大河ドラマ・武田信玄・第26回・感想


第26回 「氏康と影虎」

ドラマの前のうんちくコーナーで、かの有名な、「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」っていうのでてきたけど。
なんか違和感。どっちかっていうと信玄公はこの言葉が似合わない武将の筆頭じゃない?まあ後世の創作なんだとは思うけどさ。

長男をさ、青年時代の信玄役だった人にすればもっと悲劇の「繰り返し」の部分が際立ってよかったのにね。

正室の三条様、主人公を呼ぶのに「おやかた様」から「お前様」にかわってたよ。でも距離が縮まったのかと思ったらそうでもない。2人にはもうちょっと仲良くしてほしいんですが相変わらず微妙な関係・・・
主人公、天下狙ってるっぽいのにそれをクチにださない。「妻の自分だけには本心を教えてほしい」って言ってるのに言ってくれない。なんで「天下とるで!」って言ってやらんのん?(「ヤエ」ルートで情報が漏れるのを警戒していたのじゃ・とかあとで種明かしがあるならいいけどそうじゃないと俺だってあんなんヒステリーおこすで)

真田様どうしてでてこないん?役者さんのスケジュールが合わんのん?監督さんと喧嘩でもしたん?そして死んでしもうたん?そんなん嘘やろ?次回は舞台が川中島だからきっと出てきてくれはるよな?な?(あと高坂弾正(源助)もみないなあ)


今回の上杉謙信の相模侵攻は、実際は自分の国(越後)の飢饉がすごかったから略奪目的の遠征・関東管領どうこうはそのための大義名分だった・とも言われてるそうな。

あらすじ

歴史パート:1560-1561・上杉謙信(越後/新潟)が北条氏康(相模/神奈川)に侵攻するも小田原城を落とせず撤退/上杉謙信関東管領の職を任命される・長尾景虎上杉謙信)から上杉政虎と改名/1561・第四次川中島の戦い

ドラマパート:1560・主人公の弟・武田信繁今川義元の弔問/主人公の弟、武田パパと再会。パパが主人公の弟に(パパ自身がお世話になっている)駿河(静岡)を侵略しろ、自分はこのままだと甲斐が滅びる、自分は甲斐に帰りたい、と泣く。弟、ただただ困惑。/主人公の次男・比叡山から帰国。主人公、再会を喜ぶ/主人公と長男、確執をひきずりつずける/1561・上杉謙信関東管領の大儀の下に関東の諸将を集め北条を攻める/籠城の構えをとる北条氏康・いきりたつ北条ムスコ氏政(←愚息で有名)を一喝/主人公正室、「天下には興味ない」という主人公に対してヒステリー/主人公、上杉謙信が本拠地(越後/新潟)に戻らざるをえなくなるように地元の宗教団体を扇動する工作(一向一揆)/武田軍、北条の援軍として出陣/上杉軍、関東諸将をまとめきれず撤退(城を落とすよりも関東や北条に自分の存在をアピールするのが優先だったのでもうよい・とのこと)、鎌倉で正式に関東管領の職をたまわる/北条戦を撤退したことで何の戦利品も恩賞もだせなかった上杉謙信、次は大々的に攻めて来ると予測する主人公→川中島の戦い
つづく


おべんきょう

じんぶつ

北条氏政:(1538-1590):大名(後北条氏当主):相模・小田原城(神奈川)
 相模の大名・北条氏康の次男として生まれる(後に兄が死去)/22歳・家督を継ぐ/24歳ー今回ー/31歳・武田信玄に攻められる/32歳・上杉謙信と同盟(後に破棄)/34歳・父・氏康が死去(ここまでの政治運営は実質氏康が行ってた)/34歳・武田信玄と同盟(後に破棄)/43歳・家督を息子に譲る/45歳・織田信長に従軍、武田家を滅ぼし(真田丸はここから第1回)領地を与えられる/53歳・豊臣秀吉に徹底抗戦するもかなわず自害
 ドラマ現在で24歳。「わしが死んだらあいつが当主になると思うと気が重い」的なことをパパ(北条氏康)に言われた・など、ダメ息子伝説的な逸話を持つ剛の者。(秀吉に逆らって実際は政治手腕にすぐれ愛妻家だったとも言われている(妻は信玄の娘))


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