おんな城主 直虎 第32回 「復活の火」 感想


第32回 「復活の火」 

◎かんそう

○なにを言っても死亡フラグ

「あなたは皆に慕われる領主だ。」はじめて?鶴くんが主人公を褒めてくれた。でもさ、鶴くんがこんなこと言ったらいよいよ死亡フラグが頭の中ではためいちゃって悲しくなる・・(この後の結婚発言なんて「死にます」っていってるようなもんだ)

○「そうだネ・バイバイ・ご苦労様☆」と言え!

鶴くんの亡き弟の嫁、ナツどの。井伊家で嫌われ役に徹する鶴くんをずっと支えてきた。そのナツどのが今回、「井伊に平和が戻り鶴くんが嫌われ役をする必要がなくなったら私の役目も終わりですね・・」と寂しげに言うのだが

このタイミングでこんなこと言われて、「そうだネ、今までご苦労様☆」と言える男はいないだろう。

ご他聞にもれず鶴くんも「これが済んだら結婚しよう」と言った・・・いや、言わされました。(さらにあのアマ、「主人公のことはいいのか?」と鶴くんに念を押しやがった)

俺ならこのタイミングで”おいとまの話”をしたら「同情を誘ってる形”になってしまう気がするので、そういうことは話さない。っていうか、相手が自分を選んでくれるのを待つ。そしてそれが叶わない、あるいは迷惑と悟ったら黙って消える。
俺もだけど、なんか昭和の人間ならきっとみんなそういう生き方を選択するのでは?っていうイメージがある。思い込みかな。

っていうかね、ナツさん、嫌い。あの猫なで声が嫌。まだ世の中のことがわかってない十代後半の子供ならしかたないけど、おばさんがあんな声色つかっちゃいかん。もっと普通に喋ろうよ。(役者さんには興味ないからアレだけど、この人は他の役でもこういう声色なのか?)

(´A`)<ハイ、もちろん鶴くんとベタベタしてるのをひがんでるだけです!


○喉につかえていた言葉の一つ

「これより小野は井伊家を再興する!そのための小野だ!」やっと、やっと本当のことを言えた鶴くん、よかったお!・°°・(>_<)・°°・。

○歴史しらないほうが楽しめたかも

「鶴くんはどうなるんだろう?」っていう視点でみたほうが(鶴くんはこうなる)っていう視点で見てるより楽しめる気がする。でも知ってるんだからどうしようもない。まあしてたら知ってたで”どういう過程でそこに至るのか”を考えながらみることができるからよしとしよう。

○今週のやってみなければわからない

なし


◎おまけパート

--愛知県 新城市--
野田城
//1508.築城//菅沼定盈(さだみつ)の居城//菅沼定盈(さだみつ)は一時今川家に仕え、その後、松平家(のちの徳川家)と結びついた//1561.菅沼定盈は井伊谷三人衆の一人、菅沼忠久を調略、徳川配下にする(徳川家康は起請文で味方についた井伊谷三人衆に所領を与える約束をした)//1590.破却・廃城//だそうで

○奥山方広寺
//1371.創建//1568.菅沼忠久をはじめとする井伊谷三人衆の手引きで遠江静岡県)へ進軍した徳川軍が逗留(とうりゅう)した寺//だそうで

○行きたいレベル・D
むしろ行きたい理由がない


◎覚へ書き

○歴史パート:
1568.12.6.第一次駿河侵攻:武田軍、今川領に侵攻(駿河侵攻)(○武田vs今川●in静岡県
//山梨県の武田家が神奈川県の北条家に話をもちかける「静岡県の今川家が新潟県の上杉家と組んで武田家を滅亡させようとしているから今川家を滅ぼす。一緒に今川家を滅ぼして静岡県を分割経営しよう」→北条家に断られ徳川家を誘う→徳川家のっかる、大井川という川を境に東西を分割所領にするということで合意→武田・1万2千の兵で今川領に入る→今川・1万5千の兵で迎撃するも今川の兵が戦わずして退却→じつはすでに武田は今川の武将の多くを調略していた、21人の武将が今川を裏切った(→薩埵峠(さったとうげ)の戦い)
1568.12.13.駿府陥落
//武田軍、今川の拠点・駿府を制圧(○武田vs今川●in静岡県
今川家総大将・今川氏真は家臣の城(掛川城)へおちのびた

○ドラマパート:
//「武田が10日後に今川に侵攻する」という情報を得た徳川、武田と同調して今川を攻める方法を模索//井伊、(戦争が終わった時に叱責されないよう)徳川に今回の事情(鶴くんは味方です、戦争がおこれば手をくんで井伊をとりかえして徳川の味方をします・との内容)を書いた手紙をだす//徳川、状況(鶴くんは味方ということ)を把握、主人公の意向を了承//主人公、徳川との契約が成立したことを鶴くんに連絡。今後今川を裏切って徳川につき、井伊家を再建させる方向でコトを進めることを確認//鶴くん、今まで尽くしてくれた弟嫁(弟は死去)に「今回のことがかたづいたら結婚しよう」と約束//武田信玄、今川の領地に侵攻、逃げ腰の今川に見切りをつけ離反し武田につく今川武将たち//徳川、武田に呼応して今川支配下の井伊領地まで進軍、今川を裏切り徳川を井伊の城まで案内することになった武将・近藤康用が、井伊の領地ほしさに”鶴くんは徳川を裏切るかも”と諌言//井伊の城を支配していた鶴くん、「これから井伊のために徳川に城を渡す、実は井伊の城をのっとったのは芝居だった、今後は徳川、井伊の傘下に入る」と宣言//徳川の先鋒としてやってきた武将達に城の門をあける鶴くん。しかしそのとき徳川の武将に大量の矢が放たれる//主人公「罠だ、門を閉めろ!」→あわてて閉門する鶴くん→徳川武将「井伊が攻撃してきた!城を攻めろ!」//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

本多忠勝(1548-1610):武将・大名:上総(←かずさ)大多喜藩藩主(千葉・42歳)→伊勢桑名藩藩主(三重・53歳)

愛知県の小豪族・松平家の家臣・本田某の長男として生まれ幼いころから徳川家康に仕える//13歳・元服、初陣。14歳で敵の首を挙げる//15歳・三河一向一揆(○松平(のちの徳川家康)vs一向宗門徒●in愛知県)本多一族の多くが宗教上の理由などから徳川家康から離反するなか忠勝は改宗して家康のもとに残り戦った//19歳・徳川家康により旗本先手役という役職に抜擢される//20歳・武田軍が今川領・駿河に侵攻。連動して徳川軍も今川領へ侵攻(←今ここ)//25歳・三方ヶ原の戦い(○武田vs徳川家●in静岡県)で敗戦するもその戦いぶりは敵からも大いに評価された//35歳・本能寺の変(○明智光秀vs織田信長●in京都)。このとき主君・徳川家康と大阪にいたがともに静岡まで奇跡の逃亡に成功(伊賀越え)//42歳・上総国(かずさのくに・千葉県)10万石大多喜藩藩主・大多喜城城主に//52歳・関ヶ原の合戦(●豊臣(石田三成)vs徳川○in岐阜県)//53歳・伊勢国三重県)10万石・桑名藩藩主桑名城城主に//62歳・嫡男に家督を譲り隠居//63歳・死去

徳川一筋・三河武士の代表(徳川四天王・徳川16神将・徳川3傑)。57回戦場にでてかすり傷さえなかった・圧倒的不利で突撃、勝ちを拾ったり味方を逃がすため少数で敵を食い止めたりと、男漢心をくすぐる逸話は尽きない。この人主人公でも大河できちゃいそうだけど、やっぱり徳川家康ありきのイメージがあって個人的にはドラマにするにはパンチが弱い印象もあるが。

×菅沼定盈(さだみつ・1542-1604):武将・大名(今川氏真-徳川家康):三河国野田城(愛知県)上野国阿保藩主(グンマー)

//今川配下の武将・菅沼某の嫡男として生まれる//14歳・父が戦死、家督を継ぐ//18歳・桶狭間の戦いで主家の今川義元が戦死、これを機に松平(のちの徳川)配下となる//26歳・武田の今川領侵攻に合わせた徳川の今川領侵攻に尽力(←イマココ)//31歳・武田軍に自城を攻められ降伏、武田の捕虜となるものちの捕虜交換により帰国//33歳・長篠の戦い(○織田・徳川vs武田●in愛知県)に徳川方として参戦、武功を挙げ雪辱をはらす//48歳・徳川家康の関東移封により菅沼定盈もグンマに移動、一万石を与えられ上野国阿保藩藩主となる//58歳・関ヶ原の戦い(○徳川vs石田(豊臣)●in岐阜県江戸城で留守番//62歳・死去

井伊谷3人衆の1人である「菅沼忠久」よりこの人のほうがWIKIの情報が多い。この人のほうが有名みたい。(まあどっちも全く知らないが)今川に負けようと武田に捕まろうと決して徳川の敵にはならなかったことから一族は厚待遇された・らしい


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