風林火山 第26回 「苦い勝利」 感想



第26回 「苦い勝利」 

◎かんそう

○疑心暗鬼その①・「謀略嫌いの村上さん」

武田信玄に唯一勝ったことで有名な?長野県の武将・村上義清。その村上さん、今回の戦いで家臣に調略をうながされるんだけど、「謀略は嫌いだ」と言って気乗りしない。この気持ち、わかるわあ。別に”正々堂々がいい”、とかじゃなくて、””謀略をすれば謀略合戦になり、状況は複雑さを増し、誰も彼も(自分も)疑心暗鬼な毎日になる。そんなの、想像するだけでゲンナリ。戦争にかぎらず実生活でも嘘は少ないほうがいいよ。綺麗ごとじゃなくて、そのほうが自分が、自分の精神が気楽でいられるから。(逆に若いころは精神的にタフだったから平気で嘘つけた)

ちなみに村上さん、「大河ドラマ武田信玄」でも同じようなこと言ってた。「調略を使う武田信玄は卑怯だ・正面から戦え!」みたいな。ひょっとしたら軍記ものかなにかにそういう逸話が残ってるのかも。(調べないけど。)

でも、そういうエゲツない手法もためらうことなく駆使して、どんどん周りのやらないことをやっていく者のみが時代に関係なく大きくなれるんだろうなあ。いいか悪いかは別として。さらに昔に、「戦時中でも船のこぎ手には攻撃してはいけない」という不文律を破って大勝した源義経のように。

○疑心暗鬼その②

武田信玄:「勘助の言うとおりにすれば勝てる。けど後々面倒がつづく。今回もそうだ。こちらが寛容をもって相手を受け入れても、「(武田はこちらを殺さないで許した。しめしめ、ほとぼりがさめたらまた裏切って今度こそ武田をぶっ殺すぜヒヒヒ)」ぐらいにしか相手は考えない。だから今回は勘助の説得戦術ではなく殺して要求を通す」。

(´A`)<(信玄公、常勝からくる慢心で暴走してるのかと思ったら、そおいう思いがあったのね。なるへそ。)と、思わせておいて・・・

ドラマ最後に、「実は負けることを怖がっている・だから強く強く強行な手段で目の前のすべてを威嚇・弱みをみせれない状態、トップ故の孤独だった」っていうオチがあかされる。

(´A`)<すっごいよかった!



◎そのほか、脇役もよかった!

○相木市兵衛(最近武田配下になった長野県の武将

「物語の前半で相木どのが敵と通じる」ことで、本筋で武田軍がどれだけ優勢だろうが視聴者は常に危機感を持って結末を見届けることになる。「なにかがおこる」みたいなスリリングさをくわえるいい演出・ポジションだった。役者さんも不細工で味わいあり。

○小山田信有(イケメン武田家臣)

武田信玄:「みなのもの、聞け。今回の敵には説得工作をせず殴って言うことを聞かせようと思う。勘助はどう思う?」

家臣団の前で武田信玄に意見を求められた勘助、「それはやめたほうがいいです、殴れば言うこと聞くけど後々恨みが残ります」という。

それに対して「そうやってなあなあでやってきたから今回みたいに勘違いしたアホが噛み付いてくるんじゃないの?」という信玄公

「でもいいづらいけど今回噛み付いてきてるのは先日信玄公が相手を殴って言い聞かせたことによる反発ですよ?」と返す勘助

(´A`)<家臣団の前で二人のやりとりはヒートアップ、お互い引っ込みがつかなくなってる。これはマズイ。

そこに家臣の一人・小山田某が口をはさむ。「信玄公のいうとうりだと思う。もう敵も「謝って許してもらおう」とは思ってないでしょう。納得いくように抵抗させてあげるのがむしろ情けってものかと」

これでヒートアップは納まり、方針が決定するんだけど。二人の人間がやいのやいの言い争ってひっこみつかなくなってるときは、こうやって割ってはいる人がいないとおとしどころがなくて変な方向にいってしまう可能性がある。(もちろん俺もそんな経験がある。)議論っていうのは二人だけでやるもんじゃないな、とこのやりとり見てて思った。

○小山田信有その②

小山田どのに恋の予感。お相手の姫、めっちゃ美人・むしろこの人が由布姫ならよかったのにとか思ってたら、まきようこさんなんだね!ぜんぜんわからなかった。それはおいといて、小山田どのの演技、いいわあ。今作はどの役者さんもすごくいいんだけど、憎まれ役の演技がとくにいい!小山田どのの役者(田辺誠一さん)、すっごいイケメンで見覚えあるんだけど。なんの役だったか思い出せんが、イケメンなので記憶に刻み込まれてるっていう事実がもうイケメン

○笠原清繁(今回落とされた志賀城の城主)

今回、城攻められで討ち死にした志賀城城主・笠原どのの役者さんも、すっごいよかったわあ。自分を助けに来てくれたものの武田に殺されてしまった味方3000人の首がズラッと並べられたのをみせつけられ、「ううううううおあああぁぁぁぁああぁぁぁ!」、って叫ぶシーンがすっごいよかった!無念さが伝わってきた!(泣く泣く命令で首を並べた上に「降伏しろ!」っていわされる勘助の演技もすごいいい!)

(´A`)<やっぱ大河ドラマはこういうシーンがムネアツ!


◎おまけパート

※BGMが三味線にかわった。今まで(フラメンコギター)のほうがだんぜんよかった。

(´A`)<かなすい


◎覚へ書き

--長野県.佐久市--{●笠原清繁の位牌/雲興寺・蔵}
//戦国時代には小さな領主がひしめき合いたびたび武田信玄に反発していた//千曲川という川が流れ特産品に佐久鯉という鯉がある//

○志賀城跡{●伝・笠原清繁の首塚
武田信玄に反発する領主の1人・笠原清繁の城//1547.武田信玄にたいし挙兵した笠原清繁は武田軍に取り囲まれ凄惨な末路を迎えた//これらの戦い(武田信玄の蛮行)はこの土地に長らく伝承されている

--長野県.御代田町--

小田井宿跡{●旧中山道
//志賀城を救うため上野(グンマー)から攻め寄せてきた反武田勢力を武田軍はこのあたりで打ち破った。これが決定打となり武田の勝利が確定した//

○行きたいレベルA
そんな遠くないし近いうちに行きたい。(´A`)<っていうか興味なくて忘れてるだけでいったことあるかも・・

覚へ書き

○歴史パート:
1547.7.小田井原の戦い(○武田信玄vs笠原清繁●in長野県)
武田に負けて領地を奪われた地元の有力者たちが関東地方の有力者・上杉憲政と協力して武田信玄に反旗を翻す//武田信玄、敵対勢力の城・志賀城(長野県)を包囲//グンマーから関東地方の有力者・上杉憲政の軍がやってくるも武田軍に返りうちにされる//援護がなくなった志賀城、武田軍の総攻撃で陥落//ここまではよくある話だが、「この後、この戦いで負けた側の関係者が捕虜として捕らえられ、なぶり殺しにされたり奴隷や娼婦にされた」という話が有名らしい(当時そんなん普通なんじゃ?みたいなイメージあるけど、とくに酷かったらしい)

//1548.上杉謙信、兄に代わり家督を継ぐ(当時は上杉姓ではなく長尾姓)in新潟県

○ドラマパート:
長野県の反武田勢力が他の県の有力者の支持もとりつけ挙兵//「反勢力をねじ伏せる!」今までにない武田信玄の不遜な態度に戸惑う家臣(信玄は勘助の計略も不要だと言う)//反武田勢力の後ろ盾(武田にとっての不安材料)は2つ。①・関東の大勢力・上杉某。(これに対して武田信玄は全面的に武力で対抗すると宣言)②長野県の大勢力・村上某(これに対して武田信玄は同じ長野県の武将・相木某を使い「今回は戦いに加担しないで力を温存してくれ、その間に自分が武田の武将が寝返るえるよう工作する」と言わせ進軍を引きとどめさせることに成功)//新潟県・若き上杉謙信家督争いの戦いに勝利・家督を継ぐ(長野県の武将・村上某の敵対勢力の武将はこの戦いに力を削 がれ新潟に戦力を集中、そのため村上某は反武田勢力に兵を向ける余裕ができていた)//百姓パートのイケメン・ヘイゾーがスパイとして武田軍に来る(武田側からはバレバレ)//反武田軍が集結した長野県の志賀城に武田軍が到着するも戦況は膠着状態。そこに反武田勢力の後ろ盾①・関東の大勢力がやってくるも武田軍これを返りうち。「もう打つ手もないだろう、降伏をうながしこれ以上双方の犠牲をださないようにしよう」という家臣一同の意見を武田信玄が却下、反勢力の殲滅を言い渡す//武田信玄、「これ以上の殺しは必要ない」という勘助の進言も一喝し、「反勢力を助けにきて我々に返りうちにされた反勢力の仲間の首を反勢力にみせてから「謝れば許す」って言え。それで謝ったら許してやる」と命 令//勘助、泣く泣く指示どうり行動。反勢力、仲間の死体を見せられて「謝れば許す」といわれて「ごめんなさい」などというわけもなく、徹底抗戦した末討ち死に。残る民衆は人身売買に//第8回 「奇襲!海ノ口」で戦死した平賀城主の娘・美瑠姫が志賀城で発見され、連行される(美瑠姫は反武田勢力・志賀城主の妻になっていた)。主人公、連行される姿にいたたまれず水をさしだすもはねつけられ憎悪される//「武田信玄公は負けしらずで慢心しているのかも」今回の戦争の進め方に疑問・不安をもつ武田重臣//しかし実は今回の武田信玄の高慢ともとれる強引な戦略は「常勝の慢心」からくるものではなく「負けることへの不安・恐怖」からくるものだった//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×笠原清繁(1515-1547):武将(国人):信濃国.志賀城城主(長野県)
//詳細不詳・32歳・小田井原の戦い(○武田信玄vs笠原清繁●in長野県)で武田軍に討ち取られる

×小島五郎左衛門(****-****)武将(村上義清家臣):信濃国(長野県)
//長野県の大名・村上義清の家臣。詳細不詳

×高梨政頼(1508-1576):武将(上杉謙信):中野城 飯山城
//信濃国中野(長野県)の国人・高梨某の子・上杉謙信の叔父//22歳・新潟県長尾為景に従軍、越後三分一原に出陣、勝利(○vs●in県)//武田信玄の侵攻に対して同じ長野県で敵対している村上義清と和睦同盟、2度武田軍を撃退//51歳・武田配下の武将・高坂某に中野城を落とされ飯山城に撤退(ともに長野県)、じわじわ勢力をそがれ後ろ盾となっている新潟県上杉謙信への依存が強まっていく//53歳・第四次川中島の戦い。子らとともに参陣、活躍するも領地は奪い返せず(△武田信玄vs上杉謙信△in長野県)//以降詳細不詳(いちよう享年68)


×直江実綱(さねつな・1509-1577/→景綱):武将(長尾為景-晴景-上杉謙信):越後国.与板城城主
//与板城城主・直江某の子//30歳・天文の乱:陸奥国の伊達家が越後国トップへ養子縁組を提案(受け入れるとゆくゆくは越後国陸奥国の伊達家に吸収される可能性)で賛成派にまわるも敗北(○伊達晴宗vs伊達稙宗●in福島県)//34歳・上杉謙信が病弱な兄・晴景の名代として栃尾城に入る//37歳・上杉謙信が本来なら兄・晴景がすべき「反抗勢力の撃退」を敢行、成功させる。これを契機に「領主は上杉謙信に」という機運が高まり直江実綱はそのために奔走//39歳・上杉謙信家督を継承。以降内政・外交を担う奉行として多く活躍//52歳・第四次川中島の戦いに参戦・活躍(△武田信玄vs上杉謙信△in長野県)//67歳・能登遠征で上杉謙信に従い各地を従軍//69歳・病 没

上杉謙信(1530-1578):大名:越後国.春日山城栃尾城(新潟県
//大名ではないがけっこうな家で産まれた//嫡男でなかったため14歳まで寺に入れられ過ごす/14歳・栃尾城主/19歳・春日山城主/21歳・越後(新潟)国主/全盛期はあっちこっちで戦に次ぐ戦、まさに戦国時代って感じ(ただし攻めたり攻められたりっていうより、自分の領地での一揆の鎮圧戦や、よその戦争に首突っ込んでるだけの戦が多い印象)/49歳・居城・春日山城にて病死
※言わずと知れた超人気のメジャー大名。個人的には嫌い(こいつの正義感のせいで見知らぬ土地へかりだされ戦死した新潟のお百姓さんたちが不憫でならない。徴兵制度反対(まあ俺が当時の百姓なら乱捕り目当てで参戦するだろうが))

×本庄実乃(さねより・1511-1575):武将(長尾晴景-上杉謙信):越後国.栃尾城城主(新潟県
//詳細不詳//32歳・14歳の上杉謙信が、病弱な兄・晴景に代わって越後における国人衆の反乱鎮圧に赴いた時に補佐役として功績を挙げる//50歳・第四次川中島の戦いに参戦//64歳・死去(67歳・で上杉謙信の死去に伴い殉死した、とも)
上杉謙信の側近・軍学の師。謙信からの信頼が厚かった

×笠原清繁夫人(****-****):長野県の国人・笠原清繁の妻→武田家臣・小山田信有の側室:信濃国.志賀城(長野県)→甲斐国.(山梨県
//姓名など詳細不詳//21歳・小田井原の戦いで自軍が敗北、夫・笠原某が討ち死に。自身は捕虜として山梨県に連行される(○武田信玄vs笠原清繁●in長野県)→イマココ//武田家家臣・小山田某の側室となる//26歳・夫・小山田某が死去//52歳・死去

×小山田信有(1519-1552):武将・国人(武田信玄):甲斐.勝山城(山梨県
※「小山田信有」同姓同名が三人いてわからなかったのだが、今回「笠原某の妻を側室にした人」ってことでどの小山田どのか確定したのでメモっとく
この項目の小山田信有が”出羽守”、父親が”越中守”、息子が”弥三郎”なんだけど三人とも小山田信有という名ももっていた
(´A`)<マギラワシス
//山梨県の大名・武田家の家臣・小山田信有の子//21歳・嫡男誕生//同歳・武田信玄家督を継ぐ//22歳・父・兄が死去、家督を継ぐ//武田信玄の長野県への侵攻で活躍//28歳・小田井原の戦いに勝利、敵将・笠原某の妻を自分の側室に(○武田信玄vs笠原清繁●in長野県)//31歳・砥石崩れ(○村上義清vs武田信玄●in長野県)において負傷//32歳・病床で戦争に参加できず//33歳・死去
ドラマでは武田信玄を越えようという野心を持ってるキャラだけど、実際武田(信玄のパパ)と争って負けて配下になったっていう背景があるみたいなので納得。(まあほとんどの武将がそうなんだろうけど)

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