仮面ライダーゴースト 最終話 感想


最終話 「未来!繋がる想い!」 

あらすじ

序盤

新戦士がゲーム機を少年に盗まれ、返してもらおうと歩み寄ると、「なにをするつもりだ!」と怒鳴られ、サブライダー達に襲われる

(なにをするもなにも、盗られたゲーム機を返してもらおうとしただけ)


中盤

「襲われた理由に心当たりは?」と聞かれた少年、「これ(ゲーム機)が未来を変える力をもっているからかも」、と答える。

(理由は「ゲーム機がどうこう」じゃなくて、「それを盗んだこと」だよね?あとそもそもキミ、襲われてない・・)


終盤

新戦士「世界を救うために必要なんだ、(ゲーム機を)よこして欲しい。」

しかし新戦士の要求をガン無視、信用しないタケル。(本当のことなのに・・)

タケル「嘘をつけ!俺の仲間を襲ったくせに!」

新戦士「嘘じゃない、襲ってない!(むしろ襲われてました)」

(49話かけて人を信じる大切さを貫いてきたタケル、50話ではなぜか新戦士をまったく信用せず、変身して襲いかかる)


タケル「最終話だ、命、燃やすぜ!!!」




タケル、新戦士に襲い掛かる!


逆に殴られ、倒れる。


(頭が冷えてやっと話を聞く精神状態になったタケル)

新戦士「俺は人の命を救って運命を変える。命はなによりも大切だからな。」

タケル「え?え?それは俺もそう思うけど・・・キミ、悪者じゃなかったの?」

新戦士(ダメだこいつ・・・)

ゲームを盗まれ、返してもらえないどころかタケルたちから悪者扱いされ、さんざん邪魔をされ襲われたあげく、最後は他の戦士にそのゲーム機を奪われてしまった新戦士。

「それでも・・この子が無事でよかった。」

タケルの勘違いのせいで散々な目にあっても愚痴ひとつ言わず去っていく新戦士。


そして天空寺タケルこと仮面ライダーゴースト最後のセリフ。



「想いがまたひとつ繋がった!次はキミの番だ!!」



=完=


かんそう

新番組の宣伝の回、いわゆる「番宣回」。

○馬面って言うな
主人公の制服姿キモかった。顔がデカイせい?いつもユルユルの衣装だったのはこれをフォローするためだったのかも?同じ制服でもマコト兄ちゃんが着てたらカッコ良すぎてやばい絵になってたはず。各々、出演作間違えたな。
逆にヒロインはガイコツ出汁。主人公もヒロインも一生懸命やったと思うけど、今後の芸能活動は厳しいかも。とくにヒロイン。(しょせん人は見た目だと俺は思っている。ので、むしろブレイクして俺の考え方が間違っていたと思わせてほしい、とも思っている)

○今回(50話)の内容がこんななのは
「どうせ視聴者はもう新作に興味いってるし、今回はドラマっぽい地味な内容でもいいよね?」的な?とってつけたような色違いの怪人が出てきてみんなでキックして倒して終わり。そんな20分ではなく、「このタイミングなら自分の色を出してもいいよね?」、という脚本・監督の方針の産物、テーマのあった20分だったと思いたい。(予算の都合で地味だったとかだとは思わないぞ!俺は純粋で心が美しいので。)


そんな「今回の」内容ですが個人的に気になったのが2点
テーマ1:「今後地味に勉強して世界を救うよりすごいことができるのか?ゴーストでいたほうがよかったんじゃないのか?」
テーマ2:「どうせ未来は絶望しかない・頑張っても無駄だ・仮面ライダーがずっと一緒にいて助けてくれるわけじゃないし。」
というもの。

詳しくは

○「普通」ではない、自分は「特別」なはずだ。
誰に知られることなく命がけの戦いを続け、ギリギリで、本当にギリギリで世界を救った。怪人軍団から地球を守り、傷ついても立ち上がり、理解しあえる仲間たちと出会い、決死の覚悟で世界を救った。

なのに今は学校に行ってお勉強。足し算、引き算、漢字の練習。

そんな主人公に、「こんなことをしていて世界を救うよりすごいことができるの?いっそゴーストでいたほうがよかったんじゃない?」
と囁きかける謎の少年。(人はしいたげられたほうが強く輝く・の法則)。


「俺、こんなことしてていいのだろうか・・・」

そう思いながら毎日をすごしている人は多いんじゃないかと思う。とくに学生には。(そんなことないのかな?わからんが俺の思春期はそんな感じだったのでポッ☆)
実際のところは「勉強したくない→やりたくない→やる必要はない、だって俺にはもっと他にやるべきことがある(はずな)のだから(自己正当化)」っていう流れなんだけどね。

まあとにかく少年の問い(→俺の問いでもある)

「こんなことをしていて世界を救うよりすごいことができるの?いっそゴーストでいたほうがよかったんじゃない?」

それに対する主人公の答えは(→脚本・監督の答えは)


「命は奇跡、生きていることが大事」

みたいなものだった。

論点がずれてました。ガッカリ。

つまり好意的に解釈しても「死んでカッコイイ英雄になるより、パッとしなくても生きているほうがいい」

ということになるのかな?「生き死に」ではなく「地味な勉強をなぜするの?」の答えが俺は聞きたかったので。(今回は福田卓郎脚本・金田治監督ということなのでその2人の考え方を提示してほしかったでやんす)


野狐禅
「どうせ未来は絶望しかない・頑張っても無駄だ・仮面ライダーがずっと一緒にいて助けてくれるわけじゃないから。」

そんな、「無理だからやらない・諦める」という少年(=俺)の考え方に対して主人公(=脚本・監督)からのアンサー


「(少年を抱きしめ)俺とお前は繋がっている、この絆は永遠に消えない、心はキミと一緒だ、だから未来は変えられる、キミを信じてる」

というもの。

こちらもまったく答えになっていない、「信じる」のゴリ押しで具体性のないものでした。
(別れ話でカレがキレないように「別れてもずっと友達だから」となだめてその場をやりすごすやり口ですね。)

そしてそれを聞いた少年の反応もすごい

「未来からきてよかった。もう諦めない、ありがとう!」というものでした。(それで納得するんかいっ!未来に帰ってから「ん?よく考えたらぜんぜん具体性ないぞ?あれ?ひょっとして俺、誤魔化された?」ってなることうけあい)


がっかりだよ。

せっかくいいテーマの回だと思ったのに、がっかりだよ!


{期待していただけにがっかりした・がっかり文句まとめ}

がっかり1:「今後地味に勉強して世界を救うよりすごいことができるのか?ゴーストでいたほうがよかったんじゃないのか?」

の問いには、「今後地味に勉強して世界を救うよりすごいことができるのか?」は無回答。「ゴーストでいたほうがよかったんじゃないのか?」に対して、「ゴーストでいるより生きてるほうがいい」というどうでもいい答えのみ。

そおいううんじゃなくてさあ、

「今後、地味に勉強して世界を救うよりすごいことができるの?ゴーストでいたほうがよかったんじゃないの?」

「まあ聞けよ。ゴーストにならなくても世界を救う方法があるとしたら、どうする?」

「そんなのあるわけないじゃん」

「だから勉強するのさ!」

みたいな感じでよかったのにべつに。それが俺にとって正解じゃなくても、脚本・監督にとっての答えがすごい聞いてみたかったな。


がっかり2:「どうせ未来は絶望しかない・頑張っても無駄だ・仮面ライダーがずっと一緒にいて助けてくれるわけじゃないし。」

には、「どうせ未来は絶望しかない・頑張っても無駄だ」の問いにスルー、「ずっと一緒にいて助けてくれるわけじゃないし。」に対して「心が一緒だから問題ない」というスピリチュアルな答えをするのみ。

そおいうんじゃなくてさあ、

「未来に絶望したときは「俺は、俺を信じる!」って言うんだ。そうすると、力が沸いてくる。そしたらその力で、走り出すんだ。そしたらきっと、仲間が出来る。仲間ができたら、一緒に笑うんだ。そしたらもう、未来は変わってる。・・・・それでもダメなら、俺を呼んで?いつでも、どこにいても、きっと駆けつけるから。」

みたいな?今作を連想させるような、そんな程度でよかったのに。
(「それにしても、俺が信じてるからキミの未来は大丈夫☆」は、ないだろ。無責任にもほどがあるだろ・・・・)



気をとりなおしてその他のかんそう

○あの子役は
次回作のレギュラーくんなのか?(毎回さらわれる・みなしご・「ユリ子さん」という美人のおねいさんがいる、実は敵ボスの子供・という伝統のポジション?)それとも今やってる映画のキャラ?あるいは次回の映画キャラで「眼魔の世界の村おこしをしていたズッコケ3人組を助けにいった主人公が出逢う謎の少年」的な感じ?

なんか最後に消えていくシーンで「オ*ンコ!ヒカルのオマ*コから俺参上!うひょひょー!」って言ってたけど。主人公の息子ってことでいいのかな?(俺は読唇術が得意なのだ)


○まんまマリオ
新しい試みのゲームエフェクト・・・
喋るベルトのときも、はじめは「キバットはセーフ、オーズは微妙」だったのが、今ではすっかり慣れたしエフェクトも来年の今頃は定着してるんだろうな。(むしろゲームがテーマじゃなくなる次次回作は絵的に物足りなく感じるかも?などと無駄な心配をする優しい俺・・・)
格闘ゲームだって昔は「→5HIT!!」みたいな表記なかったのがいつのまにか今では普通に表記だしね。


○言うだけなら簡単(それでも俺なら言わないが)
「キミを信じている!」。初対面の少年にタケルくんが言ってましたが。
俺は初対面で俺のことを知りもしない相手に「キミを信じている」とかいわれたら嫌悪感・不信感しか感じない。
学生の頃も社会にでてからも、上司やら知らない大人から「キミはこんな人だ」「キミを信じてるぞ」みたいなことを言われたけど、そのたびにイラッとするやら悲しくなるやらだった。嫌だった。誰にでも言っているのがわかったから、屈辱だった。そんな言葉で俺が尻尾ふってやる気をだすとみくびられていたのが、嫌だった。俺にとって本当にほしい言葉、大切な言葉だったのに、世の中ではなんの重さもない、押し付けるだけ、初対面の相手に投げ与えることにも使われる言葉だと知ってしまったから。

まあしかし。「信用されていると本気で勘違いして浮かれて頑張る」のか「上っ面だけの言葉にテンションを落としやる気を失くす」のかは本人しだい。言葉は言葉でしかないんだからね。さらに「とくに深く考えず」信じてるとか言う奴もいるだろうし。よし、話がまとまらないぞ!次いこう!


○公式サイトで反省しきり
主人公はなんの根拠も努力もなく「自分を信じる」「命を燃やす」と言っていて、それが俺はすごく嫌だった。
ベルトはいいんだよ、もらい物で。親が天才博士だとか、子供が襲われているところにたまたまライダーがあらわれたとか、そんなことはいい。

ただ、本人には努力してほしい。信じるのは「正義が勝つ」とか「優しい気持ち」とかの精神論ではなく、自分の「努力」であってほしい。勝利はその賜物であってほしい。

そのへんのことが、最終話を終えた公式サイトに掲載されていて。


曰く

「「俺は俺を信じる」「命燃やすぜ!」という言葉は自分を信じたい、今度こそ後悔せずに命を燃やし切りたい、という何も持たない、信じるに足る自分ではないという気持ちの裏返しで説得力を持たないただの言葉でした。彼は自分の死と直面してちょっとだけ自分のしてきたことと命と向き合う様になっただけでした。でもその“ちょっと”が重要だと思っています。」」

「「タケルの欠点は想ったことをそのまま口にしてしまう能天気さ。そして根拠のない自信です。でもそれがタケルの良さでもあります。自分が想ったことを盲目的に信じることができる強さを持った少年。そしてどんな時も笑顔。」」


とのこと。

なるほどな、と思った。主人公はまだ十代。努力しないで「信じる」とか「愛」「強さ」をクチにするのが普通の年頃。オリンピックの強化選手じゃないんだしね。
俺は「子供が子供でいられる期間(モラトリアムの中にいる主人公)」に対して、「言葉に責任をもて!」「頑張れ!」「やることをやれ!」と、大人の生き方を押し付けてたな。と気づかされました。反省。

まあ、自分の死と直面してさえも、ちょっとだけしか自分のしてきたことや命と向き合う様にならないっていうのは命を軽んじ、バカにしてるとしか思えないけど、十代にはそういうバカがけっこういて、たまたまこの物語の主人公もそのバカの一人だったと思えばいいのかな・・・地球救ってくれたしね。

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