おんな城主 直虎 第17回 感想


第17回 「消された種子島

◎かんそう

○努力がたりない

今回はひきこもりの井伊直政(虎松)に対する主人公の対応について、思うところが多かった。理由は2つ「1:俺も子供の頃は気弱でひ弱で何をやってもビリな、どこにでもいる美少年だった/2:俺も大人になり社会に出て人を指示する立場になり「教えること」「覚えてもらうこと」「モチベーションを上げさせること」「かつ・嫌われないことを模索すること」と向き合うことが多くなった

で、だ。今回のドラマに関しては、①主人公の育った環境は特殊(「姫(女)」として育った。さらに”姫”という一般とは別な身分で寺に入った)。なのに武家の男子、それも次期当主の教育に口をはさむのは是なのか。まあドラマだけれど。②主人公が「主人公らしく純粋でガムシャラに生きる」のは勝手。ただその生き方を他人に押し付けていいのか。まあドラマだけれど。でもドラマなればこそ「根性があれば必ず勝てる」「最後は純粋な思いが届く」みたいな綺麗ゴトのゴリ押しはするべきではないと俺は思う(いや、ドラマだからこそ綺麗ゴトで構成するべきなのか?うーん・・・)

まあとにかく。主人公の教育方法は、ドラマ前半では”何も考えず理想や根性論、思いつきで命令しただけ”、後半も”子供の能力・適性ではなく自分の信念を意地になって押し付けてるだけ”に見えた。

もちろん過保護はダメ、っていうのはわかる。けど、あらゆることで負け続け苦しんでる幼児に、「悔しかったら頑張って強くなって見返せばいいだけでしょ」って別次元の存在(20歳以上歳の違う偉い身分のオバサン)から言われて、「なるほどこの人の言うとおりだ」なんて納得する幼児なんていないと俺は思う。誰だって、例え幼児だって一回や二回の負けで諦めたりはしてないはず。
負けて悔しい。親にも申し訳ない。恥ずかしくてミジメで誰にも相談できない。そんな状況の中で本人なりに努力して、それでも勝てなくてまた落ち込んでまた挑むけど負けて、を繰り返した結果としてふさぎこんでしまったはず。大人ならそのぐらいは察してやるべきじゃないか?

俺だってガキの頃、負けて、悔しくて、努力して、でも勝てなくて、さらに努力して、でも負けて、またさらに負けて。それでも負けることに慣れるなんてことはあるはずもなくやっぱり悔しくて・ ・・そして精神的に追い詰められてしぼり出した答えが「もう戦わない」だった時期があった。
そのとき「おまえ、負けて悔しくないのか?頑張って強くなって周りを見返そうと思わないのか?」って親に言われたことがあった。怒鳴る親を見て俺は思った。(ああ、この人達、俺が今まで努力してきたことをわかってくれないんだな・・・そりゃそうか。親は親で自分の仕事、生活あるもんな・・でも、想像すらできないのかな・・・悔しさを感じないわけないのに。悔しくて悔しくて、それでも俺が出した答えに対して、「悔しくないのか?」って言葉しかないんだ?って思った。
もっと言うと、それで俺が「悔しい」って言えば「じゃあもっと努力しろ」ってなるし、「悔しくない」って言えば「おまえは情けない奴だ、勝手にしろ」って流れになる。そうわかりきってる。
俺がなにか言っても「おまえの努力が足りないからだ」で終わらされることがわかってる。で、俺は今こいつらになんてこたえたらいいんだろう?そもそも俺は今、何を言えばいいんだ?自分が感じている本音を言ってこいつらを怒らせていいのか?それともコイツらが喜ぶことを言ってこの不毛な説教を終わらせればいいのか?
・・・・自分を理解できない奴らに自分の本音を言っても無駄だろう。なら、俺がこいつらに合わせてこいつらが喜ぶ答えを言ってこのやりとりを終了させよう・・・・)なんてなっちゃったもん。(そしてその幼児期に抱いたドス黒い感情は大人になった今も心にべったり張り付いてはがれていない)

○鉄の女

だけどああいう厳しい態度がとれる人間を尊敬してる部分もある。

(例え嫌われても本人のために厳しい態度で接することができる)っていうのは、他人の顔色ばかり見て嫌われないように生きている自分にはできないことだから。(嫌われるウンヌン以前に、ただ自分の我を押し通して周りに押しつけてるだけの人間もいるからその見極めは必要だが)。

チビくんのお母さんに「産めるものならあんたが生めば?」とまで言われても引き下がらない主人公。あれもたいしたもんだった。俺なら(´・ω・`)しょぼーん。ってなっちゃう。なのにあそこで「引き下がっていいのか?このままでいいのか?」とチビくんに言える主人公カッコイイ。まるでそれは自分自身にも言っているかのようだった。

○「キミも明日から勝てる!碁・必勝ガイド」

そしてさっそくチビくんに碁のなんたるかを叩き込む主人公。チビくんが泣いてもその涙には一切ふれずただ一言、「次、やるぞ。」

かっこいいし強い人だと思う。ホントはチビくんの頭なでてやりたいだろうに。俺なら幼子を泣かせたくないしあんなことできん。(でも「泣けばいい」みたいな子供になってほしくないし、いざ自分に子どもができれば厳しく接せるものなのかな・・・)

俺もガキの頃、泣いても許してもらえなくて泣きながらいろいろやらされた経験、あるなあ。(´A`)パパママサンキュー

○例によって例のオチ

視聴者のおおかたの予想どうり結局チビくんは勝負に負け、視聴者のおおかたの予想どうり「勝つまで続ければ負けではない」という現実逃避法でドラマはオチがつきました。
「負けと思わなければ負けではない」っていう理論、俺は大嫌い。だけど、チビくんの態度、「(負けたのに堂々と)おい、もう一度だ!」っていうのはよかった。あれは負けた奴の態度じゃない。勝った側からすれば(おまえ負けといてなにその態度?)だろう。けど、負けてこの態度がとれるタフさ、(自分、負けても次期当主ですから、的な?)いいね。碁が強くなるとかそんなことじゃなく、人間的に考え方が大きくなって、再び手習いに通えるようになって、万々歳ですな。

○人前で怒らない

ただ、やっぱりこれは結果論であってドラマであって現実は残酷。実際は「おい、もう一度じゃ!」のあと、また負けて・負けて・負けて。翌日は相撲で負けて、翌々日は鬼ごっこで負けて、その次の日は碁でまた負け、負け続ける。それでも堂々としていられる神経っていうのは天性で備わってないと厳しいんじゃないかな・・・

まあとにかく今回、そもそもの過ちは主人公の「今後一切の手加減を禁ずる」発言だと俺は思う。もちろんチヤホヤするのは問題だが、だからといって「手加減無用」は極端。「加減を工夫してやれ」って言うべきだった。それと”人前で怒らない”。本人のいる前でどうこう言うのではなく、本人がいないときに、「あまり加減がすぎると本人のためにならぬゆえ、そのへん心して面倒をみてやってくれ」って言うべきだった。子供は一年生まれが違うだけでできること、できないことが全然違うんだからそこは配慮するべき。根性でどうなるもんじゃない。幼児だし。

(´A`)以上、ドラマにムキになるおっさんのたわごとでした。


○お宝を探して

謎のイケメン風来坊さんが「実は南朝の巫女が埋めた財宝を探してます」って言ってたけど。
あれはただの嘘?それとも”竜宮小僧”や”井戸と御初代様”と同系列のメルヘンパートで、最終回で”実は宝は井伊の大地と民の笑顔とホニャララだった”みたいなアレ?


◎覚へ書き

○歴史パート:とくにナシ

○ドラマパート:新政策「3年荒野」の効果で井伊谷に人材が集い綿の生育も順調に進む/家臣Aが鉄砲を入手、その威力を見た主人公は鉄砲の製作を指示/亀くんの息子、井伊直政(虎松)が学校に入学。「身分が高い、まだ幼い」ということで周りから気を使われチヤホヤされるもそれを見かねた主人公、周囲に手加減しないよう指示。しかし周囲が加減しないようになったことで負けがこんだ直政(虎松)、気落ちして登校拒否になる/直政(虎松)の登校拒否を知った主人公、「情けない、こんなことでいいのか」と説教するも直政(虎松)の母に邪魔され水入り/第16回に登場した謎の風来坊の助言(勝つことの楽しさがわかれば変わる・的な)を得て、直政(虎松) と再び話す主人公「碁で勝てるようになろう」と説得、特訓、同級生と対決することに/同級生と勝負するも敗北。しかし直政(虎松)は逃げ出さず胸をはり「もう一度じゃ!」と上から命令。(→精神的に強くなった直政(虎松))/鉄砲の製作が鶴くんにバレる。鶴くん「鉄砲を密造していた」と今川に言えるか?言えないなら井伊の臨時当主の座を譲れ。そうすればだまっててやる・的な要求/つづく


◎おまけパート

静岡県森町/かつて鍛冶や鋳物業が栄えた町/遠江の東に位置する/この地では良質な砂鉄が採れた/金属を溶かして鐘や武器などを作る「鋳物師(いもじ)」という職人たちが多くいた/鋳物師が暮らしていたとされる西金谷には鋳物師の神様がまつられている/だそうで

○「遠州住友安」と名の刻まれた短刀/南北朝時代遠江の鍛冶職人によって作られたものと言われている

蓮華寺/1300年以上の歴史を持つ寺で、周辺の鋳物師らを取りまとめていた/今川氏はこの寺を通じて、鋳物師に特権を与え職人らを厚遇した/権力者にとって鋳物師らとの結びつきは軍事力の要だった/だそうで

○行きたいレベル:D

寺にはあまり興味ないし街をふらつくなら他にも風情のある街あるし


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