風林火山 第3回 「摩利支天」 感想



第3回 「摩利支天」 感想

◎かんそう

○主人公
いい声してる。声優さんもできそう!(真田丸徳川家康役のときと声が違うのは年のせい?それとも役によって声色変えてるのか?大河ドラマでしか見たことないからワカラン)

旅の途中で出会った田舎娘を孕ませた主人公のセリフ「俺はおまえのために死ねる。けど、おまえと子供のために生きることはできない」。とのこと。セリフの単語ひとつひとつにはあえてつっこまないけど、結論で言えばゲスなセリフをなるべくオブラートに包んでるだけで本質はただの無責任の極みじゃんね。(そもそも女を捨てて地元に行って就職先なかったら戻ってきて孕んでたら子供の父親は違う男かもとか言うし。よく主人公にこんなゲスい立ち回りさせたよな脚本さんは)

・・・(”夢・やりたいことがある・自分はまだ若い”ってときに”自分にべったりな女”が現れたとき”自分はどうしたらいいんだ”っていうジレンマは正直理解できるケド・・・)

○人は己の求められる場所で生きるのが最も幸せなんじゃ
ゲスな主人公でしたが、村娘と暮らすうちに情が移った?愛に目覚めた?ようで。(ある意味村娘の作戦勝ち)、このときのセリフはとってもよかった。→「戦いっていうのは守るためにするもの。今まで自分には守るものがなかった。その意味では今までの自分の戦いはカラッポだった。でも今はおまえがいる。おまえが、俺の城だ。俺はやっと本当の意味で戦かっていくことができる」ナルホド今までのゲスっぷりはこのシーンを際立たせるためにあったのね。

○村娘
しかしその村娘が、矢に射掛けられてしまいます。しかもそのシーンで「つづく」という鉄板のヒキ。気になって今週は仕事がてにつかないYO☆村娘死んじゃうのかな?ヒロインじゃなかったのかな・・・可愛いのにもったいないナ・・


◎覚へ書き

○あらすじ

歴史パート:1536

ドラマパート:就職のみこみがない故郷を捨て、山梨までやってきた主人公、第1回でねんごろになった村娘の家に居座る/村娘は妊娠していたが主人公は村娘と夫婦になる気がない/主人公は今川家に就職できなかったので今度は武田家に就職しようともくろんでいるが第1回で武田の武将を殺しているので面接のチャンスはなさげ/山梨県領主・武田信虎が「長野県に侵攻する」と宣言。しかし長野県まで戦争で遠征となると山梨県民に金・人手ともに負担がかかるうえに静岡県や神奈川県を敵にまわすことになるので家臣団は快諾できず困惑。さらに家臣の中でも意見がまとまらない(小山田某ってのがクセモノっぽい)/武田家がまとまらない状況の中、跡取りの武田信玄は遊びほう けている。さらに主人公とねんごろになった村娘に目をつけ、妾にすると言い出す(しかし村娘は妊娠していたのでこの話はお流れ)/静岡在住の主人公の兄が山梨の武田家に来る。「自分の上司の福島某が今川家を裏切って謀反するから力を貸してほしい」とのこと/武田信虎これを了承。しかしこれは今川家に敵対する行為なので家臣は動揺。ただ1人、小山田某だけが不気味な笑み/小山田某が雪斎なる人物と密会?「予想どうりにコトが動いている」とほくそ笑む/毎晩遊び呆ける武田信玄に家臣・板垣某が断罪覚悟で諫言。これにより信玄、己が立場を自覚/主人公、村娘と暮らすうちに「村娘と家族になり生きていこう」と思うようになる/狩りに出かけた武田信虎、偶然そこに居合わせた村娘に矢を向 け、放つ。矢が飛び・・・/つづく


◎おべんきょう:

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×小山田信有(出羽守)(1519-1552):武将・国人:甲斐(山梨県

山梨の国人・武田家家臣・小山田信有の子として生まれる(父・本人・子と3代同じ名前)母は武田信虎の妹とも/20歳・嫡男、次男誕生/22歳・家督を継ぐ/22歳・武田信玄が父である信虎を追放・国主となる/武田信玄の長野県侵攻で大いに活躍/31歳・砥石崩れ(武田軍●vs村上義清軍○)。家臣は討ち死に、信有も負傷する/33歳・病死

父・本人・子と3代同じ名なのでまぎらわしい・ややこしい(もちろん何度も名前を変えていく段階の一時的なものではあるのだが)。今回(第3回)でやっとどの小山田クンか特定できた・・・ヤレヤレ

×駒井政武(??-??):武将(武田信虎-信玄):甲斐(山梨県

駒井某の子として誕生/1541.武田信玄が父信虎を追放、これを契機に出家、名を「高白斎」とする/武田信玄統治下の山梨県の外交、内政で活躍/1563.供養が行われたという記録があるのでこれ以前に死去
1498-1553までの武田家のできごとを記録した「高白斎記(甲陽日記)」というのを残している

役者さんはのちの大河にたびたび登場する知的でイケメンの人!この役も知的で味のある役処っぽい

太原雪斎:(たいげんせっさい・1496-1555)今川家家臣・僧侶・武将(軍師):駿河臨済寺(静岡)

 駿河国原城主の子として生まれる/10歳・仏門に入る/27歳・今川義元の教育係になる/41歳・今川家で起こった家督争いに勝利/60歳・死去(桶狭間の5年前)

いわゆる名軍師。幼い頃、不遇だった今川義元の教育係として出会い、導き、補佐する。武田・北条・今川の甲相駿三国同盟の締結にも尽力。


◎おまけパート/愛知県・豊川市

・豊川町

豊川稲荷/商売繁盛の神として知られる

牛久保町/青年期の勘助が過ごしたと伝わる町(勘助は12歳で養子、20歳で武者修行の旅にでたという)

○大林勘左衛門邸跡/勘助が養子にはいったとされる大林某の邸宅があった場所に標識がささってるだけ

牛久保古図(光輝院 蔵)/大林勘左衛門邸宅の場所がわかる古地図

長谷寺山本勘助はこの寺の念宗和尚と親交があり信玄に召し抱えられたとき遺髪を和尚に託した/だそうです

○摩利支天像(長谷寺 蔵)/勘助奉納と伝わる。勘助が武芸上達を祈願して立ち寄った高野山で授かったもの/だそうです

○勘助遺髪塚/1561・勘助が川中島の合戦で戦死した後、その死を悼み遺髪を埋めて建立した五輪の墓/だそうです

行きたいレベルD。とくに豊川稲荷牛久保のエピソードだけでいいのになんで豊川まで入れるかな。ねじ込んだ感がすごい。製作側が神社に金つかまされた?

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