大河ドラマ・武田信玄・第28回・感想


第28回 「川中島血戦(ニ)」

かんそう

○勘助あぼん
山本勘助が命を賭して部下に伝えさせた「あそこの陣はもぬけのカラ」というメッセージですが。メッセージが届いたときは軍勢はすでにその陣に到着していて、あんま意味もありませんでしたな。(´・ω・`)まあ人生そんなことのほうが多いのでリアルっちゃあリアルか。

○信繁あぼん
享年37。伝承では山にいる別働隊が戻ってくるまでの時間稼ぎのために自ら槍をもって死地に赴いたそうな。信玄は遺体を抱き寄せ号泣。遺体は嫡男が城主の小諸城(長野県)と戦場にある寺(典厩寺・長野県)に埋葬されたんだそうな。

○嫡男暴走
「あいつは若いからきっと引っかかる」謙信にハメられた形でしたが。「あいつは若いから引っかからないように釘刺しとこう」信玄があらかじめ念をおしとけばあるいはこんなことにならなかったのかもね。(まあ後からならなんとでも言えるが俺が主人公なら釘をさしておかなかった自分を責めます)

○今週の真田様
武将の1人として出てた程度で見せ場はとくにナシ(´・ω・`)しょぼーん


覚へ書き

歴史パート:1561年・第四次川中島の戦い武田信繁討ち死に・山本勘助討ち死に

ドラマパート:勘助討ち死に/ひっそり川を渡った上杉軍(べんせいしゅくしゅくのシーン)、車懸りの陣で武田を攻める/上杉接近の情報が入った武田軍、鶴翼の陣をしき山へ向かった別働隊がもどってくるまで守りを固める作戦/上杉軍、武田嫡男を負けたフリでだましおびきよせ、陣形を崩す/崩れた箇所に攻め込む上杉、主人公の弟がそこを守る、元上杉の部下で現武田配下の大熊朝秀も加勢に向かう/山に行っていた別働隊が帰参、上杉軍を前後から挟む形に/上杉軍撤退をはじめる/武田本陣に上杉謙信が強襲、武田信玄に斬りかかる、迎え撃つ信玄(みたちななたちのシーン)、謙信、幾度か斬りつけたのちに去っていく/つづく


おべんきょう

○べんせいしゅくしゅく

不識庵(→謙信)、機山(→信玄)を撃つの図に題す」

鞭聲粛粛夜過河/鞭聲粛々夜河を過る(べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる)
暁見千兵擁大牙/暁に見る千兵の大牙を擁するを(あかつきにみるせんぺいのたいがをようするを)
遺恨十年磨一剣/遺恨十年一剣を磨き(いこんじゅうねんいっけんをみがき)
流星光底逸長蛇/流星光底長蛇を逸す(りゅうせいこうていちょうだをいっす)

                                 作/頼 山陽(1780~1832)

訳:上杉謙信の軍はひっそりと鞭音も立てない様にして、夜の内に千曲川を渡って川中島の敵陣に攻め寄せた。武田側は明け方霧の晴れ間に上杉方の大軍が大将の旗を中心に守りながら迫ってくるのを見つけた。この戦いでは謙信は信玄を討ちとることができなかったが、その心中を察すると、誠に同情にたえない。この十年の間一ふりの剣を研ぎ磨いて、その機会を待ったのであるが、うち下ろす刀光一閃の下に、ついに強敵信玄をとり逃がしたのは無念至極なことであった。(作品は上杉謙信の心情側)

○みたちななたち

「三太刀七太刀之」

永祿4年(1561)9月10日、第四次川中島の戦い上杉謙信が単騎武田本陣に切り込み、馬上から武田信玄目がけて切りかかったとされる。その場面について『甲陽軍鑑』は「謙信の切っ先は外れたが三太刀切りつける。信玄は軍配団扇で受け止めた。あとで見たところ団扇に八ヵ所の刀傷があった」とある。『甲越信戦録』では、「信玄は軍配団扇ではっしと受け止める。また切りつけるを受け止め、たたみかけて九太刀である。七太刀は軍配団扇で受け止めたが、二太刀は受けはずして肩先に傷を受けた」とある。この「三」や「七」は実数ではなく、何度も何度という副詞的に使われている数字である。また、音読する場合「三太刀」「七太刀」は語呂合わせがよい。この点から「三太刀七太刀」と表記したものと考えられる。