おんな城主 直虎 第41回 「この玄関の片隅で」 感想


第41回 「この玄関の片隅で」

◎かんそう

○小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり。

「子供が可愛いあまり欲しがるものをホイホイ与えるのは悪しき行為ですよ、怨まれてでも本人のためになるべきことはなにか。見極めないといけませんよ」

みたいな意味らしいのだが。

今回の直虎の行動はまさにこれでしたな。現領主・近藤どのを騙してでも盗んででも直政のために木材を用意するようなバカなマネはしない。みんなが笑顔になるウルトラCの解決策もなく、発案だけで実務を実家に丸投げした直政は、結局手柄ナシ。(ちなみに「頼まれたわけではないとはいえ、井伊のために頑張ってるんだからそれくらい協力してくれてもいいじゃん」っていう気持ちはわからないでもないが、「まだ15さいの僕が頼めばまあ引き受けてくれるだろう」っていう直政くん、なかなか現代っ子。あと和尚様。頼まれたのは和尚様なのに手続きも作業も怨まれるのも全部直虎に押し付けるとは相変わらずズルイ。)

(´A`)<和尚様フケた?あれはメイク?むしろ今まで白髪染めして若メイクしてたのか?

あと、「小善は大悪にどうのこうの」っていうの、先週の大河ドラマの再放送「風林火山」に出てきた言葉なんだけど。まさか先週の大河ドラマのこの言葉と意図的にタイミング合わせて今回の内容脚本した?

(´A`)<まさかね。でもそうだとしたら軽くスゴイ。


○残すところあと9回

今回から直政が主人公になるのかと思いもしたけどそんなことなかったね。主人公の役者さんは直政くんの役者さんに喰われちゃうかと思ってたけどぜんぜん存在感あった。(今後どうかはワカランがね)。直政のわがままを突っぱねると同時に家臣B・奥山どのの人間関係まで改善するっていう話の構成もナイス(あいかわらず歴史ぜんぜん関係ないホームドラマだけど。)

(´A`)<そして次回は選挙報道で時間変更なのでヨーチューイDA!


○嫌われロクザの一生

デブでウスノロで汗かきのブ男・六左衛門。普通にしてる(つもり)なのに気づけば偉そうな奴らに小ばかにされ、恐い人に目をつけられ、後輩からはナメられる。心機一転生活の拠点を替えてもやはり同じ。これはもう自分が原因と認めるしかない。

(´A`)<ロクザよ、オマエは俺か・・・

でもロクザは性格がよくて、理解者がいて、自分にあった仕事について、受け入れてもらえた。

(´A`)<ケッ、なにその予定調和。まるでドラマだな、ナメてやがる。






「僕だけが怒られる。どうしたらいいのかわからない。」





(´A`)<これが現実だ。わかるか?これが、現実なんだ。




◎おまけパート

---愛知県.安城市(あんじょうし)---{●→矢作川
愛知県安城市の「●矢作川(やはぎがわ)」の流域は、かつて一向宗の信仰が盛んな地域だった//ここから発生した「三河一向一揆」は、若き日の家康を苦しめた//一向宗門徒だった本多正信は、家康に反旗を翻し、一揆に加わった//だそうで

○本證(ほんしょう)寺
//一向一揆の拠点となった寺//正信の出生地と伝わる村の近くにある//寺は内堀と外堀、二重の堀に囲まれ、敷地内に今も残る土塁が、当時の様子をとどめている//だそうで

○行きたいレベル・D
「当時の僧兵を偲ばせる武骨な寺」ってことで、普通の寺よりはワクワク感がありそう。近所なら行くんだが「遠くてもいつか行きたい」ってモンではないかな


◎覚へ書き

○歴史パート:
長篠の戦い(○織田信長徳川家康vs武田勝頼●in1575.愛知県)
//武田信玄の後継となった武田勝頼が信玄の意思を継ぎ再び三河へ侵攻、長篠城を包囲//包囲された長篠城を救援すべく織田・徳川連合軍が出陣//武田と織田・徳川連合が激突//織田・徳川連合の大勝//
※アツい逸話もあるが井伊はまったく関係ないので次回も合戦シーンはほぼナシと思われ

○ドラマパート:
家臣A・中野某の弟が養子に(直政が養子を蹴った松下家へ)//家臣B・奥山が井伊(近藤某の家臣として)に戻るも近藤某と折り合いが悪く悩む奥山某//武田勝頼長篠城まで進軍//草履番から小姓に昇格することになった直政、草履番を後任に引継ぎ//しかし後任の要領が悪く直政がイラだち上司に失言、昇進の話が危うくなる//数日後、後任は実は才能ある男だったと判明(のちの本田正信)、自己流の方法であっさり仕事をものにし、直政のために”徳川家康が木材を必要としている”という情報を徳川家臣からひきだしてくれる//直政、草履の修理にかこつけ徳川家康に謁見、「木材を調達するから戦に参加させてほしい」と懇願、「木材を用意できたら」の条件つきで徳川家康に許可される//直政、和尚様に「木材を用意してほしい」と依頼。和尚様が直虎にその旨伝えるも直虎はもはや領主ではないので困惑、家臣C・方久をつかい徳川家康に「井伊谷は直政の土地でhなく、直政の行いは筋が通ってないので却下してほしい、木材の件は井伊の現領主・近藤某に言えば協力する」と直談判、家康これを了承//家康が井伊の現領主・近藤某に木材の調達を命じる→近藤某、直虎に井伊の木材事情を相談→直虎、「木材のことなら奥山某が詳しい」と、近藤某と折り合いの悪かった奥山某を推薦。奥山某は大いに働き汚名挽回、材木を調達。//一方で直政は自身が木材を調達したわけではないので手柄ナシ、戦への参戦の話はお流れ。(直政、大いに悔しがる)//徳川家康、武田軍を迎撃すべく出陣//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

武田勝頼(1546-1582):大名・武将(武田家当主):甲斐国.新府城躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた・山梨県)/信濃国.高遠城(長野県)
武田信玄の側室の子として生まれる(四男)//10歳・母が死没//17歳・高遠城城主に(長野県)//20歳・織田信長の養女と結婚//22歳・嫡男生まれるも妻が難産で死亡/兄が自害したため跡継ぎとして甲斐に入る・小田原城攻めや三方ケ原の戦いに従軍//28歳・父・武田信玄死去、家督を受け継ぎ数々の合戦で勝利(正確には勝頼の息子が後継で、勝頼は息子が元服するまでのつなぎ)//30歳・長篠の戦で織田信長軍に大敗←今からココ//36歳・本拠地を新府城(山梨)へ移す//37歳・家臣たちから次々に離反され自害

※部下を分け隔てて贔屓・寵愛したことで求心力を失ったらしい。そのさまは反面教師として胸に留めておきたい。自分を舐めてかかる、やたら先代と比べ昔話をもちだす古参だろうが、能力の低い人間だろうが同様に大切に扱うように努力、か。

(´A`)<ムズカシ・・・



.