おんな城主 直虎 第43回 「恩賞の彼方に」 感想


第43回 「恩賞の彼方に」

◎かんそう

○ズルイ女

主人公が「じんべいの松!じんべいの松!」ってやたら言ってたから、そういうのが今も静岡にあるのかと思ってちょっとググってみたけど・・・みつけられませんでした。(ちなみに「近藤どののモジャモジャ松林」というのも念のためググってみたけどみつかんなかった。)

主人公が近藤どのに、「近藤どのの松」とか言っといて、じんべいには「じんべいの松!」と連呼するシーン。はじめアレみて、「脚本はバカか?あるいは主人公は調子のいいズルイ女、もっというと女なんてこんなもんっていう比喩?」なんて最初は思ったんだけど、(ひょとしたら本当は主人公は近藤を許してなくて、顔をみるのも話すのもすごいストレスで、「近藤どのの松」なんて思いたくもない、村人のために言った嘘で、そういうのが意識無意識にストレスとしてたまってて。で、「近藤どのの松」発言から舌の根も乾かないうちに「じんべいの松!じんべいの松!」って叫んでたのはそういう主人公の葛藤(本当は自分が井伊を運営したいと無意識に思ってる・みたいなのも含めた感情)からきたものなのかな?なんて思ったり。

(´A`)<ない?あ、そう。


○主人公のために龍宮小僧が仕組んだ?
井伊谷に土砂崩れの予兆。さっそく対処する主人公。なぜなら地すべりでもなきゃ主人公はもう出番がないのだから。


(´A`)<これは出番の必然性のない主人公のために、龍宮小僧が仕込んで龍宮小僧が知らせた、いわゆる自作自演?

(´A`)<台風がらみで実際にどこかで土砂災害がおこると放送を自粛しなければならないのであくまで”予兆”で納めました・みたいなところも小賢しい。

○下克上ですな
先輩からの陰湿ないじめ・仕事を教えてくれず無視されたときに・・「先輩たちと仲良くなる方法を模索したりはせず、直接上から仕事もらう行動にでる」とかスゴイ行動力。「仕事は与えられるものじゃない!自分で作り自分でもってくるものだ!」なんつって?イカスなあ。俺ならそのあとの先輩たちの仕返しが恐くてそういう行動できない。
これはドラマだから成立するのか、それとも現実にこういう方法とれる人は結構いるのか?例えばこんなカンジ?

西友本社に入社→先輩が仕事おしえてくれない→なにか仕事ありますか?って社長に聞く」

(´A`)<うーん・・・

まあでも、徳川家康が仕事くれたからよかったよね。あそこで、「そんなことワシに聞くな!」とか言われたら目もあてられないもんね。

(´A`)<ドラマでよかったNE☆



○実際の名言かは知らないが
徳川家康公の、「報いるところに報いなければ人は働いてくれない」という言葉、人を使う立場として耳が痛い。
でも報いるっていってもなあ・・難しいよなあ・・働くほうは「感謝とかより給料上げろ」だし。でも、ない金はあげられないし・・


(´A`)<悪循環やね



○おしょうさま
おしょうさま、ちょっと前から雰囲気かわったんじゃない?チョイワルキャラになった?これがもし、”主人公はおしょうさまとは違う立ち位置、考え方のできる1人の人間に成長した・そのせいで主人公とおしょうさまの間で意見の食い違いが散見されるようになった”みたいな描写だったらイカスんだけど。

(´A`)<ない?あ、そう。

○役者さんもいいね。
徳川家康の嫡男・徳川信康、いい子すぎる。できればこの子の最後は見たくないが・・・信康のママは直虎の親戚で仲よし。って設定だし、信康が死ぬのが1579年、直虎の死ぬのが1582年と、信康のほうが直虎より先に死ぬし、あと7話あるし・・やっぱり信康クンが処されるところもありそうだナ・・

(´A`)<いっそ鶴くんが死んだときの話くらい、「は??へ??」な、「作り話でもここまでマヌケにはしないだろ・的な展開」にしてくれるといいかも。(シラケて物語と距離をおけるから胸が痛まず済む)



◎おまけパート

//この地をめぐり(駿河遠江)、徳川と武田が、攻防を繰り広げた//

諏訪原城跡{●諏訪神社・●ニの曲輪北馬出の門}
//武田勝頼遠江侵攻の前線拠点として築城したといわれている(構内には今も武田家の守り神・諏訪神社が残されている●→諏訪神社)//城は山城で深い堀と断崖に守られていた//家康による攻城戦がおこなわれた時、今川氏真が徳川軍として従軍していたと伝わっている//城は徳川家康によって落城する//戦国大名としての今川家が滅亡した後、家康の庇護(ひご)を受けていた氏真は、城番としてこの城の警固を任された(しかし1年足らずで解任された)//だそうで

○行きたいレベル・C
今川氏真は好きだからちょっと興味あるけどまあ1年ゆかりがあっただけだし城の遺構も地味みたいだし行くことはないだろうなあ


◎覚へ書き

○歴史パート:
なし

○ドラマパート:
//直政、正式に小姓となる→先輩小姓達から無視という陰湿なイジメを受ける→先輩と仲良くなることは一切考えず直接徳川家康に自分を売り込む直政(仕事あるか直接聞いたり夜に煎茶を差し入れたり)→そこから資料整理の仕事をとりつけたり煎茶係をかってでたりで徳川家康に重用される→「自分は徳川家康とねんごろ」と先輩小姓達に宣言することで最終的に先輩達も黙らせる//直政、徳川家康の使いで岡崎(徳川家康の嫡男がいる)へ行き「前回の戦争(長篠の戦い)の恩賞、他の皆の手前もあるのでショボくなるけど徳川家康はちゃんと考えてるからわかってほしい」と説明、納得させる//井伊谷で土砂崩れの予兆(戦争のために木を伐採したせい)→直虎、松の木を植え山肌を補強する計画を作成。領主・近藤某の許可を経たのち施工//ドラマキャラの百姓・ジンベエが死去//直政の初陣が決まる//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×朝比奈泰勝(1547-1633):武将(今川-徳川):遠江国掛川城城主(静岡県

//朝比奈泰知の子として遠江国で生まれる//13歳・桶狭間の戦い今川義元死去//21歳・武田徳川連合が今川の領地・駿河に侵攻、主君・今川氏真に従い領地・駿河から退去、神奈川県の北条氏のもとへ//28歳・長篠の戦い(愛知県:●武田vs織田・徳川○)今川からの武将として徳川の陣中見舞いをした際、武田側の武将を討ち取り徳川家康に目をつけられ徳川に入閣←今ここ//37歳・長久手の戦い(愛知県:△豊臣vs徳川△)でも戦功をあげる//43歳・豊臣秀吉の北条征伐(神奈川県:●北条vs豊臣○)の際、両家の使者として尽力//後に旗本として大番頭となる//55歳近江国栗太郡滋賀県)において1000石を賜る//その後徳川家康の十男・徳 川頼宣附きとなる//61歳・常陸国茨城郡(茨城県)の2000石を加増される//87歳・死去

※「幽霊を見た」と言って世の中を大騒ぎさせた後、実はそれが勘違いだったと発覚する恥ずかしい黒歴史の持ち主(みんなも気をつけよう!)


○おことば

「巌谷に松を栽える(がんこくにまつをうえる)//臨済禅師」

禅語だそうで。

「(苗を植えても松の木が伐採できるほど)育つまでには時間がかかりその労力はむくわれるかわからない。そもそも根付くかどうか、育つかどうかもわからない劣悪な環境(巌谷)・条件でも育てようなんて意味があるのか」みたいな疑問のやりとり?らしい。

で、今のが例え話でこっちが実際の意味↓

「(仏の教えを説いてまわっても門徒が)育つまでには時間がかかりその労力はむくわれるかわからない。そもそも根付くかどうか、育つかどうかもわからない劣悪な環境(俗世の人間の荒んだ心)・条件でも育てようなんて意味があるのか」みたいなこと?らしい。

で、その疑問に対する答えが、

「むくわれるためではなく、残すため、託すために植える。残る・育つ・という信念に基づいて植える。子や孫、未来に残すため・託すために育てるんだ。逆境でも未来を信じて育てるんだ」みたいなもの?らしい。


(´A`)<俺の解釈は「何事もやってみないとわからない、仮に無駄だったとしても、その経験そのものは人生の糧となる」ぐらいの意味、あくまで自分の人生の中で消化できる範囲の意味だと思ってたんだけど本当の意味はスパン・スケールがちがいました。

(´A`)<まあ子供いないし彼女いないし宗教興味ないし自分が死んだあと世界がどうなろうがかまわないし後世に名を残したいとも思わない俺には関係のない話だがな。
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