おんな城主 直虎 第40回 「天正の草履番」 感想



第40回 「天正の草履番」 

◎かんそう

○日本初・下駄箱誕生の瞬間に震えろ

今回のオチ、アホっぽくてよかった。(草履をボーリングみたいにシュッと足元に投げることで武将各位のウェイティング時間の短縮を実現させるという夢の荒業。シュッと足元に届いた草履を見て、「おおー!」って驚く武将たちの絵ヅラ、なかなかシュールだった。なにかのCMでつかえそうww)

(´A`)<実際は絶対ありえない、ヘタしたらその場で斬りすてられるレベルの無礼な行為なんだろうけどここまでアホっぽいと逆に許せる。

○重いコンダラ

「一見、爽やかなイケメンだが執着心が強く、根にもつ陰湿なイチメンも持っている」
という設定の井伊直政(虎松)くん。これって実際の井伊直政もそうだったらしい。
で、この「陰湿な一面」だけど。ひょっとしたら直政のお母さんの初期設定の性格(ひがみっぽくてよく亀くんを困らせていた)が直政くんに遺伝したっていう設定なのかな?って思って。(前回、「直政の中にはいろんな人が生きている」とかいって、絵が上手だったり武芸が達者だったり親族から遺伝してる的な描写あったじゃん?さすがにお母さんの性格が実際にどうだったかまで記録にあるか知らんしググるまでするつもりもないが)まあとにかく、脚本の人がそういう(直政のダークサイドの性格=母ゆずりっていう)つもりでわざわざ初期の母の性格をああいうふうにしたんだとしたらその設定アイデアは素晴らしすぎる!惜しみない拍手を送りたい(なんか今回の直政ママの癇癪は(そのへんに気づいて!)っていうアピールのようにもうけとれた)

でも直政くんが、義父も実母もみんなみんな裏切ってまで誰も望まない旧家の復活を画策したのは「子供の頃にそう誓ったから、以上。」っていうのは理由としてはちょっと無理があるかな。ただ、子供の頃って一旦自分が決めたことを変更するのって自分が何かに負けたような気持ちになるからなにがなんでもやりとげようとする傾向にあるっていうのはすっげえ理解できる。

(´A`)<直政くん、1993年生まれの24歳くらいにみえるけど実はまだ15歳だしなww

○近藤某「つぎは「領地を返せ」とか言わないだろうな!?」主人公「めっそうもない。これっぽっちも考えておまへんがな

井伊家再興の報を聞いた近藤某(井伊の現領主)と主人公(井伊の元領主)のやりとりですが。
実際はドラマと全然ちがくて、直虎や和尚様が井伊再興のために虎松を使って徳川家康にとりいり、作戦どうり井伊を復活させたみたいだけど、近藤某はこのときどういう行動をとったんだろう?徳川家康にとりいる井伊の工作を妨害できなかった、結果徳川家康から領地の返還を言い渡された、相手が徳川家康じゃあ何も言えず従うしかなかった、みたいなことだったのかな?

○人気者「みんなのために必ず優勝します」 俺「ゲロがでます」

「なぜ虎松の企てにのっかったんですか?」という主人公の問いにたいして、
「いくつかあるが、まずは自分のため。井伊を見捨てた自分へのオトシマエとして、井伊を復活させれば自分の中で一つ負い目が消える」
みたいなことを徳川家康が言うんだけど、これ、すごい気持ちわかるしヘンな綺麗ごとや意味不明の理由いわれるよりぜんぜんよかった。

なんかスポーツ選手とか、みんな口を揃えてまるで台本を読んでいるみたいに「みんなのために頑張ります」みたいなことをいうけど俺はそういうの嫌い。みんなのためにやってるなら優勝して手にいれた賞金やテレビやコマーシャルで入った収入を9割だけでいいからその「みんな」とやらのために配分しろよ、って思う。(自分のためにやってるなら配分の必要はない)

○パッと見ちょいワルオヤジっぽいけど

「今まで実の子として、松下の子として大事に育ててきた。けど、本人が井伊になりたいならしかたないね、尊重するよ。」だってさ。松下源太郎(直政の義父)、いい人すぎだろ、もう、「モノワカリ与杉太郎」に改名したら?
役者さんはおっさんなのにちょっと可愛い感じのイケメン。でも台詞の読みかたがイマイチ大根ぽいから役の幅は狭いだろうと予想。柄本明よりはマシだが。(余談だが柄本明は本当にセリフが聞きづらい。苦痛レベル。なんであれで役者になれたのか理解できん。)

○今週のやってみなければわからない

(´A`)<この決めゼリフ、最近でてこなかったけど井伊の家名とともに直政くんが復活させたっぽい。

(´A`)<今回は「諦めなければ、必ず出来る」ということで、井伊流草履投擲術「地を走る龍がごとく飛ぶ草履・万千代スペシャル」を習得、実用レベルにまで昇華してしまいました。


◎おまけパート

○頭陀寺{●→松下屋敷跡}
//虎松の養父・松下源太郎は、頭陀寺(ずだじ)一帯を拠点としていた有力な土豪・松下一族の出身だった//源太郎は、虎松とその母を家族に迎え、このあたりで暮らしていたといわれている(●松下屋敷跡)//

---グンマーケン.高崎市---
箕輪城跡{●大堀切・●稲荷曲輪}
井伊家を再興し、井伊直政と名を改め、箕輪を治める大名へと成長した虎松が居城とした城//源太郎も井伊家の家老として箕輪城随行していたといわれている//一角にある稲荷曲輪(ぐるわ)に源太郎が暮らしていたとされ、別名「松下」と呼ばれている(●→稲荷曲輪)

○龍門寺{●松下家墓地}
井伊直政が建立した//この地で生涯を閉じた源太郎の墓が残されている(●→松下家墓地)//

○行きたいレベル・C
グンマーのほうはそんなに遠くないからよっぽどヒマなら行ってみるのも悪くないかも


◎覚へ書き

○歴史パート:
なし(1575.井伊直政がゾーリを投げる)

○ドラマパート:
「虎松による井伊の家名復活工作は和尚の入れ知恵で主人公も望んでいない」。徳川家康と虎松にそのむね伝える主人公//そんな主人公の言葉も自分を育ててくれた松下一族の言葉も聞き入れず草履番をあしがかりに”井伊家の人間として”出世しようといそしむ虎松//井伊家では家名が戻る可能性に期待が高まる//京都入りしていた今川氏真、親の仇・織田信長に蹴鞠をするよう(=格下・見世物扱いを受け入れる)強要されるもこれを受諾//虎松を説得に浜松(静岡県)まできた主人公、徳川家康に謁見を許され、さしで話す。主人公は井伊の再興を考えていないむねを話すも徳川家康は虎松をサムライとしてみこんでいる、本人のためにも井伊家の遺児として扱うつもりでいるというむねを説明//虎松の近衆のうちあけ話「井伊家存亡の際、自分達は幼く戦うことすら許されずただ負け犬扱いにされた。だから我々の矜持として今回は井伊復興のために我々のやりかたで戦わせてほしい」とのこと//結局、松下家の宗主が虎松の意思を尊重することを承諾し井伊家の再興は容認される//虎松、草履番としての仕事ぶりをみとめられ小姓に昇格//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)
ナシ(1575:ゾーリ)



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