風林火山 第14回 「孫子の旗」 感想


第14回 「孫子の旗」 

◎かんそう

○サスガはママ

「なんで武田信玄様はバシッと政治判断できないの?ねえ、信玄のママもそう思うデショ?」

みたいな感じでいきどおる部下に対して

「いやいや、あんたら信玄のことをオヤカタ様オヤカタ様って持ち上げるけど、信玄だって人間だし、1人の若者なんだよ?悩むことだってたくさんあるだろう。だから「オヤカタ様はエライんだからいつでも我々を満足させて当然」、みたいな考え方はどうかと思うよ。」「あと、あんたらの意見はイマイチだから却下したい。けど、そうしたらあんたらのプライドを傷つけちゃう。だから困ってる」っていうこともあるかもよ?

と答える信玄ママ。確かに確かに。

俺も子供の頃は「親はなんでも知っててとうぜん、親は俺のこともすべてわかってて当然」って思ってたけど、その頃の親と同じ歳になった今はわかる。「大人になってもわからないことだらけだし、大人だって「親」を経験するのははじめてあるいは子の数だけ。だし、ましてや「子」とはいえ人の心の動きすべてを理解してて当然」なんて思われても困るだろ。ってね。

あと、ママが「信玄には遠慮なく話ができる相手が必要」とも言ってて。それもあるあるって思った。温泉で勘助に「バァーカ!」とか言ってキャッキャしてる信玄公を見て(そうだよなあ。)って感じた。(意識無意識的に、信玄はずっとこういう相手を探してたんだろうナ。)ってね。そしてそれは戦国とか関係なく、きっと誰もがそんな存在を探してるんなんじゃないカナ、なんてね、思ったよ。

○憎まれ役

「信玄に代わって言い辛いことを言って憎まれる役目の人が必要」これも、信玄ママが言ってた。(光を背負うものの代わりに全ての影を背負う者が必要って)。
普通の家庭でもあると思う。例えば(ママは優しい。けど、パパは厳しくて嫌い)。あるいはその逆とかね。パパとママ、どちらかが、「嫌われても、憎まれても言わなければいけないこと」っていうのはやっぱりあって、でも言われれば相手は反発し、自分が憎まれる、っていうのがわかってて。でも子供のために言わなくちゃならない。

家庭に限らず、会社、組織もそう。もちろん戦国・戦時下の軍隊なんてその最先方だろう。

で。信玄公の場合、「(諏訪氏に報復したい、けど自分がそれを言うのはちょっと・・ってときに代わりに勘助がそれを言ってくれた)」。そしてそんな状況だったこと、信玄公が言い出せず思案していた作戦を、憎まれること覚悟で勘助が口にしたこと。を”理解した”のが、勘助とぶつかってばかりの板垣と、イヤミなイケメンキャラ武将・小山田だった。っていうね。・・・アツイ!思わず眼から汁が出る展開DA!!

○ヌケ作

でも、勘助が信玄公の真意を汲み取って、嫌われ覚悟で作戦を進言したのかは実際わからない。(空気がよめず単純にいい作戦だと思って言っただけかも)っていうね。このドラマで勘助は”超人で聖人・行動はだいたい計算ずく・っていうわけではない。彼も人なり。”みたいな描写がちょくちょくあって。「全部おみとおしの達観キャラのオシャレなサクセス物語ってことでいいじゃん!」って場面もあるけど、今回の「ドキ☆お風呂で告白?勘助、勘違い発言」みたいなぬけている描写も捨てがたいと思わされる。脚本?監督?とにかくGJです!!!

○「人が集まる」そんな空気感がたまらない

勘助と出会い、語り、その知識を吸収したことで、はからずも出世ルートが開いた「香坂・”ウホッ”・弾正氏」。勘助と長野県に行き行動をともにすることでその智謀を吸収する教来石殿。彼らの成長は結果武田信玄の戦略に幅を持たせることになる。みたいな?熱いね、ホクホクするね。武将たち(とくに甘利虎泰竜雷太)とはこのペースでやってけば誤解もとけ距離も縮まろう。あとは三条@信玄の正室に嫌われてるのをドラマ的にどう解消させるのか。楽しみ(大河ドラマ武田信玄と違って今ドラマの三条夫人、幼くてカワイイ人だから余計気になる)

○なんで怒ってんの?意味不明

「佐久を攻めましょう!」と進言するも、「いや、諏訪を攻めよう」という結論になり、激おこの武田家臣団(とくに甘利氏)。バックボーンが理解できてないからアレだけど、いまさら「諏訪」を攻めても「佐久」を攻めても諏訪氏に対する宣戦布告に変わりないんじゃないの?(たんに勘助の進言を採用したのが気に食わなかった・)としても、タテマエ的にはそれは言えまい。甘利氏が怒る根拠はなんなんだった?(「佐久を攻める」って言ってたけど、和睦で収まった佐久に行ってなにすんの?それとも「佐久に挙兵=諏訪氏ではなくグンマーの上杉憲政を攻める・ってこと?」)
っていうか俺はアフォなので今回に限らずこういうことに対して毎回理解が追いつかずこうやって悩む。これをなんとかしたい。(でも、「じゃあバカを直せば?」・と言われて、「直しました!以後悩まなくなりました!」っていう展開にはならない。「バカ」はどうやったら治るんだ?算数ドリルでもやるか・・・)


◎おまけパート

//武田家家宝が多く残る町//「塩山」の地名の由来にもなった山が市の南西部にある//「古今和歌集」の賀部の中に、「志ほの山 差出の磯に住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく」と詠まれており、「四方から見える山」の意で「しほうのやま」が「しおのやま」と呼ばれるようになったと考えられている(なんとなく甲斐=塩で苦労のイメージがあって、それ絡み由来の「塩山」だと思ってましたが違いましたトホホ//

○管田天神社
//「国宝・楯無鎧」が納められている//

○雲峰寺
//武田信玄の父・信虎が再建に尽力した伽藍(僧が集まって修行するお堂的な)が今も残る//孫子風林火山の一節が入った旗、現存する日本最古の日章旗も納められている(←常時展示かは用確認!!)

○行きたいレベル・A
楯無鎧は是非見たい!山梨に行くことがあれば絶対はずせまいてフェフェフェ



◎覚へ書き

○歴史パート:
1541.「佐久攻め」で武田・諸派連合軍が奪った土地に、国直営行政機関の関東担当武将・上杉憲政の軍が攻め入るも迎撃に出た武田連合の一角・諏訪某と和睦、上杉軍は撤収。→佐久攻め(1541-1547までの抗争):山梨の武田信虎+信玄が長野県佐久市侵略戦争を仕掛け制圧するまでの流れ

○ドラマパート:
グンマー在住・国営の関東管理担当武将が、武田が占領した長野県の領地に攻め入る//地元の武将(諏訪某)が武田と連携せずスタンドプレーでこれに対応、和睦協定、勝手に話を進めてしてしまう//長野県をとりもどさず話し合いで終わらせた国営武将の方針に気落ちする真田幸隆(@長野県を追われ避難中)//激おこの武田家臣団、すぐに兵隊を送るべき(「佐久」って言ってたけど、和睦で収まった長野県の領地に?それとも「佐久=グンマの上杉憲政?」)と進言、しかし国力が充実していない状況なので挙兵を渋る武田信玄。そこに主人公が「兵を送らず長野をとりかえす方法を提案(長野の諏訪某に敵対する勢力をけしかけ諏訪某を追いおとせば無駄な 戦いを避けられる)」//武田信玄が主人公の進言を採用したことに不満をもつ家臣団だったが、(実は武田信玄も主人公の作戦でいきたかった。が、倫理上道義上言い出せなかった。そこに主人公が言いづらいことをいってくれた・という)事情があったと悟りこの件はひとまずまとまる//武田信玄と主人公、温泉で孫子について話す。(そこで主人公が諳んじた「風林火山」の一節を信玄は武田軍の軍旗に用 いる)」//武田を軽んじた長野県の諏訪某と正妻(信玄の妹)に子供ができる//武田家臣(主人公と教来石某)、諏訪某の敵対勢力に謁見、賢しらな小細工(仲間割れすることで話に説得力をもたせ、さらに「自分らがやらないと武田に領地をとられてしまう」と思わせる作戦)で調略に成功//武田信玄、領国経営(河川改修)にいそしむおり”香坂弾正”に目をかけ家臣に加える//調略ついでに敵国(諏訪某)の領内を探る主人公たち、元山梨の百姓、ヘイゾーと再会//ヘイゾーの紹介で諏訪某の家臣とパイプをつくった主人公と教来石某。そこで教来石某が「諏訪某の家臣にしてくれ」ともちかける//ヘイゾーが主人の諏訪家家臣の娘との身分違いの恋に苦しむ//武田信玄の妻、主人公を”不吉”と毛嫌い//主人公、帰 国。つくりたての武田軍旗・「風林火山」を見て心躍らせる//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

武田信廉(1532-1582):武将・(武田信玄の弟):甲斐国山梨県)・信濃国高遠城城主(長野県)
山梨の大名・武田信虎の子として生まれる//29歳・第4次川中島の戦い(長野県:△武田vs上杉△)で武田家NO2の兄・武田信繁が戦死、兄の代わりのポジションを任される//38歳・信濃高遠城主//41歳・武田家当主で兄の武田信玄が死去、その死を隠すために兄のコスプレをして周囲の目をあざむく//信玄が追放した父・信虎をひきとり面倒をみる//43歳・長篠の戦い(愛知県・●武田vs織田○)//51歳・すでに滅亡した武田家の残党狩りをする織田信長配下の者によって殺害される
武田24将、絵が上手だった(今もいくつか残っている)・信玄の影武者としても働く(信玄死後に今川の使者を欺いたことで有名)

高遠頼継(****-1552):国衆・武将(諏訪家-武田家):信濃国高遠城城主(長野県)
国衆・高遠某の子として生まれる//1542.武田信玄の長野県侵攻に協力、同盟関係だった諏訪氏を攻め勝利するが戦後処理でもめ、武田信玄に反旗を翻すも返りうちにあう//1545.城を攻め落とされ降伏、武田家配下に//1552.自害させられる

高遠連峰軒(****-1542):武将・(高遠城主・高遠頼継の弟):信濃国(長野県)
国衆・高遠某の子として生まれる//1542.宮川の戦い(長野県・○武田vs高遠●)で戦死


諏訪頼高(1528-1542):武将(諏訪家当主・諏訪頼重の弟)・大きな神社のトップ(諏訪大社):信濃国諏訪大社(長野県)
諏訪家当主・諏訪某の子として生まれる//10歳・神社のトップに就任//14歳・山梨県武田信玄が侵攻、降伏する//14歳・同じ神職の矢島満清なるものにハメられ自害

由布姫(諏訪御料人・1530?-1555)・武田信玄の側室・武田勝頼のママ:信濃国(長野県)
諏訪家当主・諏訪某の子として生まれる//13歳・親が戦争で負けて甲斐に連行される(人質説も)//14歳・武田信玄と結婚//17歳・武田勝頼を出産//26歳・病没
実名不詳。この人が武田信玄の本命、みたいな小説が多いらしいが実際はただの政略結婚で、いち側室だった、らしい。

×飯富源四郎(のちの山県昌景・1529-1575):武将(武田家):駿河・江尻城(静岡県
武田家家臣・飯富某の子、飯富虎昌の弟(甥説あり)として生まれ虎昌とともに信玄に仕える/24歳・侍大将に/32歳・信玄の叔父の謀反を制する/37歳・信玄の嫡男の謀反を制す。のちに名を山県昌景とする/40歳・駿河江尻城(静岡)城代に/44歳・信玄の上洛戦に従軍/45歳・信玄死去、勝頼に仕える(関係は良好ではなかったらしい)/47歳・長篠の戦、勝頼に撤退を進言するも聞き入れられず討死
武田四天王。兄・飯富虎昌の赤い甲冑軍団・「赤備え」を引き継いだ