梅院・1543-1569)//北条氏政正室//
山梨県の大名・武田信玄の娘//11歳・政略結婚のため神奈川県へ//12歳・出産(夭折)//13歳・出産//19歳・出産→次期大名・北条氏直//のちも数人出産//25歳・実父・武田信玄が軍事協定を反故、怒った夫の父が縁戚を破棄、離婚させ実家に送られる//その後出家したとも//27歳・死去


◎ことば

○禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)
          /司馬遷史記より

 //成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということのたとえ//


○利を以って合するものは 窮禍患害に迫られて相棄つ
  (りをもってがっするものは、きゅうかかんがいにせまられてあいすつ)
天を以って属するものは 窮禍患害に迫られて相収む
  (てんをもってぞくするものは、きゅうかかんがいにせまられてあいおさむ)
                                   /荘子

 //利害関係で結ばれた者は、苦境や困難に直面すると互いに相手を見捨てる//
 //天(利害を超えた関係みたいな?義とか?)で結ばれてると困ったときも裏切らず助け合う//みたいな?//

(´A`)<なんかこの文の意味を検索してたら「誰でも理解していると思いますが損得で付き合った奴は損得で離れていきます。本当の信頼関係を築き上げることは大変なことですが、それを築き上げられた時に本当の道が見えてくるのではないでしょうか。」みたいな解説をしてる人がいてカンドーした。俺なんか、「常に裏切られることを前提に生きていかなければならない・天道などないのだから」くらいにしかこの文から感じなかったので。


○あと荘子について。
荘子(そうじ・紀元前369頃-紀元前286頃)の思想家。 道家思想を説く(→この世界には『道』と呼ばれる真理があり、人の生き方は無理に立身出世を目指すのではなく、ただその『道』に身を委ねて自然に生きるのが良い・社会の常識善悪貧富といった考え方は、人間が後から出してきたものであって、本来自然にはそのような考え方はない。自然には美醜も優劣もなく、ただ世界があるだけ、という『自然に、あるがままにある』ことを最も良しとする考え方。現実逃避的な側面をもつことから「敗者の思想」と呼ばれることも)これと逆の考え方が儒家思想(→秩序を重んじる)

(´A`)<あってるかわからんがだいたいこんなカンジ?でもワカル。俺もこんな考え方で、やっぱり大人たちから「敗者」って言われたもん。




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