風林火山 第25回 「非情の掟」 感想


第25回 「非情の掟」 

◎かんそう

○ある意味本当の理解者?

主人公が今川義元公に言われる言葉→「私がおまえを嫌う理由を教えてやろう。おまえは自分がしたくてしてることを、{「誰々のためだから」と正当化している。からだ。」}的な。これ、わかるわあ。

「よりしろ」

っていうの?

天皇をみこしにしてアホな国民を煽った旧日本軍みたいなかんじ。今も[皇族の世話]をかかげて税金で裕福に暮らしてる皇室の関係者、みたいな。(そこを指摘すると「おまえそれでもニホンジンかっ!!」って騒いでそのシステムになんの疑問ももたないアホを煽って反対派を黙らせ自分は「お国のため」に、血税をチューチューしつづける。)

まあそれはおいといて。今川義元公、ある意味主人公の本当の理解者なのでは、なんて思った。(理解者=味方ではない。そこがミソ。)

○感動の別れが台無しDA

子役にはもともとなにも期待してないんだけど。けど、今回の虎王丸役の子の演技は酷かった。

(´A`)<あんまりにもひどいセリフの棒読みでドラマが台無しDA☆子役の子はもう引退したそうでなにより。

◎おまけパート

---山梨県.笛吹市内---{・笛吹川
//武田信虎甲府に移すまで武田の館があった場所(石和の町)//

○石和八幡宮
//甲斐武田家の氏神として深い尊崇をうけた//

○春日屋敷跡
//香坂弾正虎綱が生まれた場所//石和八幡宮の近くにある//

○山梨岡神社
//地名「山梨」の由来といわれる//武田信玄が厚く信仰した//今も武田信玄が奉納したとされる「椀」がある//

○いきたいレベル・D

観光で「なにがなんでも見よう!」っていうにはちょっとパンチが弱い。山梨まで行けたんならもっと他の場所みてまわりたい。


◎覚へ書き

○歴史パート:
//1546.武田信玄が勅使三条西実澄らを積翠寺に招き、和漢連句の会を開催
//1547.甲州法度之次第(信玄家法)が制定される

○ドラマパート:
武田信玄、京都から公家を招き歌会(それだけ武田は強くなった+公家が弱体した)//武田信玄、慢心?京都の文化に傾倒ぎみだと正妻にたしなめられても聞き入れず、側室の子の慶事に顔をださず、母・大井夫人の忠告も上の空//由布姫、「自分の息子(武田勝頼)は領主にせず、本来領主になるべき寅王丸の下につかせたい」というも主人公は武田勝頼が領主になるべく寅王丸を出家にしむける//その手続きのため静岡県の今川家に。(武田にとってやっかい払いになるうえに今川へは人質として差し出す体裁が整うまさに悪知恵!)//「ぶっちゃけ寅王丸を追い出す」という勘助の計画に憤る武田家臣と信玄の正妻・三条夫人//勘助、城の設計にも武田勝頼の将来 のための仕掛けを考案、その武田勝頼への肩入れっぷりを危惧する武田重臣。しかし勘助はそれも承知で武田勝頼のために汚いこともするんだと心にきめていた//1547.武田信玄、領内の法律を制定//長野県でまた不穏な動き。反武田勢力が長野県以外にも応援を呼びかけ連携をとりつつあるとのこと//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×四辻季遠(よつつじすえとお・1513-1575):公家・書家:
//33歳・武田信玄に招かれ和漢連句の会に出席←イマココ//63歳・伊勢で客死。
朝廷と武田家とのパイプ役だった。今川家とも交友関係あり

×三条西実澄(さんじょうにしさねずみ・1511-1579):公家:
//35歳・武田信玄に招かれ和漢連句の会に出席←イマココ//68歳・出家したのち、死去
朝廷に出仕して参議や中納言などを務めた。



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